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2015年4月12日 - 2015年4月18日

2015年4月18日 (土)

疲れました~古文書研究会

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先日書いたとおり、古文書研究会に入って、私にとっては2回目の参加。講師は

松平文庫の学芸員Y氏、さすが専門家は違いますね。皆さんが読めないところ

も、ペラペラと。


私たちが、渡されるのは、上の文書の部分だけで、これを皆で読んで、下のよう

に読み下すのですが、私にとっては、小学一年生で、「あ、い。う、え、お」を習う

前から、源氏物語を渡され、読んでみなさい、というようなもの。


おまけに、パソコンで文書を作っているので、漢字を忘れていて、皆さんが、
読ん

でいるのを、書いていくのに精一杯で、研究会の2時間の時間が終わると、もう、

ヘトヘト。これなら、高校時代、もっと真面目に勉強すべきだったと・・・ weep


上の文書は「旧記畧書(りゃくしょ)」で、島原一揆の時、一揆軍が島原城へと押

しかけた時の、庄左衛門の時の行動ですが、庄左衛門、父甚左衛門、兄十兵

と共に城に入り、鉄炮で一揆軍45名を打ち倒したという事です。


なお、乱後庄左衛門は、松平伊豆守より呼び出され、南有馬村庄屋役、弓、鉄

砲、槍の三道具を、お目付役、能勢四郎右衛門から渡されたそうです。


この後、庄左衛門は、元治元年、南有馬村から南串山の庄屋として来たそうで

す。


とまあ、古文書の面白さは、字が読めるというだけではなく、その土地の歴史、

風土、こんなに年貢を取られていたのか等の、庶民の生活まで分かる楽しみが

ることです。


機会があったら、是非、研修会等にご参加を。意外と、あちらこちらで行われて

ます。ハマリますよ。


さて、今から復習です。学校時代は、復習なんてしたことないんですが pencil










2015年4月17日 (金)

肥前狛犬のこと&黒田さんのこと

Photo

先日、石造物専門のO先生から、「肥前狛犬」を見せてもらい、おや?どこかで見

たなと思って、確認に行ったらビンゴでした。


肥前狛犬は、「佐賀市地域文化財データーベースサイト 佐賀の歴史・文化お宝

帳」によれば→こちらをクリック


「肥前狛犬は江戸時代前半に佐賀地方を中心として作成された石造の狛犬。

肥前狛犬の一般的な特徴は小型でその姿態は極めて静的で細部の表現は省

略され、彫法は簡潔で素なことなどが挙げられる。・・・」そうです。


佐賀県内には約800体あるとも言われているそうですが、O先生によれば、こち

らの地方では、珍しく、最近は仏像など盗んでいくのがいるので、注意してくれと

言われましたので、場所は書きませんが、まあ、見る人が見れば、すぐ分かるの

ですが・・・


神社もよく見て行くと面白く、二の鳥居が「元禄八乙亥九月吉日」ですから、

1695年、いまから320年前のもので、灯明が「明和三年丙戊三月吉日」ですか

ら1766年、249年前のものです、随分と古いですね。まだ、私が生まれてない

頃です。

Photo_11 Photo_12

近くの方はすぐに分かると思いますが、島原半島では中心的な神社です。

Photo_2

拝殿前の両側に狛犬がいますが、左側の狛犬の下に、もう一つ小さな狛犬が置

いてあります。一番上の写真です。


しばらく見ていれば、なんとも素朴で、何となく愛嬌のある狛犬さんです。これが

 「肥前狛犬」です。前面に、文字らしきものが書いてあるのですが、薄くなって読

ませんでした。

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で、実はこの狛犬、左の方しかなく、右側がありません。神主さんに聞こうと思っ

たら、社務所には誰もいなくて分かりません。


代わりに右の方の狛犬の下に、小犬がじゃれているような感じで、なんとなく、こ

れも狛犬じゃないのかな、という感じ。

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上部の狛犬もなかなか、見もので・・・・何となくオッカナイ顔。

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台座に、「○○歩兵一等卒 黒田幾造」、反対側は、写真で拡大して、良く見ると

「山田村字永中父黒田榮○○」の文字。山田村永中は、現雲仙市吾妻町です。


というところで、帰る途中、ついでに、吾妻町の温泉神社に寄ってみると、こち

らの狛犬もカッコイイですね。

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とまあここまでは良かったのですが、台座を見ると、「大正七年一月一日 黒田

榮○郎」の文字。


考えれば、二年ほど前、小野の金比羅山のことを書いた時、奉納された石造の

蟹の事を書いたおり、黒田さんの子孫の方からコメントをいただき、祖先の名前

が、黒田栄太郎さん、子供さんの名前が、黒田幾三さん、「造」と「三」、少し違い

ますが、多分同じ方だと思います。→こちらをクリック


という事で、多分、この黒田さん、同じ方だと思います。なお、この黒田幾造さん

は台湾に出征し戦死されたそうです。


どうも、「肥前狛犬」見に行ったのに、この奇遇。人生って分かりませんね。


狛犬もいろいろありますので、神社に行かれた折りには、良くご覧下さい。




2015年4月16日 (木)

「キスはスキ(好き)」&「オシッコ」の話

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キスはスキ、逆から読んでも、キスはスキ。


どなたも、キスは好きだと思いますが、ネットを見ていると、

「『キスしたら、虫歯や歯周病菌は感染するの?』歯科医が解説」の記事。女性

セブン2013年7月11日号の記事で・・・


「赤ちゃんとキスをすると、大人が持っている虫歯菌がうつってしまう、なんていう

話は良く聞くが、では大人同士のキスで虫歯がうつることはあるのだろうか。・・・

口内には約2000億個の細菌がいて、唾液を介して虫歯や歯周病菌に感染す

ることも。・・・」と、これ読んで、思い出したのが下の左の本。

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藤田先生が、東南アジアに調査に行ったおり、そこは、下のような所で、連れ

いった二人の学生が、議論をしたそうです。


「ウンコした後、マハカム河の水で肛門を洗い、そのウンコを流した水でマン

デー(体を洗うこと)している女性、オシッコした後でペーパーでぬぐわない女は

不潔だと主張した手塚君に対して、林君は次のように熱気を帯びた意見をいっ

たのです。


『手塚君の考えは間違っていると僕は思う。だいたい君はオシッコはなぜきたな

いのか、オシッコがついている性器はなぜきたないのか、考えてみたことがある

のかい。知っているだろうが出たばっかりのオシッコは無菌なんだよ。バイ菌が

いないのが『キレイ』で、いるのが『キタナイ』という定義をすると、世の中で一番

キレイなのは出たばかりのオシッコだよ。一番きたないのは口の中、細菌の数と

種類が一番多いのは口の中だから、手塚君は平気でキッスしているのに、オシ

ッコのついた性器に接するのがきたないなんて、矛盾しているのじゃないか」と。

(下線は私)、これ読んで、私、オシッコにいっても、手は洗いません。キスはしま

すが・・・


後の方で、藤田先生も書いています。

「まして、オシッコが決してきたないものではないのです。出たばっかりのオシッコ

には細菌類がまったくいません」


という事で、口の中はバイ菌だらけで、キスはお互いに、バイ菌のやり取りをして

いるという事です。キスより、オシッコの方がキレイなのです。

さて、それでも、キスはスキ?


それから、子供がオシッコをしたあと、「キタナイから手を洗いなさい」と言わない

ように。間違ったことは、教えないようにして下さい。


なお、いつか書いたように、最近「腸」のことが話題になっていますが、右の本は

腸のことについて、詳しく書いてあります。興味のある方は、お読みください。


藤田先生は、お腹の中にサナダムシを飼っているそうで、名前は「ホマレちゃ

ん」。長さ10mだそうです。私が昔、藤田先生の講演を聴いた時は、「モモエちゃ

ん」と「ジュンコちゃん」だったかな?


昔は、学校で検便があって、ウンチをマッチ箱に入れて、新聞紙で包んで、紐で

って、ぶら下げて行ったのを思い出しました。今でも、やっているのかな?






2015年4月15日 (水)

「センゴク一統記・第12巻~宮下英樹著」&「長生きすると分かる いい人から先に逝くのは本当だって~瀬戸内寂聴」

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「センゴク一統記」と「週刊現代」、なんの関係もありませんが、関係あるとすれ

ば、今日買ってきた本だ、という事だけです。


「センゴク一統記 第12巻」が出ました。夢枕獏さんと違って、調子よく出版され

てます。


さて、今回は、仙石権兵衛とイケメン元親親子との「引田の戦」ですが、兵力も顔

も負けている権兵衛、戦にも負け撤退します。


時を同じくして、秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の合戦が始まりますが、こちらは、もち

ろん歴史どうり、秀吉の勝利で、勝家とお市の方は亡くなります。なお、NHK大河

ドラマで放映した、茶々、初、江も少しばかり出て来ます。


作者は、柴田勢が圧倒するかに思われたのが負けたのは、勝家が長く北国で

戦ってきた築城術は「防衛」より、雪中の「軍道確保」を重視していたのに対し、

秀吉は、西国の包囲戦で培った先端の防衛設備と解釈しています。


それがため、掘秀正の砦を攻めあぐねている間に、秀吉の本隊が着陣をし、こ

が、勝負の分かれ目の原因だったと描いています。

次号は、いよいよ家康と秀吉の小牧・長久手の合戦です。



話は「週刊現代」に変わって、これを買ったのは、朝の朝刊の宣伝に

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分かりにくいですが、こう書いてあります。「瀬戸内寂聴『長生きすると分かる、い

い人から先に逝くのは本当だって』」。気になりました。なぜなら、私は「いい人」

からです。


インタビューしたものを書いたものですが、河野多恵子さん、忘れるということ等

について書いてありますが、面白かったのが、宇野千代さんと対談した所


瀬戸内寂聴さんと言えば、昔は、瀬戸内晴海の名前で小説を出していましたが、

夫の教え子と不倫をし、子供を残して出奔、その後、別の男性との三角関係な

ど、奔放な行き方をした女性でした。


宇野千代さん、これに輪をかけた女性らしく、宇野さんが88歳
の時、対談をし、

寂聴さんが、宇野さんの経歴の中から、文学関係の男性の名前を書き出し、「先

生、この人についてはどう思いますか」と名前を指さしたところ、「寝た」と答えた

そうです。寂聴さんは、そんなことを聞くつもりはなかったらしいんですが・・・・


別の人を指さして「先生この人とは」と聞くと、「寝てない」、と次々と答えたそうで

すが、小林秀雄の所にきたら、急に黙ったそうで、再度聞くと「寝たとも言えな

い、寝ていないとも言えない」と答えたそうす。


その理由が、「雑魚寝だったから、うまくできなかったの」。


「文壇のお歴々を『寝た』『寝ない』で片付けちゃう。」ということで、そこに挙げた

男性たちの半分以上とは、「寝た」と言ったそうです。ですから、教科書に出てき

た、「文壇のお歴々」、宇野さんと「寝た」んじゃないでしょうか。


宇野千代さんが亡くなられたのが98歳、瀬戸内寂聴さんは、現在93歳。やは

り、これくらいないと、長生きできないんですね。


あと、「孤独死は『かわいそう』か」。これは言われてみれば、なるほどですね。い

れカミサンから身捨てられ、孤独死する私でしょうが、これを読んで、少しは安

しました。皆さんも、読んで見てください。





2015年4月14日 (火)

願心寺の天井絵~南島原市北有馬町

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天井絵については、八坂神社矢上神社熊野神社小浜神
と紹介をしてき

ましたが、今回は、願心寺の天井絵です。


北有馬町(現南島原市)広報誌によれば、絵の枚数が267枚、・・・分野別枚数

で見ると、動物が64種類125枚、植物が56種類102枚、風景が5種類36枚、

書が30枚だったそうです。合計が293枚で、上の枚数とチョット違いますが、

まあ、気にしないで・・・

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蝦蟇に蛇

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犬とソーメンを食べる猿。この地方は、ソーメン業が盛んですから描いたのか

な?写真が良く撮れてません。スミマセン。

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菊にタケノコ

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なんとなく、意味不明

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書も何枚かありましたが、多分、経文なのかな?

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落款も所々に押してありましたが、調べても良く分かりませんでした。

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伊東豪健氏の「絵馬は語る」によれば、この天井絵は、お寺が明治24年火災で

全焼し、同30年、本堂が再建された時、製作されたもので、作品の数枚に年号

と落款があり、明治27年、2人の絵師によって描かれたものだそうです。比較的

新しいものといえます。


描いたのは、原賀良蔵と飛永喜代七。

原賀良蔵の祖先は、原城・天草の乱の時、幕府軍に同道し移住し、紺屋を享保

12年に開業、後年、良蔵が後継者となったそうです。


飛永喜代七の祖先は越前から来たといわれているそうですが、越前は伝統的な

絹織物の産地で、染料技術をもって移住してきたものと思われる。と書いてあり

ます。


さて、このお寺、

Photo_21 Photo_22

説明版が本殿脇にあり、簡略に書けば、本来は有馬家歴代の菩提寺台雲寺跡

で、昭和初期の発掘で、供養塔碑に永禄13(1570)年の刻字があり、その事

が寺跡であったことを物語っているそうです。


寺は、キリシタンに転教した、有馬晴信が領地の寺院を破壊しているので、この

お寺の前身の台雲寺も破壊されたのでしょう。


なお、この本堂の左を見ると、代官鈴木重成の墓があり、鈴木重成(初代天草代

官)といえば、乱後に巡視したおり、あまりの惨状に、南有馬町(原城がある町)

禅僧100余人を集め、慰霊の読誦を行い、碑文(今も残っています)を建てた

いわれています。


鈴木代官は、各所に寺院を創建し、北有馬に願心寺、口之津に玉峰寺等を創

建。願心寺は、寛永16年(1639)年に創建されています。


また、天草の石高が高く、そのため、住民が苦渋をするため、石高が半減するよ

う幕府に上申したそうです。そのために自刃したとの説もありますがこれは不

明です。


上の写真右の方には、鈴木重成公と書いてありますが、北有馬町の「ふるさと発

見」をみると、墓ではなく供養塔で、一番高い塔の左の方が供養塔みたいです。


思わず、脱線しましたが、近くをお通りの節は、住職さんにお断りをして、寄って

見てください。


さて、私が訪れた日には、お寺は住職さんをはじめ留守でしたが、玄関に「お金

を持って来られた方は、○○商店にお預け下さい」と書いてあったので、寺の下

にその商店があり、「天井絵を見に来たのですが、誰もいなくて、見て良いでしょ

うか?」、「よかでしょう」、「写真を撮りたいのですが」、「よかでしょう」、「ブログに

したいのですが」、「喜ばすでしょう」、という事で、入らせていただいて、写真を撮

ったものですが、住職さんの話を聞きたいものでした。


なお、商店のおばさんと天井絵の話をすると、「もう潰れたばって
ん、染めもの屋

さんがあって、そこん人が描いたげな(多分、祖先の方)」という
話が聞け、染め

もの
屋さんが潰れてなければ、そこでも話を聞きたかったナ、という一日でした。



■参考・文引用

「絵馬は語る~伊東豪健著」「南有馬町郷土誌」「北有馬町史 ふるさと再発見」

「島原半島の歴史~監修 松尾卓次」 説明版より



2015年4月13日 (月)

古文書研究会ニ入門之事

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南串山町(現雲仙市)の馬場庄屋に残る古文書のことは、以前にもご紹介しまし

た。

①→こちらをクリック 

②→こちらをクリック


この、馬場庄屋の読み下し、解釈をしているのが、古文書研究会の方で、少しは

読めれば面白いだろうなと・・・


この、古文書研究会の一人が、私の近所におられるT先生で、時々、立ち話で、

冗談半分(本気半分)で、入会しようかな、といったら、さっそく上の様な古文書の

コピーが、どっさりと。


私、これを材料に研究していくかと思うと、皆さん、ベラベラ読んでいくんです
ね。

読んでんでいる所を、必死で書いていっても、追いつきません。


ところどころ、分かる所はあるんですが・・・・

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一行目は、「伊勢海老」、二行目は「酒壱斗」ですね。確か。


ここで気づいたのが、わたしたちは、「一,二,三、二十」と書きますが、昔は、

「壱、弐、参、廿」です。ここらあたり、頭の切り替えが必要ですね。


さて、話変わって、私たちは昔の人は、文字がロクに読めなかったと思いがちで

すが、

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左の本には、「江戸時代の民衆の多くは、寺子屋のおかげで読み書きができ

た?」。かいつまんで書くと。


江戸時代は、武士の師弟が学ぶ、幕府の学問所、各藩の藩校と、民間の私塾

の寺子屋があって、庶民の識字率を上げたのが寺子屋で、将軍吉宗の時は、

戸だけでも800もあったそうです。


「農村などでも、骨身を削るようにしながらも、六~七歳になった子供を寺子屋に

通わせる家は少なくなかった。」そうです。


なお、これは、商品経済の発展で、勘定、見積書作成などの能力が求められ、

農業にも農業書を読む必要性があり、また、農村の子供が商家に奉公する機会

も多く、手代、番頭に昇格するためには「読み・書き・算盤」の基礎学力が必要だ

たという事だそうです。


右の本には、寺子屋では、入門料や師匠への謝儀は、一応の決まりはあるもの

の、「銭で納めるとは限らず、農村部では農作物が多かったようです。同じ寺子

屋に通っていても、謝儀を月々納めている家もあれば、収穫期に渡す家、たまに

しか渡せない家・・と納入額も納入期も様々でした。このため、かなり経済的に苦

しい層からの就学も可能で・・・」とあります。

私たちの常識、もう一度考え直す必要がありそうですネ。


さて、話、元に戻って、研究会の時、皆さんベラベラ読んでいきましたが、これ

は、順番に読んでいるみたいで、そのうち、あなたにも読んでいただきます。と言

われ、これには、ガ~ン。


まあ、チンタラ、古文書入門の本を読みより、これくらい鍛えらなければ、上手に

なれないでしょう。という事で、必死に勉強しなければならないので、一年間くら

いは、時々、ブログの手抜き、ずる休みをします。


とにかく、江戸時代のガキに読み書きできたものが、私に出来ないはずは無い。

という事で、がんばってみます。


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