「口之津連判状(キリシタン文書)」覚書 其の一
(「キリシタン研究・第二部論攷編~松田毅一著・口絵より・風間書店刊)
口之津のキリシタン42名が弾圧の中で書いた「口之津連判状」です。この文書
について調べてみると面白く、全体像は分からないものの、いずれまた調べるこ
ととし、一応分かったことを自分なりに「覚書」とし、書いてみることにしました。
なお、「連判状」は「口之津民俗資料館」と「有馬キリシタン遺産資料記念館」に
展示がしてあります。
上の写真のネガみたいのは、松田毅一氏が書いた、「キリシタン研究・第二部論
攷編」の口絵に載っていたもので、本物は新聞に載っているようなもので、縦
20㎝、横1m60程度の横に広いものです。
口之津民俗資料館に展示されたいきさつについては、新聞記事を要約すると、
資料館の館長さんが「マリア観音像」(高さ19㎝)をY氏から寄贈され、その中に
連判状の縮小コピーを発見。
松田毅一氏の著書に「バチカン図書館」で1960年、この実物を見たとあるのを
確認し、関係者を通し、バチカン図書館から複写画像と展示許可をもらったもの
だそうです。
ただ、本物の撮影はバチカンとの協定でNGです。上の写真は、その連判状の
写しになります。これについても、後で述べます。
口之津資料館はお客さんがいつも多く、有馬キリシタン遺産資料館が静かに見
られるので、二回ほど行ってみました。実物(写真版)と一番上に載せている、ネ
ガ状のものは筆跡等、全く一緒のものでした。
連判状の中身は、最初の行に「組中 れん判」、その後、一番上に「洗礼名」。そ
の下に印影、竹を切って押印した○印が、3~4ヵ所。その下に洗礼名のポルト
ガル語。この文字は、筆でなく、多分ペン字でしょうが、かなり、習熟した感じが
あります。五枚の紙をつなげ、赤○印が契印で4ヵ所。最後に、信仰を守って
いくとの決意の文章。
これを見ている時に、ふと、二つの疑問が湧いたのですが、一つは、この文書が
バチカン図書館にあるということで、日本からローマに送った文書で、信仰を守る
という文書が、コーロス徴収文書、コリャード徴収文書(これについては千々石に
も関係あり、調べている途中なので、後日紹介します)があります。
上が「コーロス徴収文書、コリャード徴収文書」で、上の2段になっているのが、
大村からの文書ですが、右に(長いので写真が切れていますが)日本の状況、
信仰を守る旨等の事が書いてあります。この形式は、すべて一緒です。
「御主てうす乃御名誉の為又何国にても真の証拠阿らハれん為に左乃理を書記
す者也
一 此以前の事は不申及而内府様日本乃き里志たんたあてに対しへるせきさん
を・・・・・・」(近世初期日本関係南蛮資料の研究~松田毅一著)と文章が続き、
その後、署名、印か花押が続きます。
この、「口之津連判状」では、いきなり名前から始まり、最後に決意をする経過が
書いてあり、形式が違っています。
最初に「組中」となっており、普通は「ロザリオ組中」、「周防国岩国きりしたん」、
「有馬組中」等、どこかに書いてあるのですが、これについては、根井浄氏(元龍
谷大学教授)が、「連判の『組中』とは初期キリシタン信者の組織を示唆してお
り・・」と書いています。
さて、もう一点、あれ!と思ったのが、筆跡が非常に似た部分があること。
「るいす」(Lisu)という洗礼名が3名ほどあります。この「連判状」の筆跡につい
ては、根井浄氏によると、「・・・筆跡の鑑定はできないものの、個々一人ひとりに
よる署名とは考えがたい。清書された感じがあり・・・」(嶽南風土記16号~有家
史談会刊)とあります。
氏名については、42名中、姓と名があるのが35名、名のみが7名と、ある程度
上部の者と思われます。
(以下次回)
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