「口之津連判状(キリシタン文書)」覚書 其の四
「口之津連判状(キリシタン文書)」については、其の三まで書きましたが、「有馬
キリシタン記念館」で見るだけでは、納得できない所もあり、「口之津民俗資料
館」の館長さんに、お話しを伺いに出かけましたが、この資料館、館長さんの説
明が分かりやすく、面白いのでひっきりなしの見学者で、伺った日は朝から4組
もの団体が来所されたそうです。
で、新聞を読みながら不思議に思ったのが、新聞記事の「展示品の『マリア観音
像』(高さ19㌢)内に連判状の縮小コピーを発見。・・・」とあり、この「コピー」にひ
っかかりがあり、連判状の「書写」を発見なら分かるのですが、コピーとはなんぞ
や?と観音像を見にいったら、観音像の中に入っていた連判状の縮小版が、上
の写真のように展示してありました・・・「書写」なら分かるのですが、まったく本物
の縮小です。ただ、「ネガ」状態ですが。とにかく、ビックリしました。
本来は下のような大きさなのですが・・・この画像、YouTubeでも見られます。
館長さんの話によれば、観音像を振ってみたところ、カラカラと音がしたので、中
を出したところ、この写真版が出来たそうです。
で、コピー機は最近出来たばかりだし、はやり写真版でしょうが、慶長時代まで
誰かタイムマシーンで行って撮ったのかなと、そんなことはないし。
なお、マリア観音の出所は、根井浄氏の「浄土僧のキリシタン改宗施策~嶽南
風土記 NO16」によれば、「口之津歴史資料民俗資料館にマリア観音像を寄
贈されたのは長崎市在住のT氏。元々T氏の父親が古物商から購入されたもの
という、2008年1月17日付『西日本新聞』長崎版、2008年1月16日付『島原
新聞』(参照)。」となっており、館長さんも詳しいいきさつは聞かなかったという事
でした。(注:名前はイニシャルにしました)
さて、これから少し複雑になるのですが、根井氏の同書によれば、「昭和47年
(1972年)、松田毅一博士が当時の島原歴史懇話会(会長宮﨑康平氏)の主
催で講演されたおり(私も出席)、懇話会の皆さんに提供されたものと思われる
写真の複製とも思われる。」とあり、寄贈されたのが2008年頃、口之津の館長
さんが発見されたのが2008年。
ということになれば、松田毅一氏が長崎かどこかで見たのか、もう一つ考えられ
るのは、同コピーが複数あったのか?これ以上は、残念ながら追い切れません
でした。
いずれにせよ、長崎で写真撮影所を開業したのが上野彦馬で、これが文久2年
(1862年)ですから、この写真版はそれ以降のものだといえますが、誰が、何の
ために写真を撮り、マリア観音像のなかにいれたのか、いろいろ推理は出来るで
しょうが、謎のままでした。
さて、この連判状、この一通だけではなく、「イエズス会日本報告書 第Ⅱ期3
巻」、「1613年(慶長18年)長崎発信、ジョアン・ロドゥリーゲスのイエズス会総
長宛、1612年、日本年報」、「口之津の司祭館について」の所に、「・・・さらには
自らの生命を棄てても我らのイエズス・キリストの信仰は捨てないでいることを認
めた。この覚悟をたしかなものとするために、一枚の紙にすべての者が署名をし
た。最初は聖母マリアの兄弟会の信徒であった六十六名。またその他の者も一
人残らずこうして署名をし名簿を保管して、そのような試練の時が来れば、殿お
よび吟味役たちに見せることにした」。
また、同書、第二期第2巻、「セバスティアン・ヴィエイラのイエズス会総長宛、
1613年度(慶長18年)・日本年報」、「有馬およびその他、高来の地域にお
ける布教について」の所、「・・・聖ヨゼフの庇護のもと、ある信心組(コンパニア)
が作られ、そこで誓いがたてられ、歯を抜かれようと、爪をはがされようと、どん
なに残酷な拷問にたえなければならなくとも、燃えさかる炎のに投げ込まれると
しても、信仰も守り続けることが約束された。その内容を私はここに明確に記し
た。彼らが一つ一つそれらを認め、誓約文の中に盛り込んでいったからであ
る。」
また、同書に「彼らは、イエズスを裏切ることはしないという誓いを、墨でなく、指
から出した血によって各自、書き記したのであった。」
「信心組にまだ入ってなかった四十名の者は誓いを定め、自らの血をもって署名
し、イエズスの愛のために生命を捨てるつもりであることを率直に示した。」
とあり、「口之津連判状」の他に、これに類するものが、複数作られたことが分か
ると思います。
で、これらは読んで見ると、バチカンに送るためのものではなく、自分たちの信心
の確認のための連判状だということが分かると思います。
では、なぜ、「口之津連判状」だけが、バチカンにあったのか。答えは意外なとこ
ろから分かったのですが、手品の種明かしと一緒で、「な~んだ」になるので、種
明かしは、次回に。とにかく、これ分かるのに一カ月ばかりかかりましたから。
(以下、次号)
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