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2015年9月 7日 (月)

「雲仙市ふれあい方言集」~雲仙市商工会刊行部会

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少し寂しい、というより素朴な表紙のパンフレットですが、右下がマスコットの「あ

いのん」です。中身を見ると、観光客向けかな、と思われます。イベント会場で貰

ったものです。


一番後に「島原半島の方言の歴史」の説明がしてあるので、書き抜いてみます。


「島原方言は島原半島に限られており、大きく北と南にわかれます。北部は一般

的に物言いが穏やかで、南部は言い方が荒っぽいようです。北部がまとまって

いて、南部は変化に富んでいるようです。その理由を、島原半島内の人は『島原

の乱』で南部の住民の移転が激しかったからだと推測しています。

乱後、幕府はキリシタンを根絶やしにするために、近くは九州の各藩から、遠く

は瀬戸内海の小豆島から移住させ、半島南部に定住させましたが、それが言葉

にどれほどの変化をもたらしたかについては、はっきりとしていないそうです。

島原方言には接頭語が多く語勢を強める役割を果たしています。(例:行ってき

ます→イチクッタイ)。また島原半島は田畑も多く長崎の穀倉地帯であるだけに、

農業関係の方言に富んでいます(例:牛場の飼料→ハミ)。」

「キリシタンを根絶やしにするため」は少し違うようですが・・・


方言についていえば、仙台まで受験に行き(サクラチルサイキコウ、でした)仙台

から長崎まで、3泊4日鈍行列車(もちろん蒸気機関車)の旅をしましたが、東北

のお婆ちゃんから話しかけられても、何がなんだか。


また、沖縄の宮古の方同士が話をしているのを聞いて、あれ?これどこの外国

語?と思ったり、鹿児島の方と話をしてもチンプンカンプンで、という事で、「狭い

日本そんなに急いでどこへ行く」と言いますが、方言は実に広いですね。


島原半島内でも、各地で違う所があるのですが、パンフレットに書いてあるのを

少々。


①アットーシテ ニギラエント   ②イタランゴッ スッナー

③イラジャ               ④エッタ ノボシュルギラ クラスッドー

⑤セーチ クレンネ          ⑥コナチャ ナンバ シュットカン

⑦ドアロー                 ⑧ナカスッドー

⑨ヒョット スルギラ          ⑩モテコナサン


翻訳すると

①熱くして握ることができません  ②余計なことをするな

③(どうしても)必要ですよ     ④余り調子づくとなぐるぞ

⑤閉めてください           ⑥お前は何をするのかね

⑦どうであろうか かまわぬ    ⑧泣かせるぞ

⑨あるいは、ことによると       ⑩どうにもならない


現在、子供たちは標準語を使いますが、おじいちゃん、おばあちゃんがいる所で

は、時々聞かれます。なお、学校の子供の学校放送を聞いていると、原稿は標

準語で、アクセントはいささか、千々石なまりです。なお、私は、長崎弁、標準

語、千々石弁と3つの言語をしゃべれます。


島原半島は昔、いろいろ町村合併がありましたが、最終的には1市16町でし

た。平成の大合併で、三市になり「南高来郡」(北高来郡も)という由緒ある名前

も無くなりました。パンフレットにかいてある「北部」、ざっと言うと、雲仙市方

面。「南部」は南島原市方面で、南部は「島原・天草一揆」でほとんど壊滅した

所です。


若い奥様、子供も標準語になりつつあります。本当は、地方文化の中にこそ「文

化」があると思うのですが・・・・


 

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