「華表」の鳥居~南串山町八幡神社・千々石町野田神社
先日、千々石の天満宮の鳥居に「華表」と彫ってあり、「華表」とは鳥居の事です
が、珍しくもあり、あちらこちら、神社を見る時は気にかけていたのですが。こちら
を→クリック。 二つばかり、見つかりました。
左は、南串山町の八幡神社。「貫」以外、「笠木」、「島木」、「柱」とも、三本継ぎ。
左の方の柱に「松平主殿頭領分」(多分間違いないと思います)。
「主殿頭(トノモノカミ)」は「主殿寮」の長官です。
島原藩は、有馬家から、幕府領を経て、松倉家が二代続き、その後、高力家が
二代、次が、松平(深溝)家が、忠房、忠雄、忠俔(ただみ)、忠刻、忠祗(ただま
さ)と続き、継いで戸田家が二代、再び松平家になり、忠恕(ただひろ)、忠馮(た
だより)、忠侯(ただよし)、忠誠(ただなり)、忠清、忠淳、忠愛(ただちか)、忠和、
と続きます。下線の部分、官位が全部、「從五位下、主殿頭」になっています。
官位については、説明が面倒臭いというより、私が良く理解できていないので、
各自、自習して下さい。という事で、「主殿頭」だけでは、いつの時代かは分から
ないわけです。
さて、柱の右、「八幡宮 御宝前石華表」と刻んであります。
上の写真の右側は、千々石町の野田神社。左側は無記名。右に「石華表一基」
のみ、文字が薄くなっているので、彫りが分かる所だけ、白線でなぞってみまし
た。神社については、村の氏神で、郷土誌を見ても分かりませんでした。
左が、中国の「華表」。右は、インドの「トーナラ」。これも、鳥居の起源の一説に
あるものです。
(「ウィキペディア」より)
わざわざ「『石』華表」と彫ってあるからには、「石」でない、「華表」あったのでは
ないかと思っているのですが・・・・
鳥居の起源については、「分からない」というのが、現実みたいで、何冊か本を
読みましたが、明確なことは、ついに分かりませんでした。しかし、なぜ、この「華
表」というのが、「鳥居」と繋がるのか、もう少し調べたいと思っています。
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