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2015年7月10日 (金)

「華表」の鳥居~南串山町八幡神社・千々石町野田神社

Dsc_0028 Dsc_0036

先日、千々石の天満宮の鳥居に「華表」と彫ってあり、「華表」とは鳥居の事です

が、珍しくもあり、あちらこちら、神社を見る時は気にかけていたのですが。こちら

を→クリック二つばかり、見つかりました。


左は、南串山町の八幡神社。「貫」以外、「笠木」、「島木」、「柱」とも、三本継ぎ。

左の方の柱に「松平主殿頭領分」(多分間違いないと思います)。

「主殿頭(トノモノカミ)」は「主殿寮」の長官です。


島原藩は、有馬家から、幕府領を経て、松倉家が二代続き、その後、高力家が

二代、次が、松平(深溝)家が、忠房、忠雄、忠俔(ただみ)、忠刻忠祗(ただま

さ)と続き、継いで戸田家が二代、再び松平家になり、忠恕(ただひろ)、忠馮(た

だより)、忠侯(ただよし)、忠誠(ただなり)、忠清忠淳忠愛(ただちか)、忠和

と続きます。下線の部分、官位が全部、「從五位下、主殿頭」になっています。


官位については、説明が面倒臭いというより、私が良く理解できていないので、

各自、自習して下さい。という事で、「主殿頭」だけでは、いつの時代かは分から

ないわけです。


さて、柱の右、「八幡宮 御宝前石華表」と刻んであります。

Photo_2 Photo_3

上の写真の右側は、千々石町の野田神社。左側は無記名。右に「石華表一基」

のみ、文字が薄くなっているので、彫りが分かる所だけ、白線でなぞってみまし

神社については、村の氏神で、郷土誌を見ても分かりませんでした。

Dsc_0044_2 Dsc_0044_3

左が、中国の「華表」。右は、インドの「トーナラ」。これも、鳥居の起源の一説に

あるものです。

Photo_4 Photo_5

             (「ウィキペディア」より)


わざわざ「『石』華表」と彫ってあるからには、「石」でない、「華表」あったのでは

ないかと思っているのですが・・・・


鳥居の起源については、「分からない」というのが、現実みたいで、何冊か本を

読みましたが、明確なことは、ついに分かりませんでした。しかし、なぜ、この「華

表」というのが、「鳥居」と繋がるのか、もう少し調べたいと思っています。






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