弥勒寺跡線刻不動明王~大村市弥勒寺町
多田隈豊氏の「九州の石塔 上巻」に、ここの線刻不動明王像の事が載ってお
り、氏の本には「弥勒寺自然石図像板碑(不動明王)(鎌倉)」で、説明には「これ
程の名碑がこれまで未紹介のまま放置されていたのは寧ろ不思議である。
諫早市西ノ郷梵字三尊碑と共に長崎所在碑塔と共に長崎県所在碑塔の双璧と
言ってもいいだろう。」と書いてあり、また、新聞、TV等で、線刻が見にくいため、
横の看板に線をなぞったものを描いてあるとか、数年前報道があっていたので、
大村の病院に行ったついでに・・・・
とは思ったものの、雨は降るし、おまけに雷まで鳴り出すわで、どうしようかと思
ったのですが、まあ、ケセラセラ、という事で、雨の中を。
最初に、以前紹介した「夢ファームシュシュ」にも線刻図があるとかで、寄ってみ
ました。場所は、「夢ファームシュシュ」の駐車場の横。「下八竜」。
雨に濡れてほとんど分かりませんが、大体四角に囲んだところ。
横の看板に、図が描かれていました。○印の所が、お顔にあたります。
看板の説明によると、「この石物は弥勒寺の字『下八竜』にある。」という事で、
「仏の形は一見すると如来仏像系統に見えるが、光背も蓮華座もなく、納衣の
下に手を拱手している姿は神像または神仏習合像を表しているとも言われ正確
には不明である。・・・・全国的には珍しいと言われている」とあります。
ただ、場所は「夢ファームシュシュ」が出来た時、ここに移されてきたそうです。
「下八竜」があるなら、「上八竜」もあるなと思ったら、なんと、線刻不動明王像が
ある、弥勒寺町公民館の一番奥にありました。
これも、雨でみえにくいのですが
説明版に載せてある図ですが、場所は他のところから、持って来ているそうで
す。
これも、「下八竜」と同じく「神仏習合像を表しているとも言われ正確には不明で
ある。」という事で、この場所一帯を福重地区と言いますが、この形式の線刻石
物が十三体あり、これだけ集中している所は全国的には珍しいそうです。
弥勒寺町公民館の前です。
馬頭観音、額束、火袋、敷地内にもいろいろ置いてあり、多分、道の改修、圃場
整備等のときに持ってきたような感じでした。
真ん中の石塔が、線刻不動明王、一番上の写真になりますが、雨でほとんど見
えなく、近くで写すと、こんな感じで、
説明には、「この不動明王は鎌倉時代中期の作と言われている。高さ約170セ
ンチ、横幅約80センチの自然石に精密に線刻されている。頭上には火焔を頂
き、岩座にあぐらをかいて座って右手に剣、左手に索をもち、片目でカッとにらみ
つけている姿である。腹部などが特にきめ細やかな線で彫ってある。・・・・・」
ここで、思い出すのが、諫早の富川渓谷の五百羅漢。 時代は違いますが、何と
なく、影響したのかなという感じ。
なお、ここは、大村市教育委員会で「史跡 弥勒寺跡」に指定されています。
説明版では「現在、弥勒寺公民館が建つこの周辺が、中世に郡(こおり)七山七
十坊の一つとして栄えた弥勒寺の跡である。・・・・天正二年(1574)キリシタン
により焼失した。・・・・・」とありました。
なお、他にもいろいろ残っているらしいのですが、豪雨のなか、如何ともしがたく
戻って来ましたが、天気の良い日にもう一度、と思っています。線刻画は優雅で
繊細で、美しいものでした。
雨の中、傘を片手に写真を撮ったので、写真が良く分からなかったと思います
が、ご容赦のほどを・・・ o(_ _)oペコッ
なお、説明版には全部「弥勒寺町内会・福重地区活性化委員会」と書いてあり、
地域の皆さんで、お世話をされているのでしょうか、頭が下がる思いでした。
« 「週刊誌」~飛ばし読み | トップページ | 「五色の舟」~漫画・近藤ようこ 原作・津原泰水 »
「史跡」カテゴリの記事
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 島原ぶらり~ひな祭りなど(2023.02.23)
- 島原城築城400年~島原市(2022.12.01)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり(2022.09.09)
- 空照上人、雲仙の事について★まとめ➀(2022.09.04)
コメント