「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ その一
これ、土曜日に出した「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覧會」の
出品目録です。→土曜日の分はこちらをクリック
でまあ、私もボンヤリしている方ならいいのですが、気が利く方で、四角で囲んだ
所、期日が「自昭和七年十月二十二日 到昭和七年十月三十一日 十日間」、
「雲仙國立公園決定紀念祝賀」と書いてあることに気づき????
雲仙の案内では、昭和九年、国立公園になって「温泉(うんぜん)」から「雲仙」
に変わったと説明を受けたのですが、いつ、どうして、「温泉」から「雲仙」に変わ
ったのかという事で、昨日、今日とあちらこちらを調べ回りました。まず、「雲仙お
山の情報館」に寄って、N氏と話をしていると、島原半島を調べている方がやって
来られ、半日ばかり情報交換。結局は詳しい事は分からなかったものの、貴重
な資料をコピーしていただきました。
日本温泉協会から発行されている「温泉」には、「特集 温泉信仰とは」と載せて
あり、温泉地にある主な神社が、全国で45ヵ所、そのうち「温泉神社」「温泉寺」
というのが10ヵ所ばかり、ただし全部「おんせん」と読み「うんぜん」とは読みま
せん。
さて、雲仙については「和漢三才図会」(寺島良安著 江戸中期の本の類書、百
科事典です)の「地獄」の所に、「日本有地獄皆高山ノ嵿(イタダキ)常焼温泉不
絶若肥前温泉 肥後鶴見 肥後阿蘇 駿河富士 信濃浅間・・・・」とありますが
「肥前温泉」はもちろん、「雲仙」のことです。最初に書いてあるところを見れば、
この頃から有名だったことが分かると思います。
なお、「雲仙お山の情報館」に写真が飾ってあり、昭和2年に、大阪毎日新聞
社、東京日日新聞社共催、鉄道省後援で、投票で「日本新八景」を決めたそうで
すが、山岳の部で一位が雲仙、二位が木曽、他の部門で、渓谷が上高地、瀑布
が華厳滝、河川が木曽川、湖沼が十和田湖、平原が狩勝峠、海岸が室戸、温泉
が別府だったそうです。
左が推薦状、右が決定通知書で「温泉岳」と書いてあり、決定通知書は、昭和
昭和2年7月3日で、この頃は「温泉(うんぜん)」といわれていたことが分かりま
す。
その後、「温泉」から「雲仙」に移った経過が分からず、考えてみることしばし、ひ
ょっとしたら、と思い出したのが、昔、「長崎県衛生公害研究所」出版した「雲仙・
小浜温泉誌」。読むと詳しく載せてありました。
昭和3年には、史跡名勝天然記念物法に基づき3月31日付け、内務省告示77
号により、温泉岳が名勝地に指定を受けています。実は、これがまだ生きてい
ているのですが、これは後で述べます。
昭和5年に内務省公園調査会が設置。長崎県は雲仙国立公園期成同盟を設立
し、指定に向けての運動を活発におこなったそうです。
「日本新八景 雲仙岳喧傳隊(?)」です。昭和5年だそうです。
○印の所、「仙」になって、右側が分かりませんが、多分「雲」でしょう。「温泉」な
ら、「仙」でなく、「泉」になります。ですから、この頃には、「雲仙」という地名が使
われていることが分かります。
もっとも、「日本新八景 温泉宣伝隊」では、地元以外の方では、「うんぜん」でな
く「おんせん宣伝隊」と読みますから、どこの温泉か分かりませんよね。
さて、この「雲仙・小浜温泉誌」は平成元年に発刊されたものですが、「但し、現
在でも建設省国土地理院の地図では『温泉岳』となっている。」とありますが、私
ホント、「温泉岳」と書いてあります。現在が、平成27年ですから、現在はどうな
っているのか分かりませんが・・・・・
話はあと少し(ずいぶんか?)続きますので、もうすこしお付き合いを・・ m(_ _)m
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コメント
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こんにちは。
「地理院地図」で御指摘の場所を確認してみました。
http://maps.gsi.go.jp/?ll=32.758389,130.289204&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0
これですと、「雲仙岳」と大きな字で書いた左側、つまり西側に史跡記号が描かれ、その上に「温泉岳(特)」と記された上でルビが「うんぜん」と振られていますね。今でも地名の一部に名残があるということになるでしょうか。
投稿: kanageohis1964 | 2015年6月 9日 (火) 11時03分