「踏み絵」之事⑤~踏み絵之日・その他之事
(「長崎古今集覧名勝圖繪~越中哲也注解」より)
上の絵は、行列の後を見れば分かりますが、これ、昔の門松です。という事は正
月になるのですが、説明に「遊女の絵踏」として「本図の上に貼り紙があり『正月
五日より八日迄ここ踏画、踏絵』とある。丸山遊女は正月になると町内の乙名屋
敷まで、美しく着飾り、供を連れて踏絵に行った。それは丸山名物の一つになっ
ていた。」と書いてあります。
片岡弥吉氏の著書によると、「絵踏衣裳で、世に有名だったのは、丸山遊女たち
のそれであった。長崎の金持ち粋人達はもちろん、オランダ、中国との貿易に関
係していた五ヵ所商人(京都、大阪、堺、江戸、長崎)の裕福なものや、唐館にい
る中国人、出島のオランダ人など、競って絵踏衣裳を馴染みの遊女に送ったと
いう。・・・・・丸山町の絵踏みは正月八日であった・・・遊女の絵踏見物が、その
日の呼びものになった。丸山には人々が雑とうし喧嘩になることもあった。」とあ
ります。なにせ、長崎人は祭り好きですから。
なお、この衣裳を着飾った事については、「一つには多くの人出があり店も立っ
てお祭りムードに包まれたこと、二つには絵踏役人に対する敬意によるものであ
ったと思う。しかし、また絵踏行事すなわち、キリシタン検索の厳しさを意識させ
るための、為政者の意図からそう仕向けられたと考えられる。」と書いてあります
が、この絵踏みの方法は丸山の事で、郡部では違っていたようです。また、「他
藩とも踏絵場での衣裳に制限を付けていた。」とも書いてあります。
長崎は、町民全員がキリシタンであったそうで、なおさら、目立つようにする必要
があったのではないでしょうか?
なお、大村藩(他の所もですが)での費用は、筆紙墨代、帳書賃、絵持賃、給仕
人賃、油ローソク代、出役地役賄代、諸色代夫方賃等の費用がいりますが、こ
れは、村の出費で、各家庭の分担になります。
また、美濃国安八郡西条村の庄屋日記に、宗門改の時の役人の接待の費用が
書かれていますが、二日間で四回の食事で、今の費用で二十五万くらいかかっ
たそうです。朝、昼、晩とも酒が出されています。
横着なことに、この役人「右ニテハ不馳走之心持ニ候間、追々ハ今少しキバリ可
申事」と書き添えられ、その3年後には、四十匁ほどプラスして、鰻、鰹、車海
老、いかなども加えたそうで、また、なお「お定まりの菓子を添えなかったところ
立腹の様子で、慌てて菓子料として二百文を包んだ。・・・・・その際定例の卵の
土産物を下役にわたすのを失念したため、後に催促の督促状が届くという一幕
もあった。」そうです。(「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」~成松佐恵子著)
いま、南串山庄屋日記の解読が進められていますが、役人に対する接待は同じ
ようもので、絵踏、宗門改、検地、検見等の時、多分どこでも同じようなものだっ
た事が伺えます。
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