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2015年6月

2015年6月30日 (火)

結婚は、「顔」?「性格」?

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今日も病院へ行ったら、雨の日にもかかわらず、超満員。「雨の日は、農作業

しなくていいから。」ですって。都会とは違いますね。


さて、待ち時間が長いので、何となく、壁のポスターを見ていると、「女性の性格

は、見た目だけではわかりません。」、某製薬会社のポスターですが、社長さん、

奥様となにかあったのかな?


でも、考えると「女性の性格は、見た目だけではわかりません。」、全くその通り。

と、思い出したのが、マイナビウーマンという所の調査。


「結婚相手となる女性は、顔と性格、どちらが大事か、社会人の男性に聞いてみ

ました。」、というもの。


平成15年6月のWebでのアンケート。有効回答数112件。22歳~39歳の社会

人男性が対象。


質問が、「結婚相手として選ぶなら『顔はかわいいけど性格がキツい女性』or『顔

はイマイチだけど性格おだやなか女性』」どっち?」


結果は

顔はかわいいけど性格がキツい女性・・・・21.4%

顔はイマイチだけど性格がおだやかな女性・・・・・78.6%

という事で、「顔」より「性格」を選ぶ男性が多かった、という事です。


「顔はかわいいけど性格がキツい女性」を選んだ男性の意見

■「長所=顔がかわいい」は成立する

・「性格は、付き合ううちにだんだん自分の好みに変えていける・・・・・かな、とい

う期待があるから、外見は変えられない」

・「おだやかでも、顔がイマイチだと自己嫌悪していそう」


最初の男性は甘いナ。「自分好みにかえていける・・・・かな」。こういうのを、希望

的観測と言います。


「かえられる」のは、男性の方です。女性は変わっていきます。結婚当時は、借り

てきた猫みたいで、叱ると、部屋の片隅で泣いていたのが、今や、私が部屋の片

で泣いています。猫が女ヒョウに変身です


顔なんて、変わりますよ。可愛いと言っても、若い時だけ。歳とれば、だれでも、

バ○バ○顔になります。


■むしろキツい女性が好き

・「自分がMっぽいから、ちょうどいいと思う」

・「ハッキリいってほしいから」


草食系の男子が増えているといいますが、なんとも情けない。


〈「顔はイマイチだけど性格がおだやかな女性」を選んだ男性意見〉

■一緒にいて疲れるのはアウト

・「性格がキツイと一緒にいると、とても疲れるから」

・「結婚するなら一緒にいて癒やされる女性のほうがいい」

■夫婦円満に「性格」は重要なポイント

・「穏やかな女子のほうがケンカがなく付き合いやすい」

・「性格キツい人との結婚性格は難しそう」


結婚するまで、お互いの性格の本性は分からないもの。結婚して性格が初めて

分かります。よく、「性格の不一致」と言いますが、違った生活環境で、育ってい

ので「性格の不一致」は当たり前。


「夫婦円満に『性格』は重要なポイント」は間違い、「夫婦円満は『努力』と『我慢』

が重要なポイント」。


ウチのカミサンですか?「顔はイマイチ」で、「性格はキツイ」ですよ。自分の事を

考えると、相手のことはあまり言えないけど、ですね。


まあ、婚活中の女性の方は、ご参考までに。頑張って下さい。「顔」じゃありませ

ん。「性格」が大事です。「顔」で選んだ男性は、後で後悔をします。多分。



2015年6月29日 (月)

7月5日(日)は「唐比ハス祭り」~諫早市森山町唐比(からこ)

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梅雨の晴れ間を見て、唐比のハス園の状況を見に。


ところが、咲き乱れていると思ったハスの花が、ほとんど無い。

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考えてみれば、ここ数日、雨と風ために花がグジャグジャ。で、散ってしまうと、花

托のみになり、ここに種がなり、地面に落ち、育っていくというわけですが・・・ま

あ、これはこれで、面白いのですが・・・「蜂の巣」にみえるから「はちす」。


「ドブに落ちても 根のある
奴は いつかは 蓮(はちす)の花と咲く」。私、根が

なかったので、花が咲きませんでしたが。(前に同じ事書いたかな?)


ハスの花と睡蓮で「蓮華(れんげ)」。如来像の台座がこれをかたちどり、「蓮華

座」。


ラーメン屋さんで使うのが「レンゲ」。正式には「散蓮華(ちりれんげ)」というそう

です。蓮華の形に似ているから。  

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とは、いってもあちらこちらと、蕾は上がっており、雨、風さえなければ、無事綺麗

な花が咲くのですが。あいにく、明日から雨の予報。

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今日も美しい花がご覧いただけないのが、残念ですが、7月5日「唐比ハス祭り」

が開催されます。


地元特産品販売、唐比浮流、ひょっとこ踊り、琉球太鼓などもあり、地元がら、発

動機の展示会もありますから、家庭菜園をしている方は、是非ご覧を。といって

も、家庭菜園では使わないか・・・


ご観覧のときは、2,3日天気が良く、風の吹かない(特に写真を撮られる方)時

選んで、ご来園を。とにかく、花が大きく見事ですよ。

ハスは昼からは、しぼむので、朝からヨ。


【追伸】

出来れば、二人か、グループで。俳句帳、スケッチブック、カメラなどを持ってネ。






2015年6月27日 (土)

雨の降る日は、「週刊誌」。

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明日は、女子サッカーで朝が早いので、手早く週刊誌ネタで・・・


★「急増中 遺骨を『ゆうパック』でお寺に配送」


わたしの所の墓所、あまり広くありませんが、梅雨の晴れ間行って見たら、3ヵ所

ほど墓がなくなり、更地になっていました。


聞いたところ、子供も遠くにいて、どうせ、墓参りもしてくれないだろうからと、納

骨堂に納めたそうです。自分の生きているうちに、きれいに片づけ置こう、という

ことでした。段々とお墓も少なくなって来ている時代です。


さて、お寺に納骨堂を作った所、自分で行きたいが高齢で、車の運転もできず、

新幹線にも乗れずとか、独り身で認知症の方がなくなり、成年後見人の方がどう

するか、寝たきりで妻の遺骨を納めに行けない、絶縁の親戚が亡くなったが遺骨

をどうするか・・・


という事で、このお寺に宅配便で、お骨を送って納骨をするそうです。ウチでも

先々どうなるか、考え時ですね。なお、業者によっては宅配サービスが出来ない

所もありますから、ご確認を。


★「夫のセックス、ここが気持ち悪い」


「あなたには進歩がないのか」、「ハッキリ言って時間の無駄」、「○なんて吹かな

いから」、「そんなとこ○ないでよ」。本当、男って哀れですね。


★「憲法学者の人選で船田元が『ひきこもりに』」


先だっての、国会に安保法案の件で三名の学者が呼ばれましたが、自民党の

推薦学者も憲法違反の意見。私もこれには笑いましたが、人選をしたのが船田

元氏、本来、別の学者を呼ぶ予定だったのが日程が合わず、衆議院の事務局

に、丸投げした結果だそうですが。


★「戦争やる気満々 安部オフレコ発言ぜんぶ書く」


先日、百田氏を呼んだ勉強会のことで、国会質疑をしており、少し見ましたが、ツ

ッコミの民社党に、ボケの安部総理で、出来の悪い漫才でした。昔は、ツッコミも

鋭かったのですが・・・・あれでは・・・ボケは、もっとひどいものでしたが。


ところで、百田氏「講演後の出席者の議員との雑談のなかでポロッと出た軽口だ

った。冗談のつもりで、本意ではない。」とかなんとか、言いわけをしているようで

すが、口から出た言葉と、ウンチは元には戻せません。


★「YouTubeで16万回再生された『四十八手』動画がすごい」


6月1日から配信して、16日間で16万回超のアクセスがあったそうですが、もち

ろん、私も見ましたよ。アクセスは、211,938回、もちろん、211,938回目

は、私ですが、時間にして2分少々

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こんな感じですが、いやらしさも、何にもなく、あっけらかんとしたものでした。


思わず、謝国権さんの「性生活の知恵」を思い出しました。あの本、人形を使っ

て、女男別々になったものを載せ、超々々ベストセラーになり、私も随分お世話

になりました(実技の方ではなく、おかずの方でです、男性の方は分かります

ね)。「Love 45」で検索を。


この歳になれば、なんともないものでした。明日は日曜日で休日なので、ご予定

の方は、ご参考までに、ご覧下さい。


★「阿倍支持率急落!『次の総理』は誰になる」


誰になるったって、誰かいるんですかね?自民党もだけど、民社党はもっとひど

いですよ。誰かいますかね?


★「安部官邸は『噂のデパート』だ『漏れた年金』まだ隠されている重大被害」


多量の情報流出、いまだ解決しない消えた年金。情報漏については、通知が来

ると報道していましたが、来ません。


「年金機構は大量の通知送付に消極的で
す。その理由を探ると、何十万件も通

知をだせば届かないケースが続出することを、心配しているようです。つまり、氏

名や住所を間違っていたりすることがわかってしまう、それは年金記録のミスで

あり、新たな『消えた年金』問題につながっていきます」だって。


なお、流失問題については、処分者がありません。また、「この6月後半に、年金

機構の役員にボーナスが支給される。」そうです。


「最後の一人までチェックして支払います」と言ったのは、安倍首相で退陣翌年、

マスコミとの懇談会でこう言ったそうです。「年金ってある程度、自分で責任を持

って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」。


コンピューターの入力ミス、書類の紛失、政治家の年金未納、年金横領等々、こ

れも、「自分で責任を持って」って事なんですかネ。何のために職員がいて、給料

を貰っているのか。この記事、読まないように、血があたまに上って血管が切れ

てしまいます。


★「バリウム検査は危ない!ー胃ガン検診に潜む権利と患者見殺しの闇ー」


私、バリウム飲むと便秘になるので、内視鏡を呑んでいます。昔は管が大きかっ

たのですが、今は本当に細く、楽になりました。鼻から入れる内視鏡もあるとか。

集団検診で、バリウムを飲む方は、ご一読を。


書評欄で、珍しく両方取り上げてあるのが、中島京子氏「長いお別れ」。


「長いお別れ」と言えば、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」。

「最新作『長いお別れは』英訳でロング・グットバイ。〈少しずつ記憶をなくして、ゆ

っくりゆっくり遠ざかって行く〉認知症を、アメリカではこう表現するらしい。」


父がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。老夫婦と子供、その

家族の日常を、8編の連作で描いているそうです。


★さて、最後に、某整形外科の面白い宣伝があったので、


「○○スを長くする相談 標準的治療費・・・350,000円」、「早○治療 治療

・・・25,000円」、「○頭を大きくする相談 標準的治療費・・・100,000

円」、「○茎手術 200,000円」。高いな・・・二つばかり受けてみるか。合わせ

て、450,000円。悩むな。





2015年6月26日 (金)

バナナが一本

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昨日まで、「踏絵」の事を書きましたが、調べること一ヶ月あまり。少し疲れたの

で、今日は、手抜きで、いつもの「全国日本亭主関白協会」、天野会長の軽くも、

深く、悲しくて、涙がチョチョぎれる、いつものお話しを。水曜日に、会員宛メール

で届いたものです。


★リノベーション7月号「リノコラム」


愛妻は料理に手を抜いているのではないっ。

亭主は、「あつだけまし」じゃないですかっ(笑)。


我家の料理は、どんどん研ぎ澄まされていく。ていうか、手のかからないメニュー

になってきている。


朝は私が早い為、昨日の夜から仕込んであったのだろう。テーブルの上にバナ

ナが一本、ポロリと置いてあるだけ。


なんと手抜きな、と思われる読者もあろうが、全く違う。健康を気遣ってのもの

で、「私はゴリラかっ」などと一回も呟いたことがない(笑)。


つい先日などは、キュウリが一本、それも凄く曲がったもので、一瞬ヘビがとぐ

ろを巻いているのかと身構えた程。「バナナとは違う」と思ったが、水で洗ってポ

リポリと頂いたら、凄く美味しかった。


夕方、「たまにはキュウリもいいもんだね」と尋ねたら、近所の奥様から、庭で作

った野菜類を頂いたらしく、冷蔵庫に入れ忘れた一本であることが判明した。


「私はカッパかっ」とジョークを返したら、「そうよ、へのカッパ」と返ってきた。いや

はやセンス抜群ではないか(笑)。


夜は、ワンプレートの料理が主流で、どこで見つけたのだろうか、小学生の給食

時に使うような、ごはん、おかず、など少しへこんだ一枚の食器に全てが盛り付

けてあるものだ。


愛妻曰く、ロコモコ料理だそうで、決して食器洗いがめんどうだからではない、と

言い張る。しかも、マクロビとやらで、肉はもちろん、動物性のものは一切使用し

ない代物らしい。しかし、豚肉ではない豚肉の生姜焼き。ハンバーグもどきのハ

ンバーグ。牛肉ではない、ビーフシチュー。など、バラエティにとんだものばかり。


サラダも包丁を使わない、手でちぎったもので、時々、皿からこぼれ、テーブルに

盛り付けてあるのもセンスがいい。だが、どんなメニューであれ、途中から全てが

ぶっかけご飯のようになるのは何故だろうか。よかったら、もう少し仕切りの高い

食器が欲しいものだ。って、違うか(笑)。


(いつものように、私の方で、文章を区切りました。)


私の家も、今日はカミサンが、いつもの通りどこへ行ったのか?昼はまた、コンビ

ニの弁当でした。ちなみに、明日と明後日も行方不明になる予定だそうです。

明日の朝飯は、私も、バナナにでもしますか    。






2015年6月25日 (木)

「踏絵」之事⑥~その他之事・これでおしまい・・・多分

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「踏絵」之事④で、「踏絵」が紙とか木では、たくさんの人が踏むため、傷んでいく

ために、長崎古川町の鋳物師の「裕佐」に20枚の踏絵を作らせたことを書きまし

た。このうち19枚は国立博物館に所蔵されているそうです。左がその1枚です。


「重要文化財 真鍮踏絵 キリスト像(エッケ・ホモ) 萩原裕佐作 長崎奉行所旧

蔵 江戸時代・寛文9年(1669)」となっております。

右は信徒から押収した大型のメダイ(キリストやマリヤを表したもの)を板には

込んだもの。裕佐の作ではありません。これについて、こうコメントしてあります。


「大量の人に踏まれて摩滅もしたのでしょうが、もともとはっきり表現していなかっ

た可能性もあります。それは別として、真鍮踏み絵のキリストはプロポーションが

変です。顔があまりにも小さい。茨の冠はさざえの角のようです。もちろん正確な

描写や造形の優秀さを求められていなかったのですから仕方ありません。」と書

いてあります。


この鋳物師「萩原裕佐」について小説にしたものがあり、長与善郎著「青銅の基

督ーーー名南蛮鋳物師の死」。筋を書くと長くなり、今は古本屋でしか手に入ら

ないみたいですが、「青空文庫」で、ロハで読めますので、興味あるかたは、お読

み下さい。


なお、後書きに、著者が次のように書いています。

「寛文の頃長崎古川町に萩原といふ南蛮鋳物師がゐた事、そしてその踏絵の

神々しく出来すぎた為信者と誤られ殺されたことは事実である。又拷問の仕方

や、始めの歴史叙説は無論、沢野忠庵と云ふ転び伴天連が踏絵を発明したこと

も事実であり、アントニオ・ルビノ(注:小説の登場人物、裕佐と同時に死罪になり

ます)と云ふばれてんが殺された事も事実である。但しそれらが同時代であった

かどうかは自分は知らぬ。」と書いてありますが、確かに殉教者のなかに、「寛永

20年 ルビノ神父等八名」(長崎の殉教者~片岡弥吉著)との記述があります

が・・・


沢野忠庵が踏絵を発明したことは、年代的に合わないということで、片岡弥吉氏

は否定をしております。大正12年作ですから、キリシタンの研究は現在ほどに

んでいない時です。


この小説は昭和30年に映画化をされており、監督が渋谷実、主演がなんと岡田

英治、ほかに、香川京子とか、山田五十鈴さんの名前も見えます。音楽が黛敏

郎、そして、考証が「広辞苑」の新村出(しんむら・いずる)氏。新村氏は南蛮文

化、キリシタン研究でも有名です。なお、この映画はカンヌ国際映画祭で上映さ

れたそうです。テレビ化もされています。


近くの、ビデオレンタル、ツ○ヤさんに借りにいったら、予定どうりありませんで

た(田舎だから)。


さて、芥川龍之介はキリシタンについて多くの小説を残しています。その中で、

「おぎん」という短編小説を書いています。大阪から父母とともに長崎に流浪し

きます。父母は亡くなり、キリシタンの、ジョアン孫七に引き取られ、育てられ

が、孫七夫婦と共に捕まり、焚刑になりますが、直前に、おぎんは「わたしはおん

えを捨てることに致しました」と言い、その理由は


「わたしはおん教えを捨てました。訣(わけ)はふと向こうに見える、天蓋のような

松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっ

しゃるご両親は、天主のおん教えもご存じなし、きっと今頃はいんへるの(注:地

獄)に堕ちになっていらしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいそ(注:天国)

の門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の

へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜずす様や

マリヤ様のおそばへお出でなすって下さいまし。その代わりおん教えを捨てた上

は、わたしも生きてはいられません。・・・」


なお、妻は孫七のお供はするが、それは天国に行きたいからではなく、ただ、お

供をしたいだけだと。


要するに、妻も、イエスの教えを理解しているのではなく、夫の供をしたいだけだ

ということです。これを聞いて、孫七はついに堕落(棄教)してしまいます。


読んで見ると、日本人の宗教感、家族の繋がりの違いが、キリシタンとは違うの

がよく分かります。


もう一つ、「おしの」という短編小説もあり、これも、日本人とキリシタンの価値観

の違いがよく分かり、これも「青空文庫」で読めます。



【追伸】

「踏絵」之事④~踏み絵の歴史を載せましたが、これに寛永六年説がありまし

た。


「長崎実記同根元記合書」。これ、実は私が参加している、古文書研究会が出版

されたものに書いてあり、すっかり見落としていました。


「寛永六己巳年長崎奉行水野河内守様変わりとして・・・」で始まる文章で、島原

藩主松倉豊後と新奉行が会い、キリシタン弾圧の一つとして、雲仙の地獄責め

の事を話しますが、「・・・宗旨を改メ釈門尓人墓を祭り佛像を拝し正法に成候に

絵を踏セらる是より踏絵始る」とあり、寛永六年説もあるということです。


今回は、片岡弥吉氏の「踏絵・キリシタン」と、長崎文献出版の「長崎文献叢書」

に世話になりというより、ほとんど、引用させていただきました。ありがとうござい

ました。


ところで、「長崎文献叢書」は、全10巻で廃刊になっていて、入手も困難なので

すが、10巻揃いで、某古書店に売ってあるのですが、これが、20万円。二週間

ばかりどうするか、悩んでいます。


まあ、酒もだめ、バクチもしない、女にはもてない・・・せめて本代だけは自由に、

思ってはいるんです・・・・・が・・・・




2015年6月24日 (水)

「高山右近」マニラに泣く~「踏絵」之事★ちょっと一服、番外編

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「踏絵」の事にハマッてしまい、会を重ね、今日最終回を、と思っていたのです

が、資料が揃わず、チョット一服。


新聞記事は、23日の長崎新聞記事。今年が高山右近の没後400年の記念の

年で、日本カトリック司教協議会で、大名の位を捨てて、信仰に命をささげた殉

教者として、福者(カトリック最高崇拝の対象が「聖人」、その前段階が「福者」)に

申請。


ローマ法王庁が認定する手続きを了承し、枢機卿が会議で認定。法王の承認を

経て来年、「列福式」が日本で行われるそうです。


私の没後400年、誰が覚えているかと思うと、寂しくもあります。もっとも、
極楽で

キレイなおねえちゃんと遊んでいるでしょうが。


高山右近と言えば、名前だけは、誰でもご存じだと思いますが、世界史を取っ

て、日本史に弱い方は→こちらをクリック


「踏絵」のことを「長崎縁起略」で調べていたら、高山右近のことが書いてありまし

たので、ご紹介を。


高山右近は、号が南坊等伯(みなみのぼう・とうはく)。キリシタン大名でもあり、

お茶の方でも、利休の高弟、七哲の一人です。七哲は、蒲生氏郷、細川忠興(三

斎)、古田重然(織部)、芝山宗綱(監物)、瀬田正忠(掃部)、高山長房(右近/

南坊)、牧村利貞(兵部)だそうです。私、お茶はしないので、よく分かりません

が・・・・・コーヒーはしますが 。オンナの子は、最近失敗しましたから、しませ

ん。


この高山右近は、キリシタン禁教令が出ているにもかかわらず、棄教せず、徳川

家康によって国外追放をうけます。高山右近は、長崎まで下向。


「右の外諸國之伴天連長崎の伴天連共(人数)百余人慶長十九年十一月上旬

に唐船造りの船一艘に乗組せ 浦五嶋町波戸口より出帆有しハあハれむへし

(あわれ成哉) 是等の輩数万里の波濤越渡りて生國を捨て 知らぬ國の土地と

ならん事浅ましき次第なり・・・・・・・南蛮西洋國と申ハ呂宋(注:ルソン)アマカハ

(注:天川・マカオ)之邊なり 杳の後松倉豊後守(注:島原藩主)より万屋町糸屋

右衛門と申者故ありて西洋國に渡り 南ノ坊(注:高山右近)に對面茶ノ湯等

致しけるに 七十余歳(64歳?)迄存命有しとかや 邪宗門に落入し事返すが

すも無念の泪(注:なみだ)かハく間もなきとの事共隋右衛門帰朝して物語致

せし也」(下線は、私)


とあり、高山右近さん、涙が乾く間もなかったといいますから、どうも、キリシタン

に入ったことを後悔し、日本が恋しかったのでしょうか?


最もこの「長崎縁起略」の副題が「正覚寺隠居蓮池院会釈聞書」となっています

から、どこまでがホントの話か、私には保障できません。


ウィキペデアでは、「船旅の疲れや慣れない気候のため、老齢の右近はすぐに

病を得て、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64」とはなっ

ているのですが・・・・ネ


(参考・引用:「長崎文献叢書・長崎縁起略~校訂 丹羽漢吉」より)


「踏絵」之事⑤~キリシタンの踏絵について

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     (「江戸時代のお触れ~藤井譲治」より)


1661年(寛文元)年のキリタン禁止の高札だそうで、禁教令は何回か出されて

いますが・・・


「定」として、「幾里志丹宗門之事 累年御禁制たりといへ共・・・・・」と書いてあり

途中に、この間書いたように、「伴天連の訴人 銀三百枚」「いるまんの訴人 銀

弐百枚」・・・・・・と書いてあります。


この、絵踏みは、かなり厳しく、平戸藩の「宗門改手鏡」には、7つの心得として


キリシタン絵踏仕様之事

一 来かかりに仕形なく踏可申事(注:仕方なくは形式ばらず踏むこと)

一 頭に何にてもかぶり申間敷事(注:かぶり物をしてはならない)

一 手をくみ、踏み申間敷事

一 腰をかがめ、時宜仕るべからざる事(注:時宜はお辞儀)

一 足袋をはかず、徒足にて踏せ可申事(注:裸足で踏ませる事)

一 口のうちにてつぶやき、踏み申間敷事

一 踏み絵時、空見脇見仕り間敷事


と書いてありますが、腰を屈めると、祈るような形になりますが、腰が曲がっ

た、さま達はどうしたんでしょう?


隠れキリシタンにとっては、絵踏みをすれば、聖像を踏みつけるわけですから、

心が痛み、あるは、転び伴天連になるわけで、少しでも心の痛みが、薄くなるた

めにでしょうか、


「せめてもの心遣いは、踏み絵の聖像にたいする敬意を何ら
かの形で表現す

ことであった。

 浦上のキリシタンたちは、絵踏み場に出ていく子供たちに『できるだけ軽く踏め

よ』と教えたという語り草がある。」、また、絵踏みの時は、足をよく洗い、足の裏

の油が、踏絵の御影につかないように心がけたり、天草では、「役人に見えない

うに、足のウラに紙をはりつけて絵場所に行ったことについて、語り草が残って

いた。」そうです。


なお、同じく天草の話ですが、2005年1月1日の、島原新聞に、島原城資料館

学芸員の、松尾卓次氏の記事で、「踏み絵は爪を立てて踏み 足を洗った水を

ただく」とあり、「・・・踏絵の時は爪を立てて踏み、宿へ帰り直ちに足を洗い、そ

水を戴き飲み候由。しかれども本尊を踏み候故、信心仕り候ても何の奇特こ

なしと申すことに申し伝え候・・・・・」ということだったそうです。


なお、天草の今富、崎津、大江、高浜、四村の五千人あまりがキリシタンだと

レますが、1805(文化2年)に、「宗門心得違者」として摘発されています。島

原の乱は1637(寛永14年)から1683(寛永15年)です。確か、小説ですが、

この間の事情は、「天草回廊・隠れキリシタン★天草回廊記~示車右甫著」に書

てあった記憶があります。


なお、踏絵は「日米修好通商条約」、正式には「六月十九日調印日本國亜米利

加合衆國修好通商条約并貿易章程」で、「江戸に於いて調印万延元(注:

1860)年四月三日華盛屯(注:ワシントン)に於て批准書交換」とありますが、


第八条に、

「日本にある亜墨利加(注:亜米利加・アメリカ)人自其國の宗法を念し禮拜堂

(注:拝礼堂)を居留場の内に置も触りなく并に其建物を破壊し亞墨利加人宗法

を自ら念するを妨る事なし

亞墨利加人の堂宮を毀傷する事なく又決して日本神佛の禮拜を妨け神身佛像

を毀る事あるべからす

双方の人民互いに宗旨に付いての爭論あるへからす長崎役所に於いて踏繪の

仕來りは既に廢せり


という事で、「既に廢せり」と書いてありますが、長崎では、「浦上三番崩れ(安

政3(1856)年」等もあり、外国人に物議をかもしだすという事で、出島蘭館長ド

ンケル・クルチウスがそれを案じ、奉行にキリスト教の信仰の自由と、評判の悪

い「踏絵」を廃止することを力説し、長崎奉行が事情を幕府に伝え、安政四

(1857)年に「来たる安政五年正月から絵踏みを行わない。仕法替えのことは

追って申し渡すであろう。」と通達していますから、条約以前から、長崎では「絵

踏」はなくなっていることになります。


が、キリシタンについては、明治になっても、浦上四番崩れなど尾を引いていくの

ですが・・・・・


(参考・文引用:「踏絵・かくれキリシタン~片岡弥吉」「島原新聞」等より)


2015年6月22日 (月)

「踏み絵」之事⑤~踏み絵之日・その他之事

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    (「長崎古今集覧名勝圖繪~越中哲也注解」より)


上の絵は、行列の後を見れば分かりますが、これ、昔の門松です。という事は正

月になるのですが、説明に「遊女の絵踏」として「本図の上に貼り紙があり『正月

五日より八日迄ここ踏画、踏絵』とある。丸山遊女は正月になると町内の乙名屋

敷まで、美しく着飾り、供を連れて踏絵に行った。それは丸山名物の一つになっ

ていた。」と書いてあります。


片岡弥吉氏の著書によると、「絵踏衣裳で、世に有名だったのは、丸山遊女たち

のそれであった。長崎の金持ち粋人達はもちろん、オランダ、中国との貿易に関

していた五ヵ所商人(京都、大阪、堺、江戸、長崎)の裕福なものや、唐館にい

る中国人、出島のオランダ人など、競って絵踏衣裳を馴染みの遊女に送ったと

いう。・・・・・丸山町の絵踏みは正月八日であった・・・遊女の絵踏見物が、その

日の呼びものになった。丸山には人々が雑とうし喧嘩になることもあった。」とあ

ります。なにせ、長崎人は祭り好きですから。


なお、この衣裳を着飾った事については、「一つには多くの人出があり店も立っ

てお祭りムードに包まれたこと、二つには絵踏役人に対する敬意によるものであ

ったと思う。しかし、また絵踏行事すなわち、キリシタン検索の厳しさを意識させ

るための、為政者の意図からそう仕向けられたと考えられる。」と書いてあります

が、この絵踏みの方法は丸山の事で、郡部では違っていたようです。また、「他

藩とも踏絵場での衣裳に制限を付けていた。」とも書いてあります。


長崎は、町民全員がキリシタンであったそうで、なおさら、目立つようにする必要

があったのではないでしょうか?


なお、大村藩(他の所もですが)での費用は、筆紙墨代、帳書賃、絵持賃、
給仕

人賃、油ローソク代、出役地役賄代、諸色代夫方賃等の費用がいりますが、こ

れは、村の出費で、各家庭の分担になります。


また、美濃国安八郡西条村の庄屋日記に、宗門改の時の役人の接待の費用が

書かれていますが、二日間で四回の食事で、今の費用で二十五万くらいかかっ

たそうです。朝、昼、晩とも酒が出されています。


横着なことに、この役人「右ニテハ不馳走之心持ニ候間、追々ハ今少しキバリ可

申事」と書き添えられ、その3年後には、四十匁ほどプラスして、鰻、鰹、車海

老、いかなども加えたそうで、また、なお「お定まりの菓子を添えなかったところ

立腹の様子で、慌てて菓子料として二百文を包んだ。・・・・・その際定例の卵の

土産物を下役にわたすのを失念したため、後に催促の督促状が届くという一幕

もあった。」そうです。(「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」~成松佐恵子著)


いま、南串山庄屋日記の解読が進められていますが、役人に対する接待は同じ

ようもので、絵踏、宗門改、検地、検見等の時、多分どこでも同じようなものだっ

た事が伺えます。




2015年6月20日 (土)

「踏み絵」之事④~踏み絵の歴史

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         (シーボルト著「日本」~「踏絵」)


踏絵を考えついたのは誰か?この前、書きましたが、結局は、誰かはハッキリ

いのですが・・・・


「踏絵」の歴史も、いろいろ説があり、はっきりしません。根拠になっている長崎

旧記録は後年偏されたものだからです。


ただ、クラセの「日本西
教史」、パジェスの「日本切支丹宗門史」に次の様に書い

てあります。


フランシスコ・神父が、雲仙で拷問を受け転宗を頑として拒否しますが、「そこ

家来(サテリスト)が、神の像(イマージ)をもってやって來て、それを冒瀆せよ

と命じた。神父は、彼らに腫れ上がって血まみれの足を示し、「そんな瀆聖をさせ

るより、私はこの足を切り落としてしまひませう。」といえば、役人は、「お前を縛

って、聖像を足の下におしつけるぞ。」と叱った。


これが、1631年、寛永8年。ですから、この年には、踏絵が使われていたという

ことになります。これが、西欧の文献における「踏絵」の最初だそうです。


さて、あとは例によって、片岡弥吉著「踏絵・キリシタン」に、書いてあるのを基に

して、書きますが、片岡氏は現代文で書いてあるので、できるだけその時代の雰

囲気を味わっていただくため、原典に忠実に書いて見たいと思います。


なお、「踏絵」と同時に、密告者には報奨金を与えたらしく、


長いので前略しますが・・・


一 伴天連の訴人尓          銀三〇〇枚

一 入満(注;いるまん)の訴人尓  同弐百枚

一 同宿宗門之族訴人尓同弐百枚

   又者三十枚品ニよるへし


長いので後略しますが

                    奉行

「寛永十六年二月廿一日馬場三郎左衛門 大河内善兵衛江被下候御御条目」

とまあ、密告制度ですね。


さて、踏絵ですが


❶ 寛永三(1626)年説は「長崎記」「長崎縁起略」大村家覚書附録」にあり。

片岡氏の本によれば、「切支丹仏を踏ませ、転び帳に判をつかせて許された。」

とありますが、私の本を読むと、「轉ひ候者は帳面に印形を取 轉さるものは召

捕らえて糾明さるるとあります。」とあり、「切支丹仏を踏ませ」は載ってありま

せんでした。本が違うのかな?


ただ、片岡氏は、「『長崎記』の文書も『寛永三年水野河内・・・・』というところは、

同年水野河内守がその年に開始されたという意味ではなく、水野河内守の在任

中におこなわれはじめたという意味に解釈すべきだと思う。」と述べています。


❷寛永5年については、「長崎港草」にあり、
「蹈繪ノ始マリシハ寛永五戊亥年水

野君ノ御時ニ轉ビシ者ヲ試ン為切支丹ノ尊信スル掛物ノ繪像ヲ持テ之ヲ蹈マセ

ラル・・・・」とあり、最初は私たちが見ているような鋳造品ではなく、「掛物の繪

像」だった事が分かります。


なお、踏み絵については、各種の本に同じように、書いてありますが、「長崎蹈繪

鋳造之事」として、次のように書いてあります。少し違う所もありますが、大体・・


邪宗門御禁制ノ趣 慶長元和ノ此ヨリ年々嚴密ニ被仰付、正道に期歸誠シ改宗

スル者ニハ、其寺ヨリ宗旨改ノ證文ヲ出サセ、猶又切支丹ノ仏像ヲ紙ニ繪書(え

かき)テ、一人宛ニ蹈シメラル。是ヲ蹈繪ト云。然ニ數人ニ蹈シムル事ナレバ繪

紙破裂故、其後ハ木版ニ佛像ヲ彫込テ蹈シメラル。是ヲ繪板ト云。是モ數年ノ後

木板ヲ蹈破ル。依之寛文九年(1667)當地本古川町ニ祐佐ト云鋳者師有之、

此者ニ唐銅ニテ彼繪像二拾枚令鋳ラレ後年マデ是ヲ用ラル。」


なお、この「踏絵像」は、島原、平戸、大村、五島、久留米、木付、竹田、臼杵、

日田、延岡の十ヵ所から借用されたそうです。


なお、20枚作られた内の19枚が、東京博物館に所蔵されているそうです。一枚

は行方が分からないとのこと。



2015年6月19日 (金)

「踏み絵」之事③~考えたのは誰?

Photo

           (「島原城展示品図録」より)


左が踏絵(複製)、右が、踏絵帳(宗門改影踏帳)。


さて、この踏絵を誰が考えたか。もちろん、踏絵は禁教と関係がありますが、この

禁教については、広義には豊臣秀吉が出したもので、天正15年(1587)6月

18「覚」として、翌19日には「定」として出しています。一般に「伴天連追放

令」呼ばれるのは者の方です(「キリシタンの世紀~高瀬弘一郎著」)。


これについては「若干のイスパニア人が、無謀な陳述をした。幾隻の船が、新イ

スパニア(即ちメキシコ)からフィリピンに来たが、その荷物は何かとイスパニア

人に質ねた所、彼らは愚かしき虚榮からモルッカを占領しするために、兵隊と彈

とを積み、全艦隊を率ゐて来たのだと答へた。この征服は、實に正當な動機から

着手されたもので、侵略の精神から出たものでは決してなく、同年中に実行され

た。公方様(注:豊臣秀吉)は、この言葉をきいて大いに怒り、直ちにイスパニア

人を全部國外に追放しようとかんがえた。同時に彼は、江戸のフランシスコ會の

修道者を数名の大名に預けることにした。(「日本切支丹宗門史~レオン・パジェ

スタ著」)という事で、禁教令が出て、踏絵と続いて行くのですが。


なお、片岡弥吉氏は「発案者はだれか」という事で、3つ上げています。オランダ

人説、沢野忠庵説、日本人説です。


オランダ人説については、ジャン・クラッセ「日本西教史」、また、薩摩から長

に送致された漂着オランダ人は、出島蘭館長立ち会いのもと踏み絵をさせら

れたそうですが、その蘭館長は絵踏みをしなかったし、絵板を見たのも初めてだ

ったそうです。


また、「翁草」に、「初めて長崎に来る異国人には絵踏みをさせるが、毎度来る者

は、それ及ばす、オランダ人は之を除かれる」とあるそうです。


なお、カトリック宗教史家シャールウォアも18世紀中期に否定、シャウォアの「日

本史」の中でも否定、といことで、オランダ人説は否定しています。


❷沢野忠庵説については、(フェレイラは、拷問で棄教し沢野忠庵と名乗る)、踏

絵道具が、忠庵と後藤了順の二人の転び伴天連方に保管されている事が理由

だそうですが、踏み絵は寛永5年(1628)から始まったそうですが、1633年に

転んだのが明らかですから、これにはあたらないということだそうです。(寛永5

年説は他にもあり、これは後日)


❸日本人説については、「室町時代、一向一揆、法華一揆などの戦争の間に、

武将が宗徒をとらえたとき彼らが持っていた信仰対象を足蹴にして一揆の威勢

をくじいたことが有り得ると考えられる」という事で、日本人が切支丹に対して絵

踏みをさせはじめたのではないか、と越中氏が、「教育長崎」(昭和36年1月)に

書いているそうです。


さて、これを読みながら、何か頭の中に、ひっかかるなと思い出したのが、日野

江城の階段遺構。

Photo_2

以前にもこの写真出しましたが、大体の所ですが、赤の所が、五輪塔、宝篋印

塔の地輪、塔身、基礎石を使っている所です。五輪塔、宝篋印塔は供養塔、墓

塔です。築造は16世紀後半と考えられるそうです。


五輪塔・地輪76点、宝篋印塔・基礎石7点、宝篋印塔・塔身11点、柱石2点の

96個の墓石を使用しているそうです(「原城と島原の乱~長崎県南島原市[監

修」)。


城主キリシタン大名有馬晴信は、永禄10年(1567)~慶長10年(1612)。岡

大八事件に連座し、甲斐国初鹿野に改易され、死罪になります。

なお、有馬晴信は、島原半島の寺院をほとんど破壊してしまっています。


跡継ぎの、有馬直純は何らかの罪が負わされるのでしょうが、妻の「国姫」が、

本多忠政の娘、曾祖父徳川家康の養女のためだったのでしょう、おとがめ無し

で、慶長19年(1614)年に、日向延岡に5万3千石にて移転をし、寛永18年

(1641)に亡くなっています。


また、有馬直純は父とその後妻(洗礼名・ジェスタ)の子供、異母弟(8歳、6歳)

の2名を殺害しています。


さて、もう一度上の写真を見ていただきたいのですが、登城するにはこの階段を

登る事になりますが、城主がキリシタンなら、家臣もほとんどキリシタンだったこ

とは充分に考えられます。


墓石を使ったこの階段を、踏みつけて歩いて行くのは、自分が仏教徒ではなく、

キリシタンであるとの証なら、「踏絵」を踏むのは、この逆で、自分はキリシタンで

はなく、仏教徒だという証になります。


年号的にも、踏み絵は寛永5年(1628)です。直純はこの階段の事を知ってい

たはずで、まして、妻が徳川家と関係あり、年代的にも考えると、これが「踏絵」と

関係ありそうな気がするのですが・・・・自分では、以上のように考えているので

すが、珍説ですかね、新説ですかね?


2015年6月18日 (木)

「踏み絵」之事②~金唐革とは?

Img_20150618_0001

今日から、「踏み絵」の歴史について書こうと思ったのですが、明日の病院検査

が、朝早いので簡単に。分からない事が出てきたので、その事などを。


上の「長崎町人誌」は、長崎の昔の事を一般的に分かるように書いてあるのです

が、その中に「絵踏みと金唐革(きんからかわ)」という文が載せてあり、


「絵踏みの行事が宗教的信仰心を確認する手段として強制的に実施されると、

これはそのまま殉教者を選別する方法となったが、もとを質すと、アフリカ北海岸

地方の金唐革の原形がスペイン、ポルトガルから伝わり、いわゆる信者の御絵

して室内装飾用品となるものであった。この金唐革の原形は、踏ませることに

って、スペインの宗教裁判長トルケマダがユダヤ教徒、イスラム教徒選別に利

したものに外ならない。日本では、その選別の対象がカトリック信者選別の手

に逆用されたことになる。・・・・」


なお、金唐皮の説明として、「薄いナメシ革に金泥で種々の模様が描いてある

(革に似せた紙製の金唐紙もあり)。江戸時代の舶来品だが日本製も輸出され

た。」そうです。なお、調べて見ると、「長崎記」の「細物道具ノ覚」の中に、「一 

金唐革」とあります。この、金唐革は日本では「金唐革紙」という伝統工芸品で、

高級品だそうです。ネットで「金唐革」と探すと、たくさん出てきますので、ご覧の

ほどを。


他に大辞典を調べると(ブリタニカだったかな?)「金唐革・金泥(金泥)で種々の

模様をおいた薄いなめし革。またはその革に似せてつくった紙の模造品。」

「金唐素革」として、「(『素』は純粋の意)まがい物でない本物の金唐革」となって

おり、参考として「*我が輩は猫である〈夏目漱石〉二『金唐革の煙草入れから煙

草草をつまみだす』」とあります。


なお、佐枝衆一氏の「江戸の商魂」の「金唐革
の煙草入れー戯作者商人 山東

京伝」にも、出てきます。


話が横にそれましたが、この、「金唐革」、「トルケマダ」、「異端裁判(宗教裁
判)」

を、百科事典、キリスト教事典、ネットで調べましたが、「金唐革」=「トルケマダ」

=「異端裁判」=「絵踏」の関係は、どこにも書いてありませんでした。この「長

崎町人誌」は、内容がしっかりしたものなのですが・・・・「トルケマダ」=「異端裁

判」はありましたが、これと、「踏み絵」の関係は分かりません。


なお、「異端裁判」を調べているとひどいですね。イラストが描いてあって、説明

が、「心臓摘出、教皇絶体主義者がそれを歯で噛む」、「赤熱した鋏で鼻や乳房

を引きちぎる人」、「拷問台の上で腸が出るまで引き伸ばされる人」、「80人が殺

されたその体が30マイルにわたって串刺しに並べられた」、「串刺しにされてとろ

火で焼かれる人」、「野獣の爪で片足を引き裂かれる人」等と書いてあります。


前書きには、「魔女の抑圧はほんの一握りの罪深い人間の考えではない。そ

はローマカトリックとプロテスタントを問わず、教会の公式見解であった。」

(「悪魔学大全~ロッセル・ホープ・ロビンズ著、松田和也訳」ですが)、魔女裁判

中心にした、いったて真面目な本です。


日本で、キリシタンというと、「禁止令」、「殉教」、「隠れキリシタン」などのイメー

ジがありますが、これ読むと、日本のキリシタン弾圧もひどかったが、真面目な

信徒、殉教者、魔女にされた犠牲者にとって、キリスト教とは一体何だ、という感

じでした。


さて、「金唐革」
と、「踏み絵」が関係あるのか、無いのか、もう少し調べて見る予

定です。ご存じの方がおられたら、コメント欄にてお知らせを m(_ _)m


「踏み絵」之事①~ガリヴァ旅行記・日本キリシタン宗門史・ベトナム民俗小史・長崎古今集覧より

Photo

しつこいですね。例の史料展覧會のチラシですが、この出品に「切支丹資料目

録」というのがあって、加津佐町の郷土史家、元山元造氏の出品目録があり、見

ていたら、「嘉永元年宗門改影踏帳」、「影踏帳」、「繪踏帳」があり、確か「踏み

絵」と言ったんではなかったかなと?大体、誰が、いつ頃からと知りたく、(止めれ

ば良かったと反省してますが・・・・)


ここから、調べはじめたら、はまってしまって、あれやらこれやら出てきて、調べ

本が

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図書館やら、無い本は自分で入手したり、図書館の帯禁(館内のみの閲覧)

本を書き写したりと、大変でした、「踏み絵」に関しては、本の1頁くらいしか載

ってないので、探すのが大変でしたが、何となく分かりかけてきたので・・・


ちょうど手持ちの、片岡弥吉氏全集「踏絵・かくれキリシタン」を持っていたので、

これに、よく書いてあるので、この本と、「新長崎市史」を中心に調べて見ました。


よく、「絵踏」「踏み絵」「影絵」と言いますが、私、同じものだと思っていたのです

が、厳密にいうと違うんですね。


「踏み絵」は、絵を描いたもの(材料は後で説明します)。要するに絵を描いた

けのもの。「絵踏」は、その絵を踏むという行為。「影踏」の「影」は古語辞典

(小学館刊)で調べると、「❷物や人の姿」と書いてあり、「踏み絵」には、キリスト

とか、マリヤ様の絵が書いてありますから「人」(といって良いのかな?キリストは

神なんですが・・・)ですね。


さて、「ガリヴァ旅行記」に移ります。「第三編・第十一章」。ほんの数頁ですが、

「著者、ラグナダを去り、日本に航海すーついでオランダ船によってアムステル

ムに帰り、さらにアムステルダムを経て英国に帰る。」の所。


著者が1709年5月6日に、出港します。「われわれは日本の東南部のザモスキ

と呼ぶ小さな港町に上陸した。」。なお、神奈川県観音崎では、ここがガリヴァが

上陸したところだ、ということで2000年半ばから町おこしをしているそうです。


理由は"Xamoschi(ザモスキ)"と"Kannonsaki(かんのんさき)"の筆記体が似て

いるだからそうです。まあ、こういう事は先に言った方が勝ちですが、ちなみに、

私は光源氏のご子孫様です。


さて、ラグナグ王からこの国の帝王宛に親書がありますから、首府のエドまで国

賓扱い。陛下に会いますが、「陛下の兄君でおわすところのラグナグ国王のた

め」、何でも願いを聞いてつかわそうと・・・・


著者は、自分はオランダ商人(注:本当はイギリス人)だが、ナンガサク(注:長崎

でしょう)まで無事届けて欲しいと。日本は鎖国時代(注:一般的には1639年

1854年)で海外への窓はナンガサク(長崎)しかありません。通商の相手は、オ

ランダと中国のみで、英国人は入国を許されていません。


さて、続けての願いは、「そして、さらにつけ加えて、いま一つ是非お願いは、わ

が庇護者なるラグナグ王の名前に免じて、どうかわが同胞たちに課せられる、あ

の十字架踏みの儀式だけは免除していただきたい、・・・・・」、本当のオランダ人

か疑われますが、そこは無事に。


船長がいやな奴で、「わざわざ役人の所へ出かけ行って、我輩がまだ踏絵をして

いないことをいったのである。・・・」という事ですが、ここも無事に終わり、1710

年4月16日、船はダウンズタウンに入港します。


片岡弥吉氏の本によれば、「オランダ人はポルトガル、スペインに代わって日本

貿易を独占するため唯々として絵踏みをしたというので、非難された。英国人ジ

ョナサン・スイフトが『ガリヴァ旅行記』で、ことさらにガリヴァを日本にやり、長崎

の十字架踏みについて記したのも、オランダ人の絵踏を風刺するためだったらし

い。」のですが、出島商館にしばらく滞在した有名な植物学者スウェーデン人シ

ュンツペリーによれば、「オランダ人は最も小心な良心が驚く様な儀式にすら要

求されたことはない」と釈明しているそうです。


モンタヌスの「雲仙地獄の殉教」図は、ご覧になったことがあると思います。

Photo_2

この絵は「クラッセ」著「日本教会史」にも転載されたそうで、英語版、ドイツ語

版、オランダ版等で出版され、明治11年に太政官訳「日本西教史」として出版

されたそうです。教会史、殉教史、雲仙等の殉教のことが書かれています。

1689年出版。


これを、大正12年だったか13年版を読んだのですが、読みたい所が見当たら

ず(帯禁で時間切れ)、1869年版の、レオン・パジェスタの「日本切支丹宗門

史」を入手して読んだら、載ってました。多分、クラッセの本を基にしたと思います

が、関係は分かりません。


この中で、オランダ人のことが書いてあり、「オランダ人は、日本との貿易を獨

せんがために、あらゆる事をした、・・・・」とありますから多分踏絵もしたのでしょ

う。


こうしてみると、「踏絵」は意外と世界に知られていた事が分かります。


さて、「ベトナム民族小史~松本信広著」には、喜隆14年(1815年)にサイゴン

の船が日本に流され、ベトナムの筏船の兵達から事情を聞き、張登桂が「日

見聞録」を明命9(1828)に記録をし、その中で、「長崎の役所でベトナム人が

四角の銅器の上に人形を陽刻したものを踏ませられたことが記してある。その理

由を知らず不思議がると、長官が昔西洋人が宗教のため乱をおこしたので、橋

や道路に西洋教主の形状を刻したものを同国人に踏ませ、西洋人が来ないよう

にしたのだと説明したという。」と書いてあります。


さて、「日本切支丹宗門史」にも、転宗者のフェレイラ神父が「足に踏ませて、切

支丹を發見するために十字架を偶像の寺の敷居に置いた。」

とあり、「道や道路に・・・」「寺の敷居に置いた。」と書いてあるところを見ると、西

洋人には、日本人とは別の形での踏み絵をさせたような気がします。


なお、唐人に対しては、「長崎古今集覧」、「躧銅(フミエ)板之事」として、「是緊

要ノ事ナリ、・・・・・因て漂着唐人ノミ踏ム事ナリ、其直に入港ノ唐船は此事ナ

シ・・・」とあり、唐人に関しては、漂流した唐人と、普通に船で入港した唐人は扱

いが違ったみたいです。


明日は、「踏絵」の歴史です。



2015年6月16日 (火)

「踏み絵」~予告編

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今日もブログを書く予定だったんですが、テレビでW杯2次予選、対シンガポール

戦があっていて、とてもじゃないけど、気になって書けないので、予告だけ。


左は、片岡弥吉氏の全集第二巻「踏絵・かくれキリシタン」です。「踏絵」のことが

書いてあります。


右は、皆さんご存じの、「ガリバー旅行記」。


この「踏絵」と「ガリバー旅行記」の関係ですね。「ガリバー旅行記」を精読された

方はご存じですが、「ガリバー旅行」に「踏絵」の事が出てくるんです。

ウソだと思ったら、よく読んでください。という事で、明日はここらあたりからです。


ニッポン、点が入りそうで、入りませんね。もう、イライラ。


2015年6月15日 (月)

「説経 小栗判官」~近藤ようこ著

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土曜日に、近藤ようこさんの「五色の舟」の事を書きましたが、どうにも、この人

漫画が気になり、もう一冊注文してみました。


「おくり判官」「をくりの判官」でも呼
ばれるそうですが、「判官」はご存じの通り、

「判官贔屓(びいき)」の「判官」です。辞書で引くと、「①ほうがん②裁判官」で、も

ちろん「判官贔屓」のことも載っています。


古語辞典で引くと、「〈名〉はうぐぁん」とあり、「はうぐぁん」で引くと、「①律令制に

よる各官庁の四等官(=長官・次官・判官・主典)のうちの第三等官②多くは、検

非違使(けびいし)・衛門府(えもんふ)・兵衛府(ひょうえふ)の第三等官をいう③

(左衛門・さえもんの尉・じょう)であったことから)源義経の呼び名。」とあります。


なお、長官は
「かみ」、次官は「すけ」、判官は「じょう」、主典は「さかん」(石村貞

吉著「有職故実」より)と読むそうです。ですから、偉いわけです。


さて、物語は、漫画で説明しますが、公家殿上人(くげてんじょうびと)三十六人

の中でも、二条の館の大納言は生まれも位も高貴で、ただ、子供がなく、鞍馬寺

の毘沙門天に祈願をし一子を得ますが、長ずるにつれ、私が大嫌いな、眉目秀

麗、頭脳明晰な男に成長するわけですが、「十八歳の如月から、二十一歳の

まで」気に入った妻がいないため、別れた妻がなんと七十二名。タイガーウッ

は○E○依存症でしたが、この人も同じじゃないかな?七十二名ですよ!


某日、深沼ヶ池の大蛇に見初められ、大蛇は女に化け契りを結ぶわけですが、

これが、バレ(ざまみろ!)流罪の刑。


常陸の国に流罪になるわけですが、照手姫の噂を聞き、ちょっかいを出し、妻に

するわけですが、照手姫の父に断りもなかったため、父としては激怒して、つい

には小栗殿を死に至らしめます。


と、ここで終われば、私としては、万歳なのですが、いらないことに閻魔大王が、

小栗を復活させるわけですが、その時は、無残な姿。


ところが、熊野本宮の湯の峰に入れれば、体はもとに戻るとか。熊野に行く時、

家を追い出され、苦労をしている照手姫と会いますが、照手姫にも分からないく

らいな、無残な姿。


で、まあ、元の姿に戻り、父の所に会いに行き、また、希(この漢字の読み方、分

りますね。NHK朝の連続ドラマでやっています。)なことゆえ、帝に会いに行き判

官の地位を得、照手姫の父に復讐に行こうと思ったところを、照手姫に諭され、

これを中止。という物語です。


もちろん、この物語には、神仏が出てくるわけですが、当時の人には、お経など

を読むと分かりますが、理解できるわけではなく、普通に喋るのではなく、浪花節

のような感じで語り、人の心を掴み、仏の心を説経していったのでしょう。


ご存じの「山椒大夫」も、有名な説経節の一つです。あくまで、民衆性の高いもの

ですが、最近は演じる方が少なく、以前にも書いたように、小沢昭一さんなどが

追い求め、少しづつ復活をしているみたいですが・・・


前に書いたように、私も一回聴きに行き、昔はこんな風に、お説教をしながら、仏

の教えを説いていたのかと思ったものでした。


上の写真、右側ですが、昔はこんな風に、壇上に座り、お説教をしていたそう

す。いまは、立ったままで、マイクでやっておりますが・・・・


「説経節」とか「節談説教」と言いますが、違う所があるようで・・・

説経節は→こちらをクリック

節談説教は→こちらをクリック


(写真は小沢昭一「日本の放浪芸」より)


追伸:「説教」「説経」。ネットを見ると、二つあるみたいですが、この場合、お経を

説くと言う意味では「説経」が正解かな?漫画の題も「説経 小栗判官」です。

節談説教は「節談説教」で統一されているみたいですが、もう少し研究を・・・




 

2015年6月13日 (土)

「五色の舟」~漫画・近藤ようこ 原作・津原泰水

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「五色の舟」。「文化庁メディア芸術祭漫画部門・大賞受賞」と書いてあり、文化庁

が漫画とは、まあ、時代は変わったなと思いつつ買ってしまいました。


昔は、漫画を読んでいると、「そんなもんばかり読んで」と怒られたのですが・・・

読んでみて、まあ、なんと言いますか、独特の画風と話の展開ですが。


時代は戦中。5人家族の旅芸人。ただし、血の繋がりはありません。

父と母は足に、兄は力があるが背が低く、姉は体に、そして主人公は手に、各々

障碍を持っていますが、それを売り物に、見世物にしているわけです。この5人、

普通の家庭より、お互いに助けあって生活をしています。


これに、5人の保護者とも言うべき、医者の犬飼先生がからみ。そして、5人は岩

国まで、人と牛のあいのこの「くだん」を買いに行きますが、この「くだん」が、5人

の運命を変える能力を持っていると、まあ、説明だけでは、分かりにくいのです

が、普通の漫画と違い、はやり「文化庁」の大賞を受賞した漫画ですね。


この絵を見て、思い出したのが、つげ義春。一時、ブームになりましたが、これも

なんともいえない漫画でしたが・・・・「無能の人」は、私がモデルみたいですが・・


近藤ようこさん、何となく気になる漫画家なので、もう一冊、説教節で有名な、「説

教 小栗判官」を頼んでみました。少し変わった漫画が読みたい方は、ご一読

を。折口信夫×近藤ようこで「死者の書」を、描いているようですが、これも、出版

されたら、読んで見ようかな?






2015年6月12日 (金)

弥勒寺跡線刻不動明王~大村市弥勒寺町

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多田隈豊氏の「九州の石塔 上巻」に、ここの線刻不動明王像の事が載ってお

り、氏の本には「弥勒寺自然石図像板碑(不動明王)(鎌倉)」で、説明には「これ

程の名碑がこれまで未紹介のまま放置されていたのは寧ろ不思議である。

諫早市西ノ郷梵字三尊碑と共に長崎所在碑塔と共に長崎県所在碑塔の双璧と

言ってもいいだろう。」と書いてあり、また、新聞、TV等で、線刻が見にくいため、

横の看板に線をなぞったものを描いてあるとか、年前報道があっていたので、

大村の病院に行ったついでに・・・・


とは思ったものの、雨は降るし、おまけに雷まで鳴り出すわで、どうしようかと思

ったのですが、まあ、ケセラセラ、という事で、雨の中を。


最初に、以前紹介した「
夢ファームシュシュ」にも線刻図があるとかで、寄ってみ

ました。場所は、「夢ファームシュシュ」の駐車場の横。「下八竜」。

Photo 2_6

雨に濡れてほとんど分かりませんが、大体四角に囲んだところ。

横の看板に、図が描かれていました。○印の所が、お顔にあたります。

4 6

看板の説明によると、「この石物は弥勒寺の字『下八竜』にある。」という事で、

「仏の形は一見すると如来仏像系統に見えるが、光背も蓮華座もなく、納衣の

下に手を拱手している姿は神像または神仏習合像を表しているとも言われ正確

には不明である。・・・・全国的には珍しいと言われている」とあります。

ただ、場所は「夢ファームシュシュ」が出来た時、ここに移されてきたそうです。


「下八竜」があるなら、「上八竜」もあるなと思ったら、なんと、線刻不動明王像が

ある、弥勒寺町公民館の一番奥にありました。

Photo_2 2_7

これも、雨でみえにくいのですが

5_7

説明版に載せてある図ですが、場所は他のところから、持って来ているそうで

す。


これも、「下八竜」と同じく「神仏習合像を表しているとも言われ正確には不明で

ある。」という事で、この場所一帯を福重地区と言いますが、この形式の線刻石

物が十三体あり、これだけ集中している所は全国的には珍しいそうです。


弥勒寺町公民館の前です。

馬頭観音、額束、火袋、敷地内にもいろいろ置いてあり、多分、道の改修、圃場

整備等のときに持ってきたような感じでした。

Photo_5

真ん中の石塔が、線刻不動明王、一番上の写真になりますが、雨でほとんど見

えなく、近くで写すと、こんな感じで、

4_4

説明には、「この不動明王は鎌倉時代中期の作と言われている。高さ約170セ

ンチ、横幅約80センチの自然石に精密に線刻されている。頭上には火焔を頂

き、岩座にあぐらをかいて座って右手に剣、左手に索をもち、片目でカッとにらみ

つけている姿である。腹部などが特にきめ細やかな線で彫ってある。・・・・・」


ここで、思い出すのが、諫早の富川渓谷の五百羅漢。 時代は違いますが、何と

なく、影響したのかなという感じ。


なお、ここは、大村市教育委員会で「史跡 弥勒寺跡」に指定されています。

明版では「現在、弥勒寺公民館が建つこの周辺が、中世に郡(こおり)七山七

十坊の一つとして栄えた弥勒寺の跡である。・・・・天正二年(1574)キリシタン

により焼失した。・・・・・」とありました。


なお、他にもいろいろ残っているらしいのですが、豪雨のなか、如何ともしがたく

戻って来ましたが、天気の良い日にもう一度、と思っています。線刻画は優雅で

繊細で、美しいものでした。


雨の中、傘を片手に写真を撮ったので、写真が良く分からなかったと思います

が、ご容赦のほどを・・・ o(_ _)oペコッ


なお、説明版には全部「弥勒寺町内会・福重地区活性化委員会」と書いてあり、

地域の皆さんで、お世話をされているのでしょうか、頭が下がる思いでした。




2015年6月11日 (木)

「週刊誌」~飛ばし読み

Img_20150611_0003 Img_20150611_0004

さて、昨日のブログ、誤字脱字、言い間違えが多く、読み直すとひどいですね。

あとで、又修正をしますが・・・


昨日は例の古文書研究会のお勉強で、大体、学校の授業の勉強は、睡眠時

で、真面目に勉強したことがなく、2時間みっちりのお勉強は疲れてしまって、

夜はもうガックリ。で、間違いが多かったのですが。


左の字読んでください。読めますか?「犬の糞」です。右に辞典からの、くず
し字

を並べておきますが・・・

     Img_20150611_0001_2         Img_20150611_0002

この字、見事に読んだ方がおり、皆さん大喝采でした。


「次は、あなた読んでください」と言われましたが、読めませんよ。まだ、四回目程

度の参加ですから。でも、なんとなく、目が慣れてきたという感じはしますが。


さて、今日も昨日の疲れを残したまま、大村の病院へ診察に。病院はいいです

ね。軽い病気ならですが・・・かわゆい看護師さんに、手を握ってもらったり、さす

ってもらったり、もっとも血圧測定と、採血の事ですが。


ところが、採血の時、1回で
は採血できず、2回針を刺しまして、「すみません」

「いいですよ、いつものことだから」「心の広い方で良かった。怒る人がいるんで

すよね」、言われるように、私は「心の広い人間」です。


さて、病院は待ち時間が長いので、その間、週刊誌を2冊ばかり、飛ばし読み。

いつもの「週刊現代」「週刊ポスト」。


「週刊現代」。「『日本株』6月18日に起きること」。なにが、起きるか楽しみです

ね。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。私、株はやってませんから、パス。


「悪いのは日本か韓国か、はっきり言おう」。言っているのは、前駐韓日本大使、

武藤正敏氏。韓国の大統領が朴政権になって悪化しました。韓流ブームで良い

関係だったんですが・・・何とか、ならないんですかね。「朴槿恵の『性格』が問

題」。


「年金番号」より怖い次はマイナンバー流出」。前にも、書きましたが、本当に「マ

イナンバー」は便利だけど、怖いですよ。内閣官房社会保障改革担当室曰く、

「漏洩は想定せざるをえない。職員が故意に情報を漏らした場合には罰則を設

けています」。とぼけたこと言うな!「職員が故意に情報を・・・」、「罰則」でなく

「死刑」でしょう。それくらいしないと、漏らすのいますよ!以前にも漏らしたのが

いるし。私も、歳のせいか、少々漏らし気味。


「60歳以上の夜に悩むあなた必見!凄すぎるサプリが新発売 想像を超える奮

起力」。お相手ができれば、試してみますが、多分できないな。カミサンですか?


昔、こんな話を書きました、お茶目な甥が、伯父様に聞いたそうです。「おじさん、

いまでもやってますか?」「失礼な事言うなよ。月に2,3回はやるよ」「お相手は

おばさまですか?」「もったいない。」


まえのは、宣伝でした。今度は記事です。「かならず立つ!われらが救世主、第

4の勃起力『ザイデナ』はバイアグラより凄い」。試さないと、分からないでしょう。


「週刊ポスト」です。これ読んで腹立ちますね。「日本にはびこる『マスコミ特権』

は世界の恥だ」。例のNHK会長ですね。「政府が右と言っているものを我々が左

いうわけにはいかない」。何のためのマスコミですか?視聴料の支払いを考え

ています。


「総理大臣と大新聞・テレビ幹部『ベッタリ会食』完全リスト」。読売新聞グループ

会長、毎日新聞社長、産経新聞会長、報道各社の記者、フジテレビ会長、日本

テレビ社長、時事通信社解説委員等、てんこ盛りです。これで、スクープが取れ

れば文句はないのですが、リストだけでも立ち読みして下さい。これでは、まとも

な報道は出来ないでしょう。


両誌、宮家のことがでていますが、昔、某宮様が落語を聴きに来て、落語家が出

てくる時の出囃子。各落語家でそれぞれの出囃子が違います、と言ったところ、

「それでは、私の出囃子は『君が代』だな」と言われたそうです。もちろん冗談で

言われたそうですが。


最近地震が増えているようで、「MEGA地震予想」またも的中。この地震予想、メ

ルマガで配信しています。有料ですが、私の所にも配信があっており、6月地震

予想で、「要警戒地域(震度5以上の地震が発生する可能性が極めて高い所)

が、南海、東南海地方、北信越地方(岐阜県飛騨地方を含む)。要注意地域(震

度5以上の地震が発生する可能性が高い)」。この要注意地域に「長崎県周辺」

とあり、避難用の準備品がそろそろ必要かな?


「年金情報漏洩ー首相と厚労相の”他人事”コメントが許しがたい。」

安倍首相「国民の大事な年金だ。受給者のことを考え、万全を期するように、塩

崎(恭久)厚労相に指示した。・・・・」。その上日本年金機構職員の処分について

「まず真相究明が大事」(塩崎氏)。大体、職員がパスワードをかけていなかっ

たのが問題だったのでは?職務怠慢で処分ものです。


蒸し返しますが、「消えた年金は最後の一人まで支払う」といったのは、安部氏。

あれどうなったんですかね。社保庁から年金機構に変わりましたが、悪くなるば

かり。


いずれもしても腹が立つので、綴じ込みのグラビアでも開いて楽しみましょう。

「苦しゅうない、もう少し見せてみよ。」






2015年6月10日 (水)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ 蛇足(だそく)でおしまい

Photo_2

雲仙のゴルフ場。多分昭和2年くらいだと思います。最も古いパブリックコース

で、1913年(大正2年)。神戸ゴルフ場に次ぐ、2番目の古い歴史があるそう

で、向こうの小屋みたいなのが、レストルームです。


ゴルフ場というより、「グラウンドゴルフ場」みたいですが・・・どちらも、ゴルフが付

きますが。


今日は蛇足です。

【1】

この「雲仙国立公園」は1956年、天草地区を編入し現在、「雲仙天草国立公

園」といいます。


雲仙は昭和9年に、国立公園に指定されますが、それ以前の昭和3年、史跡

名勝天然記念物法に基づき、3月31日付け、内務省告示第77号により、温泉

岳が名勝地に指定されています。雲仙は2つの省庁で「国立公園」と「史跡名勝

記念物」に指定されているわけです。


「史跡名勝記念物」としては、現在、文化庁に管轄になりますが、文化庁の指定

等文化財データーベースでは、指定年月日が昭和3年3月313日、特別指定

年月日が昭和27年3月29日、追加年月日が昭和27年11月22日。

そして、なんと、名称が「温泉岳」、ふりがなが「うんぜんだけ」。


環境省では「雲仙天草国立公園」として、紹介が「1934年(昭和9年)3月16

日、日本で初めての国立公園として雲仙国立公園として誕生しました。・・・・」

省庁で違うんですね。


文化庁国指定等データーベースは→こちらをクリック

環境省公園紹介は→こちらをクリック


【2】

「雲仙お山の情報館」でいただいた資料に「九州郵趣」という、機関誌をいただき

ましたが、その中で、「・・・『肥前国温泉』と云う丸一型印が36年9月11日付け

で褐色菊3銭の切手単片に発見されていたのです。」とあり、雲仙の郵便局の設

置が明治32年ですから、36年というと、明治の事でしょうが(大正は15年まで

です)、「肥前国」と切手に押してあったとは、時代を感じます。


この方、「温泉」を「うんぜん」と読み切れず、「局名の位置づけには全く困りはて

てしまいました。」ということだそうです。


なお、別の機関誌には、「最後に、クイズめいた事になりますが、『温泉』の読み

方です。普通はオンセンと発音するのが当然ですが・・・・・この局の場合はウン

ゼンと呼びます。32年告示二百二号、33年告示二百十六号、同二百九十七号

はっきりと局名の所にウンゼンとふりがなが付けてあります。」ということで、や

り、遠方の方には、「温泉」は「うんぜん」と読めないみたいで・・・・


ただ、今になれば、「温泉温泉」の方が、何となく面白そう
で、利用すれば、地域

の活性化になったかも、ですね。


【3】

kanageohis1963さんから下のようなコメントをいただきました。


「地理院地図」で御指摘の場所を確認してみました。


http://maps.gsi.go.jp/?ll=32.758389,130.289204&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0

これですと、「雲仙岳」と大きな字で書いた左側、つまり西側に史跡記号が描か

れ、その上に「温泉岳(特)」と記された上でルビが「うんぜん」と振られています

ね。今でも地名の一部に名残があるということになるのでしょうか。


地図を動かしてみてください、吾妻岳、鳥甲山の間にも「温泉岳」があります。ま

た、髙岳、絹笠山あたりを見てください。こちらにも「温泉岳」があります。こちらの

方は「うんぜん」と仮名が振ってあります。


私も、国土地理院の地図を調べたのですが、「雲仙岳」付近に「温泉岳」は、こち

らには載せてありません。

Img_20150610_0002

平成新山が描かれていますから、古い地図ではありません。もう一ヵ所あったの

ですが、地図によっては「温泉山」との表記もあります。


指摘のあったところは、吹越と言うところから、妙見岳から国見岳の稜線に出る

山道で、ここは、何回も登ったことがあるのですが、あの頃は、文化財に興味が

無かったせいなのか、覚えがありません。


なお、伊能忠敬の日記に、魚洗川(いわれご)から田代原に至るところに、「温泉

堂、行道二望」と書いてあります。ただ、「温泉堂」といっても、千々石の所に「右

ニ薬師堂」と書いてあって、確認に行ってみたら、小さな石祠でした。多分「温泉

堂」も同様だと思われます。「温泉岳(山)」に、何か関係がありそうなのですが。


残念ながら、ここもそうですが、他の「温泉岳」
も登れそうもなく、私も気になって

いたのですが・・・若ければ、無理して登るのですが・・・


指摘のあった地図が一番新しいと思いますが、「温泉(うんぜん)」とあるのは、

文化庁に配慮したのでは?


【4】

今日、何気なく、井上通泰氏の「肥前風土記新考」を読んでいたら、「・・・温泉は

ウンゼンと唱ふ。温の一音ウンなり。温氣・温病・温州蜜柑などのときにもウンと

唱えてオンと唱えず。雲仙とも書くは字を更へたるのみ」と書いてありました。


考えれば「温」は「ウン」とも読めます。「仙」は発音の問題で、「三千円」は「さん

せんえん」では無く「さんぜんえん」。「千」を漢字辞典で引いても、「ゼン」の読み

方は無く、それなら、「温泉」を「ウンゼン」と読んでもいいのではないか?


「温泉」は「おんせん」とばかり思っていたのですが、考えれば、ちゃんと「うんぜ

ん」とも読めるんですね。


と、まあ考えればキリが無く、これにて「ウンゼン」の件は終了。


ながながと、お付き合い、ありがとうございました m(_ _)m



2015年6月 9日 (火)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ その二

2

さて、昨日、長崎県衛生公害研究所(環境保健研究センターの旧名称)から発行

の「雲仙・小浜温泉誌」(1989年・平成元年版)を精読していたら、詳しく書いて

あるのですが、長くなるので、かいつまんで書くと


明治44年(1911年)3月31日付、県告示第200号で4月1日より「県営温泉公

園」とする旨の公示がおこなわれています。


その後、昭和2年に「日本新八景」山岳の部で1位に入賞。

昭和3年に「史跡名勝天然記念物法」に基づき、名勝地に指定。


なお、その間、「『雲仙』は古くから峰の湯という事で『温泉(うんぜん)』の文字が

使われいた。昭和2年の日本新八景指定でも『温泉(うんぜん)岳』であり、昭和

3年の名勝指定でも『温泉(うんぜん)岳』であった。但し文人墨客のあいだでは

でに『雲仙』が使われていたし、『温泉(うんぜん)温泉』では他県の人々には

用しないので、昭和2年の県議会でも論議された。昭和2年に8月に県は門司

道管理局に対し『雲仙』の使用を正式に通知した。

『温泉温泉』が『雲仙公園』になったのは国立公園指定以後である。」とありま

す。


門司鉄道管理局に「雲仙」の使用を通知したのは、多分、旅行案内等の表記に

「温泉」から「雲仙」に変更するような目的があったと思います。


なお、昭和9年に国立公園になるまでは、「県営温泉公園」で昭和9年から「国立

雲仙公園」になりますから、昭和2年頃から、「雲仙(うんぜん)」が使われはじ

め、昭和9年から正式に「雲仙」に変わったのではないかと思われます。考えて

みれば、他県の人には「温泉温泉」では、どこのことか分かりませんね。


なお、国立公園指定の経過につては、「九州では雲仙か阿蘇か」という状態で、

紆余曲折を辿りながら、「昭和7年9月、国立公園委員会制定小委員会が候補

地12ヶ所を選定、翌10月委員会総会で可決した」そうで、昭和9年3月内務省

によって正式に国立公園の指定をうけます。下はその時の官報で、

Photo

四角のところ、「内務省告示 國立公園法第一条ノ規定ニ依リ左ノ通區域ヲ定メ

雲仙國立公園ヲ指定ス其ノ區域ヲ表示シタル圖面ハ内務省及長崎縣、其ノ町村

圖ハ左記町村役場ニ備付ケ縦覧ニ供ス」と書いてあり、縦覧場所として、下段

「長崎県南高来郡 島原町、杉谷村、三会村、大三東村、湯江村、多比良村、

黒村、神代村、西郷村、森山村、山田村、千々石町、小濱町、北串山村、南串

村、北有馬村、西有家町、有家町、堂崎村、布津村、深江村、安中村」と書い

あり、最後に「昭和九年三月十六日 内務大臣 男爵 山村達男」とあります

が、「男爵」がいいですね。お笑いの「髭男爵」ではありません。


ところで、今日、地元の若い人と話をしていて、「昔、温泉(おんせん)と書いて、

ウンゼンと読むの知っている?」「え!ウソ」という事で、元気無くしました・・


遅くなったので、今日はここまでで、明日は、しつこく蛇足の話です。おつきあい

のほどを・・・・( ̄▽ ̄)


忘れていました。一番上の写真、国立公園の内定を祝った時の時の写真だそう

ですが、説明には「多分島原駅前ではないかと思われる。」と書いてあります。


雲仙で、昭和7年に開かれた「雲仙國立決定紀年祝賀 島原郷土史料展覧會」

の写真です。

 Photo_3 Photo

もう一つおまけに、当時の長崎駅の写真です。

Photo_4

下に、「Nasaki Railway Station」と書いてあります。



(参考・引用・写真:「雲仙・小浜温泉誌~編集・長崎県衛生公害研究所 発行・

小浜町」「雲仙~雲仙岳後援会・昭和2年発行★国立国会図書館デジタルコレク

ション」より)



2015年6月 8日 (月)

「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ その一

Photo

これ、土曜日に出した「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覧會」の

品目録です。→土曜日の分はこちらをクリック 


でまあ、私もボンヤリしている方ならいいのですが、気が利く方で、四角で囲んだ

所、期日が「自昭和七年十月二十二日 到昭和七年十月三十一日 十日間」、

「雲仙國立公園決定紀念祝賀」と書いてあることに気づき???? 


雲仙の案内では、昭和九年、国立公園になって「温泉(うんぜん)」から「雲仙」

変わったと説明を受けたのですが、いつ、どうして、「温泉」から「雲仙」に変わ

ったのかという事で、昨日、今日とあちらこちらを調べ回りました。まず、「雲仙お

山の情報館」に寄って、N氏と話をしていると、島原半島を調べている方がやって

来られ、半日ばかり情報交換。結局は詳しい事は分からなかったものの、貴

資料をコピーしていただきました。


日本温泉協会から発行されている「温泉」には、「特集 温泉信仰とは」と載せて

り、温泉地にある主な神社が、全国で45ヵ所、そのうち「温泉神社」「温泉寺」

というのが10ヵ所ばかり、ただし全部「おんせん」と読み「うんぜん」とは読みま

せん。


さて、雲仙については「和漢三才図会」(寺島良安著 江戸中期の本の類書、百

事典です)の「地獄」の所に、「日本有地獄皆高山ノ嵿(イタダキ)常焼温泉不

絶若肥前温泉 肥後鶴見 肥後阿蘇 駿河富士 信濃浅間・・・・」とありますが

「肥前温泉」はもちろん、「雲仙」のことです。最初に書いてあるところを見れば、

この頃から有名だったことが分かると思います。


なお、「雲仙お山の情報館」に写真が飾ってあり、昭和2年に、大阪毎日新聞

社、東京日日新聞社共催、鉄道省後援で、投票で「日本新八景」を決めたそうで

すが、山岳の部で一位が雲仙、二位が木曽、他の部門で、渓谷が上高地、瀑布

が華厳滝、河川が木曽川、湖沼が十和田湖、平原が狩勝峠、海岸が室戸、温泉

が別府だったそうです。

Photo_2 Photo_3

左が推薦状、右が決定通知書で「温泉岳」と書いてあり、決定通知書は、昭和

昭和2年7月3日で、この頃は「温泉(うんぜん)」といわれていたことが分かりま

す。


その後、「温泉」から「雲仙」に移った経過が分からず、考えてみることしばし、ひ

ょっとしたら、と思い出したのが、昔、「長崎県衛生公害研究所」出版した「雲仙・

小浜温泉誌」。読むと詳しく載せてありました。


昭和3年には、史跡名勝天然記念物法に基づき3月31日付け、内務省告示77

号により、温泉岳が名勝地に指定を受けています。実は、これがまだ生きてい

ているのですが、これは後で述べます。


昭和5年に内務省公園調査会が設置。長崎県は雲仙国立公園期成同盟を設立

し、指定に向けての運動を活発におこなったそうです。


「日本新八景 雲仙岳喧傳隊(?)」です。昭和5年だそうです。

Photo_4

○印の所、「仙」になって、右側が分かりませんが、多分「雲」でしょう。「温泉」

ら、「仙」でなく、「泉」になります。ですから、この頃には、「雲仙」という地名が使

われていることが分かります。


もっとも、「日本新八景 温泉宣伝隊」では、地元以外の方では、「うんぜん」
でな

く「おんせん宣伝隊」と読みますから、どこの温泉か分かりませんよね。


さて、この「雲仙・小浜温泉誌」は平成元年に発刊されたものですが、「但し、現

在でも建設省国土地理院の地図では『温泉岳』となっている。」とありますが、私

の手元にあるのが、平成10年くらいの地図だと思います。

Img_20150608_0007

ホント、「温泉岳」と書いてあります。現在が、平成27年ですから、現在はどうな

っているのか分かりませんが・・・・・


話はあと少し(ずいぶんか?)続きますので、もうすこしお付き合いを・・ m(_ _)m

 






2015年6月 6日 (土)

雲仙市文化連盟設立10周年記念「二胡の会 ミニコンサート」~雲仙市千々石町公民館

Dsc_0606

今日は、昨日の続きで、雲仙関係を書こうと思ったのですが、調べると少し難し

い問題があり、関係者の所に行ったら、土曜日でお休み。


というところで、今日は、雲仙市文化連盟設立10周年記念の、ミニコンサートが

あったので出かけてみました。


雲仙市は、国見町、瑞穂町、吾妻町、愛野町(前にも書きましたが、愛野だけは

「ちょう」でなく「まち」と読みます)、千々石町、小浜町、南串山町の7ヶ町が合併

をし、いまも各町文化協会はありますが、協力していこうということで、「雲仙市文

化連盟」が生まれました。


十年一昔といいますが、あれから十年で、ミニコンサートが千々石町で開催され

ました。演奏は南島原市を中心とした「二胡(にこ)の会」の皆さん。


「二胡」というと中国の楽器で、

Dsc_0627_2

こんな感じで、矢印の所、胴体になりますが、ここがニシキヘビを使ったもの。

ワシントン条約をみると、「日本への持ち込みが規制されているもの」の「加工

品・製品」で「持ち込むには許可書などが必要なもの」のなかに、「胡弓(ニシキ

ヘビの皮を使ったもの)」としてあり、持ち込むのは、ほとんど難しいというお話し

した。


弦はスチール製で二本。ギターみたいにフレットはありません。三味線と同じで

す。擦る弓はバイオリンと同じで、馬の尻尾の毛を使っています。


長崎は昔から中国との関係が深く、新地中華街などもあり、以外と身近な楽器

なのですが、私としたことが、恥ずかしくも「二胡」と「胡弓」を同じ楽器と思ってい

たら、違うんですね。「二胡」は中国の楽器、「胡弓」は日本の楽器でた。広義

の意味では、弓で擦って音をだす楽器を「胡弓」と言ったらしいのですが・・・・


YouTubeをみていたら、やはり「二胡」と「胡弓」を混同したものがあり


胡弓のみの演奏→こちらをクリック  三味線を小型化し、弓で弾いているような                             

                       感じ

二胡のみの演奏→こちらをクリック

胡弓と二胡の合奏→こちらをクリック

二胡を胡弓と表記している演奏→こちらをクリック


なお、主宰者で「支那の夜」を演奏するよう希望したらしいのですが、「支那」は

「中国」の蔑称になるという事で、これは絶体演奏しないそうなので、二胡の演奏

をお願いする場合は、注意してください。


二胡の音は、何となく哀愁をおびて、良い感じの音です。「川の流れのように」

「涙そうそう」「シルクロード」に混じえて、「何日君再來」「夜来香」の演奏もありま

したが、歌と違ってまた良いですね。


私も「ニコ」は持っているのですが、こちらは、ブラブラしているだけで、音は出ま

せん。何の事か?分からなかったら、ご主人、恋人の方にお聞き下さい。


Dsc_0627


2015年6月 5日 (金)

「肥前國髙來郡嶋原温泉山(うんせんさん)之圖」★その他

Photo

「雲仙國立公園決定紀年祝賀 島原郷土史料展天覽会(出版目録)」(表)

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「肥前國髙來郡嶋原温泉山之圖」(裏):雲仙温泉ビジターセンター蔵

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  「肥前国高来郡温泉山之図」(島原市教育委員会蔵)


今日は、いろいろありまして、詳しいところは、明日からにしますが、上の二枚は

表と裏になっています。


「雲仙国立公園」は1934年(昭和9年)3月16日に、瀬戸内海国立公園、霧島

国立公園とともに、日本で最初の国立公園に指定されています。


上の二枚(表と裏になってはいますが)は、その折、配られたものだと思われま

すが、下の図は、島原教育委員会の図で、ほとんど一緒の図のようですが、だ

た、「島原半島の歴史」よれば、「類似絵図として4枚が現存」とあり、写したの

か、類似の絵図か、実物でないので、分かりません。


この絵図、見ていると面白い所があるので、今日は疲れ果てたので、また、明日

から・・・


なお、各図はクリックすると拡大します。





2015年6月 4日 (木)

又、「週刊誌」つまみ読み★6月4日

Img_20150604_0004 Img_20150604_0001_3 Img_20150604_0005_2

カミサンが、包丁で指の先を切って、切っただけなら良いのですが、神経まで傷

つけてご入院。2,3日ですけれど。これを、日本語で「天罰てきめん」といいま

す。私をいつもいじめているからです。


ただ、二週間ほどは指が使えないとかで、二
週間ほどは、炊事、洗濯等を私が

する事になりますが・・・・二週間ほどは手抜きブログでいきます。


さて、今週は久しぶりに「プレイボーイ」を買いました。高校生以来かな?気にな

る記事があったので。「2012年に残業代ゼロ制度が『年収400万円』にまで拡

大されるこれだけの理由」。


ご存じのように、「労働基準改正法案」が成立すれば、来年4月から施行。この

柱の一つが「高度プロフェッショナル制度」。要するに、年収1075万円以上の労

働者に限り、残業代も休日も支払われなくてもよいという制度だそうです。


1075万円以上の収入がある方は、ほとんどいないと思いますが、この対象業

務については、法律ではなく、各省庁の省令で規定され、国会で審議する必要

がなく、政府、省庁で変更できる、という事で、年収624万以上に引き下げられ

る恐れがあるということです。


なお、改正案については、公益代表(有識者)、労働者代表(労働組合)、経営者

代表者が、十数回開催、検討されたそうですが、「1075万円以上」の根拠につ

いては、厚労省の担当は「閣議決定されたから」と繰り返すだけだったそうです。


派遣労働者についても、1985年に最初は13業務。これが96年には26業務、

99年には、派遣NG以外の業務はすべてOKに拡大しています。


「年収624万以上」と書きましたが、アメリカでは、ホワイトカラーの残業ゼロ制

度が一般的で、04年には約283万円まで引き下げられたそうですから、ひょっ

としたら、日本でも・・・経団連は05年に「ホワイトカラーエグゼブションに関する

提言」に「年収要件は400万円以上が望ましい」と記されているそうです。


「週刊現代」で、「まもなく『中国バブル崩壊』」。これ、何回か書かれましたが、今

までは、全然はずれてますね。


「痛かったよね、今井雅之さん最後まで立派でした」、最近も、「今いくよ」さんが

亡くなり、私が知っている有名人が、段々亡くなっていくのをみると、寂しい限りで

す。


「50年も不正受給を放置していても年金機構は反省の色なし」。約50年前に亡

くなった夫婦の口座に毎年約142万円の厚生年金を振り込み続けていたそうで

す。


これは、受給者の生存確認をするとき、機構で生存の有無を「現況届」で確
認し

ますが、三女が、両親健在とウソを記載したためだそうで、機構がチェックをして

なく、公訴時効で、三女に請求できるのは1000万程度、4000万円は、チャラ

になるそうです。4000万円は誰のお金からでたものでしょう。

余談ですが、年金機構についていえば、年金の情報漏れがあり、国民への報告

が20日以上もかかっています。この、被害が出て来た時、誰が責任を取るので

しょう。


これより怖いのが、「マイナンバー制度」。いずれは、病院のカルテ、貯金等も管

理するそうですが、必ずでてくるのが、ネットの流失。これ、官民を問いません。


要は、ネットを使う場合は、必ずハッキングされる事を前提にすること。これ、当

然の事なんですが、漏れても、自分には関係なので、甘く見ているのでしょうが。


さて、これ新聞に載っていたのですが、「障害年金を問う」。ひどいですね。障害

年金を申請する時、最大のハードルとなるのが、初めて病院の診察を受けた「初

診の日」だそうで。


この、障害年金の事を知らなかった人が、初診を受けたのが35年前、しかも東

京。幸いに、自分の所に検査資料が出て来たそうで、東京まで行って、書類を

いてもらったそうです。


なお、この後も妻が年金事務所に通うこと10回。ところが、2ヶ月後届いたの

が、「初診日が確認できない」という却下の通知。厚生労働省に問合わせたとこ

ろ、「理由は言えない」。この後、再審査を請求して障害厚生金の通知が来たそ

うですが・・・


ところが、国家公務員は自己申告で初診日を認めるそうで、ということは、医者

の確認書はいらないわけで、「官民格差」。これ、誰のための、政治、行政なん

でしょう。


先日も書きましたが、国が滅びるのは、国王がバカか、それを取り巻く官僚の腐

。官僚跋扈(ばっこ)して日本は滅びるです。


今、ニュースでやってましたが、マイナンバーを扱う機関、天下りの役人が多い

そうです。


もっとも、やり放題の裏には、自民党の圧倒的な選挙勝利があり、それを選んだ

のは、我々、日本人なのでしょうが・・・


「週刊現代」では「安保法案『6・19強行採決』亡国の密約をすっぱ抜く」。いま、

ニュースを見てますが、「衆議院の憲法審査会」。「自民・公明・次世代」「民主

党」「維新党」が推薦する憲法学者三名。「安保法制は憲法違反」という意見で

す。「自民・公明・次世代」の推薦学者が「違憲」とは。


「『日本のイルカ漁は野蛮』と叫ぶ国々のもっとも野蛮な動物虐待を告発する」。

なんで、国外の人は、イルカとクジラばかり庇うんでしょう?


まだあるんですが疲れたので・・・・


【口直し】

プレイボーイの記事です。「日本AV男優検定3級公式副読本」。「AV男優検定」

とは「AVメーカー・RADIXが主催する検定」だそうで


一つだけ紹介を

★ザ○○ンの量の増やし方


空欄を埋め、文を完成させよ。


○ーメ○の量を増やそうとするときは、(1)の摂取が有効である。人によっては、

撮影前に(2)を食べたり、(3)をするなどの方法をとることもある。日々の(4)の

中で、自分に合った方法を見つけよう。


A エビオス錠

B 生肉

C 床オナ

D ○○ニー

E 食事制限

F ア○○開発

G 飲○

H ラーメン二郎


さて、正解ですが、自分で試してみてください。ちなみに、実技試験があれば、私

も受験したいのですが・・・・







2015年6月 3日 (水)

歴史の真実とは?

Img_20150603_0001 Img_20150603_0002

さて、以前に「幕府」という正式な名称は、江戸時代にはなかったとか、鎌倉幕府

「1192年(イイクニツクロウ)」ではなく、「1185年(イイハコツクロウ)」だと

か、書きましたが、この手の本が増えてきました。


一つには日本歴史の見直し、もう一つは、郷土研究をしている方に聞くと、若い

頃は興味がなかったが、定年になって興味を持ちだしたとか。団塊の世代が定

年を迎えていますから、いわば、日本または郷土のルーツ捜しに興味を持った

のでしょう。私もそうですが。


伊沢元彦氏の「学校ではおしえてくれない日本史の授業」を読むと、「大和」と「邪

馬台国」の事が書いてあり、「邪馬台国」を当時(三世紀)の中国語の発音で読

んでもらうと、「私が耳で聞いた音をできるだけ日本語に近い音で標記すると、そ

れは『ヤマド』となります。」という事で「原点資料が書かれた時代の発音から見

ていくと、邪馬台国と大和朝廷は関係があるのかないのかという議論自体が無

駄な議論」だということになるわけです。

ですから、歴史の再検証が必要だという事になってくるわけです。


「歴史常識のウソ」では、「人物にまつわるウソ【日本編】【世界編】」「戦乱と歴史

のウソ」「歴史教科書のウソ」「政治と事件のウソ」「伝統と起源のウソ」「行事・習

慣のウソ」ということで書いてあります。


例えば、「吉田松陰が松下村塾を設立したというのはウソ」、いまNHKで放送して

いるみたいですが。「西郷隆盛の名前が本名というのはウソ」「織田信長が焼き

討ちで比叡山が全焼したのはウソ」「大化の改新が645年だったのはウソ」。

「合戦で刀が頻繁に使われていたというのはウソ」。「江戸時代に『士農工商』と

いう身分制度があったというのはウソ」。


これ、どこだったか研究した人がいて、ウル覚えですが、応仁の乱から、島原の

乱まで負傷者の数を調べると、矢、槍、薙刀、投石が多かったそうで、考えてみ

れば、刀では、甲冑なんて簡単に切れませんよ。刀で、兜割をしているのを見ま

したが、あれは台に動かない兜を置いて斬るもので、動いている相手にあんな

事は出来ません。


刀は、矢がなくなったり、槍が折れた時、また、倒した相手の首を取る時に使った

ものだそうです。


さて、この本に一枚の写真が載せてあって

Img_20150603_0003

例の「フルベッキの写真」で、西郷隆盛、大久保利通、井上肇、江藤新平、勝海

舟、坂本龍馬、桂小五郎、高杉晋作等、そうそうたる人物が写っていますが、こ

の写真には、説明は付いていませんでした。まったく、お騒がせな写真ですが、

昨年も、この写真が真実である、という本が2冊ほど出ていましたが・・・


「書き替えられた日本史~『昭和~平成』でこんなに変わった歴史の教科書」は

「覆された日本の定説」「あの歴史用語はこう変わった」「あの肖像画はいったい

誰?」「新事実により教科書の記述も変わった!」「教科書でも変わりつつある人

物評価」


内容は「『ゴッドハンド』捏造事件が考古学と学校教育に与えた衝撃」「革命的な

戦法『三段撃ち』は創作で、勝敗を分けたのは明解な力の差」「大阪の陣で活

したあの武将は、実は自らを「幸村」と名乗っていない」、これは「ウソ」の方に

「真田幸村が『幸村』と名乗ったのはウソ」とあります。その他、様々な事柄が

書いてあります。


両方とも500円(税別)チョットで、話題も一つにつき、半ページから3ページ程度

の記事ですから、気楽に読め、え~、そうだったのか、という所もありますから、

に、昭和生まれで日本史を取った方は、ご一読を。


なお、「島原の乱」につき「島原の乱が宗教戦争だったというのはウソ」「幕府の

意図が分かるにつれて、『島原・天草一揆』に表記が変わる」。紙面の関係で、少

し書き方が荒く、何れは、私も触れるつもりですが。


「踏絵と絵踏・弾圧の嵐が吹き荒れた当時から用語の混乱が存在した」。着
想は

良いのですが、詳しくは、片岡弥吉全集に「踏絵・かくれキリシタン」に、詳細に書

いてあります。また、分かりやすくは、森永種夫氏校訂の「長崎古今集覧」にも、

載せてあります。


さて、「元軍が負けた原因が神風というのはウソ」「蒙古襲来絵図の元軍と騎馬

武者との戦闘シーンはウソ」、一方は「文永の役・弘安の役では暴風は吹いた

が、文永の役は元軍の威力偵察だった?」。私たちの教科書では、「神風」が吹

いたと書いてありましたが、ウソを教えられた私たちはどうするの、と言いたいと

ころです。


詳細が知りたい方は、今年発行された、服部英雄氏
の「蒙古襲来」をお読みくだ

さい。本の帯には「『神風』が吹いた。果たして、それは真実か。『蒙古襲来絵詞』

には、暴風は描かれていない。」とあります。(私、途中までしか読んでいません

が・・・・)


2015年6月 2日 (火)

"妻をいかに愛するかが亭主の本分”~天野周一の読む、クスリ。

Photo_3

いつも、ご紹介をしている、「全国亭主関白協会」会長の天野周一様です。


妻の迫害、罵詈雑言、シカトにもめげず、「亭主が変われば日本が変わる!」と

の思いで、妻を愛し、頑張っておられます。


さて、いつものように、会員の所に会長の言葉のメールが届きましたので、いつ

ものように皆さんに、ご紹介します。


会長の涙ぐましい努力。涙なくしては読めません。ウチも会長に見習って、努力

はしているのですが・・・・なお、行替え等は私の方でしています。




リノベーション6月号「アマニズム」


”妻をいかに愛するか”が亭主の本分。

たとえ妻が亭主を愛せないとしても(笑)



若い頃の夫婦喧嘩の口癖は、「おまえが…」という枕詞から始まっていた気がす

る。今では、「オーマイ、ガッ」と、天を仰ぎながら、英語に変わっているのはの

何ともし難い(笑)。


 こうなれば最近の「オーマイガッ」を披露せねばなるまい。「いかに上手に妻の

尻に敷かれるか」の研究を、15年の長きに渡って世の中に発信し続けている。


「亭主が変われば日本が変わる!」との思いは、今もブレない。作家の端くれと

して、夫婦円満の新方程式の本を出版し、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌と、様々な

メディアに、恥を忍んで出演している。しかも、「愛の三原則」「非勝三原則」「お返

事三原則」など、何の役にも立たない事を真剣に発表し続けている(笑)。


それが効を奏したのか、偶然かは分からないが、最近では、家族の絆、夫婦の

問題など、全てのメディアが、私が言いたかった事を代弁してくれているような特

集や特番が増えてきている。日本は良い方向に歩み出した。


こうなれば世界へ発信しなければと思っていた矢先、ドイツの国営テレビが、全

亭協の安心婚や継婚式などの活動をドキュメンタリー番組にしたいとの話があ

り、「ダンケ」と受けてしまった(笑)。


 で、本題はここから。先日判明したが、愛妻は、私が出演したテレビ番組など

を、「ただの一度も見た事がない」とおっしゃった。


その都度、「今度、こういうテレビやラジオ番組に出るよ」とそれとなく伝えてきた

つもりであった。「いや、それはないだろう、10数年の間、何百回と出てるよ、ただ

の一度も見た事ないなんて」


「だからぁ、毎日家で見ている顔を何でテレビでまで見なきゃいけないのよっ。ウ

ザすぎっ」「そりゃそうだね。オーマイ、ガッ」(笑)。



「愛の三原則」、「非勝三原則」、「お返事三原則」を載せておきます。心して、実

践して下さい。奥方に対する、ご主人の心構えです。




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ついでに

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2015年6月 1日 (月)

「劉邦 上巻」~宮城谷昌光著★出すなら一緒に出してよ!

Img_20150601_0001

宮城谷昌光氏の本は、以前何冊か読んだ事があり、三国志も読みましたが、吉

川英治の三国志は、「三国志演義」を基にしたもので、宮城谷氏は精子(失礼

)正史の立場をとって書いてあるので、面白さは吉川英治、手応えは宮城谷

な、と思っていたのですが・・・


司馬遼太郎にも「項羽と劉邦」があり、これも読んだのですが、何年も前で、ほと

んど忘れていました。劉邦と言えば項羽なのですが、この本の題が「劉邦」という

ところをみると、劉邦にかなりスッポットライトをあてている感じです。


宮城谷氏といえば、やたら難しい漢字を使っていますが、この本、随分と角が取

れて来たみたいで、辞書を引きながらでなく、意外とすんなりと読めました。


物語は、不良少年である劉邦が、運良く泗水亭(しすいてい)の亭長になるあた

りから始まり(ただし、この時30歳過ぎ)ます。


「亭長」とは、「亭は最小の行政区であると同時に最小の警察署である。亭の建

物は二階建てで、二階の座敷は、旅行する官吏の休息所にあてられる。それゆ

え亭長は、行政官であり、駅長でもあった。」と、まあ、いわば当時の下級官吏に

なるのでしょう。「ここの長に任命され14年が経った。」とありますから、もう四十

過ぎで、「万年亭長」という事になります。


が、ある事をきっかけに、劉邦の元に人が集まり、人におされて沛県の「県令」に

までなります。「県令」とは秦・漢の時代、一万個戸以上の県の長のことです。


この時分、秦の始皇帝が亡くなっており、各地乱れていますが、劉邦は他の臣下

の進言により、他県に遠征に行くわけですが、劉邦は「『孫子』という兵法書を読

んでいれば、こいうまずい行軍をしなかっただろう。」というくらい戦術にも通じて

いませんが・・・・というところが、上巻で、まだ、「項羽」は出てきません。


この本の発行が5月20日で、下旬に買い、読み終わって、中巻を買いに行った

のですが、「上巻」は置いてあるものの「中巻」がない。


田舎だから、本屋にまだ届いていないと思って、Amazonをみたら、何と出版が、

6月16日。予約は入れましたが、本屋さんにもないはず。


「中巻」というと「下巻」もあるわけで、「毎日新聞」で連載されたもののようです

が、「下巻」をいつ出版するのか、こういう本は「上・中・下巻」、一緒に出してよ!

とにかく、年寄りは気が短いんだから! ということでした。


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