神社を遊ぶ~千々石町天満宮 その二
こちらが、本殿になます。随分、貧弱な感じですが、平成三年の台風19号で被
害を受け、改修されたものです。
扉は新しく、2~3年前、拝殿を改修したので、その時修理したものかな?
階段の下に見えるのが、大正十五年に建てられた鳥居。右の写真が、上がって
来たところ。ここまで登って来るの、この歳では大変です。もっとも、楽して、横の
近道からきましたが・・・・
左右に手を洗うための「御手洗(みたらし)」、右は「函盤」と書いてありましたが、
水を入れるから「水盤」なのでしょうが・・・左は、花形のシャレたもの。
真ん中の赤の矢印の二つ、この間も書きましたが
左が2行書きで、「寛延四(1751)辛未五月日」「社僧音(春?)栄」。右が「肝煎
田中文? 田中平助」の文字。写真では、ほとんど読めませんが。
ここが創建されたのが、寛永二十年(1643)と言われていますから、神社ができ
てから、約百年後になります。
この神社の土地は一時国有になりますが、地元の努力で払い下げを受けていま
す。
本殿の土台ですが、この石垣の見事なこと。さすが、千々石は昔、石工さんで有
名な所でした。
ところで、下の矢印の所、何のためにあるのか、気になるのですが、ひょっとした
ら、ここが、昔の本殿の土台になるのか?
小さな田舎の氏神様の神社ですが、手の込んでいる彫りもので、見事なもので
す。
屋根の瓦を見ても、菅原道眞公のご紋です。下の彫りものも、手を抜いていませ
ん。
軒瓦もちゃんと、梅のご紋です。
拝殿も、本殿もかなり傷んで、この本殿も直そうかという話もあったのですが、こ
れだけのものは、地元の大工さんも出来ないとか。宮大工さんでなければ、とい
う事ですが、先立つものがという事で・・・・
ここに、「一千年祭記念」の碑があって、これが明治三十五年。もう一つが、「千
五十年祭 神殿拝殿 改修記念」、これが昭和二十八年十月の日付。計算が合
いません。
ネットで調べて見ると、「一千年祭」が、明治32年、33年、35年。「一千五十年
祭」が、昭和26年、33年と各地でバラバラ。計算も合いませんが、どうしてでし
ょう?
ここに「なぎ」の木があって、この前、歴史専門の方の話では、ここらあたりでは
珍しい木だとか。他の所では、神木になっているところもあります。
ひょっとしたら、海外との関係も・・・・という事でしたが、一の鳥居の「華表」の文
字といい、なにか、ただものではないという感じの神社です。
神社は、鳥居の形式とか、建物の作り、注連縄もいろいろあり、素人にはなかな
か分かりづらい所があり、せめてもは「神社を遊んで」みませんか。お金もいらな
いし
皆さん方も、お近くの神社を調べられては?なかなか、面白いものがある神社
がたくさんありますよ。小さいところも、注意して見てください。
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