「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その二(おしまい)
昨日の続きになりますが、根井浄氏によれば、石像、古碑が発掘されていると書
いてあり、捜しましたが、数個の五輪の塔碑は見つかったものの、そんなにある
わけでなしという状態。
と、もう一度読み返して見ると「その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている」
と書いてあり、「無縁塚」については、橘中佐(千々石の橘神社に祀ってある軍
神・桜の名所として有名)の兄、橘常葉氏によって建立されいますが、行ったこと
がないので、行ってみましたが、夏草が生い茂り、オッカナイ蛇さんが出て来な
いかという状態で、小高い丘の上に、写真のような「無縁塚」がありました。
立派な塚でしたが、この塚を囲むように、五輪の塔碑、宝篋院塔。
このあたりの人に聞くと、畑を耕せば、よく出てくるとのことで、近所の方が、ここ
に集めているとのことでした。
「無縁塚」の方ですが、写真の上段左が表、右が右側、下の写真、左が左側面、
右が裏面。
表面は「無縁塚」、右側面に「大正七年七月吉辰 橘常葉建焉」。
で、この塚、掘って出てきた碑を祀るためかと思ったら、左の方に「阿弥陀寺者
原城一揆之戦罷兵燹墓地共廃滅仍為菩提無縁塚建設」と書いてあり、千々石
からも、島原・天草の乱に行っていますから、それも合わせて、弔ったものと思わ
れます。
「千々石町郷土誌」には、「・・・・今、阿弥陀寺古跡背後の丘上に『無縁塚』とした
石碑が立ってその側に発掘されたものを陳べてある。これは橘家の先代常葉氏
の手によって大正年間に建てられた物で、往時のその霊を弔うため、また一つ
には古きを後に残すためという氏の信心より出たものである。」と書いてあります
が、「原城一揆」の事は書いてありません。多分、現場確認をしてないのでしょ
う。
この塚の存在も段々忘れられていくでしょうが、記録だけは、しっかりしてもらい
たいものです。
さて、石造物専門の先生に、阿弥陀寺跡に板碑の凄いのがあるということで、近
所の方、数名に聞いたところ、これが全然分からない。知人に聞いて、やっと分
かりましたが・・・確かに、ここは気づきにくいところですが、この板碑の下の部分
に
薬研彫りで、かなり深く、梵語の「ア」(胎蔵界大日如来を表す)の文字だそうです
が、パソコンで、梵語の「ア」を変換しようと思ったら、梵語は出ないんですね。
木と石塔が邪魔して良く確認できませんでしたが・・・
とにかく、この地区に寺があったことは、たしかに確認できました。
さて、千々石にはもう一つ、「大泉寺」という寺があったそうですが、これが意外と
重要な寺であったみたいで、現在、調査中で、またいつか・・・・
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