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2015年5月15日 (金)

「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その二(おしまい)

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昨日の続きになりますが、根井浄氏によれば、石像、古碑が発掘されていると

いてあり、捜しましたが、数個の五輪の碑は見つかったものの、そんなに

わけでなしという状態。


と、もう一度読み返して見ると「その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている」

と書いてあり、「無縁塚」については、橘中佐(千々石の橘神社に祀ってある軍

神・桜の名所として有名)の兄、橘常葉氏によって建立されいますが、行ったこと

がないので、行ってみましたが、夏草が生い茂り、オッカナイ蛇さんが出て来な

いかという状態で、小高い丘の上に、写真のような「無縁塚」がありました。

立派な塚でしたが、この塚を囲むように、五輪の塔碑、宝篋院塔。


このあたりの人に聞くと、畑を耕せば、よく出てくるとのことで、近所の方が、ここ

に集めているとのことでした。

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「無縁塚」の方ですが、写真の上段左が表、右が右側、下の写真、左が左側面、

右が裏面。


表面は「無縁塚」、右側面に「大正七年七月吉辰 橘常葉建焉」。

で、この塚、掘って出てきた碑を祀るためかと思ったら、左の方に「阿弥陀寺者

原城一揆之戦罷兵燹墓地共廃滅仍為菩提無縁塚建設」と書いてあり、千々石

らも、島原・天草の乱に行っていますから、それも合わせて、弔ったものと思わ

ます。


「千々石町郷土誌」には、「・・・・今、阿弥陀寺古跡背後の丘上に『無縁塚』とした

石碑が立ってその側に発掘されたものを陳べてある。これは橘家の先代常葉氏

の手によって大正年間に建てられた物で、往時のその霊を弔うため、また一つ

には古きを後に残すためという氏の信心より出たものである。」と書いてあります

が、「原城一揆」の事は書いてありません。多分、現場確認をしてないのでしょ

う。


この塚の存在も段々忘れられていくでしょうが、記録だけは、しっかりしてもら


たいものです。


さて、石造物専門の先生に、阿弥陀寺跡に板碑の凄いのがあるということで、近

所の方、数名に聞いたところ、これが全然分からない。知人に聞いて、やっと分

かりましたが・・・確かに、ここは気づきにくいところですが、この板碑の下の部分

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薬研彫りで、かなり深く、梵語の「ア」(胎蔵界大日如来を表す)の文字だそうです

が、パソコンで、梵語の「ア」を変換しようと思ったら、梵語は出ないんですね。

木と石塔が邪魔して良く確認できませんでしたが・・・

2_3

とにかく、この地区に寺があったことは、たしかに確認できました。


さて、千々石にはもう一つ、「大泉寺」という寺があったそうですが、これが意外と

重要な寺であったみたいで、現在、調査中で、またいつか・・・・




 

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