「釜蓋城」(雲仙市千々石町)の曲輪・空堀~その二(おしまい)
昨日の続きになりますが、西側から見た写真で、矢印が釜蓋城の上部を切り取
って、グラウンドにした部分。楕円の所に墓所があり、山側に登って、墓の終わっ
た所に、九州大学の島原火山観測所千々石観測点があります。現在、使われて
いるかどうかは分かりませんが。
墓があるので、誰でもここらあたりまではくるのですが、ここから左右に入れるよ
うになっており、
左の方、入って見ると、こんな感じで、自然にできたものではなく、人の手で作ら
れた事が分かります。
最初は、なにかの工事か、畑にするために掘ったのかなと思ったのですが、見て
分かるとおり、こんな所に建物、畑を作るわけもなく。
まして、これだけ掘った後の、土の処分だけでも、大変ですよ。第一ここまでは、
重機、トラックが入る道はありません。
今度は、右に入ると、左に曲がるようになりますが、左右は崖、急な傾斜になっ
て、登れません。ただ、見た感じは、かなり土が崩れ落ちているような。
ここが行き止まりになります。少し広めですが、まったくの袋小路で、攻めて入り
込んだら、上から石を落とすなり、矢で射るなり、自由です。
さて、別の林の中に入ると、小さいながらも、同じような構造物。
なお、石垣も残っていましたが、昔のものか、畑の石垣か?ここらあたり、第2次
大戦の前後に畑を作っていたかどうか、少し聞き込みをしないと分かりません
が・・
参考に、瑞穂町(雲仙市)杉峰城の空堀です。見事なものですが、ここも、カーブ
をして入り組んでいます。いずれ、この杉峰城については、書いてみるつもりで
すが。
釜蓋城のものは、空堀と言うかどうか、専門家でないのでは分かりませんが、
「堅掘」というのがあって、山の斜面に、等高線に垂直に設けた掘りで、敵が横に
移動することを阻止したものだそうで、釜蓋城の掘りは、等高線に垂直に掘った
ものでした。
なお、この空堀のことは地元の人は、興味がないのか、全然知りませんでした。
あちらこちら、山城を見て歩きましたが、荒れ放題か、グラウンド、公園等に姿
を変え、昔の面影が薄れつつあります。少し勉強して、知識をもって調べれば面
白いのですが・・・・調査、保存の必要を感じます。
なお、これから先は、蛇が出てきますので、注意をして、私みたいに、一人では
行かないこと。猪も出ます。猿もいます(人家付近にも出没しています)。美女は
出てきませんが・・・・また冬に調べに行くつもりでいます。
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コメント
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投稿: onnanomiyako | 2015年9月15日 (火) 00時59分
コメントありがとうございます。
有名な城でなく、小さな山城でも調べて見ると、思わぬものがあるもので、ここは、地元の人も知らないみたいでした。
草が枯れる頃、また、調べに行く予定ですが・・・・
投稿: sugikan | 2015年9月17日 (木) 23時07分