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2015年5月

2015年5月30日 (土)

「ある小さなスズメの記録」人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯~クレア・キップス著 梨木香步訳

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本の大きさがA4の半分弱、この大きさにしては珍しく上品な箱入り。出してみた

ら、紺色のクロス風の紙の装幀でハードカバー、小さな金色の字で表には、

「Sold for Farthing」、裏には著者の「Clare kipps」の文字。なんとも言えない気品

のある本でした。


以前、印刷会社で本作りをやっていたので、良い作りの本を見ると、編集者、作

者、翻訳者、装幀者、印刷会社が、本をいかに大切に出版したかが分かります。


ただ、この原題が、「Sold for Farthing」。日本語題の「ある小さなスズメの記録」

とは全く違います。


「日々の光」(礼拝用の古典)のあるページを、スズメが小さなくちばしで、指して

いた事があるそうで、その文章が・・・本書124ページ。


マタイ伝十章二十九
節「スズメは二羽をまとめて一銭でうっているほどのもので

ある。しかしそういうスズメの一羽ですら、主の許しなしでは地に落ちることもか

なわないではないか」から来ているらしいのですが・・・


この物語は、第2次大戦中の1940年7月1日、「寡婦であり、比較的世間から

遠のいた生活」をしている、作者のキップスさんが、家に帰った時、玄関前で、瀕

死の状態にある、小鳥を見つけたところから始まります。


介抱しながらも、今夜のうちに死んでしまうだろうと思ったところ、これが「彼はす

くすくと育ち、元気いっぱいでうるさくせがみたてる雛鳥に成長」したそうです。


自分の力で飛ぶことができるようになれば、外へ放すつもりが、障碍があり、こ

れから一緒に住むようになります。


このスズメは12年と7週と4日を生き抜いたそうで、その間のことを、淡々と、ま

た、時にはイギリス流のユーモアを交えながら、語っています。


スズメに芸を教え、慰問をし、市民防衛隊の重要なメンバーになり、観客が選ん

カードを当てたりする手品をしたそうですが、ただし、「私がそれを、指したり、

ごく軽く前へ押し出したりして」やったそうですが・・・


なお、カードを、くちばしにくわえて10回から12回、グルグルまわしたそうです。

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        (「ある小さなスズメの記録」より)


また、スズメというと「チュンチュン」という鳴き声を思い出しますが、このスズメは

歌までうたったそうですが、作者はロンドン王立音楽院卒業で、ピアノのプロの音

ですが、スズメが歌うのも採譜しており

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               (同書より)


このような曲だったそうです。


その後、11歳を越した時から、調子が変になり、結果的には、卒中だったそう

で、便秘、視力も落ち、羽が抜け、「完全な裸」に見えたそうです。


獣医で鳥専門のリチャードソン博士に、腸炎の薬を処方してもらったりしたそうで

すが、「最後の手段として」なんと、「シャンパンを試してみましょう」ということで、

一応めざましく回復したものの、残念ながら老衰で亡くなり、それでも、十二年と

七週間と四日を生き抜いたそうです。スズメが十二年ですよ!


この本、以前にも出版されたらしく、今回が再出版だそうです。

推理小説とか恋愛小説みたいに、山あり谷ありではありませんが、このような本

は手元に一冊置いておきたい本です。多分、読むたびに新しい発見があり、何

回も読みたくなる本でしょう。




2015年5月29日 (金)

「水木しげるの 泉鏡花伝」~水木しげる著

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泉鏡花については、国語だったかの時間で、名前は習って知ってはいました。


あと、小畑実さんの歌で、「湯島通れば 思い出す お蔦(つた)主税(ちから)の

心意気 知るや白梅 玉垣(たまがき)に 残る二人の 影法師」とか「婦系図(

おんなけいず)」の「湯島の境内」のところ、「月は晴れても心は暗闇(やみ)だ。」

とか、「切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。・・・・・私に

ゃ死ねと云って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな。」というくらいしか知り

ませんでしたが・・・・(これ知っている方は、かなりのご年配)


あと、泉鏡花が神経質みたいに清潔好きで、酒の燗もグラグラ煮立たせて飲ん

だ(これを泉燗と言い、泉鏡花の信奉者は真似をしたそうですが、アルコールが

飛んじゃうんじゃないかな?)そうです。


誰かがラジオで話をしていたのですが、ウル覚えですが、刺身もお湯で煮て食べ

たとか(刺身で無く、煮魚でしょうが)、旅行は奥さんが付いてきて、料理は奥さん

に作らせたとか、この本には出てきますが、天井からチリが落ちてくるから、天井

板の隙間に紙を貼ったとか・・・・


この本、もちろん「泉鏡花伝」ですから、泉鏡花の生まれた時から、尾崎紅葉との

出会い、妻の「すず」さんとの出会い(当時芸者で、同棲したのを、師の尾崎紅葉

から叱責され、これがもとで、「婦系図」の湯島境内の場が生まれたわけです

が)、泉鏡花の死に到るまで描いてあります。


その中で、泉鏡花作品の「黒猫」「高野聖」が描いてあるわけですが、「高野聖」

読んで見ると、妖怪ものですね。「高野聖」という題なので、私、てっきり、仏教

係の本だと思っていました。お恥ずかしい 。 


他にも、「青空文庫」で読んでみると、それに類する物語も多くあり、「妖怪年代

記」なんて、主人公が松川私塾に入り、その目的が、塾が昔、旗野という千石取

りの館で、邸内に三件の不思議、「血天井」「不開室(あかずのま)」「庭の竹

藪」。これを知りたさに寄宿するわけで、いろいろな不思議がありますが、最後の

どんでん返しが面白いですね。書けば長くなるので、読んでください。


さて、泉鏡花が妖怪好き、水木しげるも妖怪好き、これで、なぜ水木しげる氏が「

泉鏡花伝」を描いたが分かりました。


水木しげるは、「水木しげる 遠野物語」を描いていますが、「遠野物語」といえ

ば、妖怪がたくさん出てくる物語ですが、泉鏡花も探したら、同じく、興味を持った

のでしょう。


「遠野の奇聞」。「近ごろ近ごろ(ママ)おもしろき書を読みたり。柳田國男氏の

著、遠野物語なり、再読三読、なお飽くことを知らず。この書は陸中国上閉伊郡

(かみへいごおり)に遠野郷とて、山深き幽僻地の、伝説異聞怪談を土地の人の

談話したるを、氏が筆にて活かし描けるなり。あえて活かし描けるものと言う。し

からざれば、妖怪変化豈(あに)得てかくのごとく活躍せんや。・・・・・」いかに、

「遠野物語」に興味を持ったかが伺われます。


なお、解説を、金沢学院大学学長・泉鏡花記念館館長の秋山稔氏が書いていま

すが、泉鏡花は随筆「一寸怪(ちょっとあやし)」で、怪談を「理由のある怪談」と

「理由のない怪談」に分けており、「理由のある怪談」は「因縁話・怨霊」で、現世

で非業の死を遂げた霊が祟るもの。「理由のない怪談」は「天狗、魔の仕業」によ

るもの。


「黒猫」は殺された盲人の怨念が、黒猫に取りつく物語で、「理由のある怪談」。

「高野聖」は「理由のない怪談」だと、秋山氏は分類をしています。


泉鏡花は、文語体で書いていますが、文語体も「文章が立っている」という感じで

いいですね。2,3,読んで見たら、ハマリそうな感じ。なお、泉鏡花の本は、パソ

コンをお持ちでしたら、「青空文庫」でかなりの本が読めます。

2015年5月28日 (木)

2015 「唐比(からこ)ハス園」(5月28日)~まだでした★諫早市森山町唐比

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もうボチボチかと思ったら、ご覧の通りまだでした。


昨年のブログを見たら、7月頃に載せていました。一つくらいは咲いてないか、ウ

ォーキングがわりに歩いて見たら、少しばかり蕾が。


多分、来週くらいには、蕾が開くのでしょうが、「咲かぬなら、咲かせてみせよう蓮

の花」という事で、「苦しゅうない、少しくらいは、良いではない、見せてみよ、年貢

は取らぬから」と、言ってもシカトされましたが。

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せっかくなので、以前撮った写真を

Nenngajou Jpeg

30分ほど歩いたら、スイレンがやっと5つばかり・・・

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蓮(ハス)と言えば、仏さまが、ハスの花をかたどった蓮台に置いてあったり、手

に持ったしていますが、なんでかな?と調べたら、ネットで詳しく書いたものが

りますが、ざっと書けば、ハスは泥の中にあり、そこから出てきて、綺麗な花を

かせますが、人間は苦しみから、大きな悟りを開くという事だそうです。

綺麗な水の中からは、小さな花しか出てこないそうです。


さて、皆さんご存じの「男はつらいよ」の主題歌にも、「蓮」が登場します。

「・・・どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く・・・」この場合は「蓮」

は「はちす」と歌っていますが、花が散った後の花托(花弁・めしべをつける部分)

が「蜂の巣」に似ることからで、ハスの別名だそうです。写真は、枯れたものです

が・・・

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こんな感じですね。


なお、このハス園「誠蓮」「真如蓮(しんにょれん))」「ミセス・スローカム」「唐比古

代蓮」「日本古代蓮」「巨椋(おくら)の炎」「白万万蓮」「王子蓮」「浄台蓮(れん)」

「茶碗蓮」「酔妃蓮」「中国古代連」「睡美蓮」などが見られるそうです。


このハス園には環境庁の絶滅危惧種に指定されている「アサザ」もあるそうです

から、捜してみてください。ハスの花は6月中旬~8月中旬(その年の気象によっ

て違いますが)だそうですから、また、咲き始めたら、報告をします。





2015年5月27日 (水)

「週刊誌」つまみ読み

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今日は古文書研究会で、5年ばかり勉強した人の中で、参加4回目の私では

いて行くというより、後ろ姿も見えないくらいで、みっちりと2時間。疲れました。


という事で、今日はお手軽に「週刊誌」つまみ読みです。なお、「週刊現代」と「週

刊ポスト」を買って来たのは、ただ単に、過激なヌードグラビアが載っているから

です。週刊朝日などには載せてありません。


「週刊現代」。ビックリしましたね。「太ももを揉むだけ 60過ぎて『精子』が6倍に

増えた!」。今月30日発売の「壮快Z」の中で、大きく取り上げられるらしいので

すが、「精子の量が6倍に増えた!ペットボトルで右の太ももをほぐせば勃起力

も大回復」だそうです。


セックスレスのご夫婦が増えているようですが、お二人で、ご熟読、実践を。私も

実践してみようと思ったのですが、精子が6倍に増えても、どこへ出すんですか!!


という事で読んでみると、なんと「がんの予防にもなる」。「セックスをしている人

の方が、前立腺肥大症が起きる可能性が低いのです。前立腺がんの予防という

観点からも、60歳過ぎて射精をする事は必要です」。だって。


ところで、私、PSA(前立腺がんの検査)の値が高く、この間も、お医者さんが説

明用のパネルを見せながら、「酒は飲んでいませんか」「煙草は吸っていません

か」などと質問をされましたが、その中で「サイクリング」の項目があって、サイク

リングは前立腺に悪いそうです。


パネルの最後に「射精」と書いてあって、「射精」も前立腺に悪いらしく、「射精は

してませんか?」「・・・・・・・・・」。でした。


「何のための増税だ?虚しくなる『財政再建』 財務省、自分たちの給料を上げる

とは」


公務員にはスト権が認められてないため、民間との給与の格差をなくすため、人

事院からの勧告がありますが、この「民間給与」の「民間」は、「企業規模50名

以上かつ事業所規模50人以上の事業所」だそうで、大企業では今年のベース

アップがかなり良かったそうです。それに伴い、国家公務員またそれに準ずる地

方公務員も賃上げになりそうです。

大体、50名以上の企業なんて、千々石にはありません。


「財政難」で、消費税アップしたのは何のためか、年金は下がり、介護保険料を

上げたのは何のためか?


中国の歴史を読めば分かるとおり、国が滅ぶのは、国王がバカか、官僚の腐敗

が原因。いよいよ、官僚が跋扈(ばっこ)して、日本滅亡か。


つい最近、日本歯科医師連盟からの献金問題がでて、菅官房長官にも関係ある

か。また、きな臭い献金問題もありましたが、あれからどうしたんでしょう?消え

た年金問題、TV局が自民党に呼びつけられた問題。TV、新聞に出て無い事が

く、また、深く報道してません。昔は新聞のスクープが多かったのですが、記

さん、単なるサラリーマンになり下った感じです。天下りの問題も、やり放題みた

ですが・・・・


さて、両紙、ガンについて朗報が出ています。ガンの新薬が作られたとかで、

NHKでも大特集があったそうで、「ニボルマム」(商品名はオブジーポ)。日本では

小野製品工業が製品化。


ただし、保険適用外で一回当たりの費用が100万円超。一回で効くケースもあ

るが、継続的な治療になれば、1,000万~1,500万円だそうですが、いずれ

は保険適用になるでしょう。


大阪の都構想の選挙、両方とも出ていますが、「週刊現代」は大きく「橋下徹『引

き際は見事だった』と言おう」ポストは、「長谷川幸洋の反主流派宣言」で「橋下

徹市長は手痛い敗北で教訓を得た もう一度『使い捨て』する時がやってくる」。

両方とも、好意的な扱い。


僅差の敗北でしたが、原因は「都構想」なるものが、なんであるかの説明、理解

不足。


橋下市長、かなり反感も買いましたが、選挙後すぐの記者会見、あれで、橋本

市長の考えが、かなり分かったと思います(ただし、フルバージョンで見ると)。


「僕みたいな政治家が長くやる世の中は、危険です。」「民主主義は素晴らしい」

いま、選挙をすれば賛成派が多数を占めるでしょう。


政界に戻ることは100%無い、といっていましたが、これが本当に戻らないな

ら、素晴らしい男だと思います。最も「政治家は、選挙に落ちるとただの人」です

が、橋本市長は「選挙で落ちても、弁護士業」です・・・


あと、「金正恩」「ピース又吉の『芥川受賞の可能性』」「能年玲奈」「マンション相

場に大暴落のサイン」「浅田真央」「安倍晋三」とか、話題満載ですから、後は自

分で買うか、立ち読みするかして下さい。







2015年5月26日 (火)

「サンチャゴ」~円城寺真己著

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某日、本屋に寄ったら上の本が平積みされており、イヤでも「島原の乱」という文

字が、目に入ってくるじゃありませんか。特に、島原半島に住む者にはですね。


マンガだから、買おうかどうか迷いましたが、例によって、マンガ本はガッチリとビ

ニールカバーで覆われて、中身が確かめられません。まあ、酒を飲むわけでもな

し、煙草を吸うわけでもなし、バクチをするわけでもなし、女遊びをするわけでも

なし、本ぐらいは好きに買っても良いかと。


島原半島では「島原・天草の乱」で、天草では「天草・島原の乱」になりますが・・・

「乱」なのか「一揆」なのか「宗教戦争」なのか、見方によって違いもあり、難しい

面があり、関係の本も、昨年、五野井隆史氏の「敗者の日本史 島原の乱とキリ

シタン」、今年は、吉井豊雄氏の「天草四郎の正体」が出版で、鶴田倉造氏の「Q

&A 天草四郎と島原の乱」に「乱研究の経過と関係史『資』料」として、二百数十

冊の本があげられていました。もちろん、手に入らない本もあるみたいですが、

持っている本も数冊あるので、いずれ、ご紹介を。


さて、マンガだからと思って読んだら、以外と良く調べて描いてあって、もちろん、

マンガですから、架空の人物、物語もありますが、まだ、2巻目で、島原・天草の

をこれからどう描いていくか、しばらくは続刊を読んでいきたいと思います。


題の「サンチャゴ」。何の事かと思ったら、

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乱が起こった時、「サンチャゴ」と叫びながら、襲撃をしますが、この「サンチャゴ」

については、第2巻目の最後の方に「聖ヤコブのスペイン名。戦争の最中にあっ

たスペインを、白馬に乗って現れ勝利に導いたとされる。スペインの守護聖人で

あり、戦うキリスト教徒の象徴としても崇められた」とあり、ホントかな?と思って

調べると


「天草四郎の正体」には「『叛乱軍』が、雄叫びをあげた、『サンチャゴ』とい
う鬨の

とは、キリスト教において、その昔、西暦997年、イスラム軍に占領されたスペ

ンを救った、国土回復戦争『キスタ』の若き指導者、軍神・聖ヤコブのスペイン

である。この聖ヤコブに一揆=『叛乱軍』の総大将天草四郎が擬せられている

とはいうまでもない」。


「Q&A 天草四郎と島原の乱」にも「『サン
チャゴ』は、チリの首都名にもなってい

ますが、キリスト教ではかって異教徒と戦った十二使徒の一人、軍神ヤコブの

語名でもあるのです。彼らはこの戦いを異教徒との戦いである『レコンキスタ』に

対比し、四郎を異教徒と戦った聖ヤコブになぞらえて、『サンチャゴ』と叫んだの

でしょう」とあり、なおしつこく調べると・・・


「ニコラス・クーケバッケル日記(平戸オランダ商館の日記 寛永14年11月23

日)」。日記の日付は1月8日付ですが、これは、西洋暦と旧暦の違いでしょう。


乱を起こした服装も書いてあり、有馬からの報告として
「彼らは白い麻の着物を

着て、髪を十字の形に剃り、ときの声は、『サンチャゴ』である。これはポルトガル

人が戦陣で叫ぶのと同じで戦争の神である。・・・」(原資料で綴る天草島原の

~本渡市・現天草市発行 鶴田倉造編集)


四郎は

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という格好をしていますが、手にしているのに瓢箪をくくりつけていますが、「天草

四郎の正体」では、「その天草四郎が、総大将としての『指物』にさしている『金

の瓢箪の馬印』の『金の瓢箪』とは、これも聖ヤコブが瓢箪のついた杖をさしてい

たという伝承に由来するものともされている」


「Q&A 天草四郎と島原の乱」にも、「原城陣図には、本丸の部分に瓢箪の馬験

 (うまじるし)が描かれた旗があり、千成り瓢箪を馬験に用いた秀吉と四郎を関

者のように考える向きもありますが、これも聖ヤコブが瓢箪のついた杖をつい

いたと考えらていたためで、秀吉とはなんの関係もありません。」


「Q&A 天草四郎と島原の乱」に

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このような絵が載せてあり、注釈は「益田四郎肖像 図中央はひょうたんの馬験

(三上参次『島原城矢文付益田四郎肖像画』より)」とあり、この図は、明治32年

に三上参次氏が「史学会雑誌」に紹介をしているそうですが、「板倉内膳正重昌

に従って出陣した備中上房郡高梁村(岡山県高梁市)の野村家に伝存のものだ

とのことで、資料的価値の高いものとおもいます。」とあります。

板倉重昌は島原の乱鎮圧の総大将として派遣され、戦死をしています。


こうして見ると、「サンチャゴ」「天草四郎のひょうたんの馬験」にしても、よく調べ

たものだと思います。マンガですから読みやすく、島原・天草の乱の入門書とし

て、良いかも・・・次号も、検証をしてみたいと思います。ホント、近頃の時代物の

マンガ、良く時代検証をしてますね。









2015年5月25日 (月)

神社を遊ぶ~千々石町天満宮 その二

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こちらが、本殿になます。随分、貧弱な感じですが、平成三年の台風19号で

害を受け、改修されたものです。

扉は新しく、2~3年前、拝殿を改修したので、その時修理したものかな?


階段の下に見えるのが、大正十五年に建てられた鳥居。右の写真が、上がって

来たところ。ここまで登って来るの、この歳では大変です。もっとも、楽して、横の

近道かきましたが・・・・

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左右に手を洗うための「御手洗(みたらし)」、右は「函盤」と書いてありましたが、

水を入れるから「水盤」なのでしょうが・・・左は、花形のシャレたもの。


真ん中の赤の矢印の二つ、この間も書きましたが

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左が2行書きで、「寛延四(1751)辛未五月日」「社僧音(春?)栄」。右が「肝煎

田中文? 田中平助」の文字。写真では、ほとんど読めませんが。


ここが創建されたのが、寛永二十年(1643)と言われていますから、神社ができ

から、約百年後になります。


この神社の土地は一時国有になりますが、地元の努力で払い下げを受けていま

す。


本殿の土台ですが、この石垣の見事なこと。さすが、千々石は昔、石工さんで有

名な所でした。

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ところで、下の矢印の所、何のためにあるのか、気になるのですが、ひょっとした

ら、こが、昔の本殿の土台になるのか?

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小さな田舎の氏神様の神社ですが、手の込んでいる彫りもので、見事なもので

す。


屋根の瓦を見ても、菅原道眞公のご紋です。下の彫りものも、手を抜いていませ

ん。

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軒瓦もちゃんと、梅のご紋です。

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拝殿も、本殿もかなり傷んで、この本殿も直そうかという話もあったのですが、こ

れだけのものは、地元の大工さんも出来ないとか。宮大工さんでなければ、とい

事ですが、先立つものがという事で・・・・


ここに、「一千年祭記念」の碑があって、これが明治三十五年。もう一つが、「千

五十年祭 神殿拝殿 改修記念」、これが昭和二十八年十月の日付。計算が合

いません。


ネットで調べて見ると、「一千年祭」が、明治32年、33年、35年。「一千五十年

祭」が、昭和26年、33年と各地でバラバラ。計算も合いませんが、どうしてでし

ょう?

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ここに「なぎ」の木があって、この前、歴史専門の方の話では、ここらあたりで

珍しい木だとか。他の所では、神木になっているところもあります。

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ひょっとしたら、海外との関係も・・・・という事でしたが、一の鳥居の「華表」の文

字といい、なにか、ただものではないという感じの神社です。


神社は、鳥居の形式とか、建物の作り、注連縄もいろいろあり、素人にはなかな

か分かりづらい所があり、せめてもは「神社を遊んで」みませんか。お金もいらな

いし  


皆さん方も、お近くの神社を調べられては?なかなか、面白いものがある神社

たくさんありますよ。小さいところも、注意して見てください。



2015年5月23日 (土)

神社を遊ぶ~千々石町天満宮 その一

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神社といっても、伊勢神宮とか、明治神宮とか立派なものでなく、近所の氏神様

です。


ここ、何回か取り上げた事があるのですが、時間があったので、カメラでも持って

ぶらっと行ってみました。


前にも書きましたが、この神社、千々石ミゲルの父、千々石大和守直員が佐賀

の龍造寺に滅ぼされた時、戦国の世の終結と平安を願って、天満宮菅原道真を

祀る事を願い、自刃したそうです。


大正七年「千々石村郷土誌」には「故千々石釜蓋城城主大和守澄籌及家老木

戸万五郎 仝町田兵七郎ノ三名 天正十二年甲申七月十二日切腹ノトキ當時ノ

社人福石右ェ門及乙名源之丞ト云フ者ニ天満宮ヲ奉祀セヨトノ」とあります。


それから半世紀後の、寛永二十年(1643)、新島原藩主高力忠房のもと、篤信

の方により創建され、貞亨元年(1684)には、島原藩主松平忠房が社領一石八

斗五升を寄進したそうです。


なお、大和守の名前が、
直員、澄籌と違っていますが、ここらあたりは、はっきり

とした文献が残っていないので、混同しているみたいです。


なお、家老の二名も一緒に祀られていて、本殿の中には、以前本殿を掃除した

時、木彫りの座像の武将が三体あり、写真を撮ろうとは思ったのですが、畏れ多

くもあり、撮りきれませんでした・・・


一の鳥居になりますが、左に「享和三年癸亥年八月吉日」ですから、1803年に

なりますが杉田玄白(1733~1817)、伊能忠敬(1745~1818)、ほかに、北

川歌麿、鶴屋南北、十返舎一九、遠山金四郎などがいた時代です。

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右側には「奉?建石華表一基」。この「華表」で悩んだのですが、中国語で、華表

の訳が鳥居だそうで、過去には「華表」と記したこともあるそうで、珍しいですね。

(この部分誤りがあったので、下に訂正をしています)


灯明。表に「献灯」と書いてあって、脇には「明治三十五年壬寅十一月納 一千

年祭紀(ママ)年建設」「小倉上峰名?先躍 子供?中?拾(?)名」とあり、あと

名前がズラリと書いてありました。「先躍」は現在祭りの時に奉納する「先踊り」。


「一千年祭」。何の事かと思ったら、菅原道真公の御神忌で、ここは天満宮で菅

原道真公を祀ってあるので、その時、お祭りをした時の記念ではないかと思いま

す。なお、他の所では、明治36年という記録もあるのですが・・・・


また、ここは小倉名という地区の氏神様なのですが、灯明には「小倉上峰」「子供

?中」というところを見れば、上峰名は小倉名のお隣ですから、一緒にお祭りを

したような感じです。


一の鳥居の階段を上がったところ、50㎝位の石柱があって、「一 石段」「施主

等敬白」かな?

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二の鳥居ですが、これがちょっと・・・

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千々石郷土誌には「一の鳥居奉納 1000年祭記念 明治三五年 二の鳥居奉

納 1025年祭記念 大正十五年」とありますが、ここは神社まで2本の鳥居しか

りません。


上の写真は、大正十五年 一千二十五年祭記念」と記されてありますから、そし

たら、前の「享和」の鳥居はナンデショウ。また、明治三五年の鳥居はどこへいっ

たのでしょう?どうにも分かりません。また、調査を・・・・


この鳥居、小倉名の氏子さん方が作ったのですが、発起人は「小倉名石工中」と

なっていて、「中」は「そのメンバー全員」とあり、千々石は石工さんがあちらこち

で活躍していますから、多分、小倉の石工の仲間、組合みたいなものと思いま

す。(邦楽なんかでも「○○社中」とか使ってますね)

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まだ、半分位ですが、夜が遅くなったので、良い子は早く寝ることにして、又、こ

の次に・・・・


【訂正】

「中国語で、華表の訳が鳥居だそうで」と書いておりましたが、これは誤り。華表

ついては、中国の伝統的建築様式に用いられる標柱の事だそうで、詳しくは

こちらをクリック

漢和辞典で読みは「かひょう」、意味は「神社の鳥居。とりい。」(漢辞海~三

堂)です。





2015年5月22日 (金)

ひとやすみ

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どうも、季節の変わり目は調子が悪く、明日から雨だということで、墓掃除に行っ

て帰りがけ、海でボンヤリとひとやすみ。


海って、広くて、良いですね。広いといっても、地球ほど広くはなく、そんな謙虚な

ところが好きです。泳げれば、もっと好きになれるのですが・・・

海の音と波が、大きくなったり、小さくなったり。まるで、私の心みたい。


このアオサギ、いつも一匹で、老後の事でも考えているのかな?

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海辺近くに集落がありますが、ひじきを干しているところ。松の芽も、元気よく伸

びていました。昔は、私も、これくらいピンピンしていたのですが、今では、下向き

す。

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家に帰ってみたら、庭木も新芽が出て、一昨年植木が一本枯れたので、ヤマボ

ウシを植えましたが、ヤマボウシは、下から見るものではなく、上から見るもので

すね。2階から見たものです。

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今日は、平成27年5月21日。乙未の年、旧暦四月四日、友引。


よく、甲子、とか、丁辰、とかいいますが、これは干支(かんし)といわれるもの

で、十干(じっかん)と十二支の60通りの組みあわせによって作られています。


十干は
、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸。

十二支は、ご存じのとおり、子、牛、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥で、こ

れを組み合わせて、甲子がはじまりとすれば、60年で一回りをし、子に戻り、

人間の歳でいえば、60歳で還暦という事になります。


なお、十干の場合は普通、「こう、おつ、へい、・・・」と読みますが、干支で読む場

合は、「甲=きのえ」「乙=きのと」「丙=ひのえ」「丁=ひのと」「戊=つちのえ」

「己=つちのと」「庚=かのえ」「辛=かのと」「壬=みづのえ」「癸=みずのと」と

読みます。


なお、友引とか、大安は聞かれると思いますが、「先勝(せんから・せんしょう)」。

急用や訴訟などに用いて吉の日、午後は凶だそうです。

「友引」。午前中と夕刻と夜は相引きで勝負なしの吉日。ただし、昼は凶。この日

儀を行うと、死人の道連れになると言われています。

「先負(せんまけ・せんぶ)」。この日は静かにしているのが良いそうです。とくに

事、急用は避けるように。午後は大吉になるそうです。

「仏滅」。移転、開店、新規事業の開始等、すべてのことに悪い日。この日は、

休を取って休みましょう。デートも巌禁。

「大安(たいあん・だいあん)」。婚礼、移転、建築、旅行、新規事業等、すべての

に吉日。


最も、今日は「友引」ですが、カミサンの知人の母親が亡くなり、カミサンは葬儀

に行ってました。「仏滅」の日にでも結婚式をあげる時代。廃れゆく歴史文化です

ね。


(参考・引用:「神宮館百彩暦~髙島易断所本部編集」より)




2015年5月21日 (木)

「絵本 夢の江戸歌舞伎」「絵本 江戸のあかり」「月刊 たくさんのふしぎ」~一ノ関圭著 その二(おしまい)

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昨日、一ノ関圭さんの漫画のことを書きましたが、捜してみると、あと4冊絵本が

見つかりました。まだ、あるとは思うのですが、なにせ田舎ですから、他にあるか

どうか、よく分かりません。


上の二冊が、月刊「たくさんの不思議」、2002年5月号、「おおふじのひっこし大

作戦」。


1994年、栃木県足利市にある植物園から、都市化が進んだため、幹の大きさ

が日本一という4本の、おおふじを、20㎞離れた郊外にひっこしさせる樹医さん

お話です。

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スキャナーに入りきれないので、写真で撮りました。少し見にくいかな?


2012年5月号は「琉球という国があった」。

これは琉球王朝の歴史についての本ですが、良く考証されていて、どちらかとい

うと、文の方が主になるようですが、

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やはり、一ノ関圭さんだけあって、絵もしっかりしたものです。多分、水彩かなと

思うのですが・・・



絵本「江戸のあかり」は、「歴史を旅する絵本」と書いてありますから、シリーズ

かな?副題が「ナタネ油の旅と都市の夜」


田おこしから、苗植、収穫、油しぼり、どうやって江戸まで運んだのか、江戸の夜

に、ナタネ油が灯りとして、どう使われたのかが描いてあります。

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少し明るいようですが、付録の解説の塚本氏と一ノ関氏の対談で「今に比べて非

常に暗いあかりを、この絵本ではやや明るく描いています。本当はこの絵に描か

れたよりも全体に暗くって、あかりも、今のあかりほど明るくないわけですよね。」


・・・・「あんどんはこんなに暗かったんだ、というのが本当の実感でしたね。何も

見えないんですよ。あれで針仕事をしていたなんて、信じられない」と書いてあり

ますが、本当に現代に生まれて良かったですね。


歌舞伎座での灯りの様子も描いてありますが、「舞台の背景に緑を使ったんで

す。そしたら次に、服部先生が歌舞伎の世界では着物に緑を使うことはあって

も、背景に緑を使うことはありえない、というふうに言われたんです。・・・」という

ように、専家の考証もきちんと入っている本です。



「絵本 夢の江戸歌舞伎」。歌舞伎について、本格的な本です。うしろにも、細

絵の内容について、説明が入っています。

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矢印の所、客席の上を通って橋が架かっています。


これ、本当かなと思ったら、解説に「こういう大胆な演出が実際に行われたことが

あるのは記録によってわかります(たとえば文化三年〈1806〉の5月、市川座で

『仮名手本忠臣蔵』の10段目と11段目の2幕が出た時に、これと同じような橋を

つくり、これを両国橋にしました。この時は『中の間の歩行板を桟敷の高さまでせ

り上げて欄干付きの橋にし、上桟敷から四十七士の面々が討ち入りの衣裳でこ

の橋を渡って行った』という記録が残っています)。芝居は劇場全体の空間をフ

ルに使って演じられます。・・・・」と、江戸時代の歌舞伎もたいしたもんですね。


絵の方も、これ、楽屋を描いた一部分を拡大したものですが、驚くほど、良く描か

れています。

3

一ノ関さん、歌舞伎のことは、あまり知らなかったそうですが、資料等を調べ、8

年かけて描いた絵本だそうです。細部まで、実によく描き込んであります。


大道具作り、工房、楽屋、奈落、宙乗りの立ち回りをどうしていたのか等、絵と後

の解説を読むと、昔の歌舞伎の事がよく分かります。


この本、特に歌舞伎が好きな方には、お薦めです。歌舞伎は、こちらではほとん

ど、お目にかかりませんが、少しお高いですけれど、買いました。見ているだけで

も楽しい本です。



(「江戸のあかり~文・塚本学 絵・一ノ関圭」「夢の江戸歌舞伎~文・服部幸雄 

 絵・一ノ関圭」~岩波書店刊 ★「月刊 たくさんのふしぎ」~福音館書店刊」)


2015年5月20日 (水)

「鼻紙写楽」「ランプの下」「茶箱広重」~一ノ関圭著 その一

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この漫画、多分、漫画界の玄人筋では、最高の評価を受けるでしょう。


何となく、本屋の棚を見ていたら、並んでいて、何となく気になったのですが、本

のお値段が1,800円。しかも、ビニールでしっかりと包んであって、中が確かめ

られない。こうなると博打と一緒で、買って来ましたが、ビックリしました。とにかく

面白い。


幼女の誘拐事件のミステリーから、田沼意次、歌舞伎のこと、浮世
絵のこと、そ

れに付随する人物像。本の3分の1あたりで、大阪からやって来た、「伊三次」、

当時は「流光斎如圭」という絵師が登場しますが、これが、後の「写楽」になりま

す。


この、登場人物が絡みに、絡んでいきますが、残念ながら、427ペ-ジを費やし

ても「『鼻紙写楽』第一幕 完」で、まだ続きます。

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絵の感じは、白土三平さんか、ケン月影さんタイプかなと思ったのですが、線が

太く力強く、今の若い方のコミック系の線とは全く違い、好き嫌いはあるでしょう

が・・・


さて、漫画読書暦五十数年になりますが、この「一ノ関圭」氏のこと、ウィキペデ

で調べたら、1950年生まれ、吾妻ひでお氏が、小畑健の絵について「幻の漫

家・一ノ関のような自在さはない」と感想を述べ、竹照健太郎氏は「美術をテー

にした漫画で納得行く漫画絵画を描けていたのは、俺の知る範囲では一ノ関

が筆頭」とまで言っています。不覚にも、「一ノ関圭」氏のこと、知りませんでし

た。


吾妻ひでお氏の「幻の漫画家」の事は、何しろ、本としては、上の一冊と、下の2

冊しかありません、ただし、絵本としては、やっと何冊か見つけたので、これは明

日のご紹介。なお、下の本は、現在、小学館の文庫本で、読めますが、「らんぷ

の下」は売れ中です。表紙は全然違っています。

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「ランプの下」で、第14回ビッグコミック賞を受賞。なお、この時のペンネームが

「夢屋日の市」。白土三平の「カムイ伝」に出てくる、人物の名前だったかな?

という事は、絵は白土三平の影響も受けたのかな?内容は全く違いますが。


なお、この時、東京藝術大学油絵学科在学中だったそうで、絵はしっかりしてし

ているはず。


読んでいると、明治時代の画学生の、愛憎渦巻く物語も多く、「裸のお百」は、明

治時代(この時代、人前で女性が裸になるのは憚られていました。今とは時代が

違います。)のヌードモデルになる主人公が出てきますが、「ランプの下」と読

み合わせれば、女性を縛った責め絵画家、伊藤晴雨のモデルであり愛人。ま

た、大正9年から15年まで、竹久夢二の「黒船屋」「黒猫をだく女」のモデルであ

り、愛人であり、そして、東京藝術大学教授の藤島武二が描いた「芳恵」のモデ

ルであった、「佐々木カ子(ネ)ヨ」、通称「嘘つきお兼」。竹下夢二は「お葉」と呼

んでいますが・・・この、女性の事が彷彿と思い出され、多分、一ノ関圭氏も芸大

ですから、この事も知っていたのでは、と思われます。(私の推測ですが・・・・)


さて、話、元にもどって、「一ノ関圭」氏、あの絵から見て男性の方だと思っていた

ら、女性の方でした。ネットで検索しても、写真が出てきません。

やっと「月刊たくさんのふしぎと」という雑誌と、「江戸のあかり」のという絵本の付

録にを見つけ、載っいることは、載っているのですが、

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という感じで、カットしか載ってませんでした。


この、「ランプの下」の解説を書いているのが、「名取弘文」氏という方であり、肩

書きをみると、「藤沢市立滝の沢小学校教諭」となっており、一ノ関氏との接点は

感じれませんでした。なお、名取氏は、「総合的な学習時間」の講師として「重

信房子」の娘を招聘し、問題になったことがあるようです。


氏は最後に次のように書いています。「伝え聞くところにでは、江戸の謎の画家

写楽をテーマにした作品に取りくんでいるようである。どんな作品になるのか、フ

ァンとしては待ち遠しい」


この、「ランプの下」が出版されたのが1992年。「鼻紙写楽」2003年~2009

年までビッグコミック増刊で不定期連載され、今回、それに大幅加筆、再構成し

本として出版でから、構想から23年、描き始めてから12年かけているわ

す。この後の出版がいつになるのか、待ち遠しい限りです。


なお、氏が描く女性達は、時代に流され、哀愁を帯びながらも、力強く生きる姿を

描いています。又、絵本の方も面白く、これは、また明日~。


なお、「鼻紙写楽」の「鼻紙」は「茶箱広重」を読むと、何となく分かるような感じで

す。「茶箱広重」も面白いです。初代、二代目、三代目広重の話です。


蛇足:伊藤晴雨氏は、警察博物館長 藤澤衛彦氏(1,951年現在)著、伊藤晴

雨氏著・絵で「日本刑罰史」、「いろは引・江戸と東京風俗史」等、優れた風俗画

があり、1960年、出版美術連盟賞受賞。



2015年5月19日 (火)

「ノージーの ひまつぶしブック」~NHK「ノージーのひらめき工房」制作チーム&tupera tuptra 作

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題が見えにくいのですが、「ノージーの ひまつぶしブック」と書いてあります。


NHKのEテレで「ノージーのひらめき工房」というのがあって、土曜日の午前7時

30分~7時45分、再放送が、月曜日と水曜日にあるらしいのですが、残念なが

ら、私、見たことがありません。ホームページは→こちらをクリック


人気工作番組で、そのプロセスを、大切にしているらしいのですが、今度、見て

すが・・・・


「ひま」の反対語は「忙しい」ですが、昔、先生から習いましたが、忙しいは「忄(り

っしんべん)」と「亡」から成り立つ、「忄」は「心」だから、「忙しい」は「心が亡くなっ

ていることだ」。


という事で、なるだけ、忙しくしならないように、務めているのですが、今日も、病

院、図書館での調べもの、デート(カミサンではない!)と、毎日忙しくしておるの

ですが、ですね。


書店に寄ったら上の本が置いてあって、何となく面白そうなので、買って来ました

が、

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このページは、空白の所に、点々を描いて、砂浜らしくしてください、という事で

す。まったく、「ひまつぶし」にピッタリ。


ほかにも、落書きとか、ゲームをしたりとか、宝の地図を描いたり、まあ、良く考

えたな、という本です。


今から、梅雨時になって、お暇な時はピッタリですね。ストレス解消にもピッタリだ

し。家庭の常備本に一冊置いて、「ひま」な時に、好きなページを開けて、楽し

でもいいし。お子さんがいる家庭は、子供に与えておけば、熱中して、しばらくは

静かになりますヨ。一緒に楽しんでも良いし。


私?忙しいので、まだ全部読んでいません。スミマセン。反省 


【おまけ】

今日は良い天気で、もうすぐ梅雨が来て、夏が来てと思うと・・・私の苦手な季節

です。

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2015年5月18日 (月)

少し嬉しい話&新聞に疑問

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今日は少し嬉しい話です。これ、ネットの「時事ドットコム」に載っていた話です。


皆さんも、宝くじ買われた経験をお持ちの方が、多いと思いますが、買っても当

たらない、買わなくても当たらない、と言われていますが・・・


みずほ銀行で、昨年中に窓口で高額当せん金を受け取った男女、780名(男性

508名、女性272名)に調査をしたところ・・・・


男性がみずがめ座(52名)、女性はおうし座(33名)男女合わせると、全体の

10,1%だということだそうです。実は、私、みずかめ座なんです。


イニシャルでみると男性は○○、女性はM・S(SMではありません)が最も多く、

実は、私、イニシャルが○○なんです。


男女ともシニア世代が最も多く、60歳以上は350名で、全体の44、9パーセン

ト。で、私、実は60歳以上なんです。


みずがめ座で、イニシャルが○○、しかも60歳以上。私の事ではありませんか。

という事で、明日は、宝くじを買いにいってきます。



さて、昨日は、大阪府構想の選挙がありましたが、大阪都構想が僅差で敗れた

ことはご存じだと思います。


その後、NHKで15分くらい記者会見の実況を放映しましたが、時間の関係か、

途中で打ち切り、脳天気に天気予報をやっていましたが、あの記者会見、1時

50分ほど続いていて、YouTubeでノーカット版が見られるので、全部見まし

た。

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記者会見で、大切な事を言っていたんですが、NHKも馬と鹿ばかりみたいで、野

球放送の延長はするが、大切な事は放送しない。NHK会長も会長なら、職員も

職員ですね。


さて、今日の長崎新聞に載っていた写真で、左が一面、これは納得できる写真で

す。


右が23面に載った写真で、説明が、「大阪都構想住民の結果を受け、記者会見

で厳しい表情を見せる大阪維新の会代表の橋下市長」となっていますが、これ、

多分最初の発言の終わりで、大阪市民、大阪都構想に向けて頑張っている職員

に感謝をしている顔で、その後は一度として、こんな顔はしていません。


写真だけ見ると、選挙に破れて、泣いているように見えますが、多分、新聞社と

しても、「選挙に負ける」=「残念・悔しい」という絵が欲しかったんだと思います

が、意図的な写真で疑問を持ちます。


この顔は、ほんの一瞬で、以前はマスコミともかなり喧嘩はしましたが、この記者

会見、実にサバサバして、時には真面目に、時にはユーモアを交えながらの記

者会見で、負けた方の記者会見にもかかわらず、見ていて気持ちの良いも

で、意外と笑いの多い記者会見でした。


私も、橋本市長には疑問を持ったり、なるほどと思ったりしていましたが、やっと

橋本知事が何を求めているか、納得できる会見でした。


負けたことに対しても、悔いは無い、最高の舞台でやらせていただいた。


変革に対し市民から、ノーを突きつけられましたが、それに対し、変革を求めら

れない社会は、不平不満がない、安定している社会だ。


TV局に対しても出演が多かったのでしょう。もっとディベートを学ぶべきではない

か、情報提供なのか、質問会なのか、始めはぐちゃぐちゃで分からなかった。TV

局は総務省が怖いのか、同じ時間しか喋らせられない。等の質問、回答があり、

そして、何よりも、民主主義の素晴らしい事を、何回も繰り返していました。新聞

社も、もっとよく話を聞いて、書くべきなのではないかと思った次第です。


「橋本劇場ついに幕」と、週刊誌みたいに書いていますが(私、週刊誌の方が、

新聞より好きですが)、あれだけ僅差の票を見ると、投票率の低下が嘆かれてい

る現在、少しは目覚める人もいるのではないでしょうか。


YouTube、時間のある方は是非ご覧下さい。1時間50分は、いささか長すぎまし

たが・・・・


忘れていました、ネットで「質問 あなたは『大阪都構想』に賛成だった?それとも

反対だった?」と投票させるところがありましたが、「賛成だった71,06%」「反

対だった23,39%」「どちらとも言えない5.34%」。結果はご存じのとおりで

す。


これ、無意味ですね。だいたい、パソコンを扱えるのは、せいぜい60歳前半くら

いで、70歳以上は、ほとんど使えません。投票したのは若い方だけ。年寄りを切

り捨てにする投票なんて、意味がありません。この手の調査結果には注意しまし

ましょう。






2015年5月16日 (土)

どちらが勝つか!~大阪府構想選挙

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不謹慎ながら、「人の喧嘩は面白い」。自分の喧嘩の時は、すぐに逃げますが。


要は、大阪市を廃止し、五つの区に分け、大阪府と大阪市の二重行
政を無くす

るための選挙だそうですが・・・


片方は、住民サービスが悪くなると良い、片方は、経費節減と言い、これ、説明

会の様子がYouTubeで見られ、面白いですよ。


週刊現代では、「『大阪府構想』橋下徹が勝つらしい」。と、橋下氏向き。


週刊新潮では、「大阪 『お笑い100万票』をむしばむ都構想という『全体主義』」

「大阪府構想:知ってほしい7つの真実」と題したメルマガを配信し、橋本氏から「

バカ」「嘘八百」「こチンピラ」と罵倒された、京都大学大学院教授の藤井聡氏と

哲学者の滴菜収氏の対談。


藤井氏は
公党(維新党)名義で京都大学の総長宛に「(藤井教授が)〈国民の税

金で研究活動を託される人物として適当なのか貴大学の考えを述べられたい〉

と記した文書を送りつけ、テレビ局にも『藤井を出演させるな』との文書を送付。」

されたそうですが、これ、喧嘩が好きな橋下氏でも、チョットやり過ぎじゃない?


二重行政では、大阪市内に、大規模な図書館と体育館が府立・市立の各ひとつ

ずつ建てられているのは有名な話。らしいのですが、長崎市内にも、県立図書館

と市立図書館があって、どちらも利用者が多く、便利しているじゃありませんか。


私が住んでいる片田舎では、図書館の蔵書冊数が少なく、3館ばかり利用して、

1館だけじゃ、どうにもできません。大阪なら、人口も多く、体育館も同じでしょう。


まあ、大阪市の事だから、もう少し「大阪都構想は本当に大阪のためになるの

か」という事を冷静になって考えてもらいたいものですが、YouTubeで見る感じ、

方とも、内心は感情的ですね。明日の今頃は、どちらが勝っているか、分かる

しょうから楽しみ。まあ、遠く大阪の事ですから、片田舎では直接関係ありませ

んが・・・


お口直しに、この間ニュースで、100歳で1500mを泳いだ、おばあちゃんがい

ましたが、「週刊文春」によれば、お一人暮らしで、水泳をはじめたのが、80歳。


ある時、大会に出て1500mを泳いで、記録が格段に悪かったので、澤田氏(コ

ーチ)が聞くと、ウォーミングアップのつもりで、直前に1500m泳いでいたとい

事だったそうです。


落語の「試し酒」と一緒ですね。酒五升を飲めるか賭をして、五升飲んだ事がな

いので、他の酒屋で、試めしに五升飲んできたという話ですが・・・


なお、1500mを、なんと背泳ぎで、1時間15分54秒で泳いだそうです。私より

い、と言いたいんですが、私、泳げません。








2015年5月15日 (金)

「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その二(おしまい)

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昨日の続きになりますが、根井浄氏によれば、石像、古碑が発掘されていると

いてあり、捜しましたが、数個の五輪の碑は見つかったものの、そんなに

わけでなしという状態。


と、もう一度読み返して見ると「その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている」

と書いてあり、「無縁塚」については、橘中佐(千々石の橘神社に祀ってある軍

神・桜の名所として有名)の兄、橘常葉氏によって建立されいますが、行ったこと

がないので、行ってみましたが、夏草が生い茂り、オッカナイ蛇さんが出て来な

いかという状態で、小高い丘の上に、写真のような「無縁塚」がありました。

立派な塚でしたが、この塚を囲むように、五輪の塔碑、宝篋院塔。


このあたりの人に聞くと、畑を耕せば、よく出てくるとのことで、近所の方が、ここ

に集めているとのことでした。

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「無縁塚」の方ですが、写真の上段左が表、右が右側、下の写真、左が左側面、

右が裏面。


表面は「無縁塚」、右側面に「大正七年七月吉辰 橘常葉建焉」。

で、この塚、掘って出てきた碑を祀るためかと思ったら、左の方に「阿弥陀寺者

原城一揆之戦罷兵燹墓地共廃滅仍為菩提無縁塚建設」と書いてあり、千々石

らも、島原・天草の乱に行っていますから、それも合わせて、弔ったものと思わ

ます。


「千々石町郷土誌」には、「・・・・今、阿弥陀寺古跡背後の丘上に『無縁塚』とした

石碑が立ってその側に発掘されたものを陳べてある。これは橘家の先代常葉氏

の手によって大正年間に建てられた物で、往時のその霊を弔うため、また一つ

には古きを後に残すためという氏の信心より出たものである。」と書いてあります

が、「原城一揆」の事は書いてありません。多分、現場確認をしてないのでしょ

う。


この塚の存在も段々忘れられていくでしょうが、記録だけは、しっかりしてもら


たいものです。


さて、石造物専門の先生に、阿弥陀寺跡に板碑の凄いのがあるということで、近

所の方、数名に聞いたところ、これが全然分からない。知人に聞いて、やっと分

かりましたが・・・確かに、ここは気づきにくいところですが、この板碑の下の部分

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薬研彫りで、かなり深く、梵語の「ア」(胎蔵界大日如来を表す)の文字だそうです

が、パソコンで、梵語の「ア」を変換しようと思ったら、梵語は出ないんですね。

木と石塔が邪魔して良く確認できませんでしたが・・・

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とにかく、この地区に寺があったことは、たしかに確認できました。


さて、千々石にはもう一つ、「大泉寺」という寺があったそうですが、これが意外と

重要な寺であったみたいで、現在、調査中で、またいつか・・・・




 

2015年5月14日 (木)

「阿弥陀寺(アミデジ)跡」と「無縁塚」~雲仙市千々石町 その一

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千々石には、「阿弥陀寺」と「大泉寺」という寺があったといいます。今は、地名の

み残っています。


千々石は雲仙の山麓にあり、雲仙は修験道者の修行の場所であり、この「阿弥

陀寺跡」から、少し離れた所に、雲仙に行く道があり、以前書きましたが、雲仙は

女人禁制のため、雲仙に登る道の途中に、女性がそこにとどまり、読経をしたと

いう「女人堂」があったそうです。いまでは、板碑が数枚残っているだけですが、

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左の方の写真の道をそのまま行くと、雲仙の田代原キャンプ場、放牧場に着き

ます。赤の矢印が、説明版。このあたりに、「阿弥陀寺」があったといいます。


この、「阿弥陀寺」については、根井浄氏が、「修験道とキリシタンン」で次の様に

述べています。

「千々石町に存在した阿弥陀寺は、満明寺大乗院(注:雲仙にあった寺社)の末

寺であったと伝承され、地元の人々は寺跡をアミデシンと呼んでいる。一帯から

石像や古碑が発掘され、その寺跡の丘上に無縁塚として整理されている・・・

の阿弥陀寺は、伝承のように温泉山修験の里坊的存在であったものと考えら

る。」(地元では、「アミデジ」「アミデシ」の発音あり)


なお、このすぐ横の道を伊能忠敬が測量をし、「伊能忠敬測量日記」にも「字阿

弥陀寺」という文字が見えます。


さて、この寺が潰れたについては、ルイスフロイスの「日本史」に「かくして巡察師

が滞在した三ヶ月の間に、大小合わせて四十を超える神仏の寺社がことごとく

破壊された。それらの中には、日本中で著名な、きわめて美しい幾つかの寺院

が含まれていた。仏僧たちは、そのすべてがキリシタンになるか、さもなくば有馬

領から去って行った。」とあります。

この、阿弥陀寺が、その時、破壊された寺かどうかは、よくわかりませんが・・・


少し話は変わりますが、雲仙には、瀨戸石原に300坊、別所に700坊があり、

「一乗院(雲仙市南串山町)」の「温泉山縁起(温泉山一乗院開山1300年記念

誌)」には、当山(一乗院)伝わる伝説では、「・・・・満明寺(雲仙市)寺には瀨戸

に三百坊、別所に七百坊の僧坊を有する大寺であったそうじゃが、島原の乱

で仏教諸寺院はみんな焼かれてしもうた。」とあります。


別説では、雲仙に「白雀の乱」の伝承があり。二人の僧坊の小坊主が、可愛い

白雀を、貸すの貸さぬので、それが発展し、大人の喧嘩になって、寺が放火され

全滅したという話があります。白雀ではなく、稚児争い(男色関係)であったと言う

説もあります。


また、根井浄氏によれば「満明寺の乱の本質は、キリシタン伝道にからむ一山

の衆徒の内乱であったと解釈される。後述するように、天正十二年温泉山を実

見した上井覚兼は、南蛮宗のために荒廃していたと記し、白雀の乱というものに

一言も触れていないのはこの間の事情を物語っている。」と書いてあります。


さて、元に戻って、明治十二年の「千々石村村誌」には、釜蓋城の所に「
医王寺

光庵天徳寺阿弥陀寺大山寺 以上皆往時釜蓋城下ノ寺院ニシテ廃城後随テ

滅スル者唯地名ヲ存ス」とあります。


なお、大正七年の「千々石村郷土誌」には、「・・・一乗院僧侶両派ニ別レ所謂白

雀ノ乱ヲ起コシ僧兵大ニ戦ヒ坊舎七百焼盡シタルコトアリ或ハ當時の阿彌陀寺

モ其ノ兵火に罹リタルハ非サルカトニカク八百年前ノ古寺蹟タルヤ疑イナシ」


という事で、「阿弥陀寺」が廃寺になったのは、

① キリシタン大名、有馬晴信による破壊

② 「白雀の乱」に巻き込まれた

③ 城(釜蓋城)が廃城になったため、それに伴い絶滅した


と3説になりますが、③については、島原城主になった、松倉重政が元和四年

(1618)~寛永元年(1624)にかけて、島原城を築城するにあたり、島原半島

中の城の石垣を持っていっていますから、阿弥陀寺のすぐ近くにあった、釜蓋城

の石垣も全部持っていったということで、廃城になったという事です。


もっとも、元和元年(1615)には武家諸法度で、いわゆる一国一城の令になっ

ていますから。島原半島は島原藩の島原城だけになるわけですが・・・・


さて、一番上の写真が「無縁塚」といわれるもので、橘中佐の兄、橘常葉氏が建

立されたものですが、明日はここらあたりから・・・



(参考・引用*「修験道とキリシタン~根井浄著」「山岳修験 30号」「千々石郷

 土誌」「伊能忠敬測量日記」「完訳フロイス日本史10 松田毅一・川崎桃太 

 訳~中公文庫版」「温泉山縁起(温泉山一乗院開山1300年記念誌)」) 

  

  (注:当時は「温泉」と書いて「ウンゼン」とよんでいました)









2015年5月13日 (水)

クリスタルチューナー~実験中

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今日は、古文書研究会への参加三回目で、まあ、皆さん5年ばかりの経験者。し

かも、実際の古文書(庄屋日記)を解読していくのですから、ついて行くのだけで

も、大変。


でも、三回目ともなると、何とか分かる部分も少し広がり、詳しい方が、その時代

の村の組織、様子、税金のかけ方、寺社の事など説明をしながらですから、昔

生活の様子がよく分かって、面白いですね。


ローカルな場所の記録ですが、他村の文書などと比べていけば、その時代の様

子がもっと良く分かるでしょう、と言いながらも、疲れました。


さて、今日は、少し流行っている「クリスタルチューナー」です。上にあるのが、

チューナー、いわゆる音叉で、楽器をされている方は、ご存じの通り、普通は

440Hzになっていますが、このチューナーは、4096Hzという高い音のチューナ

ー。


下にあるのが、水晶で、チューナーに打ちつけて、音をだし、あらゆる物を浄化

し、ヒーリングの効果があるそうです。


が、私、この手の物は、昔から興味があり、買いましたが、随分宣伝とは違うとこ

ろがあり、まあ、又あの手の物か、と思っていたら、この本の中で、

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「10万ヘルツはなぜ心地よいのか?」というのがあり、要は、人間の音の聞こえ

る範囲が、耳のいい人で、20Hz~2万Hz。


ですから、オーディオなども、この範囲で音が聞こえれば良いのですが、10万Hz

まで再生できるようにすると、同じ演奏がずいぶん違うように聞こえ、はるかに心

地よく、爽快感を与えるとか。


この現象に関し、ある研究機関の報告によると、脳波を分析した結果、人間に爽

快感と安らぎを与えるα波の増加が確認されたそうです。


と、言うことで、前にも書いたように、隣の犬の鳴き声で、神経症になっているの

で、音で何らかの効果があるなら、試してみようかと。


まあ、プラゼボ効果(プラシーボ効果)といって、病気の人に、「これ、お薬」といっ

て、無関係な薬に似たものを飲ませたら、効果があったという研究もあり、少しは

効果があるのかなと思った次第です


が、考えれば、パワースポットに行ったら元気が出たとか、おおきな木に抱きつ

いて気を貰ったとか、あるじゃありませんか。ということで、購入を・・・


確かに、澄んだ、いい音ですね。お仏壇の鈴(りん)の音を高くして、澄んだような

音で、何となく、心落ち着きます。


4096Hzは「天使界の扉を開く音」と言われているそうですが、私は、天使界より

天女界の方が良いのですが・・・この音、若干音が悪いけれど、YouTubeで聞け

ますから、興味のある方はどうぞ。


ということで、現在実験中です。


2015年5月12日 (火)

「時には母のある子のように」~詩・伊奈かっぺい

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5月の第2日曜日が母の日だとかで、息子夫婦から、定番のカーネーションが、

ミサン宛てに送られてきました。


以前、寺山修司作詞、田中未知作曲、カルメン マキの歌で、「時には母のない

子のように」という歌が流行しました。


私は、父と母を亡くして2年ばかりたち、老齢
孤児の身になったわけですが、孝

行したい時に親は無しで、母の日には、墓掃除に行くぐらいで・・・


で、何となく、伊奈かっぺいさんの「時には母のある子のように」を思い出したの

で。


東北の方では有名らしいのですが、長崎では名前を知っている人も少なく、とい

っても時々はTVに出演しているのですが。


伊奈かっぺいさんは、中学校の時母親を、高校の時に父親を亡くしたそうで、仲

の良い夫婦で、母親は胃ガンから腹膜を併発、父親は腹膜から胃ガンを併発し

て亡くなったそうです。


ですから、夫婦仲が良いと、後を追うようにして亡くなる方が多く、私のところも、

母が亡くなって、一週間目に父が亡くなりましたが、この経験から、夫婦仲が悪

い方が長生きができる、と言うことで、ウチでは故意に、冷戦状態にしているわけ

でありまして・・・・ 


伊奈かっぺいさんは、多分、結婚した姉がいるみたいですが、とにかく、高校の

時から、一人暮らしで、高校を卒業すると、放送会社に入り、その一方ではライ

ブ活動をしていたという事です。




「時には母のある子のように」  詩★伊奈かっぺい



時には母のある子のように 黙ってないで海を見つめていたい

時には父のある子のように みんなで旅に出てみたい

母が死に五年後に 後を追うようにして父が死んだ


五月には母のある子のように 赤いカーネーションを買ってみたい

六月には父のある子のように 渋いネクタイでも買ってみたい


時には両親のある子のように

羽布団のカタログをみたり 温泉巡りのパンフレットを集めたりしてみたい

白髪を抜いてやったり 肩をたたいてやったり 腰をさすってやったり


時には母のある子のように 時には父のある子のように

やさしい孝行息子になってみたい




皆さん方も、親が生きているうちに、親孝行を・・・・






2015年5月11日 (月)

「昭和天皇実録 第一巻・第二巻」~読書中

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「昭和天皇実録」が発表されていたのは、知っていたのですが、どうせ、東京で

閲覧できるくらいで、私の如く、下々の平民には読む機会は無いだろうと思って

いて、3月下旬、Amazonを覗いていたら、出版されていたので、慌てて注文。


値段を見たら、なんと、1,890円(税抜き)ですよ。しかも箱付きで、両方とも約

700頁程度、びっくりしました。多分、出版されたら、○万円はするなと思ってい

たのですが・・・・


で、Amazonからは、4月上旬到着予定だったのが、待てど暮らせど到着せず、4

月の下旬に、5月の上旬に発送するとのメール。


到着して、開けてみたら、これ、ホンマに1,890円?という本。という事で、読み

かけの本もあったので、今やっと読み始めたところです。


今回の発売が、第一巻(明治34年4月29日・昭和天皇がお生まれになったっ

日から大正2年12月)、なお、大正2年12月29日に「この日、『博物博士』にな

たいとのご希望を側近に洩らされる。○東宮殿下御言行録」となっています。

昭和天皇12歳の時ですから、今の子供よりしっかりしてますね。


第二巻が大正3年から大正9年まで。大正9年12月31日「三十一日 金曜日 

積雪につき、午後、御座所前庭に高さ八尺の雪だるまをお作りになる。○東宮

侍従記」。ここの所、普通の子供と一緒ですね。


この「昭和天皇実録」は第十八巻までと索引1冊で、全19冊になる予定ですが、

マスコミで話題になった、戦前、戦中、戦後の事はまだ先です。

入手がされにくいみたいなので、一応出版の予定を書いておきます。


平成27年9月刊~第三巻(大正10年~12年) 第四巻(大正13年~昭和2年)

平成28年3月刊~第五巻(昭和3年~6年) 第六巻(昭和7年~10年)

            第七巻(昭和11年~14年)

平成28年9月刊~第八巻(昭和15年~17年) 第九巻(昭和18年~20年)

平成29年3月刊~第十巻(昭和21年~24年) 第十一巻(昭和25年~29年)

            第十二巻(昭和30年~34年)

平成29年9月刊~第十三巻(昭和35年~39年)第十四巻(昭和40年~44)

            第十五巻(昭和45年~48年)

平成30年3月刊~第十六巻(昭和49年~53年)第十七巻(昭和54年~58)

            第十八巻(昭和59年~64年)

平成31年3月刊~索引

あくまで予定です。


書き方は次の様な感じになります。最初の所です、明治34年4月29日。

「二十九日 月曜日 東京市赤坂区青山の東宮御所内御産所において皇太子

嘉仁親王大正天皇(注:大正天皇は2行書き)の第一男子としてご誕生になる。

この日皇太妃節子貞明皇后(注:貞明皇后は2行書き)には午前より御出産の徴

候あり、午後三時四十分侍医相磯慥の拝診をお受けになり、七時頃御産所に入

られる。・・・」という書き方ですが、


大正4年12月21日「午後、芝生のコートにおいて常次官・出仕をお相手にテニ

スをされる。二十三日午後にも行われる。○東宮侍従日記」、とありますが、大

正4年でテニスをされるとは、随分早いですね。14歳の時です。今上天皇がテニ

スを好まれるのも、昭和天皇の影響でしょうか?


さて、良く言われるように、この「実録」には、行間を読む必要があり、いろいろ本

があったのですが、適当に見て保阪氏の本を。保阪氏は次の5点について、「こ

の前提を踏まえて実録を吟味していくと、そこから従来とは異なるさまざまなこと

が浮かびあがってくる。」とし、


(一) 「民」の側の刊行にみられない国家所蔵の記録文書を使っている。

(二) 史実の確定について政治的、歴史的な判断を行っている。

(三) 昭和天皇像を明確にしておき、それにもとづいて記述を進めている。

(四) 引用史料の列記が曖昧かつ不正確な面がある。

(五) さりげない記述の中に重要な史実が隠されている。


この本も、まだ全部は読んでないのですが、いずれにしても、「実録」の副読本が

必要な感じです。

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考えれば、信長、秀吉、家康、何れも時代の実力者で、天皇を廃そうと思えば、

できたはずなのですが・・・家康は「禁中並公家諸法度」の最初に「天子諸芸能之

事、第一御学問也。(天子がおさめるべきものの第一は学問である)・・・・・」と、

天皇の政への関与を縛っていています。明治維新以降、天皇が中心になって

いきますが、田原総一郎氏は「なぜこの国では天皇は一度として排除されること

なく存在しつづけたのだろうか。さまざまな野心に燃え、支配力もあり、いささか

でも危険な存在は躊躇なく取り除いた権力者たちが、なぜ例外なく天皇を存続さ

せたのだろうか、これはそれぞれの恣意的ではなく、世界に類のない日本民族

の特殊性と言えるのではないだろうか。」と書いています。


私もここのところ同じ疑問を持っていて、日本民族にとって「天皇」の存在とはな

にか、少し考えたく、「昭和天皇実録」を買っているのですが、この4冊だけでも、

むのは大変ですよ。まあ、全部買っても、4万円弱だから、内容に比べれば安

ものですが。




2015年5月 9日 (土)

「たびねこ」~さとうあすか著★ボールペン画クリエーター

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先日、TVを見ていると、面白い絵本が出ていたので、買ってみたら、これ凄いで

すね。


作者の、さとうあすかさん、学生の時は、授業中こっそり落書きして、楽しんで

いたそうですが、卒業後は普通のOL。


休暇でのスイス旅行からの帰りがけ、絵
を書いていたところ、CA(キャビンアテン

ダント・昔で言えば、スチュワーデスさん)が、あなたの絵は凄いから、私のため

に描いてと頼まれ、描いて渡す時「仕事を辞めて絵描きになりなさい」と言われ、

それをきっかけに、仕事をやめたそうです。


上は表紙になりますが、この絵は、パイロットのボールペン、HI-TEC-C、0.2㎜

で描いたそうですが、


中身は

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こんな感じの絵ですが、気球の所、拡大すると

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もっと拡大すると

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これ、ボールペン一本で描くの大変でしょうが、しかも

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この、チマチマとした絵から、上の絵を、「みつけてね」と言うんですから、見つけ

る方も大変ですよ。


少し前、「ウォーリーをさがせ」というのがあり、子供と一緒に「ウォーリー」探しを

楽しみましたが、こちらの「たびねこ」さんの方が難しかった。


結局、一日この絵本で遊びましたが、近眼で、老眼で、疲れ目なので、少々くた

ばりました。


子供が小さい方は一緒に遊ぶと楽しいですよ。子供さんも喜ぶと思いますので、

親子で挑戦してみて下さい。


なお、さとうあすかさん(サイトでは佐藤明日香になっています)のホームページ

も楽しいので、見てください。→こちらをクリック



2015年5月 8日 (金)

男が作る「えごま油マヨネーズ」

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まあ、男性が作ったって、女性が作ったって、「マヨネーズ」は「マヨネーズ」なん

ですが、「男の料理教室」なんてあったので、「男が作る」と書いただけで、別に

意味はありません。


先日、カミサンが、えごま油が、なんとか、かんとか、と言っていたので、良く聞く

と、えごま油がボケに良いとか(すでにボケ気味ですが)、体に良いとかで、火に

弱いからマヨネーズを作ったら、上手く出来なかったと。


調べてみると、私が悩んでいる「不整脈」にも良いとか。で、「えごま油」を買いに

行ったら、どこにも無い。カミサンの話では、先日までは、行きつけの店にあっ

た、ということですが、とにかく数十軒の店を探しましたが、無いものは無い。


という事で、いつもお世話になっているAmazonを調べたら、在庫があったのでさ

っそく注文。「えごま油」、流行ってるんですね。今日も、どこのお店にもありませ

んでした。


さて、作ろうかと思ったら、カミサン、又も曰く「卵が古いので、新しいのにして」。

幸い愛野の展望所付近に、卵屋さんが新しい店を最近オープンしていて

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売っているのが、卵だけかと思って入ったら、卵だけじゃなく、地元産の品物も売

ってあり、テーブルが置いてあったので、聞いてみたら、「卵かけご飯」も食べら

れるとか。ここの「太陽卵」を使ったロールケーキも。

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朝採り卵が、12時からの発売で、朝採りの卵をゲット。

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と、まあ卵を手に入れたところで、準備品で、もちろん「えごま油」、「卵」、「酢」、

「コショウ」、「電動の泡立て器」、「五島灘の塩」、もちろん原材料は「海水」、後の

成分表にちゃんと書いてありました。


後の、「豆乳マヨ」。豆乳のマヨネーズは珍しいので、置いてみただけです。大

体、マヨネーズを作るのに、マヨネーズは入れませんよね。


一番後の、「コーヒー」。昨日、民放、NHK、新聞でコーヒーを飲む人は、病気に

なりにくいと報道されていたので、買って来たもので、今回は関係なし。置いてみ

ただけ。

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卵は全卵使う方法もあるようですが、普通は、黄身だけを取り出しますが、私み

たいに名人になると、殻を半分に割って、卵を左右の殻に交互に移すと、卵白だ

けがとれて、きれいに黄身だけになります。

よい子の皆さんは、真似しないように、ほとんど失敗します。カラザは体に良いそ

うですが、取りました。さすが朝採りの卵で新鮮。

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あとは、えごま油を、ほんの少しだけ入れて混ぜますが、ここからが勝負です

が、電動式の泡立て器を使っても、どうにもうまくいかず、結局は、手動の泡立て

器を使うことに。


最初、油を少しだけ入れるのがコツで、これを一生懸命混ぜて、乳化させます。

要するに卵と油が分離しないで、トロッとするまで混ぜます。


乳化したら、油を少しずつ多めに入れながら、力を入れながら混ぜると、右の写

真のように、マヨネーズのでき上がりです。


あと、途中で、酢、塩、コショウ、お好みで、マスタード、レモン汁少々を入れま

す。

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保存ビンにいれて、逆さまにしても、しっかりと固まって、垂れません。沢山作る

場合は、保存容器は煮沸をして、なるだけ早めに食してください。

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マヨネーズの作り方は、ネットを見ると色々あるようです。2,3レシピ通り試して

みて、自分の作りやすい方法でどうぞ。分量は、そちらを参考に。大体、卵一つ

に、油が180ccが標準みたいです。


なお、ミキサーとかバーミックスを使っても良いでしょうが、私みたいに、手動の

泡立て器と、ボールだけなら、後始末が実に簡単です。

腕をかなり使いますが、そこは、日頃の運動不足解消だと思って・・・・


手作りだと、味も調節でき、やみつきになりますよ。一番上の写真、タップリとか

けて食べたら、市販のと違って美味しかった。少し、塩の入れすぎかな?


追伸:卵は冷蔵庫から出して、室温にしておくこと。



2015年5月 7日 (木)

「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ(ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領)」~くさばよしみ編・中川学絵

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「しあわせって 何だっけ 何だっけ・・・」と、明石屋さんまさんの歌が、ありました

が、本当に「幸せ」ってナンデショウ。


幸せを求めるために、裕福な生活を求め、社会の発展を望み、投資をし、わけ

も分からず、グローバリゼーションの時代とかいっているのですが・・・


さて、この絵本、子供のためにというより、大人のための絵本。


2012年、リオデジャネイロでの国際会議で、環境について話し合うために開催

された会議で、ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチを意訳して、絵本にした

のです。


「世界で一番貧しい大統領」とは、普通、大統領、首相といえば豪勢な生活
をし

ていますが、ムヒカ大統領。給料のほとんどを、慈善のために寄附し、残った

金額は、ウルグアイの平均給与だそうです。「世界で一番貧しい大統領」です。


農場で奥さんと暮らし、友達から貰った1989年製のフォルクスワーゲン・ビート

ルを自分で運転し、仕事に行っているそうです。


会議の参加者、また、私たちにも耳の痛い話を、本音で言います。


「私たちが、グローバリゼーションをコントロールしていますか?

あるいはグローバリゼーションが、私たちをコントロールしているのではないで

しょうか?・・・・・・・

このような残酷な競争で成り立つ消費社会で、『みんなの世界を良くしていこう』

というような、共存共栄な議論はできるのでしょうか?

どこまでが仲間で、どこまでがライバルなのですか?」


「私たちは、発展するために生まれてきているわけではありません。

幸せになるために、この地球にやってきたのです。」


最後の方に、

「社会が発展することが、幸福を阻害するものでものであってはいけないので

す。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはならないのです。人生は短い

し、すぐ目の前をすぎてしまいます」と言っています。もちろん、政治の責任、役

割にも言及しています。


どこかの国の首相、がなりたてるのが得意な某市長も、これくらいのスピーチが

できれば、心づよいのですがネ。


さて、

「エピクロス、セネカやアイマラ民族は、こんな事を言っています。『貧乏な人と

は、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足

しない人のことだ』」。これは、耳が痛いですね。


なお、実際のスピーチはYouTubeで「ホセ・ムヒカ」で検索すると、見られます。

こちらをクリック 


皆さんにも、是非、聴いていただきたいスピーチです。


理想的すぎる、と言う意見もあるかと思いますが、昔の船乗りと一緒で、北極星

がなければ航海はできません。いまはGPSがありますが、人類のGPSはありま

せん。自分達で理想を見つけ、決めるものです。


残念ながら、ホセ・ムヒカ大統領、今年の3月に大統領を辞められたみたいで

す。


(訳は、YouTubeから引用しました。)



 

2015年5月 6日 (水)

「世界はゴ冗談」~筒井康隆著

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「筒井康隆」と言えば、ベストセラー作家、文壇の大御所でした。


最近、長編の
「聖痕」というのが出ていて、買いそびれて、というより、長編小説

は長く(あたりまえか)、読んでいるうちに居眠りをし  、登場人物が3名以上

になると、誰が誰やら分からなくなるので、パスしました。


今回の「世界はゴ冗談」は、8編の短編小説と、「附・ウクライナ幻想」から、成り

立っています。


本の帯を見ると、作者80歳ですね。もう、ボケているんじゃないかと、あまり期待

せず買ったのですが、トンデモない本で、若い時より凄いんじゃないんですか。

内容をあまり書くと、皆さんが読む時、面白さがないので、少しばかり。


最初の「ペニスに命中」、なんと露骨なと題かと思って読み始めたら、ボケ老人の

話。ところが、この老人、交番所で拳銃を盗み、「どうも昔はわしは刑事であった

のか自衛隊員であったのか、はたまたそれよりずっと前に陸軍中尉ででもあった

のか、拳銃の分解組み立ては目を閉じていてもできるのである。」かと思うと。


警察に捕まり、尋問にあいますが、ボケ老人かと思ったのか、

「三引く二はいくらになりますか」

「その答えは無限にある。二引く一、一、一引くゼロ、百引く九十九、一万六千三

百二十八引く一万六千三百二十七。・・・・特にフェルマールの局所体など整数及

びそれから派生する数の体系の性質などは無数に存在する。・・・では、次はガ

ウスの整数について話してあげようかね。これは代数的整数論の分野における

基本的根幹でもって、・・・」と、まあ、正体が分かりません。


最後は、警察署の保管庫から、64式自動小銃、ルガーP08自動拳銃三丁を

盗みだし、さて、行き先は・・・


「メタパラの七・五人」。死んだ絵本作家が、家族相手に話をしますが、途中から

文学論になり、「48億の妄想」「虚人たち」「朝のガスパール」等について書いて

ありますが、「メタ」は「メタフィクション」、「パラ」は「パラフィクション」のことです。

「・・・この短編を書き上げたあと、十年がかりで本格的な長編パラフィクションに

挑戦すると佐々木敦に約束したのだったが・・」と、十年先が楽しみですね、こち

らがボケていなければ。


「三字熟語の奇」

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クリックすると拡大すると思いますが・・・

三文字の熟語が18頁にわたって書いてあり、始めは真面目で、大体2,3頁読

むと飽きてきますが、筒井康隆先生の事ですから、要注意。


途中から「怪岸線」これ「海岸線」ですね。「尼納豆」、尼さんも甘納豆食べますか

ら、「暗息日」、心が暗い「安息日」もあるわけで、「官邸流」、官邸で勝手なことば

かりやっていますから、これ「勘亭流」か?「燗電池」、「乾電池」でお燗つけ

やつって、ありましたっけ?「性反対」「署対面」「浄化町」「力一敗」等々、考え

がら読むと面白いですよ。18頁ありますから、どこで変わっていくか、熟読を。


現代、本を読むと、面白いものの、力強さと言うか、骨があるというか、そのよう

な本が、少なくなったような気がします。小説のあり方を考えさせられる本でし

た。後は、お読みください。


さて、最後に「附・ウクライナ幻想」という随筆があります。小学二年の時読んで、

「イリヤ・ムウロメツ」という、ロシアの英雄叙事詩ヴィリーナに謳われる英雄だそ

ですが、作家になって自分で書こうと思ったそうです・・・もう一度一番上の右

本を見てください。


作者はもちろん、筒井康隆氏、で、絵が何と手塚治虫さん。手塚さんもイリヤの

ファンで、挿絵を頼んだそうです。手塚さんは、挿絵を書くのに三年ばかりかか

ったそうですが、初版だけで絶版になり、近々出版芸術社から、挿絵も含め復刊

されるそうです。


実は、この「イリヤ・ムウロメツ」の題を見て、どこかで聞いたなと思って、本箱を

ひっくり返してみると、ありました。


時効になりますから、白状しますが、この本40年ほど前、図書館で借りた本で、

返却の催促もなかったので、忘れていました。多分、除籍処分(図書館からの

抹殺)ですね。なお、図書館の本である事の証拠は消しました。ホントに悪い子。

昔からですが・・・・40年間眠らせておいたので、お酒でいえばヴィンテージもの

です。今から楽しんで読んでみます。


なお、「イリヤ・ムウロメツ」の本、Amazonの中古本で、一円から(これは、冗談で

はありません)から、5,418円まで、数十冊あります。筒井さんと手塚さんのコラ

ボの本は、これしかないみたいなので、ファンの方はご購入を。



 

2015年5月 5日 (火)

2015 「第14回子どものためのコンサート 音楽世界一周旅行」~雲仙市国見町文化会館

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子ども達と、大人の音楽会。ネクタイも、スーツも着けないで、気楽に聞ける、

世界音楽巡りのコンサートです。


会場を替えながら、2002年から始め、今年で14年目を迎えたそうです。今年

は、雲仙市国見町の文化会館で開催。たしか、国見で開催したのが2回目だっ

たかな?以前、孫を連れて来て、受付で住所を書いたので、開催のお知らをい

ただき気軽に出かけて見ました。


沖縄の三線(さんしん)入り、地方によっては、蛇三線(じゃみせん)とも言うようで

すが、表はニシキヘビの皮だそうですが、養殖物だそうです。


曲は「てんさぐぬはな」。「てんさぐぬ花やちみさきにそみて・・・」って歌ですが、

知りませんか?沖縄の方全部知ってますよ。昔、私の彼女が沖縄出身で、習い

ましたから、私、知っています  30年前の話ですが・・・ 

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イタリアの「はさみとぎ」。ジェスチャー付き。

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大人の方も、ドイツの「ローレライ」、マンドリン演奏。もう一曲は、えらく頑張っ

て、アルゼンチンはピアソラの「リベルタンゴ」。これ、めちゃ難しい曲ですよ。

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イギリスからは、スコットランドの、「ほたるのひかり」。ティンホイッスルとアイリッ

シュハープ、素朴な音で、良いですね。

アイルランドの「つぎはぎズボンのポルカ」。アイリッシュダンス付き。

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親子で、「ラバンバ」、子供のチャランゴも、どうして、立派な演奏でした。

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ハワイのフラダンス。大人もいいけど、子供のフラダンスも、かわゆいですね。

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今日は、こどもの日とあって、「こいのぼり」を・・・

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「屋根より高い鯉のぼり・・・」ですが、思わず「人より(値段が)高い鯉のぼり・・・」

と歌ってしまいました。


他に、中国の「たいこぶね」、アメリカの「おおきなふるどけい」、日本の「ふるさ

と」、「せかいじゅうのこどもたちが」。


お~、はやり鯉のぼりには、青空が似合いますね。

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といっても、年々、鯉のぼりの数が少なくなっているのが、感じられます。はやり

少子化の時代でしょうか。


今日は、肩の凝らないコンサートでした。たまには、良いですね。子ども達も一生

懸命演奏して。「はなまる」のコンサートでした。







2015年5月 4日 (月)

2015 「雲仙 モーモーフェスタ」~雲仙市瑞穂町

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すごい巨乳。4つあるのが気になりますが・・・今日は、瑞穂町で「モーモーフェス

タ」があり、朝から少しパラパラと雨。「雨天決行」と書いてあったので、行って見

たら、雨があがり始めたのか、意外と沢山のお客さん。

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下の写真は、乳しぼりコーナー。小さな子供も、良い手つきで、乳しぼり。私も、

お乳に触りたかったのですが、近年、何かやると、「セクハラ」になるので我慢し

ました。

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島原農業高校の生徒も参加していて、ミニ牧場。

月から連れてきた「月ウサギ」。ミニチュアホース。神経質で優しいそうです。ツツ

ジ、ワラビは与えないように。

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ヤギの「チャチャ(♂)」、サツマイモ、ツツジは与えないように、性格はガンコ、ど

こかの誰かみたい。ひつじさん、暑くないのかな?

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犬のレン、元狩猟犬で、やんちゃで、さみしがり屋、狩猟犬にしては、ウチの近く

の犬と違って、おとなしくて、これなら良いですね。

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ほか、バター作りの体験もあって、入れ物に、生クリームを入れて、

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カチャカチャと5~10分間、バテーテンダーをやっていた私も疲れました。だいた

、5分も、10分もシェークするカクテルなんて、ありませんよね。

これ、家でもやると面白いですよ、子供さん喜んでやります。あとは、塩で味付け

を、そのままでは、味はしません。

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あと、地元のお店屋さん、団体、機関の出店屋さんも多く、賑わっていましたが、

私も、少々お買い物を。

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ネパール地震の募金運動、もちろん私も。どういうわけか、骨密度の検査。

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いつもは動いていない水車も、今日は動いていました。中の方は、興味半分に

触られると危ないのか、動いてはいませんでしたが・・・・

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ここは、渓流公園になっており、夏場は子供を連れて、川遊びに、もってこいで

しょう。

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子牛の体重あての、「子牛」です。ピッタリ賞は、この子牛だそうですが、育てる

の大変でしょう・・・てなことはありませんが・・・

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ほかに、もちまき、ニジマスのつかみどりもありましたが、他に用事があったの

で、帰りましたが、パワースッポット、岩戸神社での瑞宝(ずいほう)太鼓の演奏。

これは、聞きたかった。あの場所での太鼓の演奏は、素晴らしいものだろうだと

思いながら、会場を後にしましたが、お客さんがドンドン来ていました。


関係者の方は大変でしょうが、来年もまた、期待しています。





2015年5月 2日 (土)

「釜蓋城」(雲仙市千々石町)の曲輪・空堀~その二(おしまい)

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昨日の続きになりますが、西側から見た写真で、矢印が釜蓋城の上部を切り取

って、グラウンドにした部分。楕円の所に墓所があり、山側に登って、墓の終わっ

所に、九州大学の島原火山観測所千々石観測点があります。現在、使われて

るかどうかは分かりませんが。


墓があるので、誰でもここらあたりまではくるのですが、ここから左右に入れるよ

うになっており、

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左の方、入って見ると、こんな感じで、自然にできたものではなく、人の手で作ら

れた事が分かります。


最初は、なにかの工事か、畑にするために掘ったのかなと思ったのですが、見て

分かるとおり、こんな所に建物、畑を作るわけもなく。

まして、これだけ掘った後の、土の処分だけでも、大変ですよ。第一ここまでは、

重機、トラックが入る道はありません。

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今度は、右に入ると、左に曲がるようになりますが、左右は崖、急な傾斜になっ

て、登れません。ただ、見た感じは、かなり土が崩れ落ちているような。

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ここが行き止まりになります。少し広めですが、まったくの袋小路で、攻めて入り

込んだら、上から石を落とすなり、矢で射るなり、自由です。

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さて、別の林の中に入ると、小さいながらも、同じような構造物。

Photo_12

なお、石垣も残っていましたが、昔のものか、畑の石垣か?ここらあたり、第2次

大戦の前後に畑を作っていたかどうか、少し聞き込みをしないと分かりません

が・・

Photo_14 Photo_15

参考に、瑞穂町(雲仙市)杉峰城の空堀です。見事なものですが、ここも、カーブ

をして入り組んでいます。いずれ、この杉峰城については、書いてみるつもりで

すが。

Photo_16

釜蓋城のものは、空堀と言うかどうか、専門家でないのでは分かりませんが、

「堅掘」というのがあって、山の斜面に、等高線に垂直に設けた掘りで、敵が横に

移動することを阻止したものだそうで、釜蓋城の掘りは、等高線に垂直に掘った

ものでした。


なお、この空堀のことは地元の人は、興味がないのか、全然知りませんでした。

あちらこちら、山城を見て歩きましたが、荒れ放題か、グラウンド、公園等に姿

を変え、昔の面影が薄れつつあります。少し勉強して、知識をもって調べれば面

白いのですが・・・・調査、保存の必要を感じます。


なお、これから先は、蛇が出てきますので、注意をして、
私みたいに、一人では

行かないこと。猪も出ます。猿もいます(人家付近にも出没しています)。美女は

出てきませんが・・・・また冬に調べに行くつもりでいます。



2015年5月 1日 (金)

「釜蓋城」(雲仙市千々石町)の曲輪・空堀~その一

Photo

以前にも紹介しましたが「釡蓋城」を横から見たところです。矢印の所に、展望所

があります。


釜蓋城を裏から見たところです。正面はご覧の通り、グランドになっています。何

回も書きましたが、この城については、調査、古図等、一切ありません。

聞いたところでは、グラウンドになる前は、武者走りなども残っていたとか。

Photo_6 Photo_7

天守閣ではなく、展望台で、当時はこんな物はなく、単なる山城です。表から見

たところと、裏から見たところです。

Photo_3 Photo_4

某日、専門家のお二人を交え、町内史跡の見学に行ったところ、展望所の表は

工事をしてあるが、裏は工事をしていないとかで、裏に回っていると、


「あれ、これ曲輪でない?」

もう一人の城郭を研究している方も

「そうですね」


曲輪といっても、近世の城郭に見られるような、立派なものではないのですが、

素人目には分かりません。

Photo_9

2_6

確かに、山の斜面が削られて平になっています。ここは、いつも見ていたので

が、戦争前後の食糧難で、山上まで畑を耕したところがあり、植林をした所な

で、その時に平にしたかと思ったら、やはり曲輪らしく、図面を描いていました。

専門家の見る目は、違いますね。


後日、確かめたところ、ずっと続いているんですね。ぐるりと山を回っていたみた

いですが、多分グラウンドの所で切れているでしょう。


最近暖かくなってきたので、そろそろ蛇さんが出てくる頃なので、ここは、また、今

年の冬にでも調べに来ることに。

 5 3_2

なお、この釜蓋城、以外と要所だったらしく、ルイス・フロイスの「日本史」にも出

てきます。「千々石(ちぢわ)城」と書いてありますが、「釜蓋城」のことです。


「同城(注・千々石城)の初代の指揮官で城主だったのは、(千々石)ドン・ミゲル

の父親で、そのドン・ミゲルは巡察師アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノがヨーロッ

パに派遣しようと連れていった四人の少年の一人である。(龍造寺)隆信はその

千々石城を有馬殿の弟ドン・エステワンから奪取していたのである。・・・・けだ

し、同城は、ドン・プロタジオ(注:有馬鎮貴)の髙来領における、二つの鍵ともい

うべき城の一つをなすものであった。」


「すでに、(龍造寺)隆信の命令で、多数の兵が千々石城に集結しており、他の

防衛権力が弱い地方や町村が襲撃されるであろうとの噂があったことである。」

要するに、龍造寺に乗っ取られた千々石城が、攻撃の拠点で、それだけ重要だ

った事が分かります。


「ドン・プロタジオが(龍造寺)隆信のために、いかに追い詰められた窮地に立た

されていたかを理解するためには、有馬殿には小浜(オバマ)という城しか残さ

れていなかったという事実を知らなければならない。それは隆信が高来の支配

者となるために押さえていた高来の二つの高来への入口の一つである千々

城に向き合ったところにあって、貧弱、かつ防御設備がほとんどない城であ

る。・・・・・」


という事で、この小さな山にあった「釜蓋城」は、意外と重要な城だったという事

が分かると思います。


次回は、私が見つけた、空堀(堅堀?)の事などを・・・・多分・・・



(参考・引用:「完訳フロイス日本史~松田毅一・川崎桃太訳(中公文庫)」)




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