古文書研究会ニ入門之事
南串山町(現雲仙市)の馬場庄屋に残る古文書のことは、以前にもご紹介しまし
た。
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この、馬場庄屋の読み下し、解釈をしているのが、古文書研究会の方で、少しは
読めれば面白いだろうなと・・・
この、古文書研究会の一人が、私の近所におられるT先生で、時々、立ち話で、
冗談半分(本気半分)で、入会しようかな、といったら、さっそく上の様な古文書の
コピーが、どっさりと。
私、これを材料に研究していくかと思うと、皆さん、ベラベラ読んでいくんですね。
読んでんでいる所を、必死で書いていっても、追いつきません。
ところどころ、分かる所はあるんですが・・・・
一行目は、「伊勢海老」、二行目は「酒壱斗」ですね。確か。
ここで気づいたのが、わたしたちは、「一,二,三、二十」と書きますが、昔は、
「壱、弐、参、廿」です。ここらあたり、頭の切り替えが必要ですね。
さて、話変わって、私たちは昔の人は、文字がロクに読めなかったと思いがちで
すが、
左の本には、「江戸時代の民衆の多くは、寺子屋のおかげで読み書きができ
た?」。かいつまんで書くと。
江戸時代は、武士の師弟が学ぶ、幕府の学問所、各藩の藩校と、民間の私塾
の寺子屋があって、庶民の識字率を上げたのが寺子屋で、将軍吉宗の時は、江
戸だけでも800もあったそうです。
「農村などでも、骨身を削るようにしながらも、六~七歳になった子供を寺子屋に
通わせる家は少なくなかった。」そうです。
なお、これは、商品経済の発展で、勘定、見積書作成などの能力が求められ、
農業にも農業書を読む必要性があり、また、農村の子供が商家に奉公する機会
も多く、手代、番頭に昇格するためには「読み・書き・算盤」の基礎学力が必要だ
ったという事だそうです。
右の本には、寺子屋では、入門料や師匠への謝儀は、一応の決まりはあるもの
の、「銭で納めるとは限らず、農村部では農作物が多かったようです。同じ寺子
屋に通っていても、謝儀を月々納めている家もあれば、収穫期に渡す家、たまに
しか渡せない家・・と納入額も納入期も様々でした。このため、かなり経済的に苦
しい層からの就学も可能で・・・」とあります。
私たちの常識、もう一度考え直す必要がありそうですネ。
さて、話、元に戻って、研究会の時、皆さんベラベラ読んでいきましたが、これ
は、順番に読んでいるみたいで、そのうち、あなたにも読んでいただきます。と言
われ、これには、ガ~ン。
まあ、チンタラ、古文書入門の本を読みより、これくらい鍛えらなければ、上手に
なれないでしょう。という事で、必死に勉強しなければならないので、一年間くら
いは、時々、ブログの手抜き、ずる休みをします。
とにかく、江戸時代のガキに読み書きできたものが、私に出来ないはずは無い。
という事で、がんばってみます。
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コメント
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こんばんわ。 中々面白そうですね。 でもやはり大変そうです。
漢文だけのもあるのですが、それも読みにくく、道の端にある道しるべも変体かな文字で書いてあるし。
でも最後の「江戸時代のが、、子供たちに読み書きできたのが、自分にできない訳ない」
この気持ち好きです。 頑張ってください。
投稿: れもん香 | 2015年4月14日 (火) 17時25分
こんばんは
道しるべ等、石碑については、少しばかり読めるようになりました。
まあ、日本語だから、なんとかなるだろう、とは思っていますが、難しいですね。専門家でさえ、読み方の違いがあるそうです。
でも、できるだけ頑張るつもりではあります。
ご声援、ありがとうございました。
投稿: sugikan | 2015年4月14日 (火) 23時31分