「稲荷鬼塚古墳」★え!ここが!~雲仙市愛野町
3年ほど前でしたか、愛野町の古墳の事を書きましたが、→こちらをクリック
その折、「稲荷鬼塚古墳」の場所が分からなかったのですが、やっと分かりまし
た。
実は、ここ、いつも通っていたのですが、お稲荷さんの赤い鳥居があるので、お
稲荷さんかと、てっきり思っていたのですが・・・・
愛野町から島原に至る、グリーンロードの、愛野側です。
某日、通りかかると登り旗が立っていたので、なにかあるのかなと思って行って
みると、
横から見たところ。正面には階段があり、上がると、一番上の写真。
なんか変。と思って良く見ると
下までコンクリートで固められていましたが、どうにも、石室ぽっい。
ひょっとしたら、ここがと思って、郷土誌を見ても、名前はあれど写真は無し。
という事で、郷土研究家のO氏に聞いて見たら、やはり、ここが「稲荷鬼塚古墳」
でした。
古墳というと、TV等で大きな立派な古墳が紹介されますが、こちらは、あまり大
きな古墳はなく、このような規模の古墳が点在しています。
この付近の古墳は、見晴らしが良く、海からもよく見えるところに造ってあり、海
人集団の首長のものではないかと推察されています。
愛野町郷土誌によれば、「海人集団の首長墓ならば、船上の人間に『あれは我
らの先の首長の墓だ。我らの船の安全を見守ってくれる。』とか、入津あるいは
通過する他の海人たちに、『あれがこのあたりの首長墓だ』と印象付けなければ
意味がないのである。」と書いてあります。
ところが、この古墳は、緩斜面の中の丘の先端を利用して造られた小円墳で、海
の方からは見えません。
と言って、この地は耕作には向いていません。郷土誌によると、「この古墳が群
集墳の小円墳程度であることから、一応小農耕集団が存在したということにして
おこう。」と書いてあります。「ということにしておこう。」です。
なお、横穴式古墳ですが、むき出しになっていますが、昔は、もっと土が盛り上
がっていたそうで、その上で遊んでいたそうですが、雨等で土が流れ、今のよう
になったそうです。なお、正式の調査もなされてなく、遺物も残っておらず、多分
盗掘されたのでしょう。
「ということにしておこう。」の古墳ですが、遠い昔、ここにも、人間の足跡が残っ
ていることを考えると、感慨深いものでした。まったく、こんな所にあるとは思いま
せんでした。
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