« 「本能寺の変の変」~黒鉄ヒロシ著 | トップページ | 「七十二侯」について~枻(えい)出版社刊 »

2015年4月 2日 (木)

「稲荷鬼塚古墳」★え!ここが!~雲仙市愛野町

Photo

3年ほど前でしたか、愛野町の古墳の事を書きましたが、→こちらをクリック

その折、「稲荷鬼塚古墳」の場所が分からなかったのですが、やっと分かりまし

た。


実は、ここ、いつも通っていたのですが、お稲荷さんの赤い鳥居があるので、お

稲荷さんかと、てっきり思っていたのですが・・・・

愛野町から島原に至る、グリーンロードの、愛野側です。


某日、通りかかると登り旗が立っていたので、なにかあるのかなと思って行って

みると、

Photo_2 Photo_3

横から見たところ。正面には階段があり、上がると、一番上の写真。

Photo_5 Photo_6

なんか変。と思って良く見ると

Photo_8

下までコンクリートで固められていましたが、どうにも、石室ぽっい。

Photo_14 2

ひょっとしたら、ここがと思って、郷土誌を見ても、名前はあれど写真は無し。

という事で、郷土研究家のO氏に聞いて見たら、やはり、ここが「稲荷鬼塚古墳」

でした。


古墳というと、TV等で大きな立派な古墳が紹介されますが、こちらは、あまり大

きな古墳はなく、このような規模の古墳が点在しています。


この付近の古墳は、見晴らしが良く、海からもよく見えるところに造ってあり、海

人集団の首長のものではないかと推察されています。


愛野町郷土誌によれば、「海人集団の首長墓ならば、船上の人間に『あれは我

らの先の首長の墓だ。我らの船の安全を見守ってくれる。』とか、入津あるいは

通過する他の海人たちに、『あれがこのあたりの首長墓だ』と印象付けなければ

意味がないのである。」と書いてあります。


ところが、この古墳は、緩斜面の中の丘の先端を利用して造られた小円墳で、海

の方からは見えません。


と言って、この地は耕作には向いていません。郷土誌によると、「この古墳が群

集墳の小円墳程度であることから、一応小農耕集団が存在したということにして

こう。」と書いてあります。「ということにしておこう。」です。


なお、横穴式古墳ですが、むき出しになっていますが、昔は、もっと土が盛り上

がっていたそうで、その上で遊んでいたそうですが、雨等で土が流れ、今のよう

なったそうです。なお、正式の調査もなされてなく、遺物も残っておらず、多分

掘されたのでしょう。


「ということにしておこう。」の古墳ですが、遠い昔、ここにも、人間の足跡が残っ

ていることを考えると、感慨深いものでした。まったく、こんな所にあるとは思いま

せんでした。




« 「本能寺の変の変」~黒鉄ヒロシ著 | トップページ | 「七十二侯」について~枻(えい)出版社刊 »

史跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577450/61378481

この記事へのトラックバック一覧です: 「稲荷鬼塚古墳」★え!ここが!~雲仙市愛野町:

« 「本能寺の変の変」~黒鉄ヒロシ著 | トップページ | 「七十二侯」について~枻(えい)出版社刊 »

フォト
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ