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2015年4月30日 (木)

「今のピアノでショパンは弾けない」~高木裕著

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世の奥様方は、女の子が生まれると、どうしてピアノを習わせたがるんでしょう?


どの家をみてもそうですが、中学生か高校生になると、習うのを止めて、ピアノが

物置台になっています。  


ウチのカミサンも全く同様で、私が、電子ピアノ(昔はそういっていました)の安い

のを買って、本気でやるようなら、スタインウェイのグランドピアノなら、1,000万円

くらいであるから、それを買ってやれば、といったのですが、分かりもしないの

に、「本物のピアノとタッチが違うから」(ここらは、楽器屋さんの入れ知恵みた

い)とか「わたしも弾きたいから」と、家庭用のアップライトのピアノを購入。


で、一回、
弾くというより、触って見たら、無理を悟ったのか、一回で止めました

が・・・・今は、予言通り、物置台になっています。娘も中学校で習うのを止めまし

た。


ピアノは簡単に分ければ、家庭用のアップライトピアノと、テレビで見るような

型のグランドピアノがあります。くれぐれも一般家庭では、グランドピアノは買

わないように。ピアノの下に寝ることになります。


ピアノの構造をあまり知らない方のために。写真は、アップライトのピアノ。

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簡単に説明すれば、左の写真、白いところがハンマーですが、この一つのハンマ

ーに3本の弦が張ってあって(低音は1~2本)、鍵盤を押さえると、右のうに3

本の弦を、ハンマーが叩いて音が出ます。その他、鍵盤、ダンバー等々から成り

立っているのですが・・・これは略。

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三本の弦はこのように、チューニングピンでとめられています。


この、チューニング(他の部分も含めて、ピアノ全体)をするのが、調律師さんで、

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この本書いた、高木氏は調律師です。


前書きを読むと、ピアノといえば、古くからあった楽器だと思いがちですが、「私

の曾祖父が生まれた1843年頃は、もうショパンやシューマンが活躍していたロ

マン派といわれた時代で、フォルテピアノといって、今のピアノとはまるで違う楽

でした。こうして見ると、今のピアノは『最近』完成されてということがわかりま

ね。それなのにベートーヴェンや、ショパンの時代の曲を全く違う現代のピアノ

もっともらしく弾いているわけです。・・・ショパンはどんどん進化していくピアノ

あまり好きではありませんでしたから、今のピアノで弾かれたら嘆いたでしょう

ね。おまけに、ピッチも半音の半分位低かったので、彼らにとっては別の曲みた

いに聞こえるはず。・・・・」だということだそうです。


本には、コンサートの調律師の苦労も書いてあり、ピアニストに、

「いよいよ明日からはドビッシーの録音ですが、ピアノの音色はどうしましょう?」

「このブリリアントなショパンの音色のピアノに、薄い布を被せたような音色にして

頂戴!」と言われたそうですが、どうやって調律するんでしょう?


「実は調律師はそのピアニストとピアノに挟まれて、与えられたわずかな時間と

重責の中で誰もいないステージで孤独な格闘をやっているのです。その重責に

耐えられなくなり、ストレスを抱えて精神を病んでコンサートステージから去って

いった調律師も何人かいます。」という厳しい世界です。


あと、ピアノの歴史、コンクールのこと、ホールに備え付けのピアノのこと、現代

のピアノ(スタインウェイ)の事など書いてあります。


特に、ホロヴィッツが愛用
た、スタインウェイCD75と、来日した折り、キャピタ

ル東急ホテルのレストラ「欅グリル」にあった、ローズウッドのピアノが気にいった

らしく、2時間くらい弾いていた事があるそうですが、筆者がこの2台のピアノを入

手した経過も書いてあります。

Img_20150430_0002

このCD75を使ったCDが出ていたので、一日あれやこれやと、現代の若い演奏

家のピアノと比べてみると、チト違うなと、素人の私にも分かる音でした。


上の本、ピアノ音楽好きな方は、調律師という裏方さんの仕事が分かって、コン

サートに行くと、聴き方が違ってくると思います。少しスタインウェイ贔屓の本です

が・・・

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コメント

こんにちは。

その時代の楽器が現在の楽器と比べてどうだったかという研究はかなり古くからあって、その時代の楽器を使った演奏というのも1970年代くらいからかなり長く続けられていますね。ベートーヴェンの時代のハンマークラヴィーアを使ったピアノ・ソナタ全集なども既に何種類か出ています。

ただ、それはそれで価値があるのですが、得てしてこういう主張で見落とされがちなのは、それぞれの時代で楽器は次に向けて開発が続けられていたし、また作曲者の側もそれを望んでいたという事実もあるという点ですね。その点で、この本の主張は理解はできるけれども、当時の楽器でなければという部分が強調され過ぎるのもどうかとも思います。

コメントありがとうございます。

古楽器の演奏は、一時ブームだったことを覚えています。私も、古楽器によるレコードも数枚持っています。

声楽においても、ベルカウント唱法から、やはり、その民族の発声による歌唱法が良いのではないか、という動きもあった覚えがあります。

ハンマークラビアの音も、聞いたことがありますが、やはり音量が小さく、昔のサロン音楽に適する楽器だったような気がします。現代の大ホールで、どれくらい聞けるか、特に協奏曲の場合は、と思います。

新しい楽器については、サクソフォーン、オンド・マルトノ、テルミン、シンセザイサー等々ありますが、あとは作曲家が、どれだけ使いこなしきれるかでしょう。私の好きな、グラスなどもシンセザイナーを使い、気にいっているのですが・・・

現代の音楽会について言えば、サロン音楽であったものが、大ホールの出現によって、音楽業界が肥大化し、少し有名になると○万円の入場料。また、評判だけで音楽会に行く聴衆。最後の音符が休止符で、フェルマーターが付いているところ、この部分まだ音楽なのですが、ここの所で「ブラボー」と叫ぶ輩。
下手な演奏にも、アンコールを要求する観客。

このような、音楽会に、音楽がどういうものであるのか、原点を見つめ直すのに、その時代のスタイルでの演奏は有意義だと思うのですが・・・

なお、この著者、オールドスタインウェイに傾倒し過ぎかなと思う面もありますが、私は原則として、オールドであろうが、ニューであろうが、良い演奏ならそれで良いという立場です。

考えれば、グレングールドの最後の、ゴールドベルク変奏曲、あのピアノは、愛機CD318が事故で壊れたため、ヤマハで弾いたいうことは、有名な事実ですが、感動しました。

また、ご存じの通り、リヒテルも1969年からヤマハを使っており、「なぜ私がヤマハを選んだか、それはヤマハがパッシブな楽器だからだ。私の考えるとおりの音をだしてくれる。・・」(「たとえ世界が不条理だったとしても」~吉田秀和著)

ということで、この本については、ピアノ、特にスタインウェイについては考えさせられるものでした。

音楽についていえば、批評家等の言葉を信頼するより、自分の耳を信じる方が良いようですね。

少し(だいぶん)長くなりましたが、申し訳ありませんでした。音楽をやっていたので、音楽の話になると、興奮する癖があるので・・・


sugikanさんは音楽家なのですか?

音楽をやっていたとは、何か楽器をなさっていたのですか?

もしかして学校の音楽の先生

今晩は。
残念ながら、アマチュアでやっていました 

専門はクラリネットで、他に、トロンボーン、フルート、サクソフォーンも、掛け持ちで、学校、他の高校、長崎大学等々にも練習に行き、長崎市で初めてできた吹奏楽団に入り、○察音楽隊からも話があったのですが・・・

ギターも6年ばかり、プロの所に習いに行きましたが、弦楽器とは相性が悪かったのか、これはものになりませんでした。

いまは、チンタラと、ウクレレなどを奏でている程度です。

音楽で飯を食えないか、かなり練習はしたのですが、おかげで一浪しましたが、音楽とは関係のない学校に入りました。はやり才能の問題ですね 

こんにちは。

力いっぱいお返事をいただきましてありがとうございます。
最近ではベルリン・フィルでもバロック物をやる時に弦楽器がバロックボウに持ち替えたりするくらい、過去の奏法に対する理解が進みましたし、現代の楽器で演奏する場合にも古楽器奏法で培われたものが大分フィードバックされて、「昔はどうだったのか」という時期から「古楽演奏の経験をどう演奏家の表現に活かすか」という時期に変わっていると思います。その点では表現の選択肢が拡がったということになるのでしょう。その拡がった選択肢の中からどれが求める表現にふさわしいかが、今の奏者の課題になってきているのではないかと感じています。

今日は。

まったくその通りだと思います。
技巧に走りすぎた時代もありましたが、温故知新ではありませんが、新しい表現、解釈で、我々を感動させる演奏を期待したいと思います。

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