「神父像・キリシタン遺物」(隠れキリシタン石造)の真偽~雲仙市千々石町
橘神社裏の釜蓋城跡をグラウンドにして、展望所が一段高い所に作ってありま
すが、そこに、千々石ミゲル顕彰碑と、上の写真の建物があり、2体の石造物が
納められています。
左側が、平成9年に千々石町文化財に指定された「隠れキリシタン石造四体」の
うちの一体、「神父像(キリシタン遺物)」。
この二体の石物は、グラウンドにするため、ここに移設らしいのですが
この石造物、どこにあったのか、調べて見たら、どうにもよく分からなかったので
すが、ひょんな事から、2,3人に話を聞くことはできはしたのですが・・・
左側が「神父像」です。二人の方が、大きな木の下の空洞の中、もう一人が二つ
の岩の間にあった、という事で、「千々石史談 第二号」に「『釜蓋城の神父像』
は、元々釜蓋城址の東側斜面に祀られていたが、公園化に伴い現在位置に移
された、・・・」とあります。どこにあったかは、正確には分かりませんでした。
「吾妻さま」と呼ばれていたそうですが、東側と言えば、雲仙の吾妻岳に神社(無
人)があり、そこに登れない方が、代わりにここで、拝んでいたのでしょう。
この石造が神父像だという根拠として、頭にケパ帽でマントを着て、手にはバラ
を持って、靴を履いているとあります。
バラの花を持っているといっても、ハッキリ、バラなのかどうか?
足には靴。西欧には尖った靴がありますから。たまたま石造物の辞典を見てい
ると、「返花座」に何となくにているなと。ただ、数が少ないような・・・
(「日本石造美術事典~川勝政太郎著」より)
さて、某日、石造物専門のO先生と、某団体で町内の遺跡等を巡る機会があり、
この石造物について聞くと、あちらこちらにある、お地蔵さんだとか。隠れキリシ
タンとは関係無いということです。
ケパ帽は良り分かりませんが、ネットで調べると、頭髪の線が描いてあるものも
あり、手に持っているバラ。お地蔵さんは、手に錫杖、香炉、数珠等持っているも
のがあり、一番近いのが「幢幡(とうはん)」というところかな?
参考にこちらを→クッリクしてください
なお、「返花座」については、ビンゴでした。
さて、もう一つ、上の写真の右の石造、これがどこにあったか、全く分かりませ
ん。
このグラウンドの下に、天満宮があり、といっても無人の神社で、現在は拝殿、
本殿が作られていますが、「昔は、大きな石があって、そこに石祠があると、婆さ
んから聞いた」とか、グラウンドができる前、上の方に大きな石があって、「愛宕さ
ん」という石祠があって、何があったかは、よく分からん、という話でしたが。
考えてみると、このグラウンドができたのが平成6年で、まだ、20年程しかたって
ないのですが、人間の記憶のあてにならないこと。
今のうちに、分かることは調べておかないと、と思っているのですが、こちらも、
歳が歳だし・・・
グラウンドを造る時、ろくに調査もしてなく、聞くところによれば、城の石垣もあっ
たとか。
千々石の人は、文化財にはあまり興味がないのか、温泉神社の事を、「昔、温泉
があったんじゃない?」と言う人もいて・・・悲しい限りです。
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