「男はつらいよ TV版 第26回(最終回)」のこと その二
このTV版の「男はつらいよ」は、昭和43年10月3日から、木曜日の午後10時
より放映されています。昭和43年10月というと、メキシコオリンピックの開催、
川端康成のノーベル賞受賞、大学紛争。6月には故ケネディ大統領の弟の暗殺
等々、いろんな事があった年です。
さて、恩師の散歩先生は亡くなり、その娘、冬子にも恋人がいることが分かり、
落ち込んでいる寅次郎。先生の墓にお参りし、「つらいもんだね男って」なんて、
言いますが、墓の前で寅次郎のセリフ、まだ長いのですが・・・・
渥美清というと、「男はつらいよ」の印象が強く、喜劇役者だと見られがちです
が、この場面見たら、ひょっとしたら、渥美清、性格俳優ではないかと、思われる
場面です。
寅次郎は、旅に出る前に冬子の家に寄りますが、散歩先生が亡くなってからは、
家に入らず、縁側でしか話をしません。寅次郎の律儀さ、純情さでしょう。
さて、おいちゃんは「とらや」を閉め、喫茶店になりますが、舎弟の登はそこで、
働いて、おいちゃんと、おばちゃんはアパート暮らしでテレビばかりを見る毎日。
さくら(このとき妊娠しています)の所に、おばちゃんが遊びに来て、寅さんの噂を
しているときに、源公(寅次郎の異父兄弟かも知れない)が薄汚れて、訪ねてきま
す。
寅次郎は、金儲けのため、「ハブ」が金になると、奄美大島へ。ところが、逆にハ
ブに噛まれて亡くなってしまいます。
寅次郎が死んだことについて、山田監督は次の様にかいています。
「やはり寅さんのような人間は現代日本の苛酷な管理社会にはとうてい住めは
しないということを、視聴者にメッセージと送りたかったからです。」
ところが、さくらは泣くと思いしや、お兄ちゃんは生きて、帰ってくると言いきります
が、その夜、生まれてくる子供への、約束の贈り物だといって、さくらの所へ、寅
次郎の霊が現れます。
さくらは、追いかけますが、消えてしまい、さくらも寅次郎が死んだことを納得しま
す。最後のシーンです。
当時のTVの美術スタッフの座談ですが、小物について語っています。
映画とは少し違って、「男はつらいよ・寅さん読本」は、ほとんど映画について
書いていますが・・・比べると
お守りは、TVでは最初は、成田山のお守りを使っていたそうです。映画では、も
ちろん、柴又帝釈天。
背広はほぼ一緒で、当時は、背広といえば、男物は紺色ばかりで、婦人物を捜
して、作った物。
帽子はTVでは、特別製で、顔がよく写るようにツバを少し短めに。映画では、第
1作は「東京ハット」というメーカーの市販のもの。
腹巻きは、TVでは既製品では似合わないということで、手編み。本では、「TV
シリーズでは最初から愛用していますが、特にこだわりはなく市販の普及品を使
っています。」となっていますが、TVの美術さんが、「手編み」と言っていますか
ら、TV版は間違いなく、手編みでしょう。
なお、寅さんの衣裳、小道具は、番組終了の打ち上げの時、景品にしたそうです
が、後日、松竹映画から、貸してくれないか、などと来たそうです。
さて、渥美清さんの墓、古くからの親友、関敬六さんと、谷幹一さんが訪れてい
ますが、墓は、「田所家之墓」で、「渥美清之墓」でも、「車寅次郎之墓」でもあり
ません。
墓の右側に、戒名が書いてありますが、一番左が、渥美清さんのです。これも、
良く見ると、ほかの方のように、戒名もなく「故田所康夫 平成八年八月四日没
享年六十八歳」と、ただ一行のみです。多分、本人の希望だったのでしょう・・・・
関敬六さんが「渥美清とか、車寅次郎とかないと淋しいような気がするな」と言う
と、谷幹一さんは「田所家の人だから・・・寅さんは、みんなの心の中にいきてま
す」と言っています。
なお、寅さんが死んで終了時に視聴者から、「殴り込みに行くぞ」「なぜ寅を殺し
たんだ」など、電話とか手紙が続いたそうです。
山田監督は、寅さんを死なせたのは、間違っていたのでは、という事で、映画で
復活させるべく、松竹映画に企画を持って行ったそうです。
(参考・引用:「男はつらいよ・寅さん読本」「男はつらいよ・テレビドラマ版」)
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