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2015年3月16日 (月)

推理小説で遊ぶ~「上を見るな~島田一男著」

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某日、公民館の図書室をウロウロしていると、「この本読んだことがあります

か?」「え、ないけど」「千々石が舞台なんですよ。」

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という事で、ぱらっと読んだら「長崎県南高来郡千々石町字虻田なる虻田家

は・・・・・」と「南高来」のふりがなは「みなみたかじ」となっていますが、本当は、

「みなみたかき」です。なお、「千々石」は「せんせんいし」ではなく、「ちぢわ」と読

みます。とまあ、千々石が舞台みたい。


また、「高来」の地名については、「肥前風土記」にも出てくる、由緒ある名前でし

たが、残念ながら、町村合併のため、歴史ある名前が消えてしまいました。ホン

ト行政は馬と鹿ですね。歴史を知らないんでしょう。「高来市」でいいんですよ。


読んでみると、はやり推理小説だけあって、フィクションですが、小説と実際で

は、どうか違うか、比べて見るのも一興かと・・・違いを遊んで見ました。


著者~島田一男

確か、小学校の時かな、NHKで「事件記者」という、人気番組の作者だったと覚

えています。


■内容

内容は、大きな旧家の遺産、跡取りの問題で、殺人事件が絡むもの。小説の筋

については、長くなるので、パス。


■時期

読んで見ると、主人公、南郷次郎弁護士が東京へ郵便局で、電話をかける場面

がありまが。郵便局で、電話を取り扱っていたのは、かなり以前。


なんと・・・
「東京へ電話をかけたいんだがね。」・・・・「この局で、最初の東京電話

ですわ」・・・「光栄ですなぁ・・・・。ところで、時間はどれくらいかかる?」・・・「通話

まで、三時間くらいかかるそうです。」「急報では?」・・・「一時間半くらい、特別至

急通報なら三十分くらいででるそうです。」ということで、電話をかけますが、三通

話の特別至急電話で3,600円ですよ。今なら、携帯ですぐかかるんですが、

ういう時代もあったのです。3,600円ですよ。


さて、主人公が東京から来る時、福岡までは飛行機で来ますが、福岡からは「急

行雲仙号が出たばかりだ。」と書いてありますから、「雲仙号」は、昭和25年~

和53年まで運行ですから、この間の物語。


「長崎で見たいのは丸山の女郎部屋」。
売春防止方の施行は昭和32年、完全

施行が昭和33年。


「・・・”長崎の雨”か・・・どこかで聞いた文句だ」。「長崎の雨」は、藤山一郎の、昭

 和26年、のヒット曲。


ということで、物語としては、昭和26年~昭和33年までの間。


さて、もう少し絞れないかと思ったら、私、バカですね。この本、いつ書かれたか

調べれば済むだけ。


文庫本の発行は、昭和61年。ただし、書かれたのは、昭和31年。「第9回日本

探偵作家クラブ賞(候補)」となってて、私の推理、昭和26年~昭和33年、ま

あ、外れてはいませんね。戦後まもなくの作品だということが分かります。


■舞台

最初の方に、「長崎県南高来郡千々石虻田なる虻田家は、遠く藤原秀郷におこ

り、藤原家九代龍造寺家を創設・・・明治維新までは代々虻田の太夫(たゆう)と

呼ばれていた・・・・」


とありますが、ここらで、古い家系を持つ大きな家といえば、橘中佐を生んだ橘

家。郷土誌によれば、橘家の始祖は和田氏で、吉野朝廷の忠臣で、楠木正成

の血統を継いだ武士で、享禄2年(1529)和田義澄という楠木氏一族の後裔が

畿内から肥前島原の千々石村に来たり住み、橘性を称した、とあります。


左が昔の橘家、右が現在の風景で、町営住宅でした。

Img_20150316_0003 Photo_3

さて、上の文章で「虻田の太夫」と言う言葉がありますが、こちら方面で「太夫」と

いうと、小浜温泉の「湯太夫(本多家)」になります。


ここのところ、「道路から、高く積み上げた石垣の上に、朱塗りの厳めしい扉は大

きく、乳房のような鉄の金具が四つうちこまれ・・・・」

「そう・・・さっきのトンネルは、叔父が作ったのだよ。諫早から虻田ノ津まで、軽便

鉄道を敷くつもりでね・・・・」。諫早から小浜までは、昭和13年まで、「温泉鐵道

(途中、名前の変更有り)」が走っていました。湯太夫もかなりの出資をしたようで

す。石垣と内部ですが、内部の建物は昔とは変わっています。

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この門は、島原城が売却の折、島原城の門(七つあったそうですが、その一つ)

で、古びて分かりませんが、見たところ、多分、朱塗りはフィクションでしょう。右

の写真、「乳房のような鉄の金具が四つうちこまれ」というのは、分かると思いま

す。


この「湯太夫(本多家)」は、島原城主から、温泉場の取り締まりを、命じられてい

ました。なお、本多家は、明治時代、自費で海岸を埋め立て、今の小浜温泉の基

礎を作っています。


島原は佐賀の龍造寺とは犬猿の仲で、「龍造寺家を作った」、とは考えら
れない

でしょう。


橘家と本多家の昔の見取り図です。

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              橘家見取り図

橘家には、裏側に、倉庫(酒倉)もあるみたいで、飲んべえが多かったのかな?         

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             本多家見取り図

本多家には、島原のお殿様も、湯とうじに来ていますから、専用の座敷もあった

うです。


という事で、この小説は、千々石が舞台になっていますが、実際の舞台は小浜だ

ということが分かります。


■地名

作中、「猿丸山」とありますが、「猿」の名がついた山は「猿場山」しかありませ

ん。右の山が「釜山」、千々石少年自然の家があります。


左の連なった山が「猿場山」。裏の方に、(向こうから見ると表ですが)「猿場神

社」があり、正月は賑わいます。

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「六ッ木浜沖猿丸山中腹に亘って、目下海上警備隊砲撃訓練地として接収のあ

り、・・・」とあり、この「・・・猿丸山の中腹魚見平の中腹魚見平の女人堂。」、これ

も残念ながら「女人堂」別のところです。


「・・・昔、男達は雲仙の大乗院まで参詣に行ったが、女はあの堂に籠もってお経

を読んだそうだよ。・・・だから女人堂も立ち腐れる一方だ」。

「大乗院」は多分「一乗院」で、雲仙は昔女人禁制でした。なお、「女人堂」跡形も

なく、名残として、石碑が三つばかりり残っているだけです。


赤丸印が「女人堂跡」。矢印が海ですから、ここまで砲弾が届くには、商店街をこ

え、人家を越え、畑を越えですから、到底無理。まあ、フィクションですから・・・

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■橘中佐銅像

「やがて、小さな銅像の下を走り抜けた。旧式の軍服を着て、双眼鏡を握った軍

人の銅像だ。橘中佐である。」大きな銅像から見れば小さいし、小さい銅像から

れば大きいし・・・・


「─ よくもまァ、アメリカさんからとっ払わわれなかったもんだなァ」

Photo_13 Photo_14

以前橘中佐の銅像については書きましたが、左が現在の銅像。この銅像は、当

初はここでなく、上山というところにありました。


戦中、物資不足で、供出されそうになったのを、町民一同の熱意で免れたそうで

す。戦後、進駐軍から撤収される恐れがあるので、有志(在郷軍人会・青年団だ

そうですが)によって、小学校の、現プール近くに隠されたそうです(林の中とか、

布に包んで砂浜に埋めて隠した等の説がありますが、郷土史家のS氏から聞い

た話です)。


その後、昭和22年橘氏宅に移し、昭和29年に現地に設置し、昭和51年現在の

ようにかさ上げしたそうで、「アメリカさんからとっ払わわれなかったもんだなァ」と

いうような、簡単な話ではないのです。昭和31年の話ですから、まだ、土台が低

い時代の時に見たのでしょう。


まあ、外にもいろいろありますが、ご当地を主題にした小説があったら、読んで

見てください。地名の変更、風土、歴史を、小説家がどうフィクションに仕立て上

げていくか、よく分かります。


本日のブログは、当地を知らない方には、分かりにくかったと思いますが、お許

しを ヾ(_ _*) 。

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