推理小説で遊ぶ~「上を見るな~島田一男著」
某日、公民館の図書室をウロウロしていると、「この本読んだことがあります
か?」「え、ないけど」「千々石が舞台なんですよ。」
という事で、ぱらっと読んだら「長崎県南高来郡千々石町字虻田なる虻田家
は・・・・・」と「南高来」のふりがなは「みなみたかじ」となっていますが、本当は、
「みなみたかき」です。なお、「千々石」は「せんせんいし」ではなく、「ちぢわ」と読
みます。とまあ、千々石が舞台みたい。
また、「高来」の地名については、「肥前風土記」にも出てくる、由緒ある名前でし
たが、残念ながら、町村合併のため、歴史ある名前が消えてしまいました。ホン
ト行政は馬と鹿ですね。歴史を知らないんでしょう。「高来市」でいいんですよ。
読んでみると、はやり推理小説だけあって、フィクションですが、小説と実際で
は、どうか違うか、比べて見るのも一興かと・・・違いを遊んで見ました。
■著者~島田一男
確か、小学校の時かな、NHKで「事件記者」という、人気番組の作者だったと覚
えています。
■内容
内容は、大きな旧家の遺産、跡取りの問題で、殺人事件が絡むもの。小説の筋
については、長くなるので、パス。
■時期
読んで見ると、主人公、南郷次郎弁護士が東京へ郵便局で、電話をかける場面
がありますが。郵便局で、電話を取り扱っていたのは、かなり以前。
なんと・・・「東京へ電話をかけたいんだがね。」・・・・「この局で、最初の東京電話
ですわ」・・・「光栄ですなぁ・・・・。ところで、時間はどれくらいかかる?」・・・「通話
まで、三時間くらいかかるそうです。」「急報では?」・・・「一時間半くらい、特別至
急通報なら三十分くらいででるそうです。」ということで、電話をかけますが、三通
話の特別至急電話で3,600円ですよ。今なら、携帯ですぐかかるんですが、こ
ういう時代もあったのです。3,600円ですよ。
さて、主人公が東京から来る時、福岡までは飛行機で来ますが、福岡からは「急
行雲仙号が出たばかりだ。」と書いてありますから、「雲仙号」は、昭和25年~
昭和53年まで運行ですから、この間の物語。
「長崎で見たいのは丸山の女郎部屋」。売春防止方の施行は昭和32年、完全
施行が昭和33年。
「・・・”長崎の雨”か・・・どこかで聞いた文句だ」。「長崎の雨」は、藤山一郎の、昭
和26年、のヒット曲。
ということで、物語としては、昭和26年~昭和33年までの間。
さて、もう少し絞れないかと思ったら、私、バカですね。この本、いつ書かれたか
調べれば済むだけ。
文庫本の発行は、昭和61年。ただし、書かれたのは、昭和31年。「第9回日本
探偵作家クラブ賞(候補)」となってて、私の推理、昭和26年~昭和33年、ま
あ、外れてはいませんね。戦後まもなくの作品だということが分かります。
■舞台
最初の方に、「長崎県南高来郡千々石虻田なる虻田家は、遠く藤原秀郷におこ
り、藤原家九代龍造寺家を創設・・・明治維新までは代々虻田の太夫(たゆう)と
呼ばれていた・・・・」
とありますが、ここらで、古い家系を持つ大きな家といえば、橘中佐を生んだ橘
家。郷土誌によれば、橘家の始祖は和田氏で、吉野朝廷の忠臣で、楠木正成
の血統を継いだ武士で、享禄2年(1529)和田義澄という楠木氏一族の後裔が
畿内から肥前島原の千々石村に来たり住み、橘性を称した、とあります。
さて、上の文章で「虻田の太夫」と言う言葉がありますが、こちら方面で「太夫」と
いうと、小浜温泉の「湯太夫(本多家)」になります。
ここのところ、「道路から、高く積み上げた石垣の上に、朱塗りの厳めしい扉は大
きく、乳房のような鉄の金具が四つうちこまれ・・・・」
「そう・・・さっきのトンネルは、叔父が作ったのだよ。諫早から虻田ノ津まで、軽便
鉄道を敷くつもりでね・・・・」。諫早から小浜までは、昭和13年まで、「温泉鐵道
(途中、名前の変更有り)」が走っていました。湯太夫もかなりの出資をしたようで
す。石垣と内部ですが、内部の建物は昔とは変わっています。
この門は、島原城が売却の折、島原城の門(七つあったそうですが、その一つ)
で、古びて分かりませんが、見たところ、多分、朱塗りはフィクションでしょう。右
の写真、「乳房のような鉄の金具が四つうちこまれ」というのは、分かると思いま
す。
この「湯太夫(本多家)」は、島原城主から、温泉場の取り締まりを、命じられてい
ました。なお、本多家は、明治時代、自費で海岸を埋め立て、今の小浜温泉の基
礎を作っています。
島原は佐賀の龍造寺とは犬猿の仲で、「龍造寺家を作った」、とは考えられない
でしょう。
橘家と本多家の昔の見取り図です。
橘家見取り図
橘家には、裏側に、倉庫(酒倉)もあるみたいで、飲んべえが多かったのかな?
本多家見取り図
本多家には、島原のお殿様も、湯とうじに来ていますから、専用の座敷もあった
そうです。
という事で、この小説は、千々石が舞台になっていますが、実際の舞台は小浜だ
ということが分かります。
■地名
作中、「猿丸山」とありますが、「猿」の名がついた山は「猿場山」しかありませ
ん。右の山が「釜山」、千々石少年自然の家があります。
左の連なった山が「猿場山」。裏の方に、(向こうから見ると表ですが)「猿場神
社」があり、正月は賑わいます。
「六ッ木浜沖猿丸山中腹に亘って、目下海上警備隊砲撃訓練地として接収のあ
り、・・・」とあり、この「・・・猿丸山の中腹魚見平の中腹魚見平の女人堂。」、これ
も残念ながら「女人堂」別のところです。
「・・・昔、男達は雲仙の大乗院まで参詣に行ったが、女はあの堂に籠もってお経
を読んだそうだよ。・・・だから女人堂も立ち腐れる一方だ」。
「大乗院」は多分「一乗院」で、雲仙は昔女人禁制でした。なお、「女人堂」跡形も
なく、名残として、石碑が三つばかりり残っているだけです。
赤丸印が「女人堂跡」。矢印が海ですから、ここまで砲弾が届くには、商店街をこ
え、人家を越え、畑を越えですから、到底無理。まあ、フィクションですから・・・
■橘中佐銅像
「やがて、小さな銅像の下を走り抜けた。旧式の軍服を着て、双眼鏡を握った軍
人の銅像だ。橘中佐である。」大きな銅像から見れば小さいし、小さい銅像から
みれば大きいし・・・・
「─ よくもまァ、アメリカさんからとっ払わわれなかったもんだなァ」
以前橘中佐の銅像については書きましたが、左が現在の銅像。この銅像は、当
初はここでなく、上山というところにありました。
戦中、物資不足で、供出されそうになったのを、町民一同の熱意で免れたそうで
す。戦後、進駐軍から撤収される恐れがあるので、有志(在郷軍人会・青年団だ
そうですが)によって、小学校の、現プール近くに隠されたそうです(林の中とか、
布に包んで砂浜に埋めて隠した等の説がありますが、郷土史家のS氏から聞い
た話です)。
その後、昭和22年橘氏宅に移し、昭和29年に現地に設置し、昭和51年現在の
ようにかさ上げしたそうで、「アメリカさんからとっ払わわれなかったもんだなァ」と
いうような、簡単な話ではないのです。昭和31年の話ですから、まだ、土台が低
い時代の時に見たのでしょう。
まあ、外にもいろいろありますが、ご当地を主題にした小説があったら、読んで
見てください。地名の変更、風土、歴史を、小説家がどうフィクションに仕立て上
げていくか、よく分かります。
本日のブログは、当地を知らない方には、分かりにくかったと思いますが、お許
しを ヾ(_ _*) 。
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