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2015年2月21日 (土)

矢上神社の天井絵・その他のこと~長崎市矢上町 その二(おしまい)

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神社の向かって右手に、池があり、池の中には四角の石柱があり、この四面に、

このように、釈迦、彌陀、彌勒、不動だったかな?が彫ってあります。

Photo 4

ここで、おや?と思う方は歴史の授業を真面目に受けた方で、昔は寺も神社も

同じ所があり、神仏習合(混淆)の名残では?と訊いたところ、はやりそのようで

した。現在でも、お寺の入り口に、鳥居が建ててあるところもあるそうです。


ここから、一段登ったところ。左が「諫江八十八ヶ所」の、「第七十一番札所」。右

に「馬頭観音」が祀ってあります。

Photo_6

左が八十八ヵ所で、矢印の弘法大師の台座、右に「告文政八(1825年)酉三

月廿一日」、表に「七十一番讃岐國彌谷寺」と刻んであります。


「諫江八十八か所探訪記(昭和45年・諫早史談会発行)」には「七十一番 讃岐

国 弥谷寺 大王社内」と書いてありましたが、矢上神社は、昔は「大王社」とい

ってたそうです。


七十一番 讃岐國 彌谷寺のご詠歌

  いや谷じゃござらぬ町の広馬場へ

        立たせたもうも法の御利生

Photo_4 Photo_5

馬頭観音は立派なものですが、台座には「元禄十二(1699年)己○(多分、卯。

元禄十二年は、己卯の年です) 矢上札馬持衆中 十一月吉祥日」と刻んで

あります。


ここは、長崎街道で、馬で、人や物を運ぶので、馬を持った方が、多かったので

しょう。


まあ、ここまで書いて、写真を見直すと、「七十一番」の左隣の台座の表に「明

和七(1770年)寅 南無地蔵大菩薩 十一月吉祥日」。一番左には右側に

「文化六(1809年)己十月五日」。正面は「南無地蔵大菩薩」となっています。


と言うことは、左の写真で三体の中で、一番古いのが中央で(1770年)、次古い

のが、一番左側(1809年)、一番新しいのが「七十一番」の文字が刻んである

ものだと分かります。あと、右側にもあるのですが、撮すの忘れました。


なお、年号で、現在は「年」を使っていますが、ここでは、「年」「歳」「天」が使われ

ており、外に「季」「暦」「祀」「稔」があるそうで、神社の鳥居、墓等を見る時、こん

な所にもご注意を。


なお、「天」については、潜伏キリシタン(カクレキリシタン)の証だと言う人がいま

すが、関係無いしょ。


さて、もう一段上の方。

4_2

3_3 5

左は「五穀大明神」豊作を祈ったものでしょう。各地にあるものです。


右が「道祖神」。集落の境、村の中心などに建ててあり、村の守り神、子孫繁栄、

旅の安全の神様です。これもあちらこちらで、見かけます。


さて、ここに松尾大明神があり、はて?「松尾」がつけば「松尾神社」が有名で、

私の好きだった、(失礼)酒の守り神です。

Photo_9

あとで、宮司さんと話をしていたら、この神社の横に酒造りの店があったそうで、

分神社に奉納したか、酒屋さんに祀っていたものを持って来たのか?納得。

漏れ聞くところによれば、酒屋さんは長崎水害の時、流されたと聞きましたが・・


この、左側にプレハブの建物があり、覗いたら、五輪の塔碑等がびったりあり、

Photo_13

こちらから出土したものか、と思ったら、残念。看板を読んでください。

Photo_16

神主さんの話では、祭りの御輿がある事はあるが、ボロボロで使えないため、神

社新築になったのと合わせて、作れないかという事でした。


このあたり、旧住民と新しい住民の方がおられますが、祭りを旧住民の方、御輿

を新しい住民の方に担いでいただいて、神社を中心とした祭りで、地域作りがで

 きないかと、熱心に話しておられました。


さて、神社といえば、有名な神社、各地区の小さな神社ありますが、裏まで見て

いくと意外な発見があるかも。今度は「神女」が流行るかな?


なお、宮司様、神主様には、連絡を取らずに行きましたが、快く説明、見学をさせ

ていただきましたこと、ブログからですが、心より感謝いたします。



【余談

余談ですが、キリシタン研究者として、第一人者の松田毅一氏が「近世初期日本

関係 南蛮資料の研究」で、要約すれば、次の様に書いています。


禁教時代、イエズス会と他の托鉢修道会がもめますが、イエズス会が布教に努

めている事を、全国の信徒を代表し証言させたものに、コーロス徴文文書があ

り、これに矢上の信者の名前も書いてあり、長くなるので、関係の所だけ抜き書

きすれば、「・・・・こんはにや(門派・ここではイエズス会の事)乃伴天連衆此矢上

き里したん(注:キリシタン)に御合被成・・・・」という事で次の十名ばかりの名

が上がっています。現在、子孫がおられるかも知れませんので、分かるような所

は○で書きます。この文書はイエズス会トレド管区文書館、王立史学士院図書

館で採録したものだそうです。


「○○与兵衛・阿くすちの(花押)」「○○勝右衛門・ミける(墨印)」「○○清左衛

門・志門(墨印)」「○○久兵衛・寿庵(墨印)」「ミ年助左衛門・ミける(墨印)」

「○○次良兵へ・寿庵(墨印)」「ミそのえ監物・寿庵(墨印)」「○新兵へ・ちにす

(墨印)」「○○三介・安当仁(墨印)」「○○伊右衛門・ふ乱志すこ(墨印)」

「・」の後は、洗礼名で「ふ乱志すこ」は現在で言えば、「フランシスコ」。花押は言

 わば、手書きのサインで、(墨印)は印鑑を使ったものです。 


こうして見れば、「姓」「名」を持った人が多く、ある程度、裕福な人物だと思われ

ます。なお、ここに書かれた方は、代表者で、外にもキリシタンの方がいたと思わ

れます。


なお、この本に千々石にも潜伏キリシタン(カクレキリシタン)がいたことを示す文

書が載っていますが、現在、全く不明の状態です。こちらは、「姓」を持たない方

ばかりですが・・・・







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