矢上神社の天井絵・その他のこと~長崎市矢上町 その二(おしまい)
神社の向かって右手に、池があり、池の中には四角の石柱があり、この四面に、
このように、釈迦、彌陀、彌勒、不動だったかな?が彫ってあります。
ここで、おや?と思う方は歴史の授業を真面目に受けた方で、昔は寺も神社も
同じ所があり、神仏習合(混淆)の名残では?と訊いたところ、はやりそのようで
した。現在でも、お寺の入り口に、鳥居が建ててあるところもあるそうです。
ここから、一段登ったところ。左が「諫江八十八ヶ所」の、「第七十一番札所」。右
に「馬頭観音」が祀ってあります。
左が八十八ヵ所で、矢印の弘法大師の台座、右に「告文政八年(1825年)酉三
月廿一日」、表に「七十一番讃岐國彌谷寺」と刻んであります。
「諫江八十八か所探訪記(昭和45年・諫早史談会発行)」には「七十一番 讃岐
国 弥谷寺 大王社内」と書いてありましたが、矢上神社は、昔は「大王社」とい
ってたそうです。
七十一番 讃岐國 彌谷寺のご詠歌
いや谷じゃござらぬ町の広馬場へ
立たせたもうも法の御利生
馬頭観音は立派なものですが、台座には「元禄十二(1699年)己○(多分、卯。
元禄十二年は、己卯の年です)歳 矢上札馬持衆中 十一月吉祥日」と刻んで
あります。
ここは、長崎街道で、馬で、人や物を運ぶので、馬を持った方が、多かったので
しょう。
まあ、ここまで書いて、写真を見直すと、「七十一番」の左隣の台座の表に「明
和七(1770年)寅天 南無地蔵大菩薩 十一月吉祥日」。一番左には右側に
「文化六(1809年)己十月五日」。正面は「南無地蔵大菩薩」となっています。
と言うことは、左の写真で三体の中で、一番古いのが中央で(1770年)、次古い
のが、一番左側(1809年)、一番新しいのが「七十一番」の文字が刻んである
ものだと分かります。あと、右側にもあるのですが、撮すの忘れました。
なお、年号で、現在は「年」を使っていますが、ここでは、「年」「歳」「天」が使われ
ており、外に「季」「暦」「祀」「稔」があるそうで、神社の鳥居、墓等を見る時、こん
な所にもご注意を。
なお、「天」については、潜伏キリシタン(カクレキリシタン)の証だと言う人がいま
すが、関係無いしょ。
さて、もう一段上の方。
左は「五穀大明神」豊作を祈ったものでしょう。各地にあるものです。
右が「道祖神」。集落の境、村の中心などに建ててあり、村の守り神、子孫繁栄、
旅の安全の神様です。これもあちらこちらで、見かけます。
さて、ここに松尾大明神があり、はて?「松尾」がつけば「松尾神社」が有名で、
私の好きだった、女(失礼)酒の守り神です。
あとで、宮司さんと話をしていたら、この神社の横に酒造りの店があったそうで、
多分神社に奉納したか、酒屋さんに祀っていたものを持って来たのか?納得。
漏れ聞くところによれば、酒屋さんは長崎水害の時、流されたと聞きましたが・・
この、左側にプレハブの建物があり、覗いたら、五輪の塔碑等がびったりあり、
こちらから出土したものか、と思ったら、残念。看板を読んでください。
神主さんの話では、祭りの御輿がある事はあるが、ボロボロで使えないため、神
社新築になったのと合わせて、作れないかという事でした。
このあたり、旧住民と新しい住民の方がおられますが、祭りを旧住民の方、御輿
を新しい住民の方に担いでいただいて、神社を中心とした祭りで、地域作りがで
きないかと、熱心に話しておられました。
さて、神社といえば、有名な神社、各地区の小さな神社ありますが、裏まで見て
いくと意外な発見があるかも。今度は「神女」が流行るかな?
なお、宮司様、神主様には、連絡を取らずに行きましたが、快く説明、見学をさせ
ていただきましたこと、ブログからですが、心より感謝いたします。
【余談】
余談ですが、キリシタン研究者として、第一人者の松田毅一氏が「近世初期日本
関係 南蛮資料の研究」で、要約すれば、次の様に書いています。
禁教時代、イエズス会と他の托鉢修道会がもめますが、イエズス会が布教に努
めている事を、全国の信徒を代表し証言させたものに、コーロス徴文文書があ
り、これに矢上の信者の名前も書いてあり、長くなるので、関係の所だけ抜き書
きすれば、「・・・・こんはにや(門派・ここではイエズス会の事)乃伴天連衆此矢上
乃き里したん(注:キリシタン)に御合被成・・・・」という事で次の十名ばかりの名
が上がっています。現在、子孫がおられるかも知れませんので、分かるような所
は○で書きます。この文書はイエズス会トレド管区文書館、王立史学士院図書
館で採録したものだそうです。
「○○与兵衛・阿くすちの(花押)」「○○勝右衛門・ミける(墨印)」「○○清左衛
門・志門(墨印)」「○○久兵衛・寿庵(墨印)」「ミ年助左衛門・ミける(墨印)」
「○○次良兵へ・寿庵(墨印)」「ミそのえ監物・寿庵(墨印)」「○新兵へ・ちにす
(墨印)」「○○三介・安当仁(墨印)」「○○伊右衛門・ふ乱志すこ(墨印)」
「・」の後は、洗礼名で「ふ乱志すこ」は現在で言えば、「フランシスコ」。花押は言
わば、手書きのサインで、(墨印)は印鑑を使ったものです。
こうして見れば、「姓」「名」を持った人が多く、ある程度、裕福な人物だと思われ
ます。なお、ここに書かれた方は、代表者で、外にもキリシタンの方がいたと思わ
れます。
なお、この本に千々石にも潜伏キリシタン(カクレキリシタン)がいたことを示す文
書が載っていますが、現在、全く不明の状態です。こちらは、「姓」を持たない方
ばかりですが・・・・
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