矢上神社の天井絵・その他のこと~長崎市矢上町 その一
昨日は、パソコンが反抗期か、言うことを聞かずに、アップできませんでした
が・・・
さて、長崎街道の矢上宿の矢上神社に天井絵があり、なんと、小曽根乾堂(こぞ
ねけんどう)の絵があるとかで、出かけて見ました。
小曽根乾堂は、幕末から明治の人物で、NHKドラマ「龍馬伝」の長崎編で、坂本
龍馬、海援隊を援助した貿易商として描かれましたが、覚えておられる方もある
と思います。
小曽根乾堂は、同時に、書家・文人画家・篆刻家として有名で、明治政府より
御璽・国璽を刻するよう命じられたことで有名です。
さて、矢上神社は長崎街道のすぐ横にあり、
神社入り口から見た、現在の街道。神社前に「矢上宿跡」の標柱があります。な
お、この道は一方通行ですから、行かれる方は要注意。
矢上神社は、近年建て替えをしていますが、右の看板に「矢上神社御鎮座七百
三十五年記念 社殿新築造営記念事業趣意書」が書いてあり、神社のいわれも
書いてありましたので・・・・
ざっと書くと、730年前、元寇の役の際、この地の守り神として「剣の箭(つるぎ
のや)」なって平野の平原の神奈備に天降りたまいしを鎮祠したのが始まりで矢
上村の地名になったそうです。「箭」は、矢・矢の幹のことです。
一の鳥居の額束(がくづか)の一番上の字「箭」に見えます。二文字目は「神」な
のかな?
下の字、二の鳥居最初の「矢」を見てださい。矢の形をしていますが、それから、
3文字目、本来は「神」なのですが、この文字調べてもありませんでした。念の
ため、古文書専門の学芸員に聞いたところ、見た事が無く、異体字かな?とは言
っていました。
なお、調べて見ると「矢」はデザインで、洒落て書いたかと思ったら、篆刻事典に
「矢」が左のようにあり、「神」は右の字に似ているような、似てないような・・・・
入り口から、少し上がった所に「猿田彦大神」と、石柱が建っていまして、「猿田
彦」は、ご存じの通り、「古事記」「日本書紀」にも登場し、ニニギノミコトを道案内
した国津神で、後年、「庚申信仰」「道祖神」とも結びついています。というより、ゴ
チャゴチャになっていますが・・・旅の安全の神様とされ、旧街道を歩いていると、
良く見かけます。
祭りの先頭を行く天狗さん、あれが天狗さんではなく、猿田彦だそうです。
左が、「猿田彦大神」、右は左右に立ててある標柱ですが、片側には「矢神てふ
神の御號をば畏みて 里の標記を矢上の字とす」とあります。
これ見ると、「箭神」「矢神」「矢上」とあったみたいですが、調べましたが、よく分
かりません。ご存じの方は、コメント欄にご記入をお願いします。
参道に、変な石が埋めてあり、前に石造りの説明版があり、これによれば、「跨
ぎ石」といい、トンネル工事は大変困難があり、工事の貫通の時に出た石は、安
産、子授けに霊験あらかたという事だそうです。まあ、子供もお腹の中から、産
道を貫通して生まれてきますから・・・・
平成5年9月25日に、日見新トンネルが貫通しますが、その時の「貫通石」で、
(株)間組より奉納されたそうで、跨ぐことで、安産、子授けの願いが叶うそうで
す。私も、跨いではみましたが、まあ、歳が歳だし・・・・
神馬があったり、灯籠には可愛い鹿が彫ってあったり。奈良時代から、祈願のた
めに馬を(本物)を奉納していたらしいのですが、奉納する方も高価、貰う方も世
話が大変だと言うことで、「絵馬」とか、馬の像に変わっていったそうです。そうい
えば、諏訪神社にも「神馬」の銅像がありますネ。
かの有名な、カワユイ狛犬さんです。
さて、ここで、神社の写真を入れたいのですが、正面から、5,6,枚撮したはず
が、写ってないんですね。これは、不思議。ひょっとしたら、お賽銭が少なかった
のかな?
かわりに、別の写真で、これなら神社の様子が、よく分かると思います。
ここを2日ほど訪れましたが、矢上神社、お父さんが宮司さん、息子さんが神主
さんのようです。宮司さんと神主さんは違いますから、お調べの程を。親切に案
内と説明をしていただきました。
この神社、本殿は宝暦3年。1753年です。拝殿が昭和14年、社務所は昭和
31年に建設され、ボロボロになっていたため、8年間をかけ、2億円を集め、再
建されたそうです。お金集めは大変だったそうです。
入り口が閉まっていたので、どうしようかと思っていたら、横に社務所があり、見
せていただき、ブログに載せたい旨お願いをしたら、快諾をいただきました。
本殿の中ですが
建物の材料はヒバを使っているそうですが、赤の矢印の所、明らかに他の部分
(青の所等)の材質とは違っていると思います。
この部分、立派な彫り物がしてありますが、床下に保存してあったそうで、戦時
中、華美なものは避けるため、はずして保管してあったそうですが、再建するに
あたり、せっかくだからということで、元のように取り付けたそうです。
外の方も、木鼻、本殿の一部も使えるものは、生かして、大切に使っていこうとい
うことで、使ってあります。
ここの天井絵は、180枚あり、一枚一枚異なった方が書いています(同じ人が何
枚も書いてもありますが)。
小曽根乾堂の絵です。「乾堂」と書いて、落款が押してあるのが分かると思いま
す。白菜ですね。
乾堂といえば、独特の書体を思っていましたが、下のは普通の書体でした。
あと、乾堂の絵が何枚かあるということでしたが、なぜ乾堂が?と思っていたら、
宮司さんの話では、乾堂は矢上に住んでいたそうです。納得。
その他、街道筋に当たるのでしょう、有名人、無名人、いろんな方が、天井絵を
飾っていました。
左は「馮鏡如」。清代の画家で、明治10年から20年にかけて長崎に往来。
右は、元長崎市長の諸谷氏の作品。
見て行くと、「和歌山縣士族従七位 三宅敏徳謹書」なんて、書いたのもありまし
たが、長崎には、外から沢山の人が来ていたことが分かります。
さて、天井絵は八坂神社を含め、3回ご紹介したわけですが、江の浦の熊野神
社の天井絵。明治39年改築時に奉納されたみたいですが、こちらも見ると面白
いですよ。こちらは、一人で(弟子ありか?)描いたみたいですが、天井絵も見る
と、興味が湧いてきますね。もう一つ、天井絵がある所を調べたので、許可があ
れば、また、載せてみたいと思います。
下は熊野神社の天井絵。
矢上神社には、まだ、面白いものがありますから、また、明日。
なお、矢上神社に行くについては、「心づくし」さんのブログで予習をしていきまし
た。ありがとうございました m(_ _)m 。→こちらをクリック
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コメント
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ブログの紹介ありがとうございますm(__)m
矢上神社のことは「2000年の東長崎」という本にいろいろ載っていますが島原半島の図書館には無いので諌早まで行かなきゃいけないみたいですね
毎年10月17日に行われる「矢上くんち」には一度行ってみてください(^^)
天井絵もあちこちにありますが一番気に入っているのは野母崎の「観音寺」の天井絵ですね
投稿: 心づくし | 2015年2月20日 (金) 23時35分
遅くなりました。
こちらこそ、以前紹介をいただきまして、ありがとうございました o(_ _)oペコッ
千々石のシュークリームですが、残念ながら、店主さんが、五十代だったかな?ずいぶん以前亡くなられました。私も好きなシュークリームで、遠方からも買いに見えられていましたが・・・・
天井絵の情報ありがとうございました。折を見て、伺いたいと思います。
「2000年の東長崎」諫早図書館で捜しましたが、残念ながら、見当たりませんでした。
また、行った時捜してみます。
投稿: sugikan | 2015年2月24日 (火) 23時24分
男はつらいよ
何時葛飾柴又まで行きましたね…
だんごや高木屋にも足を運びました
今日は長崎ランタンに行きました、途中でなかよし村エレナに寄りました
近くまできたので声でも掛けたかったけど、
帰り小浜温泉おたっしゃんの湯によりました
愛野で和泉屋でカステラ買いました
投稿: 大牟田のおじさん | 2015年3月 1日 (日) 18時29分
お~忙しいですね。
柴又に寄られたなら、寅さん記念館にも寄られたと思います。若干そちらの方を調べており、後日、ブログにしますから、その折、思い出されたことがあったら教えてください。
月末は「観櫻火宴」がありますから、時間があったら、お越し下さい。
投稿: sugikan | 2015年3月 1日 (日) 20時46分