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2015年2月

2015年2月28日 (土)

「男はつらいよ TV版 第一回」のこと その一

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これが、車平造一家の唯一の写真だそうです。兄は、おいちゃんで、名前は車竜

造。


お母さんと、さくら。お母さんは、この写真を撮ってまもなく、亡くなります。お父さ

んはその後、事業がうまくいかず、酒のむちゃ飲み、さくらが中学校の時死亡。


寅次郎は随分殴られ、「お前は寅でなく、豚だ」とも言われたそうです。

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兄さんですが、大学を中退し、好きな釣りに行った時、時化に遭い不慮の死を

遂げます。さくらが高校を卒業した時です。


車寅次郎は、兄と比べると、こうも違うかと思うくらい、出来が悪く、中学校の時

から不良の仲間入りをし、家には出たり入ったりで、さくらが物心着く頃、いつ

間にかいなくなったそうです。

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寅次郎とさくら、実の兄、妹と思っていたら、母親が違うんですね。なお、TV版で

は、隣の工場の、タコ社長と、柴又帝釈天の、御前様は出てきてきません。もち

ろん、博さんもです。

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私が、参考にした資料ですが、TV版のマスターテープが、第一回と最終回(第

26回)しか残ってなく、このDVDには、その二回分と、山田監督、フジテレビ制

者兼演出家の小林俊一氏の対談、作曲者の星野哲郎、TV局の美術スタッフ

対話、関敬六と谷幹一の墓参りの様子が、収録されています。

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本の方もTV版には触れてありますが、第1回と第26回のあらすじしか、書いて

ありません。第2回目から第25回目までは、DVDの方に、写真で少々紹介をし

てあるだけです。


この頃は、まだ、山田監督はこのドラマの監督ではなく、脚本と原案に関わって

います。

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この頃、渥美清は、「おもろい夫婦」、「くいしんぼ」、「出雲の女」と有名な作品を

だしており、

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山田監督と小林プロデューサは、何時かは、渥美清を主演に、大型喜劇を作

うと思っていたそうですが、この間書いた、「愚兄賢妹」という企画書を提出した

そうです。


が何となくピントとこなく、小林氏が演歌の歌詞で「つらいもんだよ男とは」と

いうのを聞き、この作詞者が、「男はつらいよ」の主題歌を作った、星野哲郎氏。


同時に、山田監督がどこかで「男もつらい」という歌詞を聴いたそうで、偶然の

一致ですが、これで、「男はつらいよ」という題になったそうです。


なお、作曲は山本直純氏ですが、イントロが長く、これに「わたくし、生まれも育ち

も・・・・」というタンカを入れたらピッタリで、星野哲郎氏には許可無く入れたそう

ですが、「タンカを入れて良かった」と述べています。   

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さて、本論ですが、寅次郎は18年ぶりに柴又に帰ってきます(おばちゃんは、杉

山とく子)。


が、ご覧の通り、
テキヤ仲間を集め、どんちゃん騒ぎ、寅さんは、さくらに酌をす

るように、強要しますが、もちろん拒否で、「誰も言わないわよ、帰ってきてなん

て」とまで言い。寅次郎は、次の日、謝り、又旅にでようとしますが・・・・

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途中、恩師だった坪内散歩先生(懐かしの東野英治郎)宅によると、小さい頃、

いつもいじめていた、寅次郎の後輩で、さくらの友人の冬子(佐藤オリエ)が戻っ

て来て、一目惚れ、TV版では、この「冬子」が全作をとおし、唯一のマドンナで

す。


右が冬子役の佐藤オリエさんですが、かわゆいですね。なお、映画版の第2作

目の「続男はつらいよ」でも、マドンナ役で出演しています。

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忘れていました、さくらさん役は、長山藍子さん。恋人がいます。後、考え方の違

いで、別れますが・・・・

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寅次郎は、先生のお宅から、帰りますが、家の横の所で、腹痛をおこし(芝居

か?)、救急車で運ばれ・・・・ここまでが第1回で、あと最終回の前の25回まで

は、写真による説明になりますが・・・


渥美清を診てくれた先生(井川比佐志)が、さくら(前の恋人とは別れています)

に惚れ、いろいろあったようですが(テープがないので分かりません)、結局結婚

します。

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本当かどうかは分からない、弟(佐藤蛾次郎)がでてきたり、舎弟の登が転がり

込んだりで、とらやはガチャガチャになります。

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そのうち、生みの母(武智豊子)が見つかり、逢いに行きますが、イメージとは全

く違い、帰っいきます。映画版第2作目では、ミヤコ蝶々さんで、再び会いに

行き、今度は仲良く再会できたそうです。TV版ではよく分かりませんが・・・・


さて、散歩先生が倒れ

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うなぎ、しかも天然うなぎが食べたいと。寅次郎は、舎弟の登と一緒に、荒川

に獲りに。一日がかりでやっと一匹。料理して持って行くも、先生は椅子にもた

れたまま冷たくなっていました。


寅次郎が、葬儀をうまく取り仕切りますが、先生の娘、冬子さんにも恋人がいる

ことが分かり、最終回、第26回目・・・・また旅へ・・・・


2015年2月27日 (金)

「週刊ポスト」VS「週刊現代」

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今日から、いよいよ「男はつらいよ」のTV版の紹介をと思っていたら、撮っていた

写真が全部、吹っ飛んで、これだから、機械はあてにならない。もっともあてにな

らない人間も多いが・・・というところで、今日は週刊誌でお茶を濁して・・・


「週刊現代」の真ん中、見てください。「3月、景気と株こう読むのが正しい」。「週

刊ポスト」右端の方に、「週刊現代から大手証券アナリストまで 株価予想はなぜ

外れてばかり」。


なにか、週刊ポストが週刊現代にケンカを売っているようですが、せっかくなら、

もっと真ん中に書いて欲しいものです。


中味については、株を全然やりませんから分かりませんが、競馬で家を建てた

人、株で一億弱儲けた人知っていますが、話を聞くと、共通して、勉強、度胸、過

な欲を持たないですね。


「週刊ポスト」の「肥満の原因は
『デブ菌』だった」。期待して読んだのですが、ま

だ、中途半端な研究みたい。


「『妻のDV』読むだけで怖い事件簿」。これは、亭主たるもの、絶体に読んでおき

ましょう。


「鶴田浩二、高倉健、菅原文太の熱き時代」の「健さんに長ゼリフがない理由」。

松方弘樹がこのような発言をしています。「健さんは長ゼリフが苦手でして、『弘

樹ちゃん、これ喋ってくれる』と言ってくるんです。『これ先輩のでセリフですよ』と

返しても「監督には俺から言っておくから。俺はこんなのはとても言えない。・・・・

ですから、健さんの長ゼリフはないんです。こちらがペラペラと喋って「ですよね」

と渡すと、健さんがうなずくという芝居がありますが、それは実は健さんのセリフ

を僕が言っていたんですよ」そういえば、健さんのセリフ、長いのが無かったよう

な・・・・まあ、芝居は、セリフだけの問題だけではありませんが。


「週刊現代」、株と景気以外はあまり元気なく、昨日からTVニュースで放映して

いた「大塚家具のお家騒動」。まあ、私、会社を経営していませんから、「お家騒

動」というほどのものはありませんが、3日ほど、カミサンと口をきいていません

が・・・・


「消費税に『軽減税率』新聞だけは早くも当選確実」。要するに、米とか卵とか、

ケーキとか、何が「軽減税率」の対象になるか。食品はだいたい軽減税率の対

象。


酒、化粧品は軽減税率外。私の若い女性の知人は、化粧品を一年分買って、そ

の分、随分値切っていました。生活全般、支出の計算をし、効率的に買い物を

し、自己資金のみで喫茶店を開きました。化粧品は、モロ税金がかかるので要

注意。酒も同じ。


書籍、雑誌はまだ、△マーク。これ、絶体に軽減税率にいれて欲しいですね。文

化に関する事です。最も、エロ本は入れなくて結構。この歳では、読まないから。


「60歳からの『青春18きっぷ』」、これ旅行が好きな方は要チェック。裏技もので

 す。ところで、60歳でも、「青春18きっぷ」買えるんですか?


「『女の年金』こんなに損する!」。年金、これからどうなるかも分からず、チェック

できる事は、チェックしておいたが良いですね。


中の宣伝も良いですね。「あなたの想像を超える奮起力!」「あきらめる前に飲

んで!」、はて、何の事でしょう?


たまには、週刊誌も読んでみましょう。ただし、全部が本当の事とは、限らない

し、予測は外れるし、とありますが、時々、キラリと光る記事もありますよ。


2015年2月26日 (木)

「センゴク一統記 第11巻」発売

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え~、第一巻目からご紹介をしたので、ここで、止めるわけには、いかないでし

ょう。発行日は2月6日になっていました。


先日、NHKの番組、歴史秘話ストリアで、「美しき武将 戦国アニキの秘密~長

我部元親 信長・秀吉と戦う~」という番組を放映していましたが、こちらのマ

ンガにも、いよいよ長宗我部元親が、本格的に登場してきます。


主人公の、仙石権兵衛秀久は2000名ばかりで、天正11年(1583)に「引田

(ひけた)城」に、入城をしているみたいです。


仙石勢は、仙石勢1000名、森勢500名、淡路衆500
名の合わせて2000名。

対して、長宗我部勢は20,000名。


折しも、本土では羽柴秀吉と柴田勝家の、賤ヶ岳の戦い直前。もちろん、秀吉側

からの後詰め(後方に控えて救援をする兵)はなし。


長宗我部は、秀吉の将が讃州に入ったことを聴き(仙石勢のことです)、「秀吉の

子飼い討死にせしめば、秀吉も手痛かろう」という事で、長宗我部軍二万のうち、

別働隊5000名を向かわせます。引田の戦いの始まりです。


こんな感じで、進軍してくるわけですが、5000名対2000名の戦いです。

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これに対し、仙石勢は、横の方から、攻めることを考え、一応、勝ちますが、

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本隊が出て来て、20,000名対2,000名ですから、到底かなうはずもなく、敗

戦を余儀なくされます。と、ここまでが11巻目ですが、これから先の、仙石権兵

衛の運命や如何に、というところですが、過去のことですから、結果は分かって

いるのですが・・・・


まあ、歴史小説の面白さは、残されている文書等を、作者がどう料理していくか、

いろいろな作者が、同じ人物を描いても、一人一人書き方が変わって来ます。


さて、作者の宮下英樹氏、このあと、仙石権兵衛をどう描いていくか、ここまで読

んだら、最後まで読むしかないっしょ。


★一応こんな関係です・・・・もちろん仙石権兵衛は、秀吉の家臣です。

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2015年2月25日 (水)

「男はつらいよ~テレビドラマ版」★おさわり編

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今日は、朝からバタバタで、隣の犬がうるさく、多少、心臓病にさわりがあるの

で、警察と、役場へ。


と思っていたら、お隣の、はす向かいの家の犬が3匹、塀を越えてウロウロ。学

が近くで、下校時だったので、急いで警察へいって、私を含め、3名で現場

行。


犬を3匹どうしようかと、思っていたら、ちょうど、持ち主さんが帰
ってきたので、

事なきを得ましたが。結構、犬を飼っている塀が高いのに、登れるもんですね。


隣の犬の鳴き声には、「これは、ひどいですね。」という事ですが、事件性が無い

ために、一応注意だけして下さい、という事で話をしましたが・・・


その後、役所に行って、話をすると、こちらからも注意をしておきます。とのこと

ですが、どれくらい効果があるのか?ペットブームは良いのですが、それなりに

マナーを守って・・・


さて、今日は、まだ一仕事あって、以前より、「男はつらいよ」の映画に関係する

事があって、調べていたら、お年の方は、ご存じの通り、映画になる前にTVで放

送があっているのですが、そのTVのマスターテープが奇跡的に、第一話と最終

回だけが残っていて、DVD化されているので、手に入れて、現在、10本ばかり

「男はつらいよ」ばかり見ています。


ウラ話も少し入っていて、最初の題は「愚兄賢妹」にしようとしたそうです・・・

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主題歌の詞を書いた、星野哲郎氏の歌詞も、少し違っていたそうで・・・・・

後日、まとめてご紹介をしたいと思います。


今日は、ほんの「おさわり編」で、短くて o(_ _)oペコッ 。後日をお楽しみに。


一番上の写真は、TV版の出だしの所です。









2015年2月24日 (火)

「古代米~赤米」を食す

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え~、今日もカミサンが留守で、久しぶりに何か作ろうかと、お買い物。


お店を見て行ったら、珍しくも、黒米と赤米が置いてありました。


今から数十年前、対馬に三年ほどいた時、豆酘(つつ)というところで、神事があ

、赤米を使うとかで、「赤米」はその頃一般的ではなく、そも、赤米とかなんじゃ

と思いましたが・・・


それから数年、数十名の子ども達とキャンプをした時、「山賊料理」をしようかと

鍋は「猪鍋」、ニワトリの「丸焼き」、これ、子ども達は、最初気味悪がっていまし

が、食べ始めたら、ウマイ、ウマイと、あっという間に売り切れ。


あと、米も、一工夫ないかと考えて、古代米と言われる、赤米を使うことに。ところ

が、当時は米屋さんに聞いてもない。調べまくって、やっと京都から、取り寄せま

した。特に飯盒で炊いたせいか、もっちりして、美味でした。


上の品物は、一袋が白米2合分で、ちょうど分量的にも良いので、赤米と黒米を

一袋づつ買って来ました。


調理法は、白米を研いで、赤米又は黒米を入れて、軽く混ぜて炊くだけ。


米は洗うのではなく、(近頃米を洗うという方が多くて)米は研ぐです。刀を研ぐ、

心を研ぐと一緒で、米は、心を込めて研ぎましょう。

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赤い点々が、赤米、全体的にほんのりと、赤い色になります。食感は、少しもっち

りした感じで、なかなか美味です。

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あと、緑米があり、これは以前書いた、大村の城南高校の「田んぼアート」でも

使っていますが、生徒さんに聞いたところ、炊いても色は普通の米と変わらない

とか。→こちらをクリック


あと、「香米」というのもありますが、何時かは、食して見ようと思っています。


なお、柳田国夫の「柳田国男の故郷七十年」に「米の話と黒潮」「赤米のこと」に、

少しばかり、赤米の事に触れた部分があるので、興味ある方は、ご一読を。

健康ブームで、赤米、黒米が流行っているようですが、あなたも一度お試しを。


あっ!ほんの少しばかり塩(天然塩)を入れると、また、美味しくなりますよ。




2015年2月23日 (月)

2015 「緋寒桜郷まつり」~雲仙市国見町神代小路(くうじ)

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2月21日から、雲仙市国見町神代小路で「緋寒桜郷まつり」が始まっています。


これから先の予定は、3月8日までが「江戸つばき展」、3月4日~8日までが「雲

仙市国見町四人絵画展」「国見町小・中学生絵画展」、3月1日が「波佐見ベンチ

ャーズ」「落合みつを&福島真砂LIVE」「オカリナ・マルメロ」の演奏会。2月28

日、3月1、7、8日が「わが店一番」、3月1日が「吟行俳句大会」、「鎧武者歩き」

3月31日まで「掘ったばい!島原半島」、考古関係で、いよいよ卑弥呼が使った

ランドセルが出て来たそうです( 冗談、冗談)。


そして、2月22日(過ぎてしまいました)が、「フラダンス」「津軽三味線演奏」「ひょ

っとこ踊り」「郷土芸能鳥刺し」。


小雨が降り、調子が悪く、どうしようかと思いながらも出かけました。


めずらしくも、最初が「カヒコ・フラ」。古典フラです。現代のフラとは違い、「源流が

どこにあったのか、言い伝えなどでハッキリとしている。ハワイの音楽は、西暦三

〇〇年頃にハワイの諸島でおこなわれ始めた自然宗教の行事、フラを原点とし

始まった。・・・・自然との一体感を全身全霊で表していく。これがいわゆる『フ

ラ・ダンス』の原型であり、古代では男性にしか踊りも祝詞も許されない厳粛な行

だった。・・」(ミシシッピは月まで狂っている~駒沢敏器著)という、珍しいもの

で、滅多に見られません。

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以下は、現代フラですが、美人ばかりで、ゆっくり眺めて目の保養に。

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場内はいっぱいで、いつもの地元「ヒマワリテレビさん」。こちらも美女ですから、

ゆっくりご覧を・・・

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次が「津軽三味線木下三弦会」の演奏。さすが、プロ。左の方はお弟子さんで、

高校一年生。お弟子さんも、なかなかの腕前。

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いま、はやりの「ひょっとこ踊り」。練習してますね。ストレス解消にあなたも、いか

が・・・

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最後の「鳥刺し」ですが、国見町郷土史によれば、「約二〇〇年前、神代鍋島家

が京都に行った時、家臣がそこで習い覚えたものという。」とあります。


いや~美尻ですね。目の保養に、なりませんね。

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昔の鷹狩りでは、餌として小鳥の肉などを使ったそうで、その小鳥を捕る様子で

す。


「見んさいな見んさいな 鳥を刺して見んさいな」の詞で始まりますが、本

は竿の先にトリモチを付けますが、「さそうと思うたがトリモチがねばらん、鼻く

とってこちつけろ、いやあねばるねばる いやあねばるねばる・・」などユーモア

セリフも入っています。


を、ぺちゃぺちゃ叩きながら、演じますが、お尻は真っ赤になってました。

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会場は現雲仙市歴史資料館。昔は学校で、木造をそのまま保存しています。

こうして見ると、昔の学校が落ち着いていますね。

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校舎の入り口と、中の教室跡で、「わが店一番」。試食だけはしてきましたが。

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時間があったので、少しブラブラと・・・


いつも、門番がいるわけではありません。石垣の上の石。泥棒が塀を乗り越える

時、石の音がしますから、泥棒除け。地方に良く見られる塀でしょうが、ほとんど

上の方が、取り外してあります。なお、ここは武家屋敷ですから、武器が無くなっ

た時は投げつけるそうです。(これも、以前書いたかな?)

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お殿様の住居、鍋島邸。入り口の石垣、良いですね。「切石亀甲積」。良い仕事

してますね。

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正面の入り口は、お殿様しか入れなかったそうです。

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この緋寒桜、昨日のNHKでは、5分咲きといってましたが、3分咲きを少し出たと

ころでしょう。7分咲きといっている人もいましたが。


なお、この桜は、散ったらお終い、ではなく、また蕾がでてきて咲くそうですから、

長期間楽しめるそうです。

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内側は撮影禁止なので、外をブラブラして・・・

ここは、前にも書いたとおり、佐賀藩の飛び地領になりますから、島原藩との境

は、境石があります。灰色の所が佐賀領。

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藩境石ですが、ここにあったものではなく、別の所から持って来て置いたもので

す。「從是西佐嘉領」。

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さすが、お殿様だけあって、電話番号も一番ですか。灯籠も趣があります。

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帰る頃になって、少し晴れてきたので、パチリ。ここのところ、カメラマンが3名ほ

ど撮っていました。

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2015年2月21日 (土)

矢上神社の天井絵・その他のこと~長崎市矢上町 その二(おしまい)

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神社の向かって右手に、池があり、池の中には四角の石柱があり、この四面に、

このように、釈迦、彌陀、彌勒、不動だったかな?が彫ってあります。

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ここで、おや?と思う方は歴史の授業を真面目に受けた方で、昔は寺も神社も

同じ所があり、神仏習合(混淆)の名残では?と訊いたところ、はやりそのようで

した。現在でも、お寺の入り口に、鳥居が建ててあるところもあるそうです。


ここから、一段登ったところ。左が「諫江八十八ヶ所」の、「第七十一番札所」。右

に「馬頭観音」が祀ってあります。

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左が八十八ヵ所で、矢印の弘法大師の台座、右に「告文政八(1825年)酉三

月廿一日」、表に「七十一番讃岐國彌谷寺」と刻んであります。


「諫江八十八か所探訪記(昭和45年・諫早史談会発行)」には「七十一番 讃岐

国 弥谷寺 大王社内」と書いてありましたが、矢上神社は、昔は「大王社」とい

ってたそうです。


七十一番 讃岐國 彌谷寺のご詠歌

  いや谷じゃござらぬ町の広馬場へ

        立たせたもうも法の御利生

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馬頭観音は立派なものですが、台座には「元禄十二(1699年)己○(多分、卯。

元禄十二年は、己卯の年です) 矢上札馬持衆中 十一月吉祥日」と刻んで

あります。


ここは、長崎街道で、馬で、人や物を運ぶので、馬を持った方が、多かったので

しょう。


まあ、ここまで書いて、写真を見直すと、「七十一番」の左隣の台座の表に「明

和七(1770年)寅 南無地蔵大菩薩 十一月吉祥日」。一番左には右側に

「文化六(1809年)己十月五日」。正面は「南無地蔵大菩薩」となっています。


と言うことは、左の写真で三体の中で、一番古いのが中央で(1770年)、次古い

のが、一番左側(1809年)、一番新しいのが「七十一番」の文字が刻んである

ものだと分かります。あと、右側にもあるのですが、撮すの忘れました。


なお、年号で、現在は「年」を使っていますが、ここでは、「年」「歳」「天」が使われ

ており、外に「季」「暦」「祀」「稔」があるそうで、神社の鳥居、墓等を見る時、こん

な所にもご注意を。


なお、「天」については、潜伏キリシタン(カクレキリシタン)の証だと言う人がいま

すが、関係無いしょ。


さて、もう一段上の方。

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左は「五穀大明神」豊作を祈ったものでしょう。各地にあるものです。


右が「道祖神」。集落の境、村の中心などに建ててあり、村の守り神、子孫繁栄、

旅の安全の神様です。これもあちらこちらで、見かけます。


さて、ここに松尾大明神があり、はて?「松尾」がつけば「松尾神社」が有名で、

私の好きだった、(失礼)酒の守り神です。

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あとで、宮司さんと話をしていたら、この神社の横に酒造りの店があったそうで、

分神社に奉納したか、酒屋さんに祀っていたものを持って来たのか?納得。

漏れ聞くところによれば、酒屋さんは長崎水害の時、流されたと聞きましたが・・


この、左側にプレハブの建物があり、覗いたら、五輪の塔碑等がびったりあり、

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こちらから出土したものか、と思ったら、残念。看板を読んでください。

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神主さんの話では、祭りの御輿がある事はあるが、ボロボロで使えないため、神

社新築になったのと合わせて、作れないかという事でした。


このあたり、旧住民と新しい住民の方がおられますが、祭りを旧住民の方、御輿

を新しい住民の方に担いでいただいて、神社を中心とした祭りで、地域作りがで

 きないかと、熱心に話しておられました。


さて、神社といえば、有名な神社、各地区の小さな神社ありますが、裏まで見て

いくと意外な発見があるかも。今度は「神女」が流行るかな?


なお、宮司様、神主様には、連絡を取らずに行きましたが、快く説明、見学をさせ

ていただきましたこと、ブログからですが、心より感謝いたします。



【余談

余談ですが、キリシタン研究者として、第一人者の松田毅一氏が「近世初期日本

関係 南蛮資料の研究」で、要約すれば、次の様に書いています。


禁教時代、イエズス会と他の托鉢修道会がもめますが、イエズス会が布教に努

めている事を、全国の信徒を代表し証言させたものに、コーロス徴文文書があ

り、これに矢上の信者の名前も書いてあり、長くなるので、関係の所だけ抜き書

きすれば、「・・・・こんはにや(門派・ここではイエズス会の事)乃伴天連衆此矢上

き里したん(注:キリシタン)に御合被成・・・・」という事で次の十名ばかりの名

が上がっています。現在、子孫がおられるかも知れませんので、分かるような所

は○で書きます。この文書はイエズス会トレド管区文書館、王立史学士院図書

館で採録したものだそうです。


「○○与兵衛・阿くすちの(花押)」「○○勝右衛門・ミける(墨印)」「○○清左衛

門・志門(墨印)」「○○久兵衛・寿庵(墨印)」「ミ年助左衛門・ミける(墨印)」

「○○次良兵へ・寿庵(墨印)」「ミそのえ監物・寿庵(墨印)」「○新兵へ・ちにす

(墨印)」「○○三介・安当仁(墨印)」「○○伊右衛門・ふ乱志すこ(墨印)」

「・」の後は、洗礼名で「ふ乱志すこ」は現在で言えば、「フランシスコ」。花押は言

 わば、手書きのサインで、(墨印)は印鑑を使ったものです。 


こうして見れば、「姓」「名」を持った人が多く、ある程度、裕福な人物だと思われ

ます。なお、ここに書かれた方は、代表者で、外にもキリシタンの方がいたと思わ

れます。


なお、この本に千々石にも潜伏キリシタン(カクレキリシタン)がいたことを示す文

書が載っていますが、現在、全く不明の状態です。こちらは、「姓」を持たない方

ばかりですが・・・・







2015年2月20日 (金)

矢上神社の天井絵・その他のこと~長崎市矢上町 その一

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昨日は、パソコンが反抗期か、言うことを聞かずに、アップできませんでした

が・・・


さて、長崎街道の矢上宿の矢上神社に天井絵があり、なんと、小曽根乾堂(こぞ

ねけんどう)の絵があるとかで、出かけて見ました。


小曽根乾堂は、幕末から明治の人物で、NHKドラマ「龍馬伝」の長崎編で、坂本

龍馬、海援隊を援助した貿易商として描かれましたが、覚えておられる方もある

と思います。


小曽根乾堂は、同時に、書家・文人画家・篆刻家として有名で、明治政府より

璽・国璽を刻するよう命じられたことで有名です。


さて、矢上神社は長崎街道のすぐ横にあり、

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神社入り口から見た、現在の街道。神社前に「矢上宿跡」の標柱があります。な

お、この道は一方通行ですから、行かれる方は要注意。

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矢上神社は、近年建て替えをしていますが、右の看板に「矢上神社御鎮座七百

三十五年記念 社殿新築造営記念事業趣意書」が書いてあり、神社のいわれも

書いてありましたので・・・・


ざっと書くと、730年前、元寇の役の際、この地の守り神として「剣の箭(つるぎ

のや)」なって平野の平原の神奈備に天降りたまいしを鎮祠したのが始まり

上村の地名になったそうです。「箭」は、矢・矢の幹のことです。


一の鳥居の額束(がくづか)の一番上の字「箭」に見えます。二文字目は「神」な

のかな?

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下の字、二の鳥居最初の「矢」を見てださい。矢の形をしていますが、それから、

3文字目、本来は「神」なのですが、この文字調べてもありませんでした。念の

ため、古文書専門の学芸員に聞いたところ、見た事が無く、異体字かな?とは言

っていました。

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なお、調べて見ると「矢」はデザインで、洒落て書いたかと思ったら、篆刻事典に

「矢」が左のようにあり、「神」は右の字に似ているような、似てないような・・・・

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入り口から、少し上がった所に「猿田彦大神」と、石柱が建っていまして、「猿田

彦」は、ご存じの通り、「古事記」「日本書紀」にも登場し、ニニギノミコトを道案内

した国津神で、後年、「庚申信仰」「道祖神」とも結びついています。というより、ゴ

チャゴチャになっていますが・・・旅の安全の神様とされ、旧街道を歩いていると、

良く見かけます。


祭りの先頭を行く天狗さん、あれが天狗さんではなく、猿田彦だそうです。

左が、「猿田彦大神」、右は左右に立ててある標柱ですが、片側には「矢神てふ

神の御號をば畏みて 里の標記を矢上の字とす」とあります。

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これ見ると、「箭神」「矢神」「矢上」とあったみたいですが、調べましたが、よく分

かりません。ご存じの方は、コメント欄にご記入をお願いします。

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参道に、変な石が埋めてあり、前に石造りの説明版があり、これによれば、「跨

ぎ石」といい、トンネル工事は大変困難があり、工事の貫通の時に出た石は、安

産、子授けに霊験あらかたという事だそうです。まあ、子供もお腹の中から、産

道を貫通して生まれてきますから・・・・


平成5年9月25日に、日見新トンネルが貫通しますが、その時の「貫通石」で、

(株)間組より奉納されたそうで、跨ぐことで、安産、子授けの願いが叶うそうで

す。私も、跨いではみましたが、まあ、歳が歳だし・・・・

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神馬があったり、灯籠には可愛い鹿が彫ってあったり。奈良時代から、祈願のた

めに馬を(本物)を奉納していたらしいのですが、奉納する方も高価、貰う方も世

話が大変だと言うことで、「絵馬」とか、馬の像に変わっていったそうです。そう

ば、諏訪神社にも「神馬」の銅像がありますネ。


かの有名な、カワユイ狛犬さんです。

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さて、ここで、神社の写真を入れたいのですが、正面から、5,6,枚撮したはず

が、写ってないんですね。これは、不思議。ひょっとしたら、お賽銭が少なかった

のかな?

かわりに、別の写真で、これなら神社の様子が、よく分かると思います。

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ここを2日ほど訪れましたが、矢上神社、お父さんが宮司さん、息子さんが神主

さんのようです。宮司さんと神主さんは違いますから、お調べの程を。親切に案

内と説明をしていただきました。


この神社、本殿は宝暦3年。1753年です。拝殿が昭和14年、社務所は昭和

31年に建設され、ボロボロになっていたため、8年間をかけ、2億円を集め、再

建されたそうです。お金集めは大変だったそうです。


入り口が閉まっていたので、どうしようかと思っていたら、横に社務所があり、見

せていただき、ブログに載せたい旨お願いをしたら、快諾をいただきました。

本殿の中ですが

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建物の材料はヒバを使っているそうですが、赤の矢印の所、明らかに他の部分

(青の所等)の材質とは違っていると思います。


この部分、立派な彫り物がしてありますが、床下に保存してあったそうで、戦

中、華美なものは避けるため、はずして保管してあったそうですが、再建する

あたり、せっかくだからということで、元のように取り付けたそうです。


外の方も、木鼻、本殿の一部も使えるものは、生かして、大切に使っていこうとい

うことで、使ってあります。

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ここの天井絵は、180枚あり、一枚一枚異なった方が書いています(同じ人が何

枚も書いてもありますが)。


小曽根乾堂の絵です。「乾堂」と書いて、落款が押してあるのが分かると思いま

す。白菜ですね。

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乾堂といえば、独特の書体を思っていましたが、下のは普通の書体でした。

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あと、乾堂の絵が何枚かあるということでしたが、なぜ乾堂が?と思っていたら、

宮司さんの話では、乾堂は矢上に住んでいたそうです。納得。


その他、街道筋に当たるのでしょう、有名人、無名人、いろんな方が、天井絵を

飾っていました。


左は「馮鏡如」。清代の画家で、明治10年から20年にかけて長崎に往来。

右は、元長崎市長の諸谷氏の作品。

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見て行くと、「和歌山縣士族従七位 三宅敏徳謹書」なんて、書いたのもありまし

たが、長崎には、外から沢山の人が来ていたことが分かります。


さて、天井絵は八坂神社を含め、3回ご紹介したわけですが、江の浦の熊野神

社の天井絵。明治39年改築時に奉納されたみたいですが、こちらも見ると面白

いですよ。こちらは、一人で(弟子ありか?)描いたみたいですが、天井絵も見る

と、興味が湧いてきますね。もう一つ、天井絵がある所を調べたので、許可があ

れば、また、載せてみたいと思います。


下は熊野神社の天井絵。

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矢上神社には、まだ、面白いものがありますから、また、明日。


なお、矢上神社に行くについては、「心づくし」さんのブログで予習をしていきまし

た。ありがとうございました m(_ _)m 。→こちらをクリック




 

2015年2月18日 (水)

「今日も嫌がらせ弁当」~ttkk(Kaori)著

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この本、ブログの「ttkの嫌がらせのためだけのお弁当ブログ」に、掲載されたも

のを出版しています。


2月5日が第1刷発行、はやくも、第2刷が2月13日。この本、かなり売れている

みたいです。


弁当といって思い出すのが、前にも書きましたが、娘の卒業式の日、3年代表が

挨拶の中で、「お母さん、3年間弁当を作ってくれて、ありがとう」と言った言葉、

まだ、覚えています。


この、弁当、作るのが意外と面倒臭く、私のカミサンが病気の時、子供の弁当を

しばらく作りましたが、最後は面倒臭くなって、「日の丸弁当って知ってるか?」

「知らん」「そんなら、明日は日の丸弁当じゃ」と言って、ご飯の上に、梅干しを一

個載せて、持たしてやりましたが・・・


さて、最近キャラ弁が流行っているみたいですが、この本のキャラ弁、普通のと

違って「今日も嫌がらせ弁当」と題が付いています。もっと正確に言うと「反抗期

ムスメに向けたキャラ弁ママの逆襲 今日も嫌がらせ弁当」です。


キャラ弁作った動機は、高校生になった娘が、反抗を見せる場面もあり、それに

カチンときたため、仕返しの意味を込め、作り始めたそうです。


内容は、左ページに「嫌がらせ弁当」。右に、コメントが書いてありますが、このコ

メントも面白いこと。

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左の弁当「祝」じゃなく「呪」で、上のお弁当箱、指みたいですが、ウィンナーソー

セージです。

右の写真、「早く起きろや」。中・高生は黙っていれば、昼過ぎまで寝ています

が・・・頭にきたのでしょう。


娘さんも、最初はかなり抵抗があり、「ウザイウザイと呟きながらお弁当を持って

登校していましたが」、お母さんも「途中から、意地になって作り始めました。」

は言っても、3年も写真にあるようなキャラ弁作るんですよ、すごいな!

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娘さんが、魚が嫌いようで、左の写真のように、豚の、しかも部位の名称まで書

いてあります。ホント嫌がらせ。


「嫌がらせ弁当とは書いてあっても、普通の弁当も作っていて、右の弁当の「さけ

茶づけ」。良く出来ていますね。赤、黄、緑の横縞は良く見ると、パブリカかな?

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これが最後のお弁当ですが、「1」と書いてあるのは、弁当作りの最後の日まで

のカウントダウン。やることが、細かいですね。

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このあと、2ページにわたって、写真が載せてあるのですが、あまり凄いので、ご

覧になりたい方は、本をお買いください。


「嫌がらせ弁当」と書いてはありますが、娘さんに対する、エール、忠告等も弁当

に書いてあり、ケンカしながらも、親子の愛情の繋がりが分かります。


最後に「反抗期ムスメより」とコメントがあり、これ読むと、母親に対する思いが分

かると思います。なお、コメントの最後の方に、




「最後に、3年間きっちりキャラ弁でしたが

お弁当ありがとうございました。


今でも私のためにやってくれたこと、すべてに感謝しています。」




と書いてあります。超推薦の本です。なお、キャラ弁のテクニックも書いてあるの

で、参考になると思います。



2015年2月17日 (火)

「初心者古文書講習会」~雲仙市愛野町

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先日、初心者のための古文書講座に行ったのですが、これが二回目。一回目

は、数年前、県立図書館の初心者講座に行きましたが、これが難しい。おか

で、クーラーが良く効く涼しい部屋で、一日ゆっくり眠れましたが・・・


今回の、講座は想像したより、やさしいもので、本当に超初心者向けで、参考に

なりました。


講師は、松平文庫の吉田信也氏。

松平文庫は、島原藩主松平忠房収集のものが多くあり、前任地の知山より

移送し、日本最古の写本「蜻蛉日記」「夜半の目覚め」等、約一万冊の典籍、古

地図があり、昭和39年、松平氏から市へ寄贈されたものだそうです。


私も、以前2,3,回、見せてもらいましたが、その頃は全然興味が無く・・・

よく、大学、研究者などが調査に来ているところです。


松平文庫といっても、建物は無く、島原図書館の二階に間借りをしている状態

で、アーカイブズ(文書館・重要な記録等を保存・活用し未来に伝達する等の施

設)の必要性を言われていましたが、九州で無いのが長崎県のみ。


現在、長崎では「教会群 世界遺産」の推薦に、一生懸命で、水を差すわけでは

無いのですが、先日の新聞

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これなんでしょう?世界遺産指定を何のためにするのか?これ読むと、経済効

果優先みたいですね。各教会は、経済効果抜きで、保存のために、いろいろ努

力しているのですが・・・・


もっとも長
崎県の一人当たり県民所得ランキング(出典:内閣府 県民経済計

算)で、40位ですから、無理もありませんが・・・


もっと、地道な文化保存面についも、考えて貰いたいものです。これが、いつし

か、経済効果をもたらすと思うのですが。


さて、講座で、こういう風に勉強したら、いいな、という事があったので、参考に。

最も、勉強にも、いろんなやり方がありますから、あとは、自分に合った方法で。


■くずし字を読む

「歴史」というジャンルにこだわらず、興味がある分野は何か。「書道」?「古典文

」?「歴史・日本史?地域史?古代?中世?近世?近現代?」を決めること。

ということで、一冊本を買ってきました。

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■地域にゆかりのある古文書を読む

「土黒」と書いてあっても、島原半島外の方には、分からないと思いますが、「雲

市国見町土黒(ひじくろ)」の事で、これ、古文書に書いてあれば、島原半島の

方には、すぐに分かります。古文書であっても、自分の地域の事が書いてあれ

ば、分かる部分があるということです。

■ひらがなについて

古文書を読みとき、これが一番困難だそうで、漢字には意味がありますが、「ひ

がな」は意味を含んでいません。

また、変体仮名の存在、現在の48種のひらがな以外のひらがな、いわゆる「ゑ」

とか「ゐ」とかいう、ひらがなです。ひらがなから覚えるのは、経験上意外と難し

いそうです。

ひらがなの、くずし字を読むのは、双六、絵双紙等の読み物が良いそうで、

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これ、徳川家継(?)だったかな、8歳で亡くなった、将軍ですが、そこの墓から見

つかった双六で、修復して、現在印刷をして売ってあるそうです。これで、皆で

イコロを振りつつ、遊びながら勉強しました。


御家流(おいえりゅう・武家の公式文書に採用)は、決まった文字のくずし
方があ

るそうで、形が簡素、楷書より覚えやすいそうです。


あと、キーワードを拾い上げるために、斜め読み。昔の人も、一字一字読んでい

る事ではないらしいのです。大意を推測する力を養う事。


とにかく、本物の古文書を、たくさん読むことが必要でしょう。最後に、この間、紹

介した、南串山町の「古記録抜書帳」より、コピーしてみます。クリックすると、少

し大きくなります。

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赤字は右から、「日本」「死罪」「日本」「死罪」「切支丹」「切支丹」「伴天連」「江戸

江」「大村」「伴天連」{大村」「伴天連」「南蛮人」。


「切支丹」はすぐに分かりますね。緑の線は、すべて「事」、灰色の線はすべて

「之」です。


こうして見れば、「切支丹」についての文書だということが分かります。「事」「之」

は、すべて同じ書体と分かります。


あと、読むのが上手になるコツは、グループなどを作って、お互いに勉強するこ

とだそうです。皆さん方も、一緒に勉強を。読めるようになると、意外に面白いで

すよ。私?ほとんど、読めません 



 

2015年2月16日 (月)

「山本美術館」~Valentine's Concert:(雲仙市愛野町)

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「ねえ、行かない?」と美女(カミサンとはちがいます)に誘われまして、久しぶり

に、コンサートに出かけてみました。しかも、「Valentine's  Concert」ですよ。

もっとも、美女の方、前売り券の割り当てがあったみたいですが・・・・


演奏者は、トロンボーンが柴田健一氏。元来、ジャズ奏者でNHKビッグバンド

コンテストでベストプレーヤー賞を受賞。エルビンジョーンズなどとも共演してい

るそうです。


ピアノが、九大出身で、イギリス王立音楽院ディプロマ取得で、各種コンクールで

も入賞といった、豪華コラボ。


場所は、山本美術館。できてから10年目の美術館です。

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おぼろげな記憶ですが、館長さんが浮世絵が好きで、在勤中から浮世絵を集

め、定年を迎えるに当たって、念願の美術館を作られ、娘さんも学芸員の資格を

取られたそうですが、専門が浮世絵だったそうで、珍しいですね。考古学の学芸

員さんは多いのですが。

右の方が、展示室で、左のガラス張りの所が喫茶ルーム。さすが、美術館の喫

茶ルームで、コーヒー茶碗等、洒落たものが揃ってます。

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夜の喫茶室も、雰囲気があって良いですよ。二人なら。

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会場を、コンサートホールに変えたせいか、美術作品は、会場の周りに置かれて

いましたが、本来は、中央にも展示用のパネルを作ってあるようでした。

常設展示は、小崎侃(かん)さん、臥牛(がきゅう)窯(現川焼)の作品ですが、季

節展示として、広重等の浮世絵、新版画等があるようです。


なお、特別企画展として、過去に、伊東深水、栄泉、岩田専太郎、ヒロ・ヤマガ

タ、国芳、北斎、広重も実施しているようです。

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ミュージアムショップですが、良い物がありますよ。お客さんが少ないかと思った

ら、意外と多くて、ビックリしました。

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音楽も、いろんな所で聴きましたが、この程度の広さ、良いですね、何となくサロ

的で、アットホーム。演奏者がお客さんに楽器を吹かしているところです。子供

は音が出ましたが、大人は出ませんでした。これには、みんな大笑い。

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演奏者は片やバリバリのジャズ奏者、片やバリバリのクラシック演奏家。何を演

奏するかと思っていたら、皆さんご存じの「サウンドオブミュージック」「愛の挨拶」

「翼を下さい」等、肩の凝らない、楽しい演奏会でした。


山本美術館はウチから15分程度ですが、来たのが初めてで、これくらいの大き

さと、作品の数ならゆっくり鑑賞できて良いですね。


以前、東京で「ピカソ展」があったので、行った時は、200点くらいかな、展示して

あって、人は多いし、結局、見るというより、眺めただけでした。はやり、美術品は

じっくりと、見るものですね。


現在、十周年特別企画展として「竹久夢二木版画展」を開催中で、3月29日まで

です。9月26日(土)は「あいの丘 秋の名月コンサート」を開催するそうです。山

口修さんのギターと、奥様の歌。小崎侃さんが、即興絵をするそうですから、聴き

もの、見ものですよ。一人では淋しいので、どなたかご一緒に(もちろん、私好み

の女性に限りますが) 


美術館の場所は、愛野町から千々石町の峠の一番高いところにあります。お隣

が、斎場になっており、葬儀がある時は、看板が出ていますから(ほとんど毎

日)、すぐに分かります。







2015年2月14日 (土)

一人ぼっちのバレンタインデー

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本日は、バレンタインデー、若い皆さんは楽しくやっているみたいですが・・・・


この歳になると、私を相手にしてくれるような、若くて、美人で、気立てが良く、ス

タイルが良く、色っぽく、ユーモアを解しといった、女性もなく、一人ぼっちの、バ

レンタイン。カミサンですか?あれはまあ・・・・何にでも例外はあるでしょう。


私も、一人ぼっちは淋しいので、友だちを呼んで、チョコレートパーティーをした

ら、みんな喜んでいました。


皆さん、恋人にプレゼントを送っているようですが、一番身近な男性にも、義理チ

ョコでも良いので、あげて下さい。お父さんは、あなたのことを、心から思っている

のですよ。




■利恵子に与える詩~坂 村 真 民


  利恵子よ

  泣いていたという利恵子よ

  わたしはそれを聞いて

  一晩中眠れなかった

  お前の小さい時のことから思い出して

  泣けてならなかった

  苦しいことがあろう

  悲しいことがあろう

  でも堪えてゆけ

  堪えられなかったら

  その分をわたしたちも

  背負ってゆこう



もっとも、私、二つばかり、プレゼントをいただきました。誰から来たかは秘密で

 すが・・・・・カミサンからは、なにもありませんでした。あ~、悲しき我が心。

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2015年2月13日 (金)

「遠野物語拾遺~京極夏彦」&「視(み)えるんです。~伊藤三巳華」

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「拾遺」とは「〔文章・歌などで〕漏れ落ちたものを拾い補うこと。また、そうしつく

ったもの。『ー集』」(学研・新国語辞典)のことです。


「遠野物語」は、柳田国夫氏が書かれたことは、国語の授業をきちんと聞いて

た方は、ご存じだと思います。


この本は、初版序文に書いてあるように「此の話はすべて遠野の佐々木鏡石君

り聞きたり。」といった、遠野の伝説、説話などが書かれ、自費出版をし、これ

が思わぬ好評を得ます。


「再版覚書」にあるように、「佐々木君にはもっと材料があるなら送ってくるように

って遣った。同君も大いに悦び、手帖にあるだけを全部原稿用紙に清書して、

いは持って来て、どさりと私の机の上に置いた」。そうですが、数量が多く、重

複があり、「自分の原稿がまだ半分ほどしか進まぬうちに待ちかねて佐々木君

が聴草紙を出してしまった」。


柳田氏が載せようと思っていた話もあり、「是非とも遠野物語の拾遺として出そう

と思って居たものが、聴耳の方で先に発表せられてしまった。そうで無くても後れ

がちであった仕事が、これで愈々拍子抜けをして・・・・・」


という事だったそうですが、せっかく集まった資料の散逸等を恐れ、・・・という事

で、「第二部(遠野物語拾遺)」増補」版として、発行されたみたいです。


さて、まず、「遠野物語」と「遠野物語拾遺」を読むと、何となく違和感があるので

が、岩波版「遠野物語・山の人生」(これには、「拾遺」は載っていません)の桑

原武夫氏の解説、「『遠野物語』から」を読むと、次のように書いてありました。


「・・・新たに増補された『第二部(遠野物語拾遺)』は口語体だが、私には旧版そ

ままの(第一部)の簡素な文語体の方が、懐かしく味わいも深かった。」


適当に選んで書いてみると


■遠野物語(第一部)

114 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽ゑめぐらし

    其の口は東方に向ひて門口のきたる所にあり。

■遠野物語拾遺

133 昔上郷村大字板沢の太子田に、仁左衛門長者という長者があった。そ  

    れから佐比内には羽場の藤兵衛という長者があった。


たしかに、こうしてみると、この物語には、文語体の方が、ピッタリですね。


さて、京極夏彦氏の文章ですが、かなり、書き直しをしてあり、「遠野物語拾遺・

京極版」かな?というところです。


■遠野物語拾遺・原文

  一 昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んで居た。後に

     その一番の姉は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の妹は橋野の太田林

     へ、それぞれ飛んで行って、其処の観音様になったそうな。

■遠野拾遺・京極版

 一 昔。

    どのくらい昔のことなのかはわからない。

    橋野の古里という処に、三人の姉妹が住んでいた。

    ある時。

    姉娘は笛吹峠に、真ん中の娘は和山峠に、末娘は太田林にそれぞれ飛ん   

   で行った。

   そして、それぞれの場所に居着き、観音様になった。

   なぜ観音様になったのかは、伝わっていない。

   ただ、そう謂われている。


京極版は、分かりやすく、スムースに読めますが、どちらが良いか、ご自分で判

断を。


説話、伝承、物語は文字も読めなく、テレビもゲームも個室も無い時代、み

んなが、いろり端などにあつまり、口伝で伝えられたものと思います。人間が文

字を発明し、文章になった時、物語の力が無くなってきたのではないか、と思い

つつ、読みました。


さて、もう一つ「視(み)えるんです。」

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遠野には行ったことがありません。多分、死ぬまで行かないでしょう。ですから、

遠野がどんなところか知りませんが、このマンガ見ると昔と違って、随分、観光客

が多いみたいですね。


読んで見ると、「かっぱ淵」で、カッパを釣るとき(取る時かな?)「カッパ捕獲許可

書」がいるそうで、捕獲(竿の先に釣り糸を付け、先にキュウリをくくり付けるそう

です)の場所は人がいっぱいだそうです。


カッパについていえば、カッパをみたというお爺さんがいて、亡くなる時「・・・もう

・・・わしは長くない・・・わしは河童をみたとず~っと言ってきた・・・が、アレは・・・

町の為に役所の人に言われてただけだ・・・河童は・・・い・な・い」と言って亡くな

ったそうです。本当か嘘かは知りません。マンガに書いてありました。


このマンガの作者は、霊能力が強いのか、いろんなところで、他人に見えないも

のが見えたりします。


もちろん「遠野物語」が中心で、超々入門書ですから、まあ、気楽に読んで、本格

的に、柳田国男の本を読んでは、いかがでしょうか?

先ほどの桑原武夫氏も、遠野の変化について、次にように書いています。

「・・・小国村の青年たちには、こちらから村の口碑を教えてならねばならないくら

いだった。附馬牛村大出ではオシラサマを都の人に売り飛ばしていた。その家は

まもなく『釜をかえした』(破産した)のではあるが、それをもう神の祟りとはいわな

いのである。・・・・」


さて、「遠野物語」の話を、信じない人、現在「都市伝説」が多く聞かれます。思

えば、1980年頃だったか、「口裂け女」の話が日本全国を駆け巡り、学校の集

団下校などが行われるまでの社会問題になりました。すこし、お年の方は覚えて

いると思います。日本人には、どうも伝説を好む血が流れているような・・・・・・


蛇足です。以前書きましたが、カッパは相撲が好きで、強く、人を見たら相撲を

し込み、勝ったら、ジゴノス(肛門)から手を入れ、肝を抜くそうです。


勝つ方法は、土俵に上がったら、お辞儀をする事。カッパもお辞儀をしますから、

その時、カッパの皿から水がこぼれます。皿に水がないカッパは弱いもので、こ

ちらが勝ちます。カッパさんに会ったら、自己責任で、試してみてください。


2015年2月12日 (木)

馬場庄屋跡(雲仙市歴史資料館南串山展示館)へ

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以前にも紹介をしましたが、南串山の馬場庄屋があったところで、以前の建物は

壊し、黄色い建物が現在「雲仙市歴史資料館南串山展示館」になっています。こ

の地区は「門山(もんやま)」といい、昔は村の中心だったそうです。用事で行っ

たついでに、再度ご紹介を・・・皆さんお忘れでしょうから・・・・・


左が南串山の全図ですが、この中に、「御高札」「庄屋」とかいてあります。「高

札」はお上からの、法令等を書いて指示を周知させたもので、もちろん、お上か

らのものですから、町の入り口、中心に立てられたそうです。

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馬場庄屋は、文久2年(1862)~昭和7年(1874)まで寺子屋を開設し、学校

制に伴い、南串第一小学校(当時は荒牧小学校)として発足をし、庄屋事務所

小学校校舎となり、第11代庄屋、馬場立造氏が初代校長になったそうです。

なお馬場庄屋は、万治元年(1658)から幕末までの211年間、11代の庄屋を

務めたそうです。

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この脇に、地蔵さんがありますが、全部首無し地蔵です。仏像破壊と言えば、廃

仏毀釈がありますが、島原半島を治めていた有馬晴信がキリスト教になり、半島

内の全寺社を破壊し、この南串山もほとんどが、島原・天草一揆加わっていま

すから、晴信時代に破壊したものでしょう。

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右側の石造はなんでしょう?お猿さんに見えますが、お猿さんも、山王のお使

で、それ以前より、山岳信仰などで太陽信仰の「猿神」として崇められています。

(神様になった動物たち~戸部民夫著より)


さて、館内に入ると、

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壁にズラーと古文書(写し)と釈文が貼り付けてあります。が、まだまだあるそう

です。張ってある分は以前紹介をしましたが、この間、出版をものです。

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なお、壁には書画が飾ってあり、本当はもっとあるそうなんですが、場所がなくて

といった所で・・・・書画目録までちゃんと作ってありましたが、かなりの量ですね。

「お宝鑑定団」に、出せば、どうなのかな?

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教科書が一画を占めており、読んで見たら面白いですね。

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図画の教科書。高等小學校圖画第一学年用。面白いのが「男兒用」と書いてあ

るところ。うまい絵ですね。私、こんなの描けません。

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高等小学校書き手本、第一學学年用(明治33年頃、高等小学校は、11歳から

14歳まで)ですが、こんな難しい漢字を教えていたんですね。「薙刀」なんて書

けませんよ。

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面白かったのが、地理の本で、普通は自国を真ん中に持って来ますが、日本は

端っこで、西欧が中心になっています。多分、西欧あたりの地図を使ったものか

な?

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と、まだまだあるのですが、皆様も見学を、現在、開館は火曜日と、木曜日だそう

ですが、教育委員会に連絡をすれば、その日以外にも見られるそうです。


ただ、建物が狭いですね。もう少し、大きいものを作れば良いんですが、何しろ

貧乏な市ですから・・・「家貧しゅうして孝子出(い)ず」といいますから、次世代に

期待しましょう。場所が分かりにくいので、尋ねながら行ってください。南串山の

方は、親切ですから、すぐに教えて貰えます。


ヤギさんが二匹ばかり。お髭がカッコイイですね。しばし、遊んで来ました。残念

ながらオスでしたが、ちゃんと、立派なのが付いていました。

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2015年2月11日 (水)

週刊誌ひろい読み

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             (週刊現代より)


今日も少し、考え違いをしておりまして、2月11日が、バレンタインデーと思って

いたら、14日でした。


で、私の所へチョコレートが、どっちゃり来るので、その写真でも載せようかと思っ

ていたのですが・・・・・残念でした。


暇つぶしに、週刊現代を読んでいたら、1月3・10日合併号「『立派だった日本

人』」という企画をしたらしく、それに対し、いろんな意見が出ていました。それで、

私も一言。上の図は見にくいと思いますが、クリックすると拡大します。


まづ、「文化・芸術ベスト10」。まあ、妥当な順位でしょうが、黒澤明を入れるなら

小津安二郎、失礼しました、はいってます。私の好きな川島雄三。


あと、大江健三郎、村上春樹、三島由紀夫、おや、谷崎潤一郎が抜けてますね。

私の好きな、坂口安吾。本文に書いてありますが、寺山修司は入れないわけに

はいかないでしょう。


学術関係では、長崎と関係のある、ノーベル賞受賞者の下村脩氏。祖先は雲仙

市瑞穂町で代々勤めた庄屋です。あと、折口信夫かな?南方熊楠もいますが。

この人、凄い人です。ネットでお調べを。


「スポーツ界ベスト20」。長嶋茂雄が1位は当然でしょう。イチローが入ってませ

んね。あと、ボクシングで私が好きだった、大場政夫。ピストン堀口も入れるべき

か。この方面あまり得意でないので・・・


「芸能界ベスト20」。これも大体こんなもんでしょうが、本文にも書いてあります

が、「山口百恵」。これ、絶体に入れて欲しいですね。吉永小百合さんが8位です

が、小百合さんと人気を二分し、あやわ暴動まで起こりかかった(事はありませ

んが)、栗原小卷さん。


落語家が出ていません。総合ランキングで「立川談志」が
載っていますが、談志

を載せるなら、志ん生(5代目)、文楽、圓生(円生)でしょう。あと、名脇役、フー

テンの寅さんに出ていた、笠智衆さん。


子供の頃好きだった、片岡千恵蔵、眠り狂四郎の市川雷蔵。「しぇいは丹下、名

はしゃぜん」の大河内傳次郎。調べたら出身地が福岡で、この台詞、九州弁です

ね。


「政界ベスト20」と「財界ベスト20」。これは、亡くなった方は立派な方が多いよう

ですが、生きておられる方は、あまりたいしたことがないようなので、パス。


左が、総合ランキングですが、まあ、個人的に評価があるので、自己責任で、御

評価を。


さて、右は12月6日の「週刊現代」。真ん中の字を見てください。「自民『50議

席減』で一気へ倒閣」へ。

見事外れました。これだから、週刊誌、あとで読むのが面白いんですよね。

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意外と当たっているのが、サンデー毎日(12月21日号)

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2015年2月3日時点で、衆議院は、自民党が292名、公明党が35名、民主党

が73名、共産党が21名(ウィキペデアより)。


さて、週刊誌では、新聞に対して、訂正を求めることがありますが、週刊誌は、自

分の誤りの訂正はしないんですね。ちょっと、問題ですね。









2015年2月10日 (火)

「中国嫁日記 第四巻」~絶賛発売中

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お~、第四弾ですね。相変わらずの、月(ゆえ)さんのツッコミと、ジンサンのボケ

です。


初版発行が2015年2月12日になっていますが、本屋さんに並んだのが、2月5

日、しかも、一番目立つところですよ。その上、私の愛読書だから、「絶賛発売

中」と書きましたが、大売れ(みたいです?)


前回から、月さんとジンサン、中国とニッポンを行ったり来たりで、ちょっと大変で

す。私、国際結婚しなくて良かった。


今回は、少し大変な事があり、ジンサンがスマホを盗まれたり、月さんのお母さ

んが肺炎になったり、ジンサンのお父さんが肺がんだったり・・・


一番大変で、ジンサンが今回マンガで訴えたいのが、不妊問題。結婚して5年

で、子どもを作ろうと決めててから、一年半くらいで月さん検査のために病院へ。


ジンサンも、TVで不妊の番組をみて、お医者さんが「不妊の原因は女4で男

3!! 半分近くは男に原因あるんだから!!男も診察うけなさい!!」という事で、病院

へ。


月さんは、異常なし。ジンサンは異常有りで手術が必要。なお、ジンサン、日本 

に帰って診断して貰うと、「精索静脈瘤」。成人男性で15%の病気で、男性不妊 

の原因の四割。


ジンサンの場合、普通の精子の4分の1。治る確率が70%。で、手術は無事終

了で、精子が以前の倍。でも、できないものは、できない。


中国で漢方を飲むも効果なし。で、男性不妊専門の医者を紹介されたら、「つま

り、手術終わって2年近く経って、のこのこやって来たわけね。あなた、考え甘え

ぎ、不妊は時間との勝負なんです。不妊において時間はとても貴重なの!!あな

本当に子供つくるきあるの!?・・・・・・」と、次回行くと、「正常です。ちょっと数は

いけど妊娠は可能です。ここで治療する必要はありません・・・・もしも妊娠し

いなら人工授精すればいいし・・・」と。


月さんに言ったら、「ワタシね、子供いなくても、いい思テマスヨ・・・子供いないと

不幸、そんなコトナイデス、子供いない夫婦いっぱいいマスヨ、みな、それぞれ

幸福思いマスヨ、努力しますけどできなかったら仕方ナイ」

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あ~良い妻ですね。これだけ言われると、涙出ますね。どこかの妻と違って。


今回は、少しばかり考えさせられる、物語でした、もちろんユーモアとギャグに溢

れていますが。

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月さんの後書きですが、良いこと書いてあるので、中国語ができない方のため

に、良い所を少し翻訳をすると、


「結婚生活というのは絶えなく会話と理解を繰り返し、互いに配慮をしあえるまで

発展する過程だと思います。・・・・・得難い人生のパートナーをすごく大事にして

いるからこそ、たとえ子供がいなくても、心から感謝し、支え合って生きていくと

いうのが私たちの考えです。ですが、私たちは諦めたわけではありません。『石

に立つ矢』という言葉があるように、努力すれば願いは叶うと信じています。この

言葉は私達の結婚生活にも当てはまります。どんな些細なことでも、会話し、理

解し、相手の立場になって考えていることを大切に、悩んでいる方のお役に立て

ましたでしょうか」。まったく、その通りです。皆さんも、月さんの言葉を心に、努力

して下さい。ウチですか、真逆ですね  。


気づいたら、翻訳は次のページに書いてありました。


※今回は少し深刻なところがありましたが、お医者さんに「男性不妊の専門医は

 全国で40名くらいしかいない!!なので井上(ジンサン)さんも機会があったら、

 男性不妊について、周りの人達に理解を呼びかけて下さい」と言われ、社会的 

 意義もあるかと思い描いたそうです。






2015年2月 9日 (月)

2015 「第36回 長崎県子ども会伝承芸能大会」~雲仙市

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昨日「長崎県子ども会伝承芸能大会」が、雲仙市の吾妻町ふるさと会館で開催

されました。どうせ、観客が少ないだろうと思っていたら、ほぼ、満員状態。

この大会は、各市を回り持ちで開催し、来年は松浦市で開催だそうです。


子ども会は、昔は、各地にあったのですが、最近は無い地域もあるとか。子ども

会は、異年齢の子どもが集まって、地域の繋がりの一環をになっていたのです

が・・・先輩が、後輩に遊び方とか、ナイフの使い方(当時は「肥後守(ひごのか

み)」をみんな持っていたのですが)これも、先輩から使い方を習い、使い方が分

かれば、鉛筆も削れるし、竹細工もできるし、便利なものでした


ビー玉とか山遊び、ケンケン、ゴム跳び、とかいろいろな子
どもの遊びがあり、夏

休みはラジオ体操(現在、土、日、休日、盆は休みとか)とか、異年齢で遊んだも

のですが、いまや、ゲーム機で、同年齢ばかりの遊び。


子どもの伝承遊びも、段々少なくなり、動植物の「絶滅種」が新聞などに載ります

が、「遊びの絶滅種」も考えた方が良いんじゃないですか?


もっとも、子どもが少なくなり、近くの地区では、会員が1名とか。町村合併より、

こちらの方が先なんじゃナイデスカ。


さて、少子化にともない、地域の伝承芸能が消えつつあります。子どもも少なく、

塾、習い事と忙しく、今からの子どもの結びつきは「塾友」になるような気がする

のですが・・・・


という事で、このイベントは、子どもに地域の伝承芸能を伝え、発表しようとよう

と、開催されているものです。


最初は、小浜の「小浜太鼓ジュニア」の「ふうりん、航(わたる)」。

小浜は、私の薄れゆく記憶によれば、太鼓ブームを作った「鬼太鼓座(おんでこ

ざ)」の指導者の方が、指導をしていた気がするのですが、今は拠点を移してい

ますが、「小浜太鼓ジュニア」は平成11年11月に、健全育成、後継者育成を

踏まえ、発足したそうです。子どもとは思えない迫力でした。

4

「伏尾(ふしお)鍬踊り」。瑞穂の古部(こべ)伏尾地区に伝承されており、地区の

祭り、復興祭等、地域のお祭りなどのイベントで活躍しているそうです。

大正小学校では、運動会などで児童の総踊りとして、十年以上受け継がれてい

るそうです。一番上の写真も「鍬踊りです」。

千々石にも、鍬踊りがありますが、かけ声の「めでたい、めでたい」のところ良い

ですね。なんとも、のんびりして。「大正小学校の古部地区(岡・夏峰)」の皆さ

ん。

2

千々石の「御神楽」。日本一の松明武者行列、「観櫻火宴」の一環として、16年

前から始まったものですが、16年前というと、最初の舞った子は、31歳ですか。

光陰矢のごとし、ですね・・・地元の贔屓で写真を2枚ばかり・・・「千々石中学校

吹奏楽部」の皆さんですが、二足のワラジで、練習が大変です。

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吾妻町「鶴田小学校の民踊クラブ ドリームキッズ」の皆さん。「吾妻おどり」と

「吾妻盆唄」の踊り。平成10年に誕生したそうです。

うちわをもって、ゆかたを着ての盆踊り姿、だんだん少なくなりました。なんとな

く、懐かしいような・・・・

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「琉球國祭り太鼓 ジュニア」の「エイサークイチャー他」。20年前の雲仙復興の

イベントで結成されたもの。長崎ランタンフェスティバル、博多どんたく、その他、

イベントの時よく、出演をしています。終わったら、子ども達は、肩で息をしていま

た。体の動きが激しい太鼓です。

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外にも、浮流等各地にあるのですが、秋祭りの奉納踊りで、子どもの練習が夏

休みくらいから始まりますから、年に2度の出演は、チト無理なところがありま

す。

子ども達の演技は、良く練習され、息がピッタリ合っていることが分かりました。

演目の説明も、子ども達です。最後に賞状授与。

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最近は、年に一回のバス旅行だけの、子ども会もあるみたいですが、もう少し、

子どもの繋がりを考えて貰いたいものです。



2015年2月 7日 (土)

2015 「第9回雲仙市美術展覧会」&「全国訪問お話し隊」

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市展も9回目を迎えました。

雲仙市は、多目的ホール(椅子席を収納すると、ご覧のようにホールになりま

す)か公民館でしか、展覧会は開けず、あまり広いとは言えない会場ばかりで

 す。


出品作品は、洋画、日本画、デザイン、写真、書。工芸が今年は1点出ていまし

たが、各町、パッチワーク、押し花等をしている方もいるのですが、遠慮されたの

か、会場が狭いせいか・・・・残念ながら彫刻は出ていませんでした。彫刻は、他

市の展覧会を見ても少ないですね。私、全裸のモデルになっても良いんですが、

芸術のためなら。(これ、去年も書いたかな?)


チョーク絵で有名になったO氏の作品。最近は、チョーク絵と、油絵を組み合わ

せた絵が多いようです。

3

左の絵は良いですね。プロ並みかな。私好みの女性なので載せました。右の絵

「妻となる人」。幸せになれれば良いのですが、ウチの例もあるし・・・

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水彩画のコーナーですが、水彩画も良いですね。柔らかく、癒やされる感じ。

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日本画は、教える人も少ないせいか、出品数は少なかったですが、なかなか良

い作品でした。とくに、右側。、この女性も、私好み。いいな、舞妓さん。

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写真は、県展レベルの良いのが沢山出ていました。デジタルカメラで、誰でも撮

りやすくなったせいかな?私達の頃は、フイルムで、出来上がるまで、どのように

撮れているか分からなかったのですが・・・最近は、機械に弱いはずの高齢者の

女性も、凄いカメラを持っています。老カメ女の時代かな。

写真は、外へ出て、画角を考えながら、絞り、シャーター速度なども考えなけれ

ばならないので、体にも、ボケにもいいので、お薦めします。

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意外と書道(習字でなく)を習う方が多いようで、こちらも年々、レベルアップ。

プロの方も出品していました。

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上手なのは、分かるのですが、読むのに苦労して・・・

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今年初めての木工のクラフト。右はデザイン、多分高校生なのかな?

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他市の市展では、選考もあるようですが、雲仙は無選考です。でも、人に見て

ことで上手になるんじゃないですか?


私も音楽をしていた頃、先生から「一人で100回練習するより、舞台で1回演奏

する方が効果がある」といわれましたが、これ、本当でした。来年は、恥ずかしが

らずに、ドンドン出品を・・・


と思っていたら、「今から、お話し会をします」との放送。この日、「図書館祭り」の

日でした。


「全国訪問おはなし隊」の車が来ていましたが、端っこに目立たないように、小さ

 く「KODANSHA」と書かれていたので、ネットで調べると、講談社の企画で、スケ

 ジュールを見ると凄いハードスケジュール。


明日は上五島(離島です)、その後、佐世保、平戸、松浦、西海等々、保育園

小学校、図書館を休日無しで巡回。

でも、講談社さん、利益還元だという面では良いですね。

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お話し隊の隊長さんと、地元の方の「お話し会」ボランティアの方の読み聞かせ

で、長年やっておられるので、子ども達を上手に笑いに誘ったりで、私も思わず

最後まで聞いていました。

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昔のように「一寸法師」とか「金太郎さん」のお話しはなく、今の絵本、本当に楽し

くできています。皆さん方もたまには、絵本の世界へ・・・・



【訂正で~すm(_ _)m


上に

>この日、「図書館祭り」

と書いていましたが「第10回 雲仙市図書館祭り」は2月14日(土)・15日(日)

です。日程・内容は下記の通りです。ヒマのないかたも是非お越しのほどを。

会場は、国見町の雲仙市図書館・文化会館です。

 


■2月14日(土) 10:30~12:00

  おりがみに挑戦!「ジャバニャンのしおりをつくろう」。ジャバニャンのおりがみ  

  を作って、ラミネートをかけて、しおりにするそうです。

■2月14日(土) 14:00~15:00

  新沢としひこさんと、山野さと子さんの「親子で楽しむ絵本コンサート」。新沢

  さんの「にじ」は、つるの剛士さんも歌っています。YouTubeで見られます。「と

  もだちになるために」「さよならぼくたちのようちえん」は、幼稚園、保育所で

  も、よく歌われているみたいですが・・・・「世界中のこどもたちが」は、小学校

  の教科書にも載っているそうです。

  山野さと子さん、映画、TVで「ドラえもんのうた」(2代目オープニング主題歌) 

  を歌っているみたいですね。

  整理券がいるので、市内の各公民館等で貰って下さい。

■2月15日(日) 10:00~11:30

  「回転木馬おはなし会」。市内の美人の、おばさま (_ _*)失礼、お嬢様方の

  「おはなし会」。どなたでも自由に。

■2月15日(日) 14:00~15:30

  スーツデコに挑戦!「メモスタンドをつくろう」。キャンディーやアイスクリーム 

  のスイーツデコを盛りつけて、メモスタンドを作るそうですが、どんなんかな? 

  申し込み不要。材料費100円。先着30名です。


余分なことですが、会場で、ヒゲをはやして、素敵なロマンスグレーの男性がい

たら、それは、私です  。

 

 

2015年2月 6日 (金)

「剣術修行の旅日記」~永井義男著 其の三(最終回)

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(「剣術修行の旅日記~永井義男著」より)


上の写真は、幕末から明治期の稽古の様子だそうです。ほとんど今の格好と変

わりませんね。


さて、当時「技は千葉、力は斎籐、位は桃井」と言われたそうです。牟田文之助

は、安政元年一月二十五日に、斎籐弥九郎の神道無念流の練兵館に入門をし

ますが、神道無念流を習うわけではなく、練兵館で一緒に稽古をさせてくれとい

うものだったそうです。


この当時、斎籐弥九郎はほとんど長男の新太郎が事実上の道場主だったそうで

すが、二十七日に、立ち会いをし、「大ニ吉し、外は数人無限事也」と書いてある

そうですが、「新太郎の技はすばらしいし、門弟にも数人、傑出した者がいる、

ということであろうか。珍しく手放しでほめちぎっている。」と解説してあります。


二月五日、桃井春蔵の鏡新明智流の士学館に、練兵館の同輩五名と手合わせ

に行ったそうですが、道場主の桃井春蔵に申し込んだところ、体調が良くないと

のことで断わられたそうです。


代わりに、高弟の上田馬之助らと立ち会い「各勝利を得大慶ニ及候。(中略)余

程面白有之事也。」と「自分たちの方が勝っていたことに大いに満足した。なんと

いってもあいては三大道場の一つ志学館である。」とあります。


なお、三月二十五日には、三名で直新影流の男谷清一郎の男谷道場に出向

き、男谷とも立ち会ったそうですが、このとき、男谷は五十七歳。


手合わせの結果
「尤老人男様始手合致し、実ニ老人の稽古誠ニかんしん仕

候。」と書いてあり、著者によれば、「文之助も高齢の男谷に剣技には感心した。

とても自分の優勢だったと書けるような状態ではなかったのであろう。男谷には

『様』づけをしているほどである。」と書いてあります。


この後、各道場、また、福島あたりまで、各道場で手合わせをしますが、帰りが

け再び江戸に滞在をし、千葉周作の北辰一刀流、玄武館(千葉道場)に申し入

れをしたそうですが(当時は千葉周作の次男で、実質上の道場主は栄次郎)、の

らりくらりと断られ、「尤流石之栄次郎行掛かり尾逃げかき候段腰貫極。」と痛罵

をしたそうで、「栄次郎は尻尾を巻いて逃げ出す始末で、腰抜け(腰貫)の極み、

ということであろう。」だそうです。


さて、この文之助、力量があって性格も良かったのか、各地で、歓待を受けてい

ます。それでは力量がないものはというと、

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昭和三年は戊辰六十年にあたり、幕末維新に関する史談、幕末維新を背景とし

た時代小説が多く刊行されたそうです。この本も、その一つです。


作者は明治四年生まれですが、報知新聞に入り、古老から話を聞き、一面に掲

載し好評を呼んだそうですが、これをまとめ、明治三十八年に出版しています。


内容は、学術、系統だったものではなく、市井の面白い話を集めたもので、「八

十一人斬」なんて載っていて、「岡部菊外」という百石取りの人物が、「人を斬る

のが飯より好きで、新刀を求めると七人斬らねば本当の斬味がわからないとい

っていた。」なんて、物騒な話もあり、「今でこそ言えるが」という話「安政の地震」

なども、載っています。


この中に、「撃剣修行の道場」で「修行の帳簿」というのがあり、「その頃有名な

先生方の道場はというと(いずれも師範役)、番町の斎籐弥九郎、蜊川岸の桃井

春三、お玉ケ池の千葉周作、子息の栄次郎・・・・・」とあり、大体、文之助と一緒

の頃だと思われます。


まず、剣道の道具を持って、「一本願うと申し入れる。・・・『拙者は何々藩士、師

匠は何の某でござる、剣術修行のため罷出ました。何分共御教授を願いたい』

と望みますと、その帳面へ先生の名義を記載してくれます。・・・・・その代わりひ

どい目に遭うことといったらお話しにならぬ。・・・・サテ他人の道場へ前(ママ)い

うた修行に参るてえと、場合により一命はないものと覚悟を極めて行くから、なか

なかまいらない。道具を外れを喰らって気絶なんかはノベツで・・・・・・」


という事で、文之助の場合とは、随分違いますが、文之助はよほど強かったので

しょう。


文之助は、明治七年の「佐賀の乱」に加わりますが、敗れさり、判決は懲役三

年。明治九年釈放。明治二十三年十二月三日病死、六十一歳。

剣道修行に明け暮れた青春時代、佐賀の乱に破れたあとの人生。文之助はどう

思って生きたのでしょう。


時代劇が好きな方、是非お読みを。今までのイメージが変わってきます。

 


【参考・文引用】
 

「剣術修行の旅日記~永井義男著」「増補 幕末百話~篠田鉱造著」より





2015年2月 5日 (木)

「剣術修行の旅日記」~永井義男著 其の二

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       (剣術修行の旅日記~永井義男著より)


さて、剣術の防具が発達する前は、刃引きした刀や木刀を使っていましたが、こ

れとて、場合によっては大怪我の危険性があり、いわゆる「形」の練習が主だっ

たようですが、これでは、単純で、退屈なだけみたいですが・・・


江戸の中期、竹刀と防具が工夫され、これによって、危険性が少なくなり、一子

相伝、口伝が崩れ、互いに打ち合っても、危険性は少なくなり、新流派の勃興が

あり、自流の宣伝のために文政年間頃から、積極的に他流試合をおこない、天

保年間末から、ほとんどの道場で他流試合が解禁になったそうです。


これに伴い、諸藩の修行人が全国の藩道場や町道場に、他流試合をするよう

に、なったそうです。


が、ただ一人で他道場に乗り込むのではなく、修行の許可が下りると、藩から修

行人に手札が渡され、これがないと藩校道場は修行人を受け入れなかったそう

です。


藩の役人は、江戸の藩邸に連絡をし、修行人の予定を藩校に知らせ、これを藩

邸宅で留守居役が各藩の留守居役に連絡をし、これを、各国許の藩道場に連絡

がいき、「○月なかばころ、佐賀藩の牟田文之助という鉄人流の修行者が行く」

と分かるようにしてあったそうです


ただ、修行人は武名録(姓名習武録ともいう)をもって、立ち会った相手に姓名を

記して貰ったそうで、今で考えれば、出張復命書ですね。


さて、旅の途中、当時は参勤交代、藩士の往来が頻繁で、各宿場には各藩の指

定旅籠屋があり、各藩の城下町には修行人向けに修行人宿(修行者宿、修行人

定宿)があり、修行人には無料で、現地の藩が負担をしていたそうです。


修行人宿で、手形と希望を確かめると、宿の主人が、藩校道場、個人道場に出

向き、立ち会いを頼み、その日のうちに、藩校の役人が宿に来て、予定を決めた

そうです。当日は、わざわざ道場から、門弟が迎えに。


当時の道場は、文之助の日録によると、広さは十坪(三十三平方メートル)から

二十坪(六十六平平方メートル)。いまの試合場は、八十一平方メートルから、百

二十一平方メートルですから、狭かったことが分かります。しかも、床は土間に稲

わらを敷いたり、筵を敷いたり、青天井の道場もあり、雨の日は試合ができなか

ったり。江戸あたりでは、板張りがしてあったそうですが・・・・

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                 (同 上)


さて、道場に着いても、一対一で審判が付く試合ではなく、長州藩明倫館では、

師範として柳生新蔭流の馬来勝平と片山流の北川弁蔵がおり、嘉永六年十月

十七日、門弟八十七、八名と立ち会い。次の日も、午前中四十名、午後からは

四十二、三人と打ち合い。これ、一対一では無理ですよね。


当時は、上の図絵のように、現代の「地稽古」で、お互いに向き合い、打ち合うと

いうものだったらしかったのです。「『他流との合同稽古』だったと言ってよい」形

式だったそうですが、他流との稽古を通じ友情が芽生え、夜はとにかく、試合相

手と飲む話ばかりです。


二刀流が珍しいためか、稽古を多く申し込まれたり、見物人がドット来たそうです

が、島原藩では稽古に来ると人数が少なく。これには、江戸で島原藩主松平忠

精(ただよ)の前で行われた試合で、その強さが伝わったらしく、「そのときの牟

田殿の刀流のあざやかさが当地にも伝わっており、藩の重役も興味を示しま

した。そため、高弟は貴殿を敬遠したのです。・・・・」との打ち明け話。


我が島原半島を納めていた、島原藩の武士は、意外と腰が引けていますね。文

之助が、如何に強かったが分かります。


さて、文之助は神道無念流の斎籐弥九郎の道場、練武館に入門、修行をします

が、この間、千葉周作の玄武館、桃井春蔵の至学館、男谷道場の男谷清一郎

の道場にも、出向いていますが、結果はどうだったか、以下、最終号に。


(参考・文引用:「剣術修行の日記~永井義男著」より)

2015年2月 4日 (水)

「剣術修行の旅日記」~永井義男 其の一

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今日はバタバタしているので、ほんのおさわりです。


剣術修行とか、他流試合とかいうと、すぐに映画の、一対一で、審判がつき、と

うのを思い出しますが、この本読むとイメージが全然違います。著者の永井

男氏が、20年ほど前「諸国廻暦日録」を入手。


同書の著書は、佐賀藩鍋島家の家臣牟田文之助。嘉永6年(1853)9月~安

2年(1855)まで、2年間にわたって、諸国武者修行をした日記。


牟田文之助は天保元年(1830)生まれ、父は吉村市郎右衛門。宮本武蔵の二

刀流の流れを汲む鉄人流の剣術藩士。


当時、佐賀藩の武芸はタイ捨流、柳生流、直心影流、戸田流、無限流、新影流、

時極流等々あったそうですが、二刀流は異色であったそうで、文之助が各地で

修行をする際も、興味を持って見られています。


文之助は、その後牟田家に養子に行きますが、同じく、鉄人流藩士の内田正右

衛門に、同じく鉄人流の手ほどきを受け、父と内田から免許皆伝を受け、佐賀藩

から諸国武者修行を許可されます。

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上が、文之助が剣術修行に回った道場です。同じ道場に数日滞在した所もあり

ます。


もちろん、江戸の千葉周作の北辰一刀流の玄武館、斎籐弥九郎の練兵館、桃

井春蔵の士学館といった有名な道場でも、手合わせをしています。


さて、読んで見て、まさに著者が「はじめに」で書くように、「緊張と苦難の連続

や、命がけの修行とはとても思えない。その雰囲気は和気藹々と形容するにふ

さわしい。まるでスポーツ選手同士の交流、交歓といおうか。・・・・・・・世の中に

は剣豪や剣技、剣術流派について解説したノンフィクションは多い。しかし、諸国

武者修行の実態について詳説したノンフィクションは皆無である(研究者による

論文はあるが)。

けっきょく、時代小説や時代劇に描かれた武士の諸国武者修行や他流試合のあ

りさまは、すべてがフィクションではないのだろうか。そして、フィクションがフィク

ションを拡大再生産せてきたのではないだろうか。」


という事で、実際の武者修行、他流試合のありさまはどうだったのか、著者永井

義男氏の本をもとに、ご紹介を少ししたいと思います。目からウロコです。では、

回。



(参考・文引用:「剣術修行の旅日記~佐賀藩・葉隠武士の『諸国廻暦日録』を読

 む~永井義男著より)





2015年2月 3日 (火)

「節分の日に」~雲仙市橘神社

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今日は天気も良く、ブラブラ橘神社を歩いていると、なにやら、おばさんが二人ば

かり拝殿の前にいて、女性とあれば、声をかけないのも失礼だと思いながら、

ヒョッと拝殿の中を見ると、神官さんがなにやら、やっていて・・・

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よく考えると、今日は節分でした。千々石の氏神様「温泉神社」でも、やっていた

ようですが、時間が分からず、行けませんでした。


帰って、暦を読んで見ると、二十四節気の一つに、立春がありますが、節分は立

春の前日だそうです。


本来は、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことだそうですが、それが、次第に春

だけに用いられるようになったそうです。俳句の季語でいうと、明日からが春の

で、今日「節分」までは、冬の部になります。


旧暦では正月初旬、年末になることもあるそうですが、新暦では2月の3、4日に

るそうです。

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儀式のあと、鏑矢を四本ばかり引かれましたが、この儀式初めて見ました。意味

を聞くのを、うっかり忘れました・・・・


豆を撒く時、「福は内」だけで、「鬼は外」は言ってない感じでした。神殿の中

「鬼」がいたら、大変な事ですから。


そのあと、本殿の4つの角(かど)で豆まきですが、見物人が私も入れて、3人と

はチト淋しい。来年は、AKB48でも呼んだら、と思いましたが・・・

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儀式のあと、一番上の写真のように、豆を貰ってきましたが、これなら、ビニール

袋を持ってくれば、良かった。


二人の女性の方は、諫早と大村から来られたそうですが、節分の儀式が見られ

て良かった、と大喜びでした。今年は、良いことがあるでしょう。


さて、節分といえば「恵方巻」が流行ってきましたが、これは、ウィキペデイアによ

れば、大阪地方を中心におこなわれていたそうですが、1998年(平成10年)

に、セブンーイレブンが「丸かぶり寿司 恵方巻」と採用されたことにより広まっ

た。と書かれています。


なお、「恵方巻」と呼ばれていたという文献等は見つかってない。と書かれていま

すが、私が、数十年前、千々石に来た時、千々石の某寿司店が売っていて、最

初は「こらなんじゃ」と思った覚えがあるですが・・・名前は何て言ったか、忘れま

した。


さて、「恵方」のことですが、

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これ、方位図ですが、吉神、凶神等が書き込まれ、この図は、年、月で変わっ

て来ますが、この中で吉神として、「歳徳神(としとくじん)」と言われる神様がい

て、「歳徳神」の在泊する方を俗に、”あきの方””恵方”というそうです。今年の場

合は「西南西」の方角だそうですが、「恵方巻」の名前はこれから、考えられたの

では?赤の○印に「恵方」と書いてあります。


「歳徳神」の在泊する方向を選ぶと、家屋建設、移転、開店、転地、結婚等、すべ

て吉方向とされているそうですが、方位については、難しいので、自学自習して

下さい。


さて、私は、商業ベースにのりたくないので、コンビニでは買いませんでしたが、

少しヘソが曲がっているので、寿司の代わり、「西南西」を向いて「ロールケーキ」

一本、食べまた。また太るな。



節分の豆少し添へ患者食     波郷

あたゝかく炒られて嬉し年の豆  虚子

豆撒きやかりそめに住める人の家  波郷

節分の火の粉を散らす孤独の手  六林男

節分の貰ひし豆を妻と食ふ  sugikan    おそまつ (*_ _)ゴメンナサイ


思い出しましたが、俳句の季語に「恵方詣」がありました。「その年の明けの方に

あたる神社仏閣に参詣すること。その道を恵方道という。〈恵方・恵方道・明の

方・恵方拝〉」


恵方とて人の歩める方へ行く 多佳子

恵方とて海の上にも道を延べ 狩行



(参考・文引用:「神宮館百彩暦~髙島易断本部編纂」。他、俳句歳時記より)

 

【おまけ】

 神社の裏に、梅一輪

Photo_5





2015年2月 2日 (月)

「ピーナッツと谷川俊太郎の世界」~チャールズ・M・シュルツ・谷川俊太郎

Img_20150202_0001

今日もカミサンが留守で、焼き芋作りにハマッテ、朝から焼き芋を作って、昼から

公民館の図書室で、珍しや、チャーリー・ブラウンの表紙の本があって、ペラペラ

めくったら、「バレンタイン」の文字が目に入り、借りてきました。

Img_20150202_0004_2

「今年はバレンタインの心配はやめよう・・・・」

「どうせカードは一通もこないんだ、心配することはないだろう?」

「とはいうものの、だれかが万が一送ってくれたら、配達されたとき、その場にい

いな・・・・」

という事で、郵便ポストの所で寝ることに。この分じゃ、チャーリー・ブラウン、バレ

ンタインのカード、いままで貰った事ないんじゃ無いんですか。


私の場合も、心配なんですが・・・オジサンモも欲しいんだヨ~  。どうせ。カミ

ンからは貰えないし。


「ピーナツ」という題名は、最初「L'il Folks」の予定だったそうですが、著作権の問

題で「PEANUTS」になったそうですが、「PEANUTS」は「取るに足らない・つまらな

い」という意味があり、作者のチールズ・M・シュルツーとしては、不満を持ってい

そうです。


この漫画の魅力について、谷川俊太郎氏は、出てくるのは子どもばかりだが、

「彼らの世界がおとなの縮図かと云えばそうではない。彼らは小生意気なミニチ

ュアおとなではなく、多くの場合、現実の子どもよりもっと子どもらしく、無邪気

率直なのである。

 が、この子どもらしさが、単にかわいらしいだけでなく、時に人間の本質に迫る

意地悪さや、残酷さ、エゴイズムなどをはらんでいるところに、このマンガの一種

の深みとでも言うべきものがあると思う。」と書いています。


考えれば、このマンガのャラクター、スヌーピー、チャーリー・ブラウン、サリー・ブ

ラウン、シュローダー、ルーシー、ライナス等、意地悪な子、スポーツ万能な子、

音楽の得意な子、人生を少し斜めに見る子、哲学的な子、いろんな子が出て来

ますが、谷川俊太郎さんが書くように「人間の本質に迫る」面がたくさんでてきま

すね。といっても、優しさも沢山持っており、若すぎるからと、病院で面会を断ら

れた場面です。外で病室見上げています。

Img_20150202_0003

かと思うと、含蓄に含む部分もあり、やはり、大人にも参考になりますね。

Img_20150202_0005_3

谷川俊太郎さん、このマンガに出てくる人物を「『「ピーナッツ』のみんなに」という

誌を書いています。



■チャーリー・ブラウン


いつきみはひげが生えるの

丸い頭の子

ぼくらがみんなゲート・ボールしかしなくなっても

きみは相変わらず野球に夢中


ジャンパーのポケットに手をつっこんで

不死なる敗北を嘆きつつ歩むきみの姿に

スーパーマンは顔を赤らめ

ハムレットは顔をそむける


さて、これを読んで、もう一つ思い出したのが、谷川俊太郎さんの「いいこ」



■いいこ


となりのよっちゃん とってもいいこ

おやのいうこと なんでもきいて

しけんはいつも ひゃくてんとって

さけものまなきゃ たばこもすわず

いちんちろっかい はをみがく


となりのよっちゃん とってもいいこ

もらったこづかい みんなかえして

じゅくからじゅくへ わきめもふらず

てれびもみなけりゃ まんがもよまず

ゆめのなかでは といれのそうじ



(参考・文引用:「ピーナッツと谷川俊太郎の世界~チャールズ・M・シュルツ」「わ  

 らべうた~谷川俊太郎著」「魂のいちばんおいしいところ・谷川俊太郎詩集」よ

 り)





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