歴史講座「南串山馬場庄屋に見られる半島の歴史」~雲仙市南串山町
先日、南串山町の「南串山馬場庄屋・古記録抜書帳」について書きました。
詳しくは→こちらをクリック
今日は、その庄屋抜書帳の説明会。意外と皆さん興味があるのか、町外からも
聴講の方も見えておられました。
先日、出版された本です。
古文書が37冊あるそうで、その中の一冊を解読し、せっかくならと言うことで、印
刷物にされたそうですが、あと、36冊残っているわけで、現在、2冊平行して解
読されているそうです。
茂和夫会長さん。今日の講師です。手に持っているのが、馬場庄屋が書いた、
古文書です。
南串山というと、小豆島からの移住と思いがちですが、同じ半島の北目からも、
移住者があり、「二月 湯江村多比良大野村 右三ヵ所から家数一七軒当村尾
登名へ引越候様被付引越来候・・・・・」とあるそうです。
小豆島からの移住は有名ですが、「小豆島より七百軒程当島江御受込、所々江
住居仕候様被仰付候・・・明暦3年(1657)
となっていますが、小豆島の人口が、元和年間(1615~23)で、28796名、
3638戸。寛文年間(1661~72)で、20065名、3566戸。果たして、この中
で700戸移住したのか、疑問があるそうです。
なお、ちと疑問の所もあり、「享保明細帳」の「一 首塚一ヶ所。有馬一揆の節、
切支丹の首三千余、埋し塚と申し伝え、会津村(現雲仙市愛野町)に之あり。」
以前は、島原・天草一揆の首が埋められていた、という話がありましたが、現在
は否定的で古墳か、地元の郷土史家の方に聞くと、罪人を埋めた所ではないか
との事でした。
さて、小豆島からの移民の方は、伊勢参りが夢で、といっても、日にちと金がか
かり、講を作って、金が貯まると、抽選をし伊勢参りをする人を選んだそうです。
もちろん、当時のこと、途中で倒れる人もいたそうです。
伊勢参りには、面倒臭い手続きがいるのですが、「小豆島より参り候の者、格別
の事」という、文書も残っているそうです。
まだまだ、いろんな話がありましたが、2冊目、3冊目の出版が待ち遠しいもので
す。本を希望の方は、雲仙市教育委員会へお尋ねください。
伊勢に行く時、集落の人が集まり、お祝いの酒盛りに「よ伊勢」(伊勢音頭調)を
歌ったそうです。
三番までありますが、小豆島への望郷の思いが二番に凝縮していると思います
ので、二番だけご紹介します。なお、歌われたのは、一番上の写真の「よ伊勢保
存会」の皆様でした。
よ伊勢 一人息子を ヨイヨイ 馬の背にのせて アラヤットコセ 今日は 旅立つ
アリャぁ 晴れ姿
よ伊勢 お伊勢行くなら ヨイヨイ 小豆島 通れ アリャ ヤットコセ 島はなつか
し アリャぁ 土までも
よ伊勢 ついて行きたい ヨイヨイ うちん島里へ アリャ ヤットコセ まつ人がい
る アリャぁ あの丘に
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