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2015年1月24日 (土)

歴史講座「南串山馬場庄屋に見られる半島の歴史」~雲仙市南串山町

Dsc02230

先日、南串山町の「南串山馬場庄屋・古記録抜書帳」について書きました。

詳しくは→こちらをクリック


今日は、その庄屋抜書帳の説明会。意外と皆さん興味があるのか、町外からも

聴講の方も見えておられました。


先日、出版された本です。

Img_20141129_0001

古文書が37冊あるそうで、その中の一冊を解読し、せっかくならと言うことで、印

刷物にされたそうですが、あと、36冊残っているわけで、現在、2冊平行して解

読されているそうです。


茂和夫会長さん。今日の講師です。手に持っているのが、馬場庄屋が書いた、

古文書です。

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南串山というと、小豆島からの移住と思いがちですが、同じ半島の北目からも、

移住者があり、「二月 湯江村多比良大野村 右三ヵ所から家数一七軒当村尾

登名へ引越候様被付引越来候・・・・・」とあるそうです。


小豆島からの移住は有名ですが、「小豆島より七百軒程当島江御受込、所々江

住居仕候様被仰付候・・・明暦3年(1657)


となっていますが、小豆島の人口が、元和年間(1615~23)で、28796名、

3638戸。寛文年間(1661~72)で、20065名、3566戸。果たして、この中

で700戸移住したのか、疑問があるそうです。


なお、ちと疑問の所もあり、「享保明細帳」の「一 首塚一ヶ所。有馬一揆の節、

切支丹の首三千余、埋し塚と申し伝え、会津村(現雲仙市愛野町)に之あり。」


以前は、島原・天草一揆の首が埋められていた、という話がありましたが、現在
 

は否定的で古墳か、地元の郷土史家の方に聞くと、罪人を埋めた所ではないか

との事でした。


さて、小豆島からの移民の方は、伊勢参りが夢で、といっても、日にちと金がか

かり、講を作って、金が貯まると、抽選をし伊勢参りをする人を選んだそうです。

もちろん、当時のこと、途中で倒れる人もいたそうです。


伊勢参りには、面倒臭い手続きがいるのですが、「小豆島より参り候の者、格別

の事」という、文書も残っているそうです。


まだまだ、いろんな話がありましたが、2冊目、3冊目の出版が待ち遠しいもので

す。本を希望の方は、雲仙市教育委員会へお尋ねください。

Dsc02236_2

伊勢に行く時、集落の人が集まり、お祝いの酒盛りに「よ伊勢」(伊勢音頭調)を

歌ったそうです。


三番までありますが、小豆島への望郷の思いが二番に凝縮していると思います

ので、二番だけご紹介します。なお、歌われたのは、一番上の写真の「よ伊勢保

存会」の皆様でした。


よ伊勢 一人息子を ヨイヨイ 馬の背にのせて アラヤットコセ 今日は 旅立つ

アリャぁ 晴れ姿

よ伊勢 お伊勢行くなら ヨイヨイ 小豆島 通れ アリャ ヤットコセ 島はなつか

し アリャぁ 土までも

よ伊勢 ついて行きたい ヨイヨイ うちん島里へ アリャ ヤットコセ まつ人がい

る アリャぁ あの丘に



 

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