島原城「幻の廊下橋」完成&その他のこと 後日談
前にも書きましたが、今日、島原城本丸と、二の丸を繋いでいた、「幻の廊下橋」
が完成するとかで、見学にやって来ました。
もちろん渡れはしませんが、森岳商店街(島原城のすぐ近く)プロジェクトチーム
が実物大巨大看板絵で「廊下橋」を再現するとか。
オープニングがあるとは知らずに、朝10時頃行ったら、ちょうど開通式の式典。
お殿様と子ども達の、くす玉割をやっていました。
表から見たら、立派なものでしたが、裏から見るもんじゃありませんね。
彼氏、又は彼女も、表から見るのが良く、裏から見るもんじゃありません。
この橋を渡ったところが、本丸の枡形があります。
城の入り口を「虎口」「小口」などと言いますが、「枡形」は「虎口」に二つの城門を
設け、間に方形の空間を置く方式で、門を通っても、正面は壁、右には第二の門
があるわけです。(城の見方・楽しみ方~監修・小和田哲男)
この枡形の所、巨石、鏡石と言われるものがあり、城主の権威を見せつけるもの
だそうですが、織田信長、豊臣秀吉時代の城造りあたりから使われたそうです。
多分、皆さんの近くの大きな城でも、見られると思います。
鏡石ですが、写真で見ると大きさが、よく分かりませんが、回りの石の大きさと
比べれば、大きさが分かると思います。
さて、ここで、島原城の調査をしている、学芸員の方にお会いして、「面白いもの
がありますよ」と・・・・・石垣の一つに、△の印が彫ってあるんですね。聞いたとこ
ろ、他にも何カ所かあり、なんのためか分からないが、石工さんが、何らかのた
めにつけたのでは、という事でした。
大きな城普請のときは、各藩割り当てがあり、どの藩が担当したのか、分かるよ
うに印があるそうですが、この島原城は、松倉重政が単独で築城したものです。
さて、ついでに、この間の疑問、この橋が直線か、筋違い橋か?案内のパンフレ
ットには、筋違い橋(斜めに架かる橋)に描いていますが、本当か?
左が、パンフレットです。聞くと、この地図は、熊本県にある地図だそうで、はや
り、橋の様子が分かるように、デフォルメして描いたものだそうです。
会場で右の資料をいただきましたが、この資料に、5枚ばかり、島原城の古地図
が載っており、見ると全部直線の橋でした。
2枚ほど載せてみますが・・・
左は「日本古城絵図 西海之部(1).322嶋原之城図(国立国会図書館所蔵)」
1672(寛文12)年以前。
右は「肥前国嶋原城当閏正月廿三日風雨之節破損所覚(九州大学附属図書館
付設 記録資料館所蔵)。1841年(天保12) ※石垣の改修を願い出た絵図。
上の絵図の赤丸印が橋ですが、ここだけ拡大すると、下の通りになります。
直線で、しかも、屋根がついていることが分かります。
左の橋の所に、多分、廊下橋十二間(約21.6㍍)と読める、ような感じで書いて
あります。幅はハッキリしないという事でしたが、二間半(約4.5㍍)くらいだった
そうです。
さて、帰りがけ城を見ていると、いつも疑問だったのですが、石垣がまっすぐでな
く、折れたようになっているのは、外見のためかと思っていたら、お城の本に載っ
ていました。
要するに、攻められた時、直線だと死角ができるので、わざと、このような作りに
してあるとう事ですね。
城って、勉強すれば意外と面白いものですね。これなら、学校時代、授業中寝な
いで、一生懸命勉強すれば良かった。
(参考・文引用:「城の見方・楽しみ方~監修 小和田哲男」「『幻の廊下橋』復元
プロジェクト~森岳商店街」より」)
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