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2014年2月23日 - 2014年3月1日

2014年3月 1日 (土)

「走れメロスは歩いていた」?~たまには週刊誌を

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久しぶりに週刊誌を買いました。久しぶりにといっても、3日前、別の週刊誌を買ったばか

りですが・・・


この「65歳で決断する『終の2択』」、「夫が死んで『幸福な妻』『不幸な妻』」という、題字が

気になります。ウチのカミサンはもちろん「幸福な妻」でしょうが・・・・


さて、本屋さんに行ったら、猫と犬の本が多いこと。

「犬に言いたいたくさんのこと」「涙猫」「ネコの涙」「ネコに言いたいたくさんのこと」「猫たち

の恩返し」「世界から猫がきえたなら」「人生はニャンとかなる」。


何ですかね、これ。ウチ、隣の犬と猫から5年も悩まされています。私が某国の国王なら、

「発禁書」にしているんですが。

__

さて、週刊誌をめくっていたら、「走れメロスは歩いていた」の目次が目に入ったので読ん

でみたら、中学生2年の村田信一君のレポートが、理数教育研究所主催のコンクールで

最優秀賞をとり、話題を呼んでいるとか。


「走れメロス」は教科書にも載っているので、皆さんご存じだと思います。太宰治の作品。

簡単に書くと、いろいろあって、3日間のうちに町に戻ってこないと、人を信じない王様に、

親友が処刑されるというもの。


はたして戻ってこれるか、手に汗を握る物語。また、友情、人を信じることを主題にしてい

ます。


村田君のレポート。「初夏満点の星の深夜出発」との記述から、メロスが深夜0時に出発と

仮定。


「一睡もせず十里の道を急ぎに急いで、村に到着したのは、翌る日の午前、日はすでに昇

って、村人達は野に出て仕事をはじめていた」とあるので、夜通し走って午前10時に到着

したものと仮定。


計算すると、10里=約39㎞。村へ到着するのに10時間。計算すると、平均時速は3,

9㎞。「一般的な男性の歩行速度は4㎞なのでメロスは往路は歩いたことが分かります」。


復路は、「目が覚めた時は翌る日の簿明」と書いてあり、物語の舞台はイタリア南部、北

緯38度付近、日本では仙台とほぼ同じ軽度。緻密な考え方ですね。


そこで、メロスが目覚めたのは、「午前4時」と推定。「悠々と支度を始めた」ので、出発を

午前4時30分と推定。


と言う事で、あとは簡単に書けば、出発から12時までの平均時速が2.7㎞(この間は川

の氾濫がありますが)。


途中、山賊に襲われますが、処刑場に辿り着いたのが、仙台の夏至の日没時間から午後

7時と推定。


と言う事で計算すると、最後の死力を尽くして走った時速が、5.3㎞。私が、少し早めにウ

ォーキングする時の速度が、時速6㎞。結果、メロスは、計算上では歩いた、ということに

なります。


村田君は、こう感想を述べているそうです。「『走れメロス』というタイトルは、『走れよメロ

ス』のほうがあっているなと思いました」、村田君、中学2年ですよ。すごい、着眼点とユー

モア。


結局、「65歳で決断する「終の2択」、「夫が死んで『幸福な妻』『不幸な妻』」はまだ読んで

いません。読まない方が良いかな、特に後者の方は。


橘公園の桜。桜開花の基準木を見に行ったら、まだまだですね、

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帰りがけ、学校のユキヤナギが、少しばかり咲き始めていました。春はすぐそこ。わたしの

心はいつも冬。

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(参考・文引用:「週刊ポスト 3月7日号」より)





2014年2月28日 (金)

病院で古事記を

__

お~、スベスベした、雪のような、真っ白いお肌。


この写真、何回目になりますか。また、今日の朝、おかしいと思って病院に行ったら、出て

ました。心房細動。寝たままの状態で、脈拍が120~160。私が少し速く走って、脈拍が

160ですから、少しきつかった。


さっそく点滴ですが、上手な方と、苦手な看護師さんがおられ、それに加えて、私の血管が

細いので、3回目でやっと血管に入りました。


針を刺す度に、「あ~快感」。本当は痛いのですが、痛いと思えば痛いので、美人の看護

師さんに刺されながら、前向きに「あ~快感」と思うようにしています。少しは楽。なんでも

前向きに考えること、必要ですね。


さて、どうせ半日はかかるなと思っていたので、以前より読んでみようと思っていた「古事

記」を持ち込んでみました。もちらん、原文でもなく、NHKで解説放送をしたもの。

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古事記で分かりにくいのが、名前。「ウマシアシカビヒコジ」。3回言ってください。舌噛みま

す。


この本によれば、「ウマシ」は立派な、「アシ」は植物の葦、「カビ」は菌類のカビと同じよう

にツンツンと萌え出る棒状の芽、「ヒコ」は男、「ジ」は「神格」。すなわち「立派な葦の芽の

男神」と言うことになります。こうして説明されると、名前覚えるのも、そう苦にはなりません

ね。


高校の古典も、このように教えてくれると、少しは分かったのですが・・・・・古典の時間は

「お昼寝」の時間だったか。


と言うように、全文解説ではありませんが、古事記の成り立ち、書かれた物語の裏にある

もの、民俗学的な見地など書かれています。


残念ながら、この本、昨年の9月、4回にわたって放送されたもので、私、なんでか買って

たのかな?


とにかく、心臓のドクドクする音を聞き、唸りながら、完読。これで、だいたいの流れは分か

ったので、あと、簡単な解説本を2,3冊読んで、原典を読むつもりです。


さて、読み終わって、裏表紙を見ると、

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何ですか、これ、病気で唸っているのに、「あらゆる人々は、ひたすら、死に向かって進ん

でいる」。体の空気抜けますよ。看護師さん呼んでマジックを借りて、書き直しました。

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「汝は、ひたすら、キャバクラに向かって進んでいる」。これで、少しは元気がでました。



2014年2月27日 (木)

千々石直員(千々石ミゲルの父)★こんがらがってホイ!~千々石町

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千々石直員が祀られている、天満神社です。


さて、千々石直員は、千々石ミゲルの父親になりますが、昨日、直員はこの釜蓋城で自死

したのではない、と偉そうに書いたのですが、調べて見ると、チョンボです。


島原半島史には、「・・・・・・・千々岩(千々石?)氏等の名が見えるが其系統が明瞭でな

い。」と書いてあります。


あれから、研究が進んだのか、外山幹雄氏「肥前有馬一族」に系図が載っておりました。

それによると、有馬家は、藤原長良が開祖で、途中省略して、有馬晴純に、義貞、純忠

(大村丹後守)、直員(淡路守)、盛(松浦丹後守)、諸経(志岐兵部少輔)と五名の子がお

り、この直員(淡路守)が、昨日書いた藤津郡で討ち死にした直員になります。


そして、その子が、又、直員の名を継ぎ、「大和守直員」と、「直員」と同名をつぎ、この直

員が千々石ミゲルの父になります。ここが、私の早合点。「淡路守」と「大和守」。


群書類従を読むと、ちゃんと前の方に

「・・・・・就夫日野江近邊ノ小城。

一 深江ノ城代    深江下野

一 鷺野ノ城代    田口監物

一 千々石ノ城代  千々石淡路

一 守山ノ城代    守山宮内

一 諫早ノ城代    西郷右衛門」


と書いてあって、そのすぐ後に、直員の討死の事が書いてあるので、藤津郡で龍造寺に討

たれたのは、「淡路守」の方の「直員」だったことが分かります。いろいろな本。ネットを見

ると、私と同じ間違いをしたものが、多々見うけられます。


さて、先日書いたとおり、「直員」の敵を取ったのは、「其子純員」と書いてあり、「純員」が

「直員」に名前を変えたものか?兄弟がいたのか?もっとも、親の敵を取りに行くのは、長

男で、跡継ぎになるのは充分に考えられます。


考えれば、徳川家康も、幼少名、竹千代。後、松平元信→松平元康→松平家康→徳川家

康と名前を替えています。

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さて、神社は、直員が討ち死にする時、平和な世であって欲しい。ここに天満神社を建て

るように言って自刃します。そのとき、家臣町田兵七、木戸萬九郎も自刃するのですが・・


明治12年「千々村村史」の村の紹介には、「釜蓋神社」として、「・・・有馬大和守純員其臣

木戸萬九郎鬼山兵四郎ヲ祭ル祭日九月廿五日」と書いてあり、やはり、「直員」、と「純員」

は同一人物であったようです、なお、家臣の名前が一名違っています・・・・


ただ、大正7年の「千々石村郷士誌」の「神社及宗教」の所、由来沿革には、神社名は「天

満宮」となっており、「故千々石釜蓋城主大和守澄籌及家老木戸万九郎 仝町田兵七郎ノ

三名・・・・・」、これもまた「大和守澄籌」と名前が変わっており、また、名前を替えたのか

な?


この、釜蓋城は、龍造寺に落とされた時、火に包まれ、文書類はなくなっており、詳細は分

からないところがあるのですが・・・・


さて、この釜蓋城は、拠点的に重要なところであったらしく、ルイス・フロイスの「日本史」

に、「・・・・けだし、同城は、ドン・プロタジオ(注有馬晴信。晴信も、鎮純→鎮貴→久貴→久

賢→正純→晴信と名前を変えております。)の高来領における、二つの鍵ともいうべき城

の一つをなすものであった。」とあります。


なお、佐賀の龍造寺軍はかなり強かったみたいで、同書に、「・・・・(龍造寺)隆信麾下の

戦列は、あたかも彼が奉仕している悪魔が彼を授けているように見えた。その隊列は見

事に配分されていて、まるで彼はヨーロッパの戦術図、ないし戦術計画を入手しているか

のようであった。・・・彼らは豪華に装い、また清潔で気品があり、戦場で鍛錬された兵士で

あった。」とあります。


さて、薩摩の国、島津氏(有馬氏と手を結んでいます)+有馬氏は「6,300人を超すほど

の兵士がおろうか。」、龍造寺軍は1万2000名。ただし、沖田畷の戦いで、龍造寺軍は敗

れ、大将の龍造寺隆信も討たれてしまいます。


釜蓋城は、有馬氏の手に戻りますが、前に紹介した、外山幹夫著「肥前有馬一族」に異な

事が書いてあり、「天正一二年三月、龍造寺隆信軍は千々石城を明け渡し、佐賀に逃亡

した。千々石直員はその城にもどることができたのだった。(フロイス「日本史」(10)322

ページ)」。残念ながら、「日本史」の本は私のと底本が違うため、この部分は見つけること

ができませんでした。この「直員」どうにも分かりませ~ん。子孫が、又、名前を継いだの

か?


さて、ミゲルは戦火の中を落ちのびる事になるのですが、上に書いたように、龍造寺軍は

かなりの訓練を積んだ兵。その中を、ちいさな子を抱いた母親が逃げ切れるものか?


復活祭後の木曜日、その日の朝に諫早を逃げ出した異教徒が、隆信が伊佐早におり、明

金曜日に天明とともに襲撃するとの報告をしています。


千々石なら、有馬よりはるかに近く、動向は常に探っているだろうし、ちいさな子どもを逃

がす時間はあったと思うのですが・・・・


さて、これ調べて見ると、こんがらがってホイです。名前は変えないように、また、家系図

はチャント書いておきましょう。


我が家にも家系図があるのですが、開祖を見るとなんと「光源氏」。これで、私が(キャバ

クラで)もてるわけが分かりました。


2014年2月26日 (水)

島原半島郡部の映画館と私~大久保昇★お昼ご飯は「まんま屋」さんで

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思えば、映画全盛の時期があり、どこの町にも必ず映画館があり、有名映画になると、お

客さんが、映画館を取りまいたものです。


この本、1997年発行ですから、少し以前の本。作者は、農業、映画館、自動車修理業と

3回の転職をしています。


この本を書いたきっかけは、一人娘を嫁がせたため、大久保家直系が終わりになり、そ

のため、記録を残しておくこと。もう一つが、「二つ目に書きたいことは映画の記録であ

る。」


著者は、各町の映画館をとりまとめ、昭和35年、「邦画七社のフィルム配給権」一切を

ガラス張りにして、「南高映画協同組合」(著者によれば、法的なものではなく、私的な呼

称)を作ります。


この本、この協同組合なるものの映画館を集金して回る様子が書いてあり、これが、映画

館名、所在地、経営者、出身地、経歴、エピソードまで書いてあるというもの。全部は書き

きれませんから、町名、映画館名、経営者のご紹介を。島原半島の方は、ご存じの方も

おられると思いますが・・・・・


■有明町~大三東(おおみさき)村 松尾映劇

・有明町大三東 ・経営者~岡野千代蔵 ・文房具、青果も取り扱っていたそうです。

■有明町~大三東映劇

・有明町大三東 ・経営者~佐中密男 

■国見町~日ノ出館 

・国見町多伊良 ・館主~中村松太郎(昭和6年日ノ出館を新築) ・経営~田添信義

■国見町~神代映劇

・管理者~鵜殿孝良 

・神代映劇は昔、「不知火座」と呼ばれ、本格的な芝居小屋であり、回り舞台、歌舞伎の六

方も踏めるものであったそうです。なお、「映画も他町村とは違って文芸作品が受ける土

地柄であったそうです。」さすが、鍋島家の、お殿様のお膝元。

■瑞穂町~大成館

・西郷村 ・生田虎雄 ・祖父の生田兼三郞は、顔の効く人で、「功徳碑も残っていると聞

く」と書いてあります。

■吾妻町~吾妻館

・吾妻町大木場名 ・経営者~林田豊蔵 

・豊蔵さんは鍛冶屋さんだったそうですが、駅前の鍛冶屋の小屋を改造し、戦後映画館を

兼業で始め、後、昭和29年、木造二階建ての常設館を新築。

■愛野町~愛野映劇

・「映画館を造ったのは多分農家であったシメ子さんと思うが確証はない」 ・昭和32年か

ら岩佐茂さんの経営に変わる。

■千々石町~千興館

・経営者 玉村福市 玉村宏治 ・土地 玉村俊子

・喜佐治(俊子さんの父)さんの父親は、温泉鐵道千々石駅の前で、大きな倉庫を持つ肥

料屋さんだったそうで、昭和12年、千興館を買収。二階建で、桟敷席のある本格的な劇

場づくりであったそうです。

■南串山町~南串映劇

・南串山町尾登名 ・経営者 辻俊三 ・昭和35年頃、板引の辻商店さんへ売却 

・昭和36年に廃業

■口之津町~口之津映劇

・口之津町甲 ・経営者 鎌田満太 

・なお、口之津資料館に、占勝館と刻銘された大鬼瓦が展示してあるそうですが、大正3

年11月、島原で活動常設館として申請し、親しまれ、昭和13年口之津映劇として利用さ

れたそうですが、テレビの普及に伴い廃業。

■南有馬町~原城館

・南有馬町乙 ・経営者 中村信一 中村千足

・昭和28年、兄弟で映画館を思い立ち、口之津港税関跡近くの塩倉庫を買い、舟で運

び、移転改築。昭和33年から、お兄さん一人の経営だったそうですが、昭和39年廃業。

■北有馬町~北映館

・北有馬村字下谷川 ・経営者 寺田兼作 ・兼作さんは村相撲で強かったそうですが、

中国に渡って、いろいろあり、敗戦で引き上げ。

後の町長八木氏、原口さん、病院の三宅先生、高木下駄やさん等、十数名の知名士で、

映画館を作り、当たったそうですが、出資者が多く、運営も配当も思うに任せなかったよう

です。

■西有家町~弥生座

・西有家町須川 ・経営者 宮崎清人

・この方も、書ききれないほど経歴が有り、昭和29年に、奥さんの郷里西有家の、弥生座

が売りに出たのを買い、経営しますが、これもテレビに押され昭和39年に閉館。

■有家町~有家館

・有家町中須川 ・経営者 島居勝信 

・火災を2回起こしたそうですが、昭和39年閉館。有家農協へ売却。


ここに書いたのは、著者の大久保さんが配給に関係したところで、多分、映画の配給ルー

トはまだあって(島原市、加津佐町、小浜町、布津町、深江町が載っていません)、これよ

り多くの映画館が、島原半島にはあったことと思いますが、この本、島原半島の映画史と

して参考になるものでしょう。


さて、本日も一人っきりで・・・いつも車で通るたびに気になっていたお店、「まんま屋」さ

ん。以前はそんなに、多くなかったみたいでしたが、タウン紙に載ったせいか、駐車場がい

っぱい、お客さんもおっぱい(失礼)、ではなく、いっぱい。おかげで、十分ほど待たされま

した。お隣は、ケーキハウス「ちゅちゅ」さん。本日お休みでした。左の方が「まんま屋」さん

です。


お客さんの人数を数えると、女子18名、男子2名。女子の左薬指をさりげなく見たら、み

んな安っぽい結婚指輪をしている方ばかり。


いつものように、安いコンビニ弁当を食べているであろう、旦那さんの姿を思うと、涙があ

ふれ出てきました。


料理は、いつものように一番安い日替わり定食。日替わり定食で手を抜く店は、ろくな所

ない、と言うのが私の持論。


「味噌漬けの豚肉のトンカツ」。なんと、小ぶりながらも、二枚もついているではありません

か。成人病すれすれの私にとっては、二枚食べるのは、自殺行為。と思いつつ、美味しく

いただきました。

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2014年2月24日 (月)

潜伏キリシタン地蔵?~雲仙市瑞穂町

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一昨日、瑞穂町の八幡神社で、T氏と偶然お会いし、話をしていると、興味あるものがある

と言われ、わざわざ連れていただいたことを、書きましたが、この場所です。


石仏の前は、少し凹地になっており、通りかかった、おじいさんがT氏を知っているらしく、

話を聞くと、この場所に以前水が湧いており、水神様として祀ってある事のことでした。


さて、島原半島はキリシタンの遺跡が多く、学術的に証明されている物、議論があるもの

等、種々さまざまです。


そのうちの一つに、A(アルパ)型キリシタン地蔵、ω(オメガ)型地蔵があります。

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(島原半島のキリシタン文化・かくれ切支丹の遺物と遺跡~島旗半島かくれ切支丹研会)


腕の形、全体の形を見ると、「ω」と「A」の形に似ています。

この「A」と「ω」については、「ヨハネ黙示録第1章の8」に「今いまし、昔いまし、やがて来

たるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、わたしはアルパであり、オメガであ

る」。要するに、神が世界の全てであると言う事でしょう。


さて、先ほどの地蔵さん、まさに腕の所をみると、「ω地蔵」。

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潜伏キリシタンの遺物については、私の立場は、肯定派でもなく、否定派でもないのです

が、ただ、これが島原半島独自のものか、全国的なものか、分布範囲など学術的研究も

なく、ただ、思い込みだけでは、なんとも言えないと思うのですが・・・・


なお、ヨハネ黙示録は、「ウィキペディア」によれば、「『黙示録(ヨハネ黙示録)』はキリスト

教徒の間でも、その解釈と聖典への受け入れをめぐって多くの議論を呼びおこしてきた書

物である。今日では歴史的教会では聖典と認められている。」とあり、果たして、このような

難解な教えが、キリスト教未開発の、昔の日本において教えられていたのか?


参考です、宮崎県瑞厳寺にある、十一面千手観音菩薩。

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(「仏像の基本」~枻(えい)出版社より)


見方によっては、腕の所「ω」に見えませんか?この方面、まだまだ、研究の余地があり

そうですね。


さて、もう一カ所案内していただきました。

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これが、キリシタン地蔵かどうか、私の目では分かりませんが、横の所。

写真では、分かりにくいのですが、左右で少し違っていましたが、読みやすい方で書くと、

向かって右には「寛正二十年 釈現○ 壬四月八日」と読めました。


最初は「寛政」の当て字かと思ったのですが、「寛正(かんしょう)」という年号はありまし

たが、1461年~1466年。寛正7年2月には文政に改元していますから、「寛正二十年」

という年は無いということで、これは、どう考えたら良いんでしょう。悩んでいます。

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実は、この後、もう一カ所連絡があったので、一人で行って写真を撮ってきて、整理してい

たら、間違って消してしまいました。機会があったら、又。

瑞穂町のTさんには、仕事中にかかわらず、お世話になりました。感謝いたします。



2014年2月23日 (日)

緋寒桜まつり~雲仙市国見町神代小路(こうじろくうじ)

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鍋島家陣屋の正面玄関です。この玄関を使うのは当主のみで、現在でも、我々平民は、

横の方からしか入れません。


入る時に、係員から「撮影禁止です」。と言われ、写真は載せられませんが、減るもんじゃ

なし、写真くらいイイジャナイですか。我が家は、撮影自由です。


なかに入って、初めての印象は、「掃除するのに、大変だろうな。こんな所に生まれなくて

よかった。」


門の左右の緋寒桜。もう少しという所。さて、この屋敷、イメージ的に分からないと思いま

すので、説明版の絵を

Photo_2

話変わって、島原の有馬氏と、佐賀の龍造寺氏が争った頃、ここ、神代氏は龍造寺氏に

つきますが、龍造寺は敗退。神代氏は有馬氏の支配するところになり、姿を消します。


その後、豊臣秀吉が九州を平定、九州国割をおこなった際、当時、島原半島の有馬領か

ら、旧神代領三千石が割られ、鍋島直茂に与えられます。


城番を派遣して、統治していましたが、慶長十三年、鍋島信房が神代に入り、初代の領主

になります。

こんな感じで、東神代村、西神代村、伊古村、古部村の4ヶ村が領土になります。

Photo_3

(「島原半島の歴史~監修・松尾卓次」より)


これは、昔の龍造寺氏、神代氏との関係、又、鍋島直茂の兄、鍋島信房が鹿島(後、鹿島

から神代に移ります)を統治していたことから、対岸の有馬領に、楔を入れ、有馬家、島津

家(龍造寺家との戦いでは、有馬家は、島津家と手を結んでいます。)を牽制するという、

秀吉の考えがあったと言います。あと、話が長くなるので省略。


左は、長屋門と石垣、いつもは静かな、神代小路(くうじ)です。昔の風景が、ゆっくりと眺

められます。

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この鍋島家の屋敷、この間まで修理をしていましたが、先週の16日、オープンをしたばか

りで、大変な修復作業であったそうです。

釘一本にしても、どこの釘か記録しておいて、また、同じ所に、同じ釘を使ったそうです。


さて、2月から3月にかけて、各種イベントが企画され、これはネットで調べられます。

今日は、大道芸。南京玉すだれ、長崎で有名な西村氏と奥様。他に、「かっぽれ」など、本

格的な芸が見られました。


オカリナの演奏。オカリナは、一番右の女性の方の手作りだそうで、お馴染みの曲が多

く、皆さん最後まで楽しんでおられました。

Photo_4 Photo_5

「ひょっとこ踊り」、ふんどしの横から、金○が少し覗いていました。

有名な「とり刺し」があるかと思っていたら、先日、おこなったばかりで、今年はパスだそう

で、昨年の写真で我慢して下さい。


他の日には、日本民謡、本格的なフラダンス、吟行俳句大会、神代小路まちなみ散策、お

茶会等々あるみたいですから、確かめてお越しを。

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会場は、昔の中学校の校舎。昔の建物がそのまま残してあり、イイデスね。この、木造校

舎、木の廊下。よく、立たされたものですが・・・・。教室内での特産品の販売。

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アベックが多いようで、ウラヤマシイですね。私は、いつもの通り、一人の孤独旅・・・・・カミ

サンと一緒より良いけれど。

「花の命は短くて・・・・・」、早めにご覧を・・・・・あなたの彼女もですよ。

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(参考・引用:「島原半島の歴史~監修・松尾卓次」、説明パンフレットより)





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