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2014年2月16日 - 2014年2月22日

2014年2月22日 (土)

八幡神社その後~瑞穂町西郷八幡神社

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以前、「肥前鳥居発見」と言うことで、書いた八幡神社です。先日書いたように、再び訪れ

たましたが、丁度、運良くお祭り。


女性の神主さんがおられたので、ちょっとお話しを、と言うことで、話をしていたら、これま

た、岩戸神社の春祭りのとき、おられたので、いろいろ、お話しをお聞きをした方。


「あら、春祭りの時」と言われましたが、その時は、何の事か思い出せず、家に帰って思い

出しました。歳はとりたくないもの。


さて、下の鳥居。古いので、こちらが先にあって、あと、広い神社になったのかと思ったら、

大違い。


実は、一番上の写真の鳥居の所に、こちらの古い鳥居が建っており、新しい鳥居を建てる

にあたり、この古い鳥居が風格があるということで、神社境内にあった、お稲荷さんの所

へ移したとのことで、良く見れば、お稲荷さんの赤い鳥居がありますね。

なにはともあれ、残ったということは幸いです。


と言うことを話していたら、地元の方(T氏)ですが、神社に仕事に来ておられましたが、鳥

居を眺めており、こちらの話が聞こえたのか、「ブログを読んで、鳥居を見ているのです

が・・・・」「あ、それ私のブログです」。と言うことで、いろいろお話をしていると、下の写真の

木の下の石のところに、自分が小さい時から、変な物があるのだが、ということで見たら、

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こちらは「幡大菩」、と書いてあり、たぶん「八幡大菩薩」でしょう。上の土をどけると、四角

に削った石がありましたから、鳥居に神社の名前など書いた額がありますが、その神額で

しょう。(上下逆に置かれています)


神殿に向かって、左にもう一つ鳥居があったので、それを取り替える時に、廃棄した物

か、あるいは、もう一本鳥居があったのか?

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さて、こちらは何なのか、「享保」、「十月十」までは分かり、最初は墓かと思ったのです

が、このように並んで書いたものは見たことが無く、神社に墓がある話は聞かないし、ま

あ、掘り出さなければ分からないでしょうが・・・・・・多分、何かを寄進した時の標柱か何か

とは思うのですが・・・・

5

でも、まあ、こんな所に、神様に関係するものを、利用するなんて、大胆な!昔の方は、こ

んな事に、意外と無頓着だったのかナ。今の人なら、バチがあたると思うのでしょうが。


さて、T氏と話をしていると、町内にキリシタンに関係する石仏があるとかで、わざわざ案内

をしていただきましたが、写真の整理がついてないので、これは、また近いうちに・・・・・

すごく、興味あるものでした・・・・



2014年2月21日 (金)

お・か・し

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先日、ポスターを見てから、どうも気になった、「皿うどんチョコレート」。人を送りに駅まで

行ったら、キヨスクに置いてあったので買ってみました。


いちご大福が出た時も、「ゲテモノ」と思ったのですが、いつの間にやら定着。アボガドを巻

いた寿司も、驚くにあたらない時代。皿うどんの麺にチョコレート・・・・・少し不安。


表から見たところと裏から見たところ。ホワイトチョコと、ブラックチョコの2種。皿うどん麺

と、精米が入って、ポリ・パリといった感触。不思議と違和感はなく、意外とお互いの材料

がマッチしている感じ。作っている会社に電話で聞いてみると、二年ほど前から発売してい

るとのこと。興味ある方はどうぞ。

Dsc_0453 Dsc_0455_2   

これが、本物の金貨なら、いくらぐらいするのかナ。残念ながら、中身はチョコレートです。

昔は、よく駄菓子屋に置いてあったのですが、今はあまり見かけることがなく、久しぶり

に、土産屋さんをブラブラしていたら置いてあったので、懐かしく、買ってしまいました。

持っていると、何か金持ちになったようで、気持ち良いですね。チョコレートは、昔の感じ

がする味でした。

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いわずと知れた、ボーロ。今の子どもは食べているのかな?孫のおやつをパックって食

べましたが、何十年ぶりかな。懐かしい、素朴な味でした。

調べて見ると、南蛮菓子で、十六世紀に、ポルトガルから伝えられた物とか。赤ちゃんの

おやつだと馬鹿にはなりませんね。

Dsc_0464

新しいお菓子がどんどん出て、昔の駄菓子は、だんだん姿を消しつつありますが、店によ

っては、「懐かしの駄菓子コーナー」があるようで、又、買いに行こう。


今日はしばし、海を見つめていたら、波の形。飽きませんね。と思っていたら、テレビの撮

影。


地元のヒマワリテレビで、「ジオパーク探検隊」という番組のロケでした。真ん中の方は、地

質専門の寺井先生で、島原半島の地質をわかりやすく、面白い解説をしてくれます。

一度はご覧下さい。残念ながら、島原半島でしか見れませんが。

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2014年2月20日 (木)

千々石大和守直員(千々石ミゲルの父)の死について

Photo

千々石町をGoogleの写真で見た図です。真ん中の赤丸の所、釜蓋城跡です。黄色の矢印

の所は畑になっています。多分、ここらも城の一部だったのかな?


一番上まで行くと、立派な天守閣、ではなく、展望所があります。よく、釜蓋城があったと言

うと、天守閣つきの城があったのかと、想像する方がおられますが、山城です。

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さて、ここの城で、天正遺欧使節として、ヨーロッパに行った、千々石ミゲルが生まれ育ち

ます。


父は城主の千々石大和守直員。この城は、佐賀の龍造寺に滅ぼされたため、文書等は

残っていないため、詳細については不明な所があります。直員は、当時、島原地方を治め

ていた、有馬家の出身です。


当時は、有馬氏は大内氏と手を結び、高来、彼杵、藤津を確保し、その後も玖島郡を攻

略、千葉氏の小城郡にを狙っていたようで、これに対し、佐賀郡の龍造寺氏が脅威を感じ

対立します。


さて、この直員の死については、龍造寺氏から城を攻められ、自死し、その戦火の中を

千々石ミゲルは、落ちのびたという事になっています。が、チト怪しいようで・・・・


この話は、大正7年「千々石村郷土誌」にも、「・・・・竜造氏ノ来襲ハ意外トセシ所ニシ

テ・・・・・刀折レ矢儘キテ自刃セリ」とあり、昭和43年発行の千々石町史にも同様に書か

れています。


城跡は、見られるとおり、山が崩されグラウンドになっています。展望台の横には、千々石

ミゲルの顕彰碑があり、「釜蓋城由来記」の看板があり、釜蓋城の落城については、

「千々石町史」からの引用が書かれています。

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さて、某日、大村のことを調べようと、「大村史談」第五十一号(平成12年発行)」の、宮崎

栄一氏が書かれた「千々石ミゲルの生涯と子孫」の中に、「千々石氏とミゲール千々石・

床井一郎(千々石町長を長く勤められた方です)著」では、と書いてあり、その中で、


藤原有馬家譜・千々石直員についてという事で、「・・・・元亀元年(1570)二月七日、隆信

(注:龍造寺)大軍を率いて藤津郡横穴を攻むー中略ー直員、直ちに丹羽の石切谷に向

かい苦戦して死し、横穴落城す」と書いてあるではありませんか。え~!


さらに、有馬晴信記では「義貞の代、・・・・・元亀元年(1570)二月七日千々石直員討死

嫡子十三歳の純員が父の敵を討つ」とある。と書いてあるではありませんか。sign02


確認のため、平成10年発行の、千々石町郷土誌を読むと、ちゃんと、「父・直員は佐賀藤

津郡の合戦で戦死、その後を義貞の子・純貞が養子となって継ぐが、これまた龍造寺軍

に攻められ千々石城(釜蓋城)と共に没した」と訂正してありました。


さて、確認のため、原典の「有馬晴信記」がどこか無いかと、頭をひねっていると、東大で

出している「大日本史料」、それでなければ「群書類従」あたりか?


と言うことで、お近くの図書館に行ったら、「大日本史料」は「史料綜覧」しかなく、見当たら

ず。次に「群書類從」を調べたら、これが見事にビンゴ。


内容は五つしかありませんでしたが、(小文字も有り面倒くさいので、大文字で表記しま

す。)


一 天正十二年甲申三月四日 有馬修理大夫晴信與龍造寺肥前守隆信合戦起之事

一 慶長十五年庚戌十二月二日之夜於長崎黒船討取候事

一 慶長十九年甲寅七月十三日肥前之國高来郡日之江城ヨリ日向國ヘ所替事

一 慶長十九年甲寅九月大阪冬御陣罷上候事

一 同廿年乙卯同夏御陣大阪不罷上候事


ですが、二番目の事件。外国船とのトラブルがあり、有馬晴信が外国船を焼き払うのです

が、「御所様悦被思召。御腰物御直ニ御拝領」とあり、晴信が外国船を焼き払ったのがよ

ほど嬉しかったのでしょう。家康は自ら刀を与えています。この話、読んで、面白いです

よ。


閑話休題

直員のことは、最初の龍造寺の合戦のことに載っています。

この合戦のきっかけから書いてありますが、長いので、大事なところ。


「元亀二年庚午元年二月七日ニ。隆信取懸り申由。相聞ヘ候ニ付。千々石直員三千人

ニテ加勢ニ遣シ候處ニ。二坂ノ石切谷ヘ向かヒ候ヲ。右ノヨコソウノ城番代留候ヘ共。無

理ニ石切谷ニテ直員死仕り。ヨコソウノ城モ落城ナリ」


さて、「其比嫡子純員十三歳ノ時。父モ戦死ノ儀ヲ。所在千々ニ至テ承ハリ。・・・・・・・・・・

不移時日石切谷へ馳向ヒ。一戦ニ及ビ。速ニ切勝父ノ敵ヲ討取申候」と言うことで、敵を

取ったと言うことです。


この合戦の話の部分のみは、「史籍集覧」という本にも載っており、国立国会図書館のデ

ジタルコレクションで公開しており、ネットで誰でも読めます。


さて、直員の死、どこで話が違ったものか分かりませんが、父が自死する中、ミゲルが戦

火の中を逃れた、という方が、物語になるので、まあ、そういう事にしておきましょうか。

誰でも、そう思っているし・・・・・夢は壊したくないし・・・・・


(参考・引用:「大村史談第51号 千々石ミゲルの生涯と子孫~宮崎栄一著」「続群書類

従~第二十三輯上」「島原半島史~林銑吉著」「千々石町史」「千々石郷土誌」「史籍集

覧」)



こちらのブログに関しては、少し、誤認しているところがあり、再度、調べ直しています。

再度、追加で書きますので、少々お待ちください。~2014/02/22






2014年2月19日 (水)

至純の人・千々石ミゲル★市民ミュージカル~雲仙市

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ある喫茶店にて、私と、妙齢の美女の会話。


「あの子、難しいんだよね。」

「そうね。なんで、あんな事したんだろう。」

「人の心は分かんないね。」

「居酒屋兆治って映画に、『人が心に思うことは、誰にも止められない・・・』っていう言葉が

あるじゃない。あの子の場合もそうかしら・・・」


え~、別に、不良少年とか、問題児のことを話しているのではありません。あの子とは、

千々石ミゲル、あんな事とは、棄教をしたことです。


ミゲルは、天正少年遺欧使節として、長年かかって、ヨーロッパに渡り、そして、又戻って

来ます。


時は、キリシタン時代から、禁教時代。天正遺欧使節の四名には、過酷な運命が待ってい

ます。その中で、千々石ミゲルだけ、棄教をし、場合によっては背教者とも呼ばれます。


棄教した原因は、どこにあるのか?多くの人が、その原因を書いています。


その、一つの新しい考えが、今回の市民ミュージカルで提示されます。劇を見てからの解

釈は、あなた次第。


チラシの裏に、人名が書いてありますが、全部一般市民の方で、主婦あり、農家あり、退

職校長あり、商店主あり、公務員あり、小中学生も入り、今、最後の仕上げにかかってい

ます。

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下の写真は、釜蓋城主、千々石大和守直員が、佐賀の龍造寺に破れ、自刃するところで

す。この後、戦闘の中をミゲルは落ちのびるのですが・・・・


実は、千々石大和守直員については、千々石町民のほとんどが、上の話を信じている

のですが、事実は違っており・・・・・・・・この話については次回述べます

2_3

小道具も衣装も全部手作り。天正少年遺欧使節は、豊臣秀吉の前で、習ってきた楽器を

演奏し、感動を与えたと言われています。


クラビコードか?ヴァージナルか?弦が鍵盤と平行に走っています。今のグランドピアノの

弦は、鍵盤とはほぼ直角です。


この楽器の音色、小さいですが、実に素朴な音がします。前に書いた、映画の「ピアノマニ

ア」、に出てきます。クラビコードは、グルダの「世界音楽物語」に出てきます。なお、ビート

ルズの「フォー・ノー・ワン」でもクラビコードが使われています。興味のある方はどうぞ。

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左はリュート。もう少し膨らみが欲しいナ。Fカップとは言わないが、せめて、Gカップぐら

いは。右はハープ。

なお、作成者は某市の元副市長です。写真のものは残念ながら、音は出ません。形だけ

です。

4_3 6 

来月の3月9日(日)、13:30開場、14:00開演です。チケットはお早めに。ローソンチケ

ットも扱っているみたいです。

私?もちろん出演しません。プロが出ると、アマチュアはかすんでしまうから。





2014年2月17日 (月)

「中国人嫁日記3巻」&「唐比(からこ)温泉センターぬっぺ飯」~諫早市森山町

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出ました、「中国人嫁日記 3巻」。出版年を見たら、ウソ!「2014年2月26日 初版発

行」」。今日が2月2014年2月17日。これ、買ったのが2月15日。TSUTAYAさんだから、

早かったのかな。


さて、今回は大変です。「はじめに」の所、第一行目に「中国で暮らすことになりました」と書

いてあります。詳しい事情は、読んでいただくとして・・・・

中身は、大体

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というように、「ずーっとバカップルが仲良くしているだけ!!あんな夫婦いないです

よ!!」と書いてありますが、まあ本当ですね。という感じですが、妻の月(ゆえ)さんの言

葉。


「ジンサンと一緒じゃないと楽しくナイデス」、「イヤデス~日本ガイイデス~ジンサンといっ

しょ、日本がイイデスから」、「ワタシ、ジンサンにとても会いたい、ジンサンもワタシとても

あいたいのコト描くイイジャナイ♡」「ジンサンにベタベタにするシマス」。


言われて見たいですね。カミサンから一度も言われたことありません。もっとも、こちらも言

ったことありませんが・・・・・


さて、月(ゆえ)さん、時々シリアスに描かれているところがあり、どうにも本当はかなりの

美人みたい。赤の矢印が、いつもの描き方です。

なお、夫ジンサン四十歳、妻月さん二十六歳。うらやましい heart04

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さて、本巻には、外国人との結婚の手続きが描いてありますが、読んでみると、本当に面

倒くさい。日本人同士なら、紙切れ一枚で済むのですが。


手続きのため、ジンサンわざわざ、お互いの家族の集合写真を撮る為に、日本から両親

を中国に呼んでいます。


これ、双方の両親が一緒に写した写真があると、入国管理局が特別に早く在留資格をあ

げるそうです。私、これ、したことがありませんから、本当かどうか、責任持ちませんが。


月さんの後書きです。全部、中国語で、良いことが書いてあります。中国語を、お勉強中

の方は読んで見てください。小さくて字が見えなかったら、虫眼鏡を。


なお、訳文は次のページに書いてありますから、意味を知りたい方は、本を買って読んでく

ださい。もちろん私は、訳文の方を読みましたが・・・

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今日は、不思議なことがありまして、瑞穂町の事を調べに行って、例の肥前鳥居の神社に

よってみたら、ちょうどお祭り。神主さんがいたので聞いてみたら、この鳥居の事、少し分

かりました。


ところが、そこへ、仕事ついでにカメラを持った男性が鳥居を見ていて、地元の方ですが、

ブログを読んで、見にきたとのこと。私、「あれ、私のブログです」。


ということで、はやり、瑞穂在住の方、色々話をしていて、知らなかったことを教えていただ

き、おまけに、半日ばかり案内をしていただき。Tさんには本当に感謝です。なお、この事

は、又書いて見たいと思います。


さて、昼食は、最近、宣伝している、諫早の郷土料理を基にした、諫早新名物ぬっぺ飯」を

食べに。いま、7軒しか作ってなく(ネットで出ています)、久しぶりに、「唐比温泉センター」

へ。もちろん一人で、「孤独のグルメ」です。


平日、天気も悪く、大広間のゆったりしたこと。おかげで、食事の後、一時間ほど昼寝をし

てきました。お望みなら、温泉もありますから、ゆっくりどうぞ(別料金)。

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ぬっぺ飯です。鶏肉、レンコン、厚揚げ、レンコン、コンニャク、里芋、ゴボウ、人参、ギン

ナンを甘辛く煮て、あんかけにしたヘルシー料理。ワンコイン(500円)ですから、安いも

の。なお、大広間でボーッとしても、注文は取りに来ませんから、玄関の受付の所で前払

いで。

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橘湾と雲仙岳が眺められ、風景も良いところです。


もちこみ禁止は、ペットのことではなく、酒とか、食べ物のことです。女性のもちこみは自由

です。もっとも、持ち込んでも、大広間では、なには、できませんが・・・・舞台がありますか

ら、そこで、やってみますか?その時は、ご連絡を・・・・




2014年2月16日 (日)

「小浜温泉わくんたん祭り」~雲仙市小浜

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新聞のチラシを見ていたら、「小浜温泉わくんたん祭り」のチラシが。「わくんたん」とは何

の事か出かけて見ました。


聞いてみたら、このあたりの、新湯ノ崎自治会、脇浜自治会、上脇自治会、新町自治会を

「わくんたん」ということで、どうして「わくんたん」というのか、聞くのをすっかり忘れてまし

た。普段は、中心街から外れているので、静かな通りなのですが、今日は、人出でいっぱ

いでした。

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例によって、写真をベタベタ貼っていきます。

最初に挨拶、その後、もちまき。新町だったかな?のバザー。

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長崎のペンギン水族館からも、ゲスト出演で、2匹ばかり連れてきていました。さわり放

題。私は、人間の若い女性の方が良いので、遠慮しましたが・・・


どこの自治会だったか、ぜんざいの振る舞い。豪勢に二百食。もちろん無料。

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「ピロッケ」と書いてあって、何だろうと思っていたら、二人のお嬢さんが作っていました。


早く言えば、豚まんを揚げたものですが、外がパリッと上がって、意外と美味しいですね。

アイディアものです。皆さんも、一度、豚まんを揚げて食べて見てください。おいしいです

よ。


なお、揚がるまでに時間があって、話しをていたら、「美人は見ていたら飽きるけど、私の

顔、飽きないよ」と言われ、見つめていたら、本当に飽きませんでした coldsweats01 。

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お茶屋さん。

自分の店の前でかな?イチゴを売っていました。なんとなく、つつましやかで良いですね。

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市民音楽祭に出ていた、本職は「ジャガイモおじさん」。顔が良ければプロになれるのに。


B級グルメに出場した、「小浜ちゃんぽん」、残念ながら、グランプリは取れませんでした

が・・・


先日、NHKBSで「私の父はちゃんぽんまん」というドラマが放送されました。私の家BSはと

っていないので見ていませんが・・・

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最近、店舗を持たなく、コーヒーとか、ドーナツとか、ピザとか、車で売って回るのが増えた

みたいですが、大集合していました。


右は、もうすぐ私がお世話になる、高齢者の施設です。温泉卵を売っていました。

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こちらは個人の家の壁だったかと思います。「やじさん、きたさん」とか「きっちょむさん」の

絵が書いてありました。なかなか愉快な絵でした。


裏手をぶらっとしていると。これ、湯気が上がっていましたから、温泉の源泉ですね。多分

個人の家のように見えました。ひょっとしたら、毎日温泉に入っているのかな?


私は風呂嫌いで、学生時代は、半年ばかり風呂に入ったことがなく、あまり感心なし。

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こちら、焼肉屋さん。子どもが一生懸命、呼び込みをしていました。何となく、ほのぼのとし

た風景。


「喜びの恋水」と書いてありました。湧き水です。一人で来たので飲みませんでしたが・・・

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先日、どこかの祭りでガスボンベでの事故がありましたが、小浜消防署からの巡視です。


ピザパイは、炭焼き?食べたかったのですが、又、太るので、我慢我慢。

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小浜には、共同浴場がありますが、この地区に、有名な「脇浜温泉浴場おたっしゃん湯」

があります。風格のある建物。朝から入りに来る人が沢山います。私も、風呂が好きな

ら、入ったんですが・・・

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市、町単位でイベントをおこなうのは多いのですが、自治会で、このようなイベントをおこな

うのは珍しく、「わくんたん」地区の方々の協力体制が、よほど強いのでしょう。


昔は、自治会で野球大会とか、バレー大会とか多かったのですが、近年段々少なくなって

きています。このような、自治会を中心とした事業が増えてくれば、地域の活性化になるの

ですが・・・・・・


さて、今日は、温泉街を、歩いている人がえらく多いなと思っていたら、JR九州で、旧温泉

鐵道のウォーキング大会。みなざんゾロゾロ歩いていました。


この道、少し説明を聞きながら、歩く方が面白いんですが、見ていると、皆さん、竿御前な

んか寄らないで通過していました・・・・残念ですね、、あれが見れなくて・・・・・

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