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2014年1月26日 - 2014年2月1日

2014年2月 1日 (土)

「昔の遊び」の壁画~諫早市・九州ガス壁面

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諫早の九州ガスの以前のガスタンク。現在は、改造して、アメニティホールになって、イベ

ント会場になっています。


たしか、クリスマスの時は、クリスマスツリーで飾られたと思います(新聞でしか見たことが

無いのでスミマセン)。


この会社の道を隔てて、八重農芸本社(花、野菜の種、苗等が売ってあります)の駐車場

があり、いつも、苗を買いに行っていたのですが、ふと、九州ガスの塀をみたら、壁画がス

ラッとあるではありませんか。


この道、何十回となく、通っていたのですが、まったく今日まで気づきませんでした。

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何だろうと思って見たら、説明版があり


「野外での素朴な遊びは、昔も今も人の感動する心や価値観、自然観察、社会性、想像

力、活力を培うために大切な子供時代の『体験学習』です。

ここに描かれた遊びの数々を是非ご家族でご覧いただき、遊びの意義について考える機

会にして頂ければ幸いです

                               九州ガス株式会社

                               作画 池田義信(諫早市在住)   」


描いてある絵は、説明通りの昔懐かしい、子供たちの遊びの絵ばかりでした。せっかくで

すから、ご覧下さい。


ビー玉。今、見かけませんね。竹とんぼも、土産物屋などで、時々見かけますが、子供た

ちに作らせたら、小刀が使えなく、まったくダメでした。

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女の子は、何なのかな?水を使った遊びみたいなのですが・・・子守をしている女の子が

いますが、少子化の時代、もう見られない風景です。

男の子は、いわずと知れたチャンバラごっこ。懐かしの、赤胴鈴之助、白馬童子・・・・ 

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メンコ。四角と丸がありました、私、へたなので全部取られましたが。

羽子板も今や飾り物で、やっている風景はなくなりました。バトミントンが主流ですね。

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ワッカまわし、樽のたがとか、自転車の不要になった車輪を使いました。

コマ回し、曲ゴマみたいですが、真ん中の男の子、かなりの腕とみました。

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ハタ揚げ、諫早の江戸時代、大きなハタを揚げるのが流行り、身上を潰し、お上から禁止

されたこともあったとか。

てるてる坊主、遠足の前の日には、必ず吊しました。運動会の前の日には、逆さまに吊し

ました。私、走るのが遅かったから・・・明日、雨にな~れ

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縄跳びに、女の子のゴム跳び。ゴム跳びはまったく見られなくなりました。

お手玉は、今もやってるのかな?ジャグリングは流行しているのですが・・・

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かくれんぼ、これは今もやってますね。子供は、隠れたり、見つけたりするのが好きだか

ら。コマ回し、喧嘩ゴマですね。

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竹馬、今や、お土産屋さんのプラステック製ばかりで、竹を山から切ってきて、作る子はい

ません。

右は、会社の宣伝の絵でした・・・・・・

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こうして見ると、昔の遊びの方が、今のゲームより楽しい気がするのですが・・・・・・

今の若いお父さんお母さん、こんな遊びしたことがあるのかな?



見ていると、何となくホッとする絵ばかりです。一度、子供を連れて、ゆっくりとご覧を。昭

和レトロの時代にたっぷりと浸れますよ。



2014年1月31日 (金)

読書について~小林秀雄著

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先日、本屋さんに行くと、小林秀雄の本が平積みに置いてありました。小林秀雄没後30

年の記念に出版された本です。


小林秀雄の本が、平積みになるのは何年ぶりか。思えば、我々の年代には、文芸批評の

神様みたいな存在でした。


あの頃は、吉本隆明、吉田健一、正宗白鳥、福田恆存、中村光夫、江藤淳、奥村建男、

伊藤整等々、きら星の如く評論家がいたのですが、その中でも、小林秀雄は独特の光を

放っていたものでした。


つい、手が出て買ってしまいました。短いものばかりですが、昔読んだのとは、少し違った

読み方になった自分に気づきました。


文章は平易ながら、内容は難解なものでしたが、読み返すと、以外とユーモア的な所もあ

り、


「国語という大河」

娘さんが、国語の試験問題を見せ、何だかちっとも分からない文章だという。読んでみる

と、悪文である。「こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけ

ばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、お父さんの本からとった

んだと先生がおっしゃった、といった」


別の地域の学校入学問題で、小林秀雄の文章がでたが、意味あいまいで、問題になって

いる。作者の正確な答案を記載するので、お答え願いたいとのこと。


昔、書いた文章を、電話で長々と聞かされ、だんだん虫のいどころが悪くなっていく。小林

秀雄曰く、「正確な意味はね」「ハイ、ハイ」「読んで字のごとしだ」ガチャリ。


そういえば、以前書きましたが、谷川俊太郎の詩「いるか」。「いるかいるか いないかいる

かいないいないいるか・・・・・」の事で、学校の試験に、「いるか」が何匹いるか、という問題

が出て、谷川俊太郎さんの所に、問い合わせがあり、谷川俊太郎さんも結局分からなかっ

たそうです。学校のテストは、もっと分かりやすいものを出すべきですね。


「文章について」

「一体文章について書くと言うことが、考えてみると私には大変な重荷です。」から始まる文

章ですが、最後は、「諸君も巧い文章を書こうと努力されておると存じます。私も大変努力

をしております。併しお互いい努力しても巧くなるとは限らぬ事だけはたしかです。」


ブログを書かれている方は、巧い文章を書こうと、努力されいると思いますが、以上の通り

です。安心して、巧い文章を書こうと努力されないことです。


とは言っても、小林秀雄と、我々とは、レベルが違いますから、文面通りには受け取らない

事ですね・・・・・


久しぶりに、諫早の森山図書館横の散歩コースを歩いていたら、パンジーと、サザンカの

落ちた花びらのコントラストが綺麗でした。

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小林秀雄。知る人は段々少なくなっているみたいですが、ご一読を・・・・・・



2014年1月30日 (木)

「七草」と「七種(ななくさ)」について

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以前、七草粥について書いたところ、以下のコメントをいただきました。コメントで返答しよ

うと思ったのですが、調べると面白く、長くなるのでブログにしました。


>高校生の時に古典の授業で習った知識では七草とは秋の七草のことで

>「人日の節句」である1月7日に食べるのは「七種(ななくさ)粥」ですから春の七草じゃ

>なく「春の七種」だったのですがいつの間にやら・・・しょうがないでしょうね^^;


古典はコテンコテンに成績が悪く、ただ、俳句をしばらくやっていたので、「七種」の表現は

知っていたのですが、ひょっと「種」を「くさ」と読むことはあるのかな?という疑問が。


調べると、普通の辞書には載っていませんが、「大漢語林」に、「種」の読み方に、「古訓 

名 として、クサ」という読み方が載っており、「古訓」とは、平安時代におこなわれた漢字

の訓を『和名類聚抄』(箋注・センチュウ本と元和本により訓を採った・・・・・・)及び「類聚

名義抄(ルイジュウミョウギショウ)とあり、又他の辞典には、クサグサ(種種)多い義[日本

釈名・元梯]ともあり、とにかく、「くさ」とも読めることが分かります。まあ、ここのところ詳し

くは、私にもよく分かりませんが・・・・


さて、秋の七草のはじまりは、「万葉集 第八巻」山上憶良の


山上臣憶良詠秋花二首

秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花

(秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花)

芽之花 乎花葛花 瞿麥之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花

(萩の尾尾花花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花)


ということで、古くから、七草と言えば「秋の七草」になったのでしょうが、少し不思議に思う

のが、これ、全部、「草」ではなく「花」ですね。題にも「秋花二首」となっているのですが、

「秋の七草」とは・・・・時代的には「草」も「花」も同じように使っていたのかな?最も、花に葉

っぱは付いていますが・・・


さて、「七草」を「広辞苑」でひくと「②春の七種の菜・・・・③秋の七種の草花・・・」と書いて

あり、「七草」を秋とは限定してありません。


俳句歳時記でも、七草(七種)は、ほとんど「七種」で載っており、新年の季語になってお

りますが、山本謙吉著氏の歳時記にも、秋の部で「七草」の記載はなく、「秋の七草」にな

っており、「七草」については、「(新年の)七草」、「春の七草」、「秋の七草」の3種類に分

けてあります。


氏の歳時記の目次は、(新年の部)で「七草」は「七種」となっていますが、例文として、

七種やあまれどたらぬものあり~千代女」「七種や化粧(けはい)ひしかけて切刻み~

野坡」「七草夜着から貌を出しながら~一茶」「七草に不二の山彦うたふなり~大江丸」

七種や跡にうかるゝ朝がらす」「七草やあらしの底の人~麦水」「七草や兄弟の子の起

きそろひ~太祇」「七草の屑にえらるるははこかな~梅室」等、「七草」と「七種」が混在し

て使われています。「七種」「七草」、混同してして使われたのは現代ではなく、昔からだっ

たことが分かります。


ただ、注意すべきは原典がどう書いてあるか、「御伽草子」のなかに「七草草子」があり、

ほとんどの本に「七草草子」と書いてありますが、国立国会図書館、デジタルコレクション

の原典(写し?)には「なゝくさ草子」と書いてあり、この辺は注意すべきなのですが、山本

健吉氏の歳時記には、「七草」「七種」「七くさ」と分けて書いてあり、正確に書いてあるもの

と思われます。


1837年(江戸後期)に風俗等が書かれた、近代風俗史の研究の基本となる、「守貞謾

稿」には、「正月七日 今日三都(京、大阪、江戸?)民ニ七種ノ粥ヲ食ス 七草ノ歌ニ曰 

芹 ナツナ ゴゲウ ハコベラ ホトケノザ スゞナ スゞシロ是ゾ七種 以上ヲ七草ト云ヒ」

というように、「七種」「七草」が混在して書いてあります。文の統一から云えば、「七種ノ

歌」「以上ヲ七種」と云うべきなのですが・・・・・?


室町時代の国語辞書である、「運歩色葉集」。言葉をいろは順に並べてありますが、写本

ですが、この中で七草について、「七草 芹薺五行田平子仏座須々子蕙也 正月七日用

之」と「七草」と書いてあります。


さて、「人日」については、中国の古俗で、元旦から、鶏、狗、羊等と順で占い、七日目に

「人」を占い、この日には刑を行わなく、七種菜羹(しちしゅさいのかん)を食し、一年の無

病息災を祈っていたそうです。多分、「人」を占う日ですから、「人日」でしょう。


ただ、各日に、該当する動物を殺さなかったという説もありますが、人日には刑をおこなわ

なかったという記述が複数あり、この方が本当のような感じがするのですが・・・・


日本に於いても、五節供が江戸時代に定められ、これには「人日」「上巳」「端午」「七夕」

「重陽」とあります。


「人日」については「元寛日記」に、徳川秀忠の時代、徳川将軍家において七草のご祝儀

があったそうですが、それに伴い、七草粥の来歴を、公家、儒者、陰陽医師等に尋ねたと

ころ、その説はまちまちであったそうです。


「年中行事辞典~西角井正慶著」によれば、古来、日本にも七種粥が存在したそうです

が、材料が現在とは違い、米、栗、黍、稗子、葟子(みの)、胡麻、小豆子だったそうです

(若干の異説有り)。


これ見ると、穀物の種ですね。ひょっとしたら、「七種」は「七種類の種(たね)」の意味では

ないのかな?


なお、同書によれば、「徳川幕府が五節供の第一に人日を選んだのは、もちろん名称を

とっただけで、行事としては七草の粥が七種菜羹と似ているというのみである。古来、七草

粥は七種菜羹を学んだ輸入風俗であるという説が行われているが、古くから我が国にも

七種粥というものは存在した」とあります。


なお、冷泉家25代当主冷泉為人氏の「五節供の楽しみ」の中にも、「日本にあっても古

来、正月の初めての子の日に若菜を摘む春の野遊びの習俗すなわち『子の日の遊び(ね

のひのあそび)』があったり、『七種粥』も古くから存在していた。」とあり、七種粥の中身も

前述したものです。


昭和天皇陛下の侍従であった、入江相政氏編の「宮中歳時記」には、標題には「七草(七

種)」となっておりますが、宮中の行事として、後醍醐天皇から「七種の若菜」が進ぜられた

とは書いてありますが、他は「七草粥」になっています。また、「この頃の若菜の羹、つまり

汁であったが、室町時代から粥に変わっていった。」との記述があります。


要するに、日本古来の、七草粥、若菜摘みと、中国の「人日」の風習、七種菜羹が習合し

て、「人日の節句」「七種粥」に結びついたものではないかと思われます。

日本はいろいろな国の文化を吸収して、発展した国です。、「七種」「七草」「人日」の混在

もその一つだと思います。


今回は、いい勉強をしました。あの頃、これくらい勉強していればと、後悔しております。

まあ、自分で言うのもなんですが、これ書きながら、分かったような、分からないような感じ

が、無きにしもあらずなのですが、これ以上は、各自、お勉強を・・・・・・・・・・・中途半端で 

 (*_ _) ゴメンナサイ 。


まあ、七草粥に関しては、我々平民は「いいじゃないの、美味しければ~」なのですが・lovely


参考・引用資料:「時代別国語大辞典」「秋の七草~有岡利幸著」「春の七草~同」「日本

歳時記~講談社版」「七草の歳時記~釜江正巳著」「宮中歳時記~入江相政編」「五節供

の楽しみ~冷泉為人」「国会国会図書館デジタルコレクション」「基本季語500選~山本

健吉著」「日本民俗辞典」「年中行事辞典~西角井正慶著」その他、国語辞典、古語辞

典、漢和辞典より。




2014年1月28日 (火)

2014 ランタンフェステイバル準備中~長崎市

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今日も、長崎の漢方薬医さんの所に行ったら、相変わらず、若い女性が多いですね。おま

けに、外人さん。外人さんが漢方薬ですよ。時代ですね。少し驚きました。


さて、今月31日から、2月14日まで、長崎の一大イベント、「長崎ランタンフェステイバル」

が始まります。


上の写真は、数年前とったもので、30日まで、灯りはともっていません。念のため。まだ

準備中です。


せっかくだから、各会場を見学に・・・

こちらが、新地の中華街の入り口で、この道をまっすぐ行くと、主会場の湊公園に行きま

す。湊公園の写真は、出しません。あらかじめ見ていると、初めて見る感動が薄れるか

ら・・・・・

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左右の飾り。向かって右側は、河川駐車場になっています。

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アーケード街も、ランタンフェステイバル一色。

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アーケードを出たところの鐵橋(てつばし、くろがねばし)の飾り。もちろん、期間中の夜

は、灯りがともります。

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眼鏡橋です。夜、灯りが点ると川に、写って綺麗です。

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ちょうど、工事中。

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昔は、湊公園が会場でしたが、大きくなりすぎ、中央公園も会場になりました。電車の賑橋

停留所のすぐ近く(眼鏡橋も少し近く)になります。

この会場は、来たことが無い方が多いと思うので・・・・こちらは、もう少しというところ。

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余談です。左は中華街に入る道ですが、以前は、行商の方が道端に、魚や野菜を売っ

て、活気があったのですが、歩行者の邪魔になるとかで、撤去されました。随分、議論はさ

れたのですが。


その当時、いかれた格好の中学生が、飲んだ缶をポイと捨てたら、行商のおばさんが、

「なんばすっとね、そがん所に捨てて」というと、他の行商の方も取り囲んで、「そげん、捨

てるところなら、あそこにあるやろ」。中学生は拾って、ゴミ捨てに入れていきました。


今は、どんな悪いことをしても、他人の子を叱る人はいない時代。子供を地域で育てると

は、こんな事ではないのでしょうか?長崎警察署と長崎市役所の方。


右は「皿うどんチョコレート」。どんなんかな?最近太り過ぎで、買いませんでしたが・・・・

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さて、おまけに、以前撮っていた写真を

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重ねて書きますが、ランタンフェステイバルは1月31日からです。それ以前に行っても、上

の写真の様に、灯りはともっていません。

私、夜は行きません。一緒に行ってくれる女の子がいないから(カミサンとはイヤ)。



2014年1月27日 (月)

千々石海岸逍遙(しょうよう)

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お~、美人が一人、海岸を散策する風景は良いもんですね。もっとも、顔は確認していな

いので、美人かどうかは、保証できませんが・・・・・


さて、長崎では名所を散策、ブラブラするのを、最近「長崎さるく」と言っていますが、昔は

「さるく(さらく)」はあまり良い意味ではなく、「夜遅くまで、どこば、さらいとったか(夜遅くま

で、どこを、ぶらぶらしていたか)」「あげんとこっば、子供のくせに、さらくな(あんなところ

を、子供のくせに、ぶらぶらするな)」などと、叱られたものです。


「海岸をさるく」にしようかと思ったのですが、歳を取ったので、ここは年寄りらしく、「千々石

海岸逍遙」。要する、気の向くままにブラブラ歩くことです。


石に渦巻く波。きらめく海。何気ないことに、心を打たれる歳になりました。以前はキャバク

ラの女の子に、心を惹かれていたのですが・・・・

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千々石海岸といえば「福石様」。以前は、大きな石の間に、しめ縄が張ってあって、風情が

あったのですが、いつの間にか、無くなっています。


付近の若いのと話をしていたら、若者だけでも力を合わせて、復活させようということでし

た。楽しみですね。これがあると、絵になるので、カメラマンも、どっと押し寄せ、町おこしに

もなるのですが、期待しています。

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藪の中を見たら、綺麗にスイセンがが咲いていました。藪(やぶ)水仙という、スイセンの

種類です(イツモノ冗談デスカラ、気ニシナイ)。しかし、藪の中で咲いて、けなげですね。

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ナイスショット。ちょうど、屋根から飛び上がったところ。鳥の名前には弱く、この鳥、ニワト

リでなし、雀でもなし、メジロでもなし、インコでもなし、借金トリでもなし、なんでしたっけ。

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こちらは舟だまり、今は港が整備されていますが、昔、台風が来た時など、千々石川を少

し遡ってきて、ここに、舟を避難させたそうです。場所の大きさから見て、小舟ではないか

との感じ。

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左の写真。今は海岸通りに、舗装道路がありますが、あれは、あとから作った道で、裏側

に道があります。こちらが旧街道で、伊能忠敬の地図にも載っています。


勝海舟、坂本龍馬一行は、長崎に行く往路は千々石を通りますから、多分、この道を通っ

たと思われます。あと、上の山の方の道を通ったという説もありますが、勝海舟日記を確

認しても記述はありませんでした。この、旧街道については、いずれ書くつもりです。

右は、大根干し。日本の風景ですね。

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家に帰ったら、スイセンがきれいに咲いていました。

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お隣の家のスイセンですが・・・・・・






2014年1月26日 (日)

ケバブ作り~国見町・山の駅ベジドリーム★橘神社大門松解体★梅一輪

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トルコでケバブ、ウイグルでカワーブ、キルギスでケベブ、インド、パキスタン、アフガニスタ

ン、アラブでカバーブ等々、中東地域あたりで、肉や魚や野菜をローストする料理だそうで

す。


ケバブは、前に書いた、グリンロードの地産品直売店で紹介した、ベジドリームの売り物

で、2,3回食べに行きましたが、この作り方がどうにも納得できない。


ポスターには、下のように出ているのですが・・・・大きな肉を串刺しで焼くのなら分かるの

ですが、焼いているのは鶏肉ですから、どうのようにして焼いているのか?


焼くところの、実演を見たく、店の人に聞いたら、日曜日にイベントをおこない、その時に

実演もするとかで、行って見ました。

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調べて見ると、串刺しにするケバブもあるそうで、インドではシーク・カバブーというそうで、

それが訛って、シシカバブーになったそうです。


このお店のは、肉を重ねて固まりにし、回転させながら焼く、ドネルケバブというもののよう

です。お肉はヘルシーに鶏肉だけ。お味は日本人向けに、改良中だとか。


さて、本当に、写真のようなことが出来るのかと思って行ったら、一番上の写真。四角い箱

から熱が出ていて、肉が回りながら、こんがりと焼け、焼けたところから、大きな包丁のよ

うなもので、削っていきます。見ごたえありました。


長崎のトルコ人の方が、長崎と佐世保に、お店を持っているとのことで、この店にも作りに

来ているそうです。メニューとしては、ケバブサンドイッチ、ケバブ丼、ケバブランチがあり

ます。


地元直産ですから、お野菜のお安いこと。

あちらこちらで、産業祭、お店屋さんではイベントもやっていますので、一度行って見ては

いかが?

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チェーンソーアートもありましたが、すごい迫力。私も昔、チェーンソーで、かなりの木を切

ったことがあるので、ひょうっとしたら、できるかな?

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家に帰って、思い出したのが、今日は橘神社の大門松の解体の日。行って見たら、解体

は終わり、資材をまとめているところでした。

右の写真が、大門松で使った資材です。

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我が家にも、梅が一輪咲いていました。もうすぐ春~ですね。

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