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2014年11月30日 - 2014年12月6日

2014年12月 6日 (土)

平成26年度「第9回雲仙市少年の主張大会」~雲仙市

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雲仙市は、南串山町、小浜町、千々石町、愛野町、吾妻町、瑞穂町、国見町の7ヶ町が合

併した市になります。


風土、気質、言葉、産業経済等々、異なるところがあります。今日の「雲仙市少年の主張大

会」の主催団体は「雲仙市青少年健全育成協議会」。いち早くまとまり、この大会も9回目

になりました。各町で、大会を行い、小・中学生の代表各1名出場をし、弁舌を競います。


吾妻町のMさん、「平等な世界をめざして」。現在のアジアの情勢を踏まえながら、学校の

話を交え、話し合い、コミュニュケーションの大切を訴えました。大人もこれくらい分かってい

れば良いのですが、利権の話ばかりで・・・・反省しない大人達ばかりで、困ります。


吾妻町のFさん、「大好きな川床」。少し不便なところらしいなのですが、地域の人達と、米

作り、低学年の芋作り、安全見守り等も行っており、地域の人に感謝、川床に育てられてい

るという思い、そして、それを自分たちが繋いでいきたいと。

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愛野町のYさん、「好きなことをみつけてください」。「好きなことを見つけてください」。今年、

ノーベル賞を受賞した、日本人3名の方の共通した言葉だそうです。しかし、好きな事ばか

りでなく無く、好きなことと、苦手なことを両立させ、自分の良さを伸ばすことが事が、「好

きなことをみつけてください」の言葉ではないかと。小学生でここまで考えるとは・・・・


千々石のM君、「仲間に支えられて」。サッカー部という事ですが、大切な試合前に骨折。

一番支えてくれたのが、お父さんと、お母さん。そして仲間達の励ましの言葉。県大会の

折、みんなが取り囲んで、「絶対勝つぞ」の言葉。みんなに、支えられた事を感謝。

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小浜町のYさん、「小浜に生まれて」。家業が旅館業。「小浜チャンポン」のこと、日本一の足

湯、イベントのこと、小浜の事を知り、地域行事に積極的に参加したことの発表。


南串山町のMくん、「命の大切さ」。お兄さんが亡くなったことの話。一つの命を大切さを、み

んな考えて欲しい。

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国見町のD君、「ぼくの大切な宝物」。親子げんかをして、おじいちゃん、おばあちゃんの家

に家出して、お母さん、お父さんが心配し、探しに来て、申し訳ない気持ちになり、それ以

降、家の手伝いも、するようになったとのこと。兄弟、親の絆の大切さ。「僕の一番大切なも

のそれは僕の家族です」。最近、家族の絆が薄れてきていますが、大切な事ですね。


千々石中学校のM君。「家族の愛に」。某日一人で家にいると、寂しくなって、家族の存在

が大きいことに気づく。子供をもっとほめて欲しい、子供は、良しやるぞという気持ちにな

る。もう一つは、子供を叱って欲しい、叱られないと、何が悪いことなのか、分からなくなって

しまう、との訴え。そういえば、叱らない親、叱らない先生が増えてますね。そして、人の、

存在の大切さを感じ、感謝を持つ心の必要。

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愛野中学校、Sさん。「みんなが生きやすい世の中に」。特別養護学校との交流で、行って

見ると、近寄りたくないと言う気持ちを持ったが、ゲーム等を通じて、偏見を持っていたと感

じ、「障害を持った方も、持たない方も、この世の中を楽しく過ごす権利があるのです」。


吾妻町のNさん。「言葉の力」。卓球部。大声で応援するのが苦手。試合の時、コートの先

輩と応援する先輩を見て、心が繋がっていて、応援の素晴らしさを感じ、大声で応援ができ

るようなり、試合中、苦戦になるも、応援の声が聞こえ、自分の試合ができたという事で。回

りにも、勇気が出るような言葉を周囲に書けて欲しい。

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瑞穂中のNさん。「妹」。妹さんが障害児で、周囲から好奇の目で見られる事があり、妹の

気持ちを聞いたら、「人からジロジロ見られるのがイヤ」。いろんな病気で悩む人がいるが、

理解し、好奇の目で見ないで、優しくて欲しい。


国見中学校のOさん。「『みんなと違う』ということ」。母子家庭で、みんなには秘密にしてい

たが、部活の連絡網に、父母の携帯が書くようになっており、自分は母の携帯番号しか書

けなく、友人から「わけありネ」と言われ、「自分は人と違う」と思うが、金子みすずの詩、「私

と小鳥と鈴」の最後に「みんな違って、みんないい」、というのを読んで、元気づけられ、違う

所がある世界の方が、良いのはないか。


日本人は大根掘りが上手いと、言われたことがあります。その心は、「足を引っ張るのが上

手」だということです。人と違うと、すぐ足を引っ張る人が多くて困ります・・・・・

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南串中のS君。「命」。子供の事件について。常に生きると目標を持ち、支えは家族。いじめ

についての話。特攻隊の勉強し、平和に生きていることに感謝。戦争の無い社会に。


小浜中学校のS君。「親の心子知らず」。ピアノを習っているらしく、お母さんに良く叱られて

いるが、校内学校コンクールで伴奏をする事になり、その日、ビデオをお母さんが写してい

たが、後でみると、画面がブレていて、母が緊張しているのが分かり、可笑しくもあり、心

配したことがよく分かり、叱られるのは愛情の表現だという事が理解できた。

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小学生の部と、中学生の部の表彰ですが、子供の話を聞いていると、順位などはどうでも

良く・・・・・

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さて、聴ていて、子供が良くなるのも、悪くなるのも、親次第。今日の出場者は、小学校の

6年から、中学校の2年。一番扱いにくい時期で、親のことを「ウザイ」という子もいるとか。

しかし心の中を見ると、どうも、そうではないらしく、このような催しものがあったら、子供を

お持ちの方、地域の方、聴きに来て下さい。サックリした説明でしたが、生の声を聴いたら、

子供の考えていることがよく分かります。



2014年12月 5日 (金)

久しぶりのウォーキング&橘神社「日本一の門松」進捗状況

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さて、又、ガックリですね。先日、特定健診で心臓がひっかかり、少し異常があるとか。要精

密検査で、行って検査をしたら、心臓の動きは大丈夫なものの、少し血液の逆流があると

か。


要するに、心臓の血液は一方通行ですが、心臓の弁に異常があり、そこから血液が逆流し

ているとのことで、経過次第では「手術ですね」「げぇー」という事で、塩分控えめ、体重を

大分落としなさいという事で、しばらく中止していた、ウォキングーを再会。


といっても、無理しない程度に、家の周りをぐるりと、ついでに、橘神社まで行ってみたら、

大門松が随分出来ていました。なにせ、土曜と日曜の週2回の作業です、あっという間に出

来るものではありません。


土台になる部分ですが、大きな輪の中に、3つの柱を立て、更に、この中に支柱を立て、そ

の回りを十本程度の竹で囲んで、三本の柱を作ります。両側ですから、60本程度の竹を

使うことになります。

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上の方が、まだ揃っていませんが、今後の作業日程が、12月6,(7日は雲仙市の『産業ま

つり』で作業はありません)13,14、21日で、この間、切りそろえると思います。多分21日

が飾り付け、23日(天皇誕生日)に「大門松竣工清祓い式」(13:30~)です。

クレーン車で、上にあがって、チェーンソーで切りそろえていきますから、これ、見ものです

よ。

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今日は何となく、元気のないブログでした weep





2014年12月 4日 (木)

「太陽幕末傳」~監督・川島雄三作

Dvd

ビートたけしさん、デジタルでは映画は撮らないそうで、普通のフィルムで撮るそうですが、

TVで、デジタルはドットで見せるもので(アバウトにいえば、四角に小さく画面を分割し、色

をつけて見せる)、フイルムは、粒子で見せるもの、脳の中では、違って見えてるんじゃ無い

かな、というようなことを言っていました。この映画、やはり、フイルムの方が似合います。


この「太陽幕末傳」、一回だけスクリーンで見て、あまりに可笑しく、また、悲しくもありという

ところもあり、DVDで何回見直したことか。金曜日は、65歳以上はTSUTAYAさんは、旧作

が一本タダ、という事で昨週また借りてきました。


主演は、フランキー堺。大学時代は、「シックスレモンズ」で、ドラムを叩き、後、「フランキー

堺とシティ・スリッカーズ」を結成。これ、いわゆる「冗談音楽」(スパイク・ジョーンズの真似

ですが)ですが、この時代の音楽、YouTubeで見られますので、ご覧下さい。なお、1958

年、有名な「私は貝になりたい」でテレビドラマに主演をしています。


「太陽幕末傳」、Amazonのカスタムレビューを見ると分かるとおり、大絶賛の声が多く、日本

映画の代表作の一つとして挙げる事が出来るでしょう。


ストーリーは、落語の「居残り佐平次」をもとに、「品川心中」「三枚起請」「お見立て」などを

を入れていますが、少しばかり、「らくだ」を思わせるところもあります。


開幕して、江戸時代の様子が少し出ますが、「太陽幕末傳」の字幕と共に、現代(昭和32

年)の品川の赤線地帯が写されます。それと共に、加藤武のナレーターと「アレクサンダー

ラグタイムバンド」の音楽。最後にも演奏されますが、時代劇にこの音楽とは。


その後、現在(昭和32年)の品川の説明。売春防止法の完全実施が昭和33年で、赤線が

廃止されますから、その一年前の風景です。354年の品川の歴史が幕を閉じるのですが、

昭和32年~この頃は「北品川カフェー街」、従業員91名、平均年齢31歳、店が16軒だっ

たと言います。


ここで時代は、ポンと変わって、文久2年末。あと6年で明治になる時。幕末になります。遊

郭の「相模屋」が舞台になりますが、これは、実際の建物を再現しているそうです。当時の

遊郭の様子が良く分かります。


この、江戸時代から、現代に変わるところ。当時の時代劇ではなかったもので、斬新的なも

のです。それから、また、江戸時代に変わる時のテンポの良さ。


その、相模屋へ遊びに来たのが、佐平次と三名の連れ、佐平次は金もなく、居続け、もう一

組居続けていたのが、石原裕次郎演じる、高杉晋作の率いる勤王の志士(この作品が

1957年、裕次郎の『太陽の季節』が1956年)。当然、佐平次と石原裕次郎の繋がりも

出来ます。


一緒に風呂に入るところがありますが、佐平次が「三千世界のカラスを・・・」と歌い出すと、

裕次郎が「その唄止めてくれんか」「三千世界の・・・良い文句じゃありませんか」「その文句

俺が作ったんだ、目の前でやられたんじゃ、さすがに照れる」。でも、この頃の裕次郎さん

の演技、あまり上手くないですネ。


この、佐平次、布団部屋へ入れられますが、器用なこと、いつの間にか、部屋に酒を持っ

ていったり、女郎の起請文の代筆をしたり、そろばんはお手のもの、もめ事があるとピタリと

止める、高杉晋作の懐中時計も直します。


このあたり、スランキー堺、上手いですね。一つ一つの仕草がピッタリと、さまになってい

る。特に、羽織等着る時、投げ上げておいて、袖に腕を差し入れる。なんとも言えない演技

です。


実は、佐平次は労咳を患っており、この面で、映画に少し影が出てきており、この映画を、

より深いものにしています。


最後は、「お見立て」を元にしていますが、佐平次が走り去る時の音楽が、再び「アレクサン

ダーラグタイムバンド」。最後は、別案もあったそうなのですが・・・・

他にも色々ありますが、あまり書くと、ご覧になる時の興味が薄くなりますから、このへん

で・・・・・


出演が、フランキー堺、南田洋子、左幸子、石原裕次郎、芦川いづみ、市村信介、金子信

夫、山岡久乃、岡田眞澄、菅井きん、小沢一郎、西村晃、熊谷一雄、殿山泰司、二谷英

二、ナレーター加藤武等。凄い俳優陣。亡くなられた方が多いのですが・・・・


どの俳優さんも、良い演技をしています。現代、アイドルばかりの映画で、果たしてこのよう

な、映画らしい映画が撮れるものか・・・・・


詳しくは、ウイキペディアを読んでいただき、興味を持てたら、是非ご覧下さい。日本を代表

する映画の一つです。


なお、監督の川島雄三、45歳で亡くなっています。






2014年12月 3日 (水)

「青い鳥」、そして、その続編 (予告編)

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明日は、少し早いので、今日は少しばかりですが・・・


右の本は、某図書館で借りてきたもの。四角で囲んだ所、隠しましたが、貸し出しの時、今

はリーダー(貸し出すとき、何を貸し出したか、読み取る機器)で読み取りますが、これが貼

ってあったところです。表に貼っている方が、リーダーで読み取りやすいのでしょうが、これ

はひどい。


本一冊作るにも、著者、編集者、デザイナー、印刷会社、製本会社等といろんな人が関わ

っているのですが、表紙も本の一部です。その一部にリーダー用のレッテルを貼るのは、無

神経。


デザイナーが、どんなに考えてデザインいているのか、全然、本というものを考えていませ

んね。司書失格。例えて言えば、「モナリザの微笑」の絵の表に、値段のレッテルを貼って

いるのと一緒。


最近、五木寛之(五木ひろしではありません、時々間違う人がいて、念のため)の「親鸞」を

読んで、五木さんの本を、良く借りて読むようになりました。


1960~1970年代、「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼ざめた馬を見よ」、「青年は荒野をめざ

す」等、かっこ良い小説を読んでいたのですが、最近は、特に、宗教のことを書いておられ

ます。さて、「生きるヒント2」に「青い鳥」のことに触れてあり、


「作者がメーテルリンクという人であること。チルチルとミチルというふたりの子供がいて、幸

福のシンボルである青い鳥、何でもかなえてくれるスーパー・バードを探す旅に出て、結

局、みつからずに、がっかりして帰ってくると、じつはその青い鳥は自分たちのベットの横の

鳥籠の中にいた。幸福は遠いところへ探しに行ってもみつかるものではない。本当の幸せ

というものは自分たちの身近に、日常生活のつつましいよろこびのなかにあるのだ、という

ことに気づく。

そういう話だと勝手に自分で思い込んでいました。皆さん方もひょっとすると、そういうふう

に『青い鳥』をお考えになっていると思います。」と、全くその通りで、私もそう思っていたの

ですが・・・五木さん、自分は原作を読んでいないのでは無いかと思い、買い求めて読んで

みたら・・・


「やはり読んでいなかったのですね。お恥ずかしい事なのですが、読まずにこれまでそいう

話をしていたということになる。・・・・」


まず、五木さんが、ビックリしたのは、この本が戯曲(お芝居の台本)で、作者者はノーベル

賞まで受章していること。そして、青い鳥が最後に逃げていってしまうこと。


最後のチルチルの台詞「大じょうぶだよ。泣くんじゃないよ。ぼく、またとってあげるからね。

(舞台の前の方へすすんで出て、お客さんにいう)みなさんのなかで、どなたでも、あの鳥

を見つけたら、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたちの幸福のために、いまに、あの鳥

がいるのだから。」(若月柴蘭訳)


「メーテルリンクはものすごく悲観的な事を言っているのです。彼の言っていることを突き詰

めて言えば、人間には希望はないと言っていると同じなんですね。」


もっとも、「・・メーテルリンクは正直なのだ、と。人生には(青い鳥)なんかいない。しかし、人

間には〈青い鳥〉が必要だ。だったらどうするか、彼の暗示しているのは、こういうことではな

いかと思います。

この世に〈青い鳥〉が必要なら、それは自分の手で作るしかないんだよと。」と書いていま

す。なお、やはり気になるのか、「青い鳥のゆくえ」という本まで、出版をしています。


さて、私も原作を読んだことがなく、原作と絵本を図書館に借りに行ったら、偶然見つけた

んですよ。「青い鳥」の続編を。「青い鳥」が書かれて、約十年後に書かれたものです。今

回はミチルは登場しませんが、あれから7年、チルチルが16歳になった時の事です・・・


実は、私が見つけた本は、普通の童話仕立てで、大体の訳になっていますが、本当はこれ

も戯曲で、原本を探したのですが無い。無いはずで、戦前には訳されていたそうですが、戦

後は訳されていないそうです。上演もされなかったそうです。


という事で、県内の図書館を見つけたら、単行本では無いのですが、県内の図書館(大学

も含む)で、たった4冊ばかり。取り寄せの依頼をしていたら、今日届いていました。今か

ら、読むので、来週あたりにご報告を。今日のところは予告編でした。


「青い鳥」の原作、お読みでない方は、是非、お読み下さい。絵本より、面白いですよ。大人

向きの戯曲です。文庫でも出版されています。でも、「青い鳥」の続編、というべき戯曲があ

ったとは!


(文引用:「生きるヒント2~五木寛之著」「青い鳥~メーテルリンク著・若月柴蘭訳」より)









2014年12月 2日 (火)

「挨拶はたいへんだ」~丸谷才一著&「文藝春秋12月」より

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文藝春秋の新しいのが出ていて、「弔辞・鮮やかな人生に鮮やかな言葉」というのがあり、

これで思い出したのが、丸谷才一著の「挨拶はたいへんだ」。2001年の出版ですから、少

し古い本になりますが。


この本、持ってはいたのですが、カミサンから「邪魔」の一言で、他の本とまとめて、リサイク

ルセンターに持って行ったのですが、再度、図書館から借りて読んでみると、やはり、丸谷

才一氏、挨拶の名人です。


挨拶を頼むと、「いや、私は挨拶がヘタで」と避ける方が多いのですが、やはり、人前で挨

拶をするのは難しいものです。私も、結婚式の祝辞を頼まれた事があるのですが、冷や汗

ものでした。


私、仕事柄、お偉い人の挨拶文を、何回か書かされましたが、昨年の挨拶文を読んで、少

し手直しをするだけでした。どうせ、私が人前で挨拶するわけでなし・・・


前に、司馬遼太郎の開高健への弔辞を紹介しましたが、あれは、良い弔辞でした。「大兄

の病に篤し、との知らせを仄かにうかがった朝、天から舞いこむようにして『文學界』所載

『珠玉』がとどき、吸いよせられるようにして読みました。」少し後に「大兄とはいかにも縁う

すきかかわりでありました。・・・・」とありますが、


この「縁うすき」がうまい。普通、弔辞というと「縁厚き」人がするのですが、聞いている人は

「なんで、縁うすき人が挨拶をするのか」疑問に思わせ、その後、開高健との関係を話して

いく。これ、みんな、引き込まれますね。


さて、「挨拶はたいへんだ」。弔辞、祝辞、自分の文学賞受賞の際の挨拶等が載せてありま

すが、最初に説明が少し書いてあり、これが、また上手い。


挨拶は、最初に人をどう引きつけるかが大事で、そうすると皆さん、最後まで聞いてくれる

もの。


■結婚論についての一考察~千歳潤、山本元子結婚披露宴での祝辞

 「結婚といふものを褒め讃える名文句は非常に少ないんです。逆に結婚を悪く言う名セリ

 フは非常に多い。これは面白いことです。こんなに悪く言われながら、しかし、人間は昔

 から 結婚という制度を続けてきた。・・・・」

結婚式で、「結婚を悪く言う名セリフは非常に多い・・・」。こんな失礼な事、言えはしません

が、あとは、なるほど、と言うように纏めています・・・


■天の恩寵は彼にあった~辻静雄葬儀での弔辞

  「人生といふのは不思議なものですね。年上のわたしがいまここにゐるのに、五つ下の

  辻さんが世界に存在しないというのは納得がいかない。いまは午後の二時、ちょうどど   

  こかの料理店で食事をご一緒したあと、果物でも食べているところだった・・・・・かも知れ 

  ないのに。・・・・」

目に浮かぶような感じです。


■今年の読売文学賞はいいですよ~第14回読売文学賞での乾杯の辞

  「一体にこの文学賞は権威があって質が高いのですが、でも、強いて難を言へば、いつ

  も受賞者の年齢が高いといふことがありました。時として、大久保彦左衛門が六人並ぶ 

  ような年もあった・・・・」

これには、受賞者の皆さん、参加者の皆さん、大笑いだったでしょう。人の心を掴むのがう

まい。


「文藝春秋」からです。


■「ただいま飛びます」~坂上二郎への萩本欽一の弔辞

  「笑顔で見送ってください 坂上二郎はただいま飛びます 飛びました」

コント55号で、パワフルな舞台を見せてくれた、坂上二郎さんの姿が目に浮かびます。


■あばよ、さよなら談志師匠~立川談志への石原慎太郎の弔辞

  「談志師匠。ご遺族の依頼で弔辞を述べることになりましたが、いまさらもう弔辞じゃね 

  えよな。君が亡くなる3日ほど前に、君と奥さんとお嬢さんもいらっしゃらなかたので、い

  らした女性の秘書さんに聞いたら、もう声も出せないというのでいいから俺が一方的に

  話すから、受話器を彼の耳元に持っていって俺からだといってくれ、といいました。そし

  て最初に『おい談志お前もそろそろくたばるらしいな』といった。・・・・・」

いかにも、石原慎太郎の弔辞ですが、「・・・あれは俺が俺なりに君に渡した引導だったかも

知れないな。・・・・」と言っています。


■先生の着物~北方謙三から渡辺淳一への弔辞

  「弔辞。渡辺先生、初めてお目にかかってからずいぶんと長い歳月が過ぎました。

  はじめは「さん」付け、次は「君」付けで。そして「謙坊」でした。呼び捨てにされても私は

  変わらず敬意をこめて『先生』と呼び続けています。

お二人の関係が、誰にでも分かる言葉だと思います。


挨拶を頼まれた方、丸谷才一さんの本を読んでみてください。参考になります。私も、丸谷

さんに弔辞を頼もうと思っていたのですが、亡くなっておられました。


いままで、一番面白かった、結婚式での祝辞。これ、多分、以前書いた覚えがあるのです

が・・・・お互い忘れてしまった事にして。立川誌の輔さんの「ハンドタオル」のマクラの部分

です。真面目な、誌の輔さんだから、事実だとおもいますが・・・うる覚えですが・・・


某結婚式に呼ばれた時、新郎の上司の挨拶

「新郎新婦、ご両親の方、本日はおめでとうございます。・・・私事で恐縮ですが、私も3ヶ月

前、再婚をし、会社で、この歳をして、新婚、新婚と冷やかされている毎日なのですが、ま

あ、正直に思っていることを申しあげますと、替えてみても、あまりかわりは無かったと

・・・、新郎新婦、これから山あり川ありと、いろいろな辛いことがあると思いますが、その時

は、私の言葉を思い出していただきまして、替えてみても大差はないぞと・・・簡単ではあり

ますが。」


ところで、最近の葬儀には、お孫さんあたりの、お別れの言葉が流行っており、弔辞という

は有名人の葬儀ばかりになりました。私も、あの弔辞、一回やってみたいのですが、アナタ

の葬儀の時、させていただけたら、幸いなのですが・・・・

(文引用:「挨拶はたいへんだ」「文藝春秋12月号」「ハンドタオル~立川誌の輔」より)





2014年12月 1日 (月)

小豆島からの移住~雲仙市南串山町

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昨日、「島原藩南串山村馬場庄屋・古記録抜書帳」の紹介をしましたが、ここの敷地が庄屋

跡で、写真では分かりにくいのですが、まだ、広がりをもった敷地です。


この、庄屋屋敷は解体してありませんが、その敷地の一角に、「雲仙市歴史資料館 南串

山展示館」があり、ここで、古文書の解読をしており、また、展示もおこなっています(毎日

開館していないので、行かれる方は、雲仙市教育委員会へお問い合わせを。また、展示は

入れ替えがありますから、内容も問合わせてください)。


先に、小豆島からの移住者の事を紹介しましたが、ちょうど展示をしてあったので・・・

左は、過去帳ですが、赤い線が引いてあります。この方々が小豆島からの移住者の方で

す。右は「くわんす」で小豆島から、持ってきた物だといわれています。

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なお、島原・天草一揆で、島原半島の南目は人口が少なくなったため、幕府は移住政策を

とり、一万石につき一戸の割で移民を出すように命令をし、幕府直轄地の小豆島にも命令

を出します。


それでも、思うように集まらなかったために、島原藩主高力忠房は「作り取り」の令をだし、

十年間無税の特権を与えたということで、今度は、一揆で無人になった半島各地に、国

を脱出してくる者もあったそうです。


なお、幕府の令で移住した者を「公儀百姓」、藩の許しを得ず、移住した者を「走り百姓」と

言ったそうです。(南串山町郷土誌より)


各地区の墓所によっては、小豆島からの移住者と分かるものがあります。

楕円で囲んだ所ですが、この一番上の段に、移住者の墓があり

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一番上の段ですが、飾っている花もなく、ほぼ無縁仏状態です。

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小豆島からの「庄三郎」の墓、赤の四角の所に「小豆島産」、線の所に庄三郎と刻んであり

ます。


なお、石仏像の首が壊されていますが、この地方は、キリシタン大名の有馬晴信が、半島

全部の寺社を破壊したことがあり、また、石仏が壊されたのは、明治時代の廃仏毀釈の時

もあり(これは全国的なもの)、この墓地は、江戸時代の年号が見られますから、明治時代

に壊されたものでしょう。

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こちらは、「又左衛門」の墓。同じく「小豆島産」「又左衛門」と書いてあります。

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昨年7月の長崎新聞ですが、小豆島から移住してきた、子孫の方が、小豆島を訪問するに

あたり(これ以前にも交流はあります)、町に伝わる望郷の念を歌った「よ伊勢」を披露する

ために練習をしたそうです。

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「よ伊勢」

伊勢に参るなら小豆島通れ

小豆島恋しや土地までも


地区によっては、小豆島からの移住者が多く、ほとんど真言宗だそうですが、伊勢参りと高

野山詣は、生涯の夢で、途中は必ず、小豆島に立ち寄った、と言われているそうです。


(参考・文引用:「みなみくしやま~南串山町郷土誌」「長崎新聞」より)


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