« 2014年10月19日 - 2014年10月25日 | トップページ | 2014年11月2日 - 2014年11月8日 »

2014年10月26日 - 2014年11月1日

2014年11月 1日 (土)

2014 「秋桜まつり」~「しまばら 芝桜公園」

2

この連休は、天気が悪そうで、あちらこちら、予定をしていた方は残念ですが、昨日「しまば

ら 芝桜公園」に、秋桜を見に行ってきたので、行かれない方のために、写真だけで、お楽

しみください。


ここの公園は、春は芝桜、秋は、芝桜公園の横の広場で「秋桜まつり」を行っています。「芝

桜公園」は、普賢岳災害で被害を受けた砂防指定地区ですが、地元の方が、何かできない

かと作った公園です。


入場口に、チェーンソーで作った、ふくろうのお出迎え。「ふくろう」は「不苦労(ふくろう)」で

縁起物です。


秋桜は、先月の終わりに行った時は、まだ蕾でしたが、この日は、満開状態。

Dsc_0074_2 Dsc01245

平日で、天気が悪く、途中で雨がパラパラと来ましたが、お客さんは意外に多く、といっても

観光客と、アベックばかりで、おじさん一人でウロウロしているのは、私だけ。


日本人は記念写真を撮るのが好きですね。写真に魂を吸い取られるんですが・・・・

Photo 2_2

「オススメスポット」写真を撮るスポット。

秋桜の間を歩けるように、遊歩道が作ってあります。両側を秋桜に囲まれ、思わず「後に柱

 前に酒 左右に女 懐に金」という言葉を思い出しました。「後に柱は」、座敷での一番上

座のことです。秋桜に囲まれると、まさに「左右に女」という感じ。

Photo_2 Photo_3

「オススメスポット」での写真、右の山が「平成新山」。左の山が、確か「眉山」だったと思い

ます。これで、青空だったら、良い写真なんですが。

Photo_7

遊歩道を歩いて行くと、真ん中あたりに、ブランコが4つばかりあって、左は一人用。右は二

人用。もちろんアベック用。私、まだ見ぬ恋人を夢見ながら、二人用にのってきました。

Photo_5 2_4

展望台ですが、二人の女性がいたので、お話しでもできないかと行ったら、下りてくるところ

でした。顔を見たら、おばちゃまでした。残念。


展望台から撮った写真ですが、少し露出不足。本当はもう少し濃い色です。広角レンズを

持って行きませんでしたが、もっと左右に広がっています。

Photo_8 3

今日、少し強く雨が降ったので、花びらが心配ですが、散っても、蕾が出ていたので、まだ

まだ、大丈夫だと思います。行く時は、一人では行かないように。わびしいですよ。

2_5

この広い所に、種を蒔いたり、雑草を取ったりで、「芝桜公園をつくる会」の方は大変だった

と思いますが、また、来年を楽しみにしています。




2014年10月31日 (金)

「ペコロスの母の玉手箱」~岡野雄一著

Img_20141031_0001

今日は、島原の病院へ行って、島原の秋桜を載せるつもりだったのですが、本屋さんに寄

って見ると、昨日まで無かった「ペコロスの母の玉手箱」が並んでいて、買って来ました。


「ペコロス」については、2冊目の本になります。一冊目の「ペコロスの母に会いに行く」も紹

介をしましたが、あの頃は私の父母も、入院をしていたのですが、4ヶ月後、12月24日に

母が亡くなり、追うようにして、12月31日に父が亡くなりました。一週間で、2人の年末で

の葬式は少しきつかったのですが、夫婦仲が良かったので、まあ、これで良かったのかな、

と思いましたが・・・・


「ペコロス」さんのお母さんも、つい最近亡くなられたそうです。この本に、その事も描いてい

ますが、九十一歳だったそうです。

Dsc01255_2

「ペコロス」さんの家族になりますが、お父さんは、大正8年生まれ、平成12年に、80歳で

亡くなっています。その頃から、お母さんが認知症を発症し、施設にお世話になっていまし

た。弟さんは、東京近郊に在住。


「ペコロス」さん一家。大体、私と同じ世代で、「ペコロス」さんのお父さんは、酒乱だったそう

ですが、あの世代は酒乱が多く、私の父の友人も酒乱だらけで、私の父は酒乱では無いも

のの、毎日、飲んで帰って来ていました。繁華街は、あちらも、こちらも、ゲロだらけでした

が、今はあの光景はありませんね。


おかげで、給料日前は「質屋」にラジオを持って、給料日まで「質入」れ、今では、ラジオな

んかじゃ「質」に取ってくれないでしょう。「質屋」さん、どこにでもあったのですが、今では・・


ところで、「ペコロス」さんのお父さんは、「三菱造船所」に勤務していたそうですが、あの時

代は、高給取りで、テレビ、冷蔵庫など当時の高級品は、みんな「三菱造船所」勤務の人が

一番最初に買っていました。


弟の名前が「つよし」で、私と同じ名前で、このマンガ、いろんな面で、親近感を覚えます。


このマンガのなかに、「私(うち)は大人になったら、この風景ば忘れるとやろか、そいとも・・

・・・年ばとってから思い出すとやろか・・・」というセリフがありますが、私の母から、「あん

た、小学校の2年の時、こげんことば(こんなことを)、しよったとよ(していたのよ)」、なん

ていわれて、「エッ、嘘」。

父母が亡くなって、まだいろんな事を、聞いていれば良かったなと後悔しています。


回りの風景も、変わって来ました。「大人になって、この風景を忘れるのか、年取って思い

出すのか」。できるだけ、「年取って思い出す」事を沢山持つように。私?失恋の思い出は、

イヤというほど持っています。


「ペコロス」さん、「母・みつえの逝去によせて」で、「一冊目と同じく、この本が、介護をする

全ての人たちの気持ちに寄り添い、少しでも癒やしになれるよう、祈り、ねがいます」と書い

ています。


特に家族の方に、認知症をの方をお持ちの方の、介護は大変だと思いますが、この本、是

非お読みください。「癒やされる」ところが、たくさんあると思います。


思わず、笑ってしまう所も沢山ありますが、「涙なくしては、笑えない」本です。若い方も、お

父さん、お母さんも必ず年を取っていきますから、今のうちにお読みください。






2014年10月30日 (木)

2014 紅葉だより~雲仙★仁田峠・三十路苑(10月30日)

Photo_6

新聞、TVで、雲仙の紅葉が見ごろ、というので出かけて見たら、仁田峠はもう少し、といっ

たところ。まあ、何でも煽るのがマスコミだから・・・


ロープウィーあたりの妙見岳、こちらは標高の関係で、かなり紅葉しているみたいでした

が、気力が無いので、下の方から眺めるだけ。


今日、TVで、今年は寒さが早めで、といっていましたが、近隣町のカメラマンと話をしていた

ら、五日前と比べると随分色づいたということ。


今年は、寒さが遅く、この数日、寒(かん)が強くなったので、連休あたりが一番良いのでは

ないかと話していましたが、この辺は、TVと逆の話ですね。連休は駐車場が一杯になるの

で、行くなら平日でしょう。現役の方には気の毒ですが。 

Photo_2 2

途中の展望所から見た風景ですが、雲仙災害の火砕流の跡です。すいぶん、緑が戻って

きました。

3_4

ついでに、小浜に下りがけ、近年、見に来る人が多くなった「三十路苑」に寄ってみました

が、こちらはまだまだ、ご覧の通りで、2名ばかりで準備をしていました。

Photo_3

3 Photo_4

11月16日から「もみじ狩」になっていました。

右は「六兵衛茶屋」でしたが、閉店になっていましたが、千々石にも同店があり、千々石だ

けの營業になりました。

2_2 Photo_5

「棚田百選」の岳地区の棚田です。展望所が作ってあり、ついでに寄って、写真を撮ったの

ですが、展望がもう少しよければ良いのですが、実際は、まだ、広いのですが・・・・

稲刈りは、終わっていましたが、ウチも3俵ばかり玄米で買いました。ここの米は、高地で水

が豊富でなので、美味しいですよ。

Photo_8




又、又、又、又「滝の観音」へ~長崎市

Photo_2

「滝の観音」です。確か以前にも、3回くらい書いた覚えがあるのですが、皆さんも忘れてし

まっているだろうし、私も、なにを書いたのか忘れているので、以前のブログと重複してい

ると思います。


歳取ると、昔と違って、キャバレーより、このような所が好きになり、長崎の帰りがけ、又寄

って見ました。


いつもの門を通り過ぎると、静かなたたずまい。

Photo_28 Photo_4

ここ本堂に続く道ですが、いつも、右を通るか、左を通るか、迷います。右の方は、どちら

が根か分からない「伏樹門」又は「不思議門」。門には、「元禄十丁丑歳□月吉祥(?)日」

の文字。

Photo_6 Photo_7

「伏樹門」横に、寄進されたのか、石物が。良く見ると、右側は墓石を持ってきたのでしょう

か、弘法さんが彫ってあり、その上に「浅夢」。下の方に、「文化八年(1811)未辛 童女 

七月七日」と彫ってあります。子供の墓だったのでしょうか?

Photo_9 Photo_29

竹林。仁王門の近くにの石仏に、栗がいっぱいのせてありました。何でしょう?

2_2 Photo_14

仁王門です。

Photo_16

もちろん、仁王様もいます。足元を見たら、泥棒さんはいませんでした。(意味が分からな

い方は、落語を調べてください)

奥に、本堂がありますが、写真は撮り忘れました。本堂の裏に滝があります。

Photo_18 2_3

近頃、雨が降らないせいか、水量が少し少なめ。霊瀑中央の水苔深いところに、弘法太子

が「水観音の梵字を滝の懸崖に記した」と古書には伝えられ、今もなお跡をとどめている

と、「『滝の観音』小縁起」には書いてあるのですが、近眼、老眼、普段の行いの悪い私に

は、何回いっても、見えません。

Photo_19 2_4

滝近くの、御手洗の後ろの石のところには、優雅な絵が描いてあります。滝近くの崖の上

には、水神様、竜王様の石仏が置いてありましたが、祠の下に「竜王」の文字があり、左側

に「良縁成就」と書いてありましたが、娘の良縁を願ったものか?

Photo_21 Photo_22

「羅漢橋」ここを渡ると

Photo_23

まあ、いろんな石仏がありますが、

2_5 Photo_25

元禄12年、京都北野神社より分祠した、天満宮祠があります。忠臣蔵の討ち入りが元禄

15年ですから、それより3年前です。

2_8 Photo_26

2代目、3代目に至り、間の瀬、現川(うつつがわ)、矢上に末庵を配し発展し、門前に酒

屋、境内に参籠の湯屋ができるなど、西海屈指の祈願霊場として有名になったそうです。

下の絵は、江戸時代に描かれた「長崎古今集覧名称図絵」に描かれた、「滝の観音」で

す。

Photo_27

なお、ここは「長崎県指定名勝」の第一号地です。ということは、この標柱も第1号、です

ね。是非一度お越しください。パワースポットです。

Dsc_0538


2014年10月28日 (火)

「如来祭り」~長崎市

Photo

長崎の八幡町阿弥陀堂(長崎・四国八十八カ所霊場 第六十四番霊場)の阿弥陀如来像

す。

如来様の右手、上げていますが「施無畏(せむい)印」で、人びとの不安を除く印。左手、下

げてこちらを向けていますが、「与願(よがん)印」で、願いをかなえる印を結んでいます。


長崎の病院の帰りがけ、以前紹介した、「長崎の石橋★阿弥陀仏橋」にも少し説明をしまし

たが、横を通りかかると、

Photo_2 Dsc01216

なにやらやっているような様子で、中にいる、おばさまに聞いたら、如来祭りとのこと。な

お、この如来様の横に、弘法太子(空海)像もあり、秋には、如来祭り、春には弘法祭りをす

るそうです。


話によると、3~4日祭りはあるそうですが、八十八ヵ所で開催され、八十八ヵ所巡礼をする

とかで、長崎市内から、日見峠を越え、網場の方まであるそうです。

 Photo_10

霊場には一つ一つ御詠歌がありますが、この阿弥陀堂は「まえはかみ うしろはほとけ ご

くあくの よろづの つみをくだく いしづち」。たぶん、「前は神 後は仏 極悪の よろずの

罪を砕く 石鎚」だと、思います。


阿弥陀如来は、極悪人も救うという仏様でもあり、「極悪の よろずの罪をくだく」は、悪人の

罪を砕くという事で、いわゆる「罪を憎んで、人を憎まず」という事ではないでしょうか。自説

ですが・・


話をしていると、お接待で、お茶と、かっぱえびせんをいただきました。こういう所でいただく

く物は、縁起物ですからありがたく・・・。でも、八十八ヶ所全部で、お接待を受けると、大変

だナ。


明日は、延命寺から40人ほど、参拝が来られるとかで、「長崎四国八十八ヶ所大巡礼 長

崎へんろ」のポスターが貼ってありました。右下の方に、「長崎四国八十八ヶ所霊場会本

部」の電話番号が。後で調べて見ると、延命寺さんの電話番号でした。

Photo_12 Photo_14

話をしながら、阿弥陀如来様の左右の仏様の土台を見ると、文字が彫ってあり、右は多分

お経だという感じはするのですが、お供え物がしてあって、よく分かりません。


左は、「寛保三(1743)癸亥歳四月吉日」、「寛保三年」は、確かに「癸亥」で、「歳」は「年」

の事で、「天、季、暦、稔、載、祀」と彫っている所もあるそうです。お寺、神社、お墓など行

かれた時など、よく見てください。


なお、宮田氏の本によれば、「近年になって左岸下流側にお堂が造られまつられている。」

と書いてあります(著書は52年発行)。


考えると、阿弥陀仏様と弘法様が一緒に祀られているのは、少し疑問だったのですが、ひ

ょっとしたら、別々に祀られていたのを一ヵ所に集めたのでは?

2_4 Photo_17 

「かっぱえびせん」をいただいたのとは、関係無いでしょうが、お堂の横に可愛いカッパさん

の石造が・・・。あと、二つありましたが、これは新しいもののようでした。町内会長さんが整

備をされたそうです。

Photo_20 2_3

3_2 4

カッパさんの事を聞くと、ここの川は、昔から氾濫することがあったらしいのですが、それに

関係したという話を聞いた、という事で、詳しくは分かりませんでした。


「かっぱえびせん」を食べながら、ブログを書いていますが、「やめられない、とまらない!」

また、太るな wink 








2014年10月27日 (月)

「警察庁長官を撃った男」~鹿島圭介著

Img_20141027_0003

8月31日「TV朝日」の「世紀の瞬間&日本の未解決事件スペシャル」で放送をしたみたい

ですが、知らずにTVのチャンネルを回していたら、最後の方だけ見ることができました。


覚えておられる方もいると思いますが、オウム真理教。あの当時、目黒区の公証役場事務

長・假屋さん拉致事件、坂本弁護士家族殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件

があり、オウム教が疑われ、1995年3月22日に、オウム真理教施設の一斉捜査。そし

て、3月30日の国松警察庁長官の狙撃事件。


警視庁のトップが、狙撃されたので、オウム真理教が、目をそらせるために狙撃したので

は、という話も流れました。


某巡査長が、オウム真理教の一員で、犯行を疑われましたが、立件は困難と見送り。その

後、某巡査長は、元オウム真理教徒3名と共に再逮捕されるも、処分保留として釈放。


中村泰(ひろし)。1930年生まれ、東京大学教養部理科2類に合格。学生時代、共産党に

入党。


地下活動家として、中村は過激で、「『一般市民を苦しめる為政者と、その官憲は敵』との

考えに凝り固まり、武器を手にした暴力革命を志向。」


その後、窃盗を重ね、東大を自主退学。以後、武器調達のため、金融機関の金庫破り。

300万(現在の貨幣通貨で10倍以上)を得るが、職務質問に会い警察官を射殺し、逮捕さ

れ、無期懲役が確定。


家宅捜索で、9ミリ・ショート口径のコルトマスタング自動式拳銃と142発の実包。パスポ

ート(偽造)、カリフォルニア州、アリゾナ州の免許証。変造指紋が見つかる。


なお、銀行の貸金庫から、9ミリ・ルガー口径のグロック19型、スター(スペイン製)、スミス

&ウェッソン、他の貸金庫からコルト・ダイアモンドバック、チャーター・アームズ・ブルドッ

グ、ワルサーP88、SIG P226、あと、書くのが大変なので、本で読んでください。なお、短

機関銃、実弾1016発、致死量1000人分を超えるシアン化合物(青酸カリ)まで入ってい

たそうです。


さて、なぜ、それだけの(アメリカにも貸倉庫を持っていて、そちらにも大量の火器が入って

いたそうです)物を、何の目的で買い集め、日本にどうやって運んだのか、話が長くなるの

で、これも本を読んでください。


その火器と同時に、段ボールに入った、膨大な数の新聞、雑誌。皆「長官狙撃」事件の記

事が見つかったそうです。


これだけ、揃えば、中村泰が疑われ、調べを受けるも、落ちず、2005年5月で打ち切り、

捜査班も解散。


ところが、2年ほど後、捜査を再開。2007年。このとき、「私が撃ちました。」


あと、オウム犯人説に固持する公安部、中村犯人説で捜査する刑事部、警察上層部の思

惑の絡み合い。


中村を被疑者として、逮捕できるはずが、当初よりオウム犯人説に固守する、米村が警視

総監として着任。中村の逮捕については、「実質上には判断保留という名の”塩付”だっ

た。」


2010年3月30日、この事件は時効になりますが、その時の警察の記者会見で「これまで

の捜査結果から、本件はオウム真理教の信者グループが教祖の意思のもと、組織的、計

画的に敢行したテロと認めた」という説明をし、各界から批判を浴びたのを、覚えておられ

方は、少なからずおられると思います。


ところが、中村を犯人とた捜査は、中村が、事件後海外渡航しているので、中村を犯人とす

る時効は200日ばかりあり、この間も捜査は続けられ、新しい発見があったり、ある弁護

士が告発をしたり、検察審査会に不服審査を申し立てたりしますが・・・

さて、中村の時効が来た時の警察の見解は・・・・後は本を読んでみてください。


作者は、この本を書くにあたり、「本書を執筆する意図は主に二つある。一つは、オウムだ

けにこだわり、オウムしか見て来なかった警視庁公安部が、この15年間、一体何をしてき

たのか、その捜査の実態を明らかにすることだ。・・・・それともう一つは、重要参考人に浮

上しながら黙殺された、中村泰という男の長官事件における極めて高い容疑性を詳らかに

することである。」と書いてあります。


下手な、推理小説より面白いですが、日本の警察はこんなものかと、不快感と疑惑が湧い

てきます。私達の小さな時は、お巡りさんは「正義の味方」だったのですが・・・


中村泰はどういう人物だったのか、不思議な人物です。


(参考・文引用:「警察庁長官を撃った男」~鹿島圭介著)






« 2014年10月19日 - 2014年10月25日 | トップページ | 2014年11月2日 - 2014年11月8日 »

フォト
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ