« 2014年8月17日 - 2014年8月23日 | トップページ | 2014年8月31日 - 2014年9月6日 »

2014年8月24日 - 2014年8月30日

2014年8月30日 (土)

日見の「腹切坂」~長崎市 その3

Img_20140829_0001

昔の長崎街道、七間曲がりの所です。一番きついところだったのでしょう。今では、歩い

て3分の所のコンビニに行くまで、車を使う時代。雨の日は、中学生でさえ、車のお出迎え。


さて、今日は腹切り坂の所の3基の供養塔のことです。

Dsc_0007

3基並んでいますから、便宜上、「左の碑」「中央の碑」「右の墓(これは多分墓でしょう)」

と呼びます。


「左の碑」六角柱になっています。昨日の「日見の史蹟」に、この3つの塔の事が書いてあ

り、いわれ、その上、ありがたいことに、碑の文字まで書いてありましたが、少し?の所があ

るので、自分で、調べた事を、比較しながら書いて見ます。

Dsc00554 Dsc00555

「日見の史蹟」によれば「腹切り坂に天禄9年(1696)正月3日地域住民が慰霊のため墓

を建てた。正徳4年(1714)5月3日野田重右衛門が慰霊碑を建立した。・・・

昭和50年(1975)に土地開発のため、場所が私有地であったので、無縁仏として骨と墓

及び慰霊碑は坂本町(注:長崎市内)にある県の墓地に移転されていた」とあり、


この話を、東長崎史談会の方が残念に思い、元の場所に戻すべく、手立てをするも、日見

バイパスにかかるという話があり、日見に場所を見つけるも、受け入れ先が見つからず、昭

和54年11月25日、東長崎史談会会長の尽力により教宗寺の住職様に供養をお願いし、

お寺の境内に移転をしたそうです。これで、教宗寺にあった理由が分かったわけです。


平成14年3月29日、日見バイパスの工事完了に伴い、日見腹切坂史跡保存会の尽力に

より、元あった場所の下の、現在位置に移転をしたそうです。


なお、骨も出て来たそうです。骨格がしっかりした方だったそうですが、火葬をし西本願寺に

納骨されたそうです。


さて、供養塔です。

まず左の塔だけが六角柱になっています。あとの二つは普通の四角柱です。


■まず、「左の碑」。「日見の史蹟」には・・・・・

右面  為常修院玄理日是逆修菩薩

       願以此功徳普及及一切

正面  奉納大乗妙典一字一石書写正

       我等興衆比共成仏道

左面  為福剣香信女仏菓菩薩

裏面  正徳4年甲牛(1714)夏4月朔日 俗名野田重右衛門敬白  

■「中央の碑」

奉納 大乗妙典六十六部日本廻国供養

      南無観世音菩薩

     南無阿弥陀仏

裏面 宝永6年(1709)8月吉日


■「右の碑」

正面  白禅道由居士

裏面  元禄9年丙子年(1696)正月3日

俗名  吉村忠衛門尉藤原重道


となっていますが、さて、私が写真で確認したところ・・・・・


■「左の碑」正面から向かって、時計方向に①②③④⑤⑥と便宜上つけます。次のように

 彫ってあります。

① 奉納大乗(乘?)玅典一字一石書寫

② 我等與衆生皆共成□仏□道

③ 為劔香俚□薫信女佛果菩提

④ 正德四甲牛歳 夏四月朔日(この部分2行に分かち書き) 下部に、俗名 野田重右 

  衛門 敬白(敬白は一番下に横書き)

⑤ 為常修院玄理日是逆(旧字にて標記)修菩提

⑥ 願以此功德普及一切


■「真ん中の碑」同じように正面から時計方向に①②③④

① 真ん中に大きな字で「南無阿彌陀佛」。右に中くらい大きさの字で、「南無観世音菩

   薩」。左に「南無体勢至菩薩」 

② 肥前州高来郡日見村庵主 □□院叔明誠□比丘□建立

③ 宝永六年己牛八月吉日

④ 奉納(これは上部に大きく横書き) 大乗妙典六十六部日本洄國供□


まず、一番「左の碑」は「一字一石塔」で、小石一つ一つに、経典の一字づつの文字を書

き、経塚に埋納したもの。供養にも使われますが・・・


②と⑤は逆につなぎ合わせて、「願以此功德 普及一切 我等與衆生 皆共成仏道」で、真

言宗の廻向文です。


なお、「正徳4年(1714)5月3日野田重右衛門が慰霊碑を建立した」と書いてありますが、

気になるのが「③ 為劔香俚□薫信女佛果菩提」と「⑤ 為常修院玄理日是逆修菩提」。

③について言えば、「信女」は普通、女性の仏様につけるもの。⑥に「逆修」と書いてありま

すが、「逆修」と言えば、生前に死後の冥福を祈って、仏事をしたり、生前に戒名を授けても

らうもの。


なお、今は、「○○院○○○○居士」などと書きますが、調べて見ると、昔は、「為~菩提」

とも書いた事もあるそうです。


この、一字一石等、左右の戒名を見たら、男女の感じがし、ひょっとしたら、夫婦で妻が先

に亡くなり、夫の方が「逆修」をしたものでは・・・


というところで、夜遅くなって、眠くて目がボケて見えません。又明日続きを。皆さん、ごきげ

んよう、お休みなさい。





2014年8月28日 (木)

日見の「腹切坂」~長崎市 その2

Photo

             (「長崎街道~永島一著」より)


上の写真は、昔の腹切坂にあった供養塔です。


少し、地理的なことが分かりにくいので、「藩境石」の説明版に描いてあった、地図を載せま

す。


赤丸の楕円。上から藩境石標、真ん中の丸が印のところが、昔、供養塔があったところ。現

在は、崖になって、「通行困難になっています」と書いてあります。一番下の丸の印が、現

在慰霊塔が建っているところ。

Photo_3

「藩境石標」。昔、長崎は天領でしたから、天領と佐嘉藩(佐賀藩・鍋島藩)との境になりま

す。佐嘉藩士は、この藩境標から佐嘉藩(上の方の赤い線~長崎街道になりますが)に入

った途中で、切腹したのではないかとの事でした。


網場道の交差点で、下の赤矢印から入り、上の団地の横をぐるりと回り、上の矢印あたり

に、藩境石標があります。(歩けば、青の道を行きます。赤の点線の道は現在ありませ

ん。)

途中、何カ所か石段があり、街道の標識があります。

Dsc_0083 Dsc_0050

「長崎県教育委員会調査 長崎県文化財調査報告書 長崎街道」では、「日見宿より、北東

方向に国道三四号まで上りつめ、斜めに横切り腹切り坂へと進むが、国道の拡幅と住宅造

成のため、長崎街道は見ることができない。」とあり、下線のところから考えると、網場道入

り口の信号機あたりから、下の写真の階段を(昔は道でしょう、かなりの勾配です)登りきっ

たところが、藩境だと思いますが、おじさんには登る気力もなく、車で団地をぐるっと回ると。

Photo_6

表側と裏側から見たところ。上の地図も、この説明版に描いてありました。

左側は、ほとんど読めませんでしたが、「彼杵(そのぎ)郡之内日見境」。右は、ちゃんと読

めました「従是北佐嘉境」。


なお、説明版によれば、当時は地伏石(台石2個)の上に立てられ、住宅造成に伴い、当時

の位置より五メートルほど矢上側に移設されたそうで、多分、右の写真のガードレールとの

間だと思われます。道を作るのに邪魔だったのでしょう。

Photo_7 Photo_9

これも、長崎県文化財の報告書からですが、平成12年発行になっていますから、当時の

写真でしょう、後の四角の石が、台石なのか?

Img_20140828_0001_2

なお、車で来た道は行き止まりになっているようでしたが、歩いて行くと、どうも、こちらが本

来の長崎街道みたいで、これが「通行困難」な道」なのでしょうが、狭いなとおもったのです

が、左側が、防壁のため、かなり削られているみたいでした。

Dsc_0076_2 Photo_10

地図で見ると、道が途中で途切れていますが、雲仙の山道を一人で行くのに比べると、ゾ

ウの屁と、ノミの屁みたいなもの。涼しくなったら、行ってみるつもりです。


この道も、国道で分断されているらしく、多分、下の写真の所に出ると思います。永島正一

氏の本にも出ていましたが、左が永島正一氏の本に載っていた写真。説明に「左の小道を

登ると 腹切坂」。右が現在で、ここらあたりを知っている方に写真を見てもらって、確認し

たところ、ここだろうという事でした、ただし、供養塔が建っていたところは、防壁で削られ、

今は見られないそうです。

Photo_12 Photo_13

ところで、本を調べていくと、県の報告書「武士の墓石及び供養塔は、矢上教宗寺にあ

る」。松尾卓次著「長崎街道を行く」にも「不憫に思った村人は丁重に葬り、今もその墓は

上の教宗寺に残っている」。岩永弘氏著「長崎”街道周辺の歴史”」にも「腹切坂の由来に

ついて矢上の教宗寺にある説明版・・・・」。と、「矢上の教宗寺」が随処に出ており、それじ

ゃ、国道筋の供養塔は何なのだ。


という事で、教宗寺に電話をかけ聴いたところ、丁重に教えていただきましたが、東長崎史

談会の方が供養塔を持って来られ、預かって貰えないかとのこと。その後、国道ができたた

め、当時の建設省の許可を得て、現在のところに移転をしたとの事でした。もう少し経過が

あるのですが、これは明日にでも。


下の写真。長崎県の報告書に載っていて、教宗寺にあった時の写真ではないかと思われ

ます。笠の無いのが二つばかりあって、気になるのですが・・・・・

Img_20140828_0001_2_3

それなら、これを持ってきた、東長崎史談会の方に詳しく聴けるのではないかと、思ったの

ですが、図書館を調べても、東長崎史談会の著作物はなく、団体のことなら、地元の公民

館でも聞けば分かるのではないかと、電話。


なんと、これがビンゴで、名前聞くの忘れましたが、公民館の主事さん、多分退職校長さん

みたいですが、腹切坂の事を聞くと、よくご存じ。不思議に思ってたずねると、昔、調べたこ

とがあるとか。翌日、飛んで行きました。


ちゃんと本にされているのですね。「日見の史蹟」。

Dsc00553

公民館協力会があって、いろいろ調べて協力をしているとか。他にも、資料がありました

が、この本に、腹切坂の慰霊塔の文字(風化し始めて読めない文字もありました)もちゃん

と記録してあって、これには助かりました。この場ですが、お礼申しあげます。

さて、この次は、慰霊塔が何であるかの話です。



(参考・文、写真引用:「長崎街道 長崎県文化財調査報告書 第154集」「長崎街道~永

 島正一著」「長崎古今集覧名勝図絵~越中哲也著」「長崎街道を行く~松尾卓次著」「日

 見の史蹟~日見地区公民館著」「長崎”街道周辺の史跡”~岩永弘著」より)

 




2014年8月27日 (水)

日見の「腹切坂」~長崎市 その1

Dsc_0007

島原半島から長崎市まで行くのに、国道34号線を通ります。この途中の日見峠に、「腹切

坂」というのがあり、知ってはいたのですが、私としたことが、この大きな坂が、「腹切坂」と

思っていたのですが、ここの地域は私の領域とするところではなく、まったくのピンぼけでし

た。

Dsc_0005_2

ここは、道路公園みたいになって、一番上の写真の横が車道になっています。

3基の石塔が建っていますが、一番右に立っているのは、「腹切坂」と書いた石柱で関係あ

りません。


この「腹切坂」については、下の通りの説明版があります。

これには、他に少しずつ違いがあり、言ってみれば、伝承に類するもので、伝言ゲームと一

緒で、少しづつ違いが出て来るのでしょう。


永島正一氏の「長崎街道」に「日見町史」のことが書いてあり、「・・・平家の落人の末裔で宿

名に帰農する一団があった。

身はつづれを纏ひ日傭い人夫或いは小作農に従事し糊をしのぎつつあったが、武士のた

しなみ、常に武道鍛錬を怠ることがなかった。

この一人で作右衛門と謂える者腕力衆に優れ武道は棒術に長けていた。・・・・・」で、熊本

藩の家臣が試合を申し込み、結局は破れ、「彼の武士は如何にもして無念やるかたなく宿

名を見下ろす場所で武士の面目上腹を切った・・・・」となっています。

以上書いたのが、第一の説です。


第二の説はフェートン号事件が関係します。説明すると長くなるので、こちらをクリック

これには、後日談があって、長崎は天領で、この年の港の警備は鍋島(佐賀)藩。


長崎市史を略して書けば、文化5年は7月になっても、オランダ船の寄港もなく、当年欠航

の判断で、守備兵が縮小。


松尾卓次氏の「長崎街道を行く」には、「その時、警備担当であった佐賀番所には、たった

50人しか駐在していない。千人警固がこうである。・・・・」「深堀備前・鍋島主水たち聞役・

物頭など七名は切腹を命ぜられる。この報告に向かった早田助平(助兵衛の説有り)たち

十七名は、佐嘉領矢上に入ったこの坂で追い腹を切ったという。それでここを腹切坂という

そうだ。」と書いてあり、その後に、説明版書いてあるようなことが書いてあり、「不憫に思っ

た村人は丁重に葬り、今もその墓は矢上の教宗寺に残っている」とあります。


と書いてありますが、この本は1999年に出版され、その墓の事情も少し違うようで、これ

は、また次に。


いろいろ本を読んでみると、フェートン号に力点をおいたもの、武士の切腹に力点を置いた

もの、さまざまでした。

Dsc_0009

さて、第三の説、これは、「発見!長崎の歩き方・越中先生と行く長崎街道」というブログに

書いてあり、越中先生曰く、「「実際に腹を切ったという伝説がいくつかあるんですよ。(笑)

でも実際は、ほら後ろを見てください。あのガードレールがある辺りですが、山の中腹に

道をつくるために切り開いているでしょ? あれは矢上から続く長崎街道。山の中腹を切

っている、だから腹切坂というんですよ。」

Dsc_0055

さて、もう一枚説明版がありましたが、右には、上の説明版を簡単に書いたもの。ただ、最

後に「左の図は天保十二年(1841)石崎融思の序文のある、長崎古今集覧名勝図に描か

れた腹切坂の図」という事で、左半分に下の絵が描かれているようでした。


絵図を見ていただければ分かるように、右側は海になっています。ここは、今埋め立てら

れ、昔の風景とは全然違っています。


ここは車道で駐車禁止。石碑の文字を調べようと思ったら、警察官がやって来て、スマホと

シートベルトの取り締まりでしょうが、カミサンと警察官は苦手で、おまけに、こちらをジロジ

ロ見るので、逃げ出してきました。

Dsc_0022 Dsc_0108 

右の写真分かりますか。直接カメラにとれないので、バックミラーに写る警察官。  

Img_20140826_0007_3 Dsc_0058_2

さて、この腹切り坂については、いろいろ図が残っているみたいで、下は、平成十二年に長

崎県教育委員会がおこなった、「長崎街道 ー長崎県 歴史の道(長崎街道)調査事業報

告書ー」に載っていた図「長崎街道絵図より 日見宿(杉沢寿一郎著)」昭和の記録だそう

です。赤の矢印が、腹切坂です。

Img_20140826_0002_3

こちらは、永島正一氏著の「長崎街道」の附録「長崎彼杵間街道図」。腹切坂あたりをアッ

プして撮りましたが、ボケました。右の大きな字が「境標石」。天領長崎と佐賀藩の境石が

現在も残っています。これも、また次に。


矢印に腹切坂と書いてあり、○印のところに、腹切坂の説明が書いてあります。


「文化五年、英艦長崎に来たり当佐賀藩兵少うして撃攘する能わず 長崎奉行は為に責を

おうて自刃し 佐賀藩士屠腹するものあり この坂の上に於いて佐賀藩士自刃せしより切

腹坂の名を?たり」と書いてありますが、「当佐賀藩」と書いてありますから、佐賀藩の家臣

が描いたものか?

Img_20140827_0001

さて、帰って調べたら、いろいろ書いてあって、これは又調べればなければと、また、次の

日、お出かけしました。




2014年8月26日 (火)

警察で思い出すこと~「殺人犯はそこにいる~清水潔著」を読みながら

Img_20140826_0009 Img_20140826_0010_2

冤罪事件の「足利事件」を取り扱った本です。本の帯の裏に書いてあるように、「不当な捜

査」「杜撰な証拠」「虚偽の自白」「消された目撃情報」「DNA鑑定の闇」。


作者は、ジャーナリストで、新潮社「FOCUS」編集部を経て、現在日本テレビ報道記者・解

説委員。


「交通大戦争」で警視総監感謝状。「桶川ストーカー事件ー遺言」にて「編集者が選ぶジャ

ーナリズム賞」「JC大賞」を受賞。「足利事件」関係の報道、冤罪キャンペーン報道で「日

本民間放送連盟優秀賞」「同テレビ報道番組優秀賞」「ギャラクシー賞」「編集者が選ぶ雑

誌ジャーナリズム賞」を受賞しています。


読んでいただくと分かりますが、警察、検察、裁判所、マスコミの怖さが分かりますね。これ

を読みながら、私も警察に関し、思い出したことがあるので・・・・


某町で、公的補助金を貰っていた団体の会長が、何年も監査も受けず、総会も開かず、ひ

ょっとしたら、補助金を自分の懐に入れているのではないかと、団体の人が飲み屋で、話を

していたところ、運悪く警察官も飲みに来ていて、片耳に入れ、調査。


私も、間接的に、少し関係があったせいなのか「少し聴きたいことがあるので、お越しいた

だけませんか」と警察からの丁重な電話。


応接室で、話かと思ったら、いきなり「取調室」へ。良くテレビで見るような部屋で、コンクリ

ート打ちっ放し、鏡(多分マジックミラー)、机が二つで、一つには私と刑事。もう片方は、記

録する警察官、窓は鉄格子。


刑事さん、開口一番、大声で、「お前達、もみ消そうとして、動ごいとっやろ、知っととぞ、話

してみろ(長崎弁ですが、長崎弁も意外と迫力ありますよ)」。ここらあたり、気が弱い方は、

「ははあ、私がやりました」というところですが、私、事情が分かりませんから、「はあ?」。


後は、向こうが怒鳴りながら、事情を説明、何回も「お前達も、もみ消しよっとやろ」と、これ

で、半日。こちらは、あまり、関係無いので、淡々と事実を述べるのみ。


これ、やり取りしながら、やはり、「冤罪」というのは、あるのだと実感。幸いに、事件になる

ということも無く、呼ばれたのは一回だけで、留置所に入ることもなく、向こうからの謝りの

一言もありませんでした。でも、オッカナかったですよ。ウチのカミサンほどもないけど。


よく、悪い事をしていないなら、そういえばいいじゃない。という方がいますが、そんな雰囲

気ではありません。嘘だと思ったら、経験してみてください。


もう一つ、以前にも書きましたが、山側にカクレキリシタンの遺跡があるというので、見に行

きました。道は、私の普通車が十分に通れる広さ。


途中、罠にかかっている猪がいて、檻を破るような勢い。やばいなと思い、一応警察へ連

絡。(某警察署です。名前書いても良いんですが、私が住んでいるところの本署です。)


ところが、何時まで待っても来なくて、「どこら辺ですかね」「○○停留所から、まっすぐ行っ

た一本道」。これが、4,5回。最後は、「こちらから、停留所のところに行って、待ってます」


やっと来たのが、白と黒のツートンカラーの車。下りてきて、道を見て曰く、「歩いてどれくら

いかかりますか?」「三十分くらいでしょう」「車が公用車(パトカー)で、クラウンなんです

よ」。要するに、この車(パトカー)では行けないと言うこと。傷をつけるのが怖いのでしょ

う。


事件があって、道を見て、「公用車」「クラウン」なんて言うんですかね。まして、管轄内の道

を知らないなんて!


ウチの常会のとき、消防署が説明に来て、質問の時、ある方が、「この間、救急車が来た

時、道が分からず、ウロウロしとったばってん、暇があったら、地図でも見て、頭に入れと

け!」と怒られていましたが、警察も、一時を争う事件がおこる可能性も有り、管内の地図く

らい頭に入れておくべきでしょう。まてし、「公用車」「クラウン」。お笑いものでした。


さて、マスコミも同じ。不謹慎で申し訳ありませんが、一番笑ったのが、松本サリン事件。河

野さんが犯人扱いになり、河野さんの小屋から、「農薬」が見つかり、専門家が「農薬から

サリンを合成するのは不可能」と言っているのにも関わらず、警察発表の「農薬があった、

農薬があった」の垂れ流し記事。

実は、私も少し園芸をやっていて、農薬たくさん持っているのですが・・・別件逮捕されるか

な。


さて、あなたにも、万が一の事もあるかも知れません。警察も検察も裁判所もマスコミもあ

てになりません。この本を書いた、清水潔氏のような方も、沢山いるわけではありません。


まして、電車におけるセクハラの冤罪事件が、何件かおこりました。悪い事をやっていない

のに、犯罪者にされる恐れは誰にでもあるのです。この本読んでみてください。分かりま

す。


この本によると、周辺に、他に四名、行方不明一名。合計五名の子どもが殺されたという事

です。清水氏は、この犯人を突き止め、警察に情報提供をおこなっているようです。「ルパ

ン」と名称をつけていますが、最後にこう書いています。


ルパンよ、お前に遺族のあの慟哭は届いたか。

お前がどこのどいつか、残念ながら今はまだ書けない。

だが、お前の存在だけはここに書き残しておくから。

いいか、逃げきれるなどと思うなよ。










2014年8月25日 (月)

地蔵まつり(地蔵盆)~雲仙市千々石町

Photo

地蔵まつりが、8月24日だということで、あちらこちら、見にいこうと思っていたら、あいにく

のザーザー降り。


それでも車で回ったら、幟が立ててありました。ここの地区は、地区のお地蔵さんを、地区

の公民館に飾り、祭りをしています。行った時間が早すぎて、まだ、神主さんは見えておら

れませんでしたが、近所の昔の娘さんが準備をしていました。


なお、今日行ったら、下の写真、右側のようにちゃんと、元の場所に、鎮座しておられまし

た。左の石は、水道改修記念碑です。

2 5

幟は、各自、布で作っての奉納。下は、海際のお地蔵さんです。雨が降っていなければ、お

供えもあったのでしょうが・・・・


左のお地蔵さんの下の方。下の写真のようになっていますが、以前は浜があり、学校指定

の海水浴場でした。ここは岩場になっていて、コンコンと水が湧き出て、海水浴が終わった

ら、体を洗って帰ったものでした。

水は、溢れるばかり湧いているのですが、何となく、味気ない風景になりました。

Photo_2 Photo_4

Photo_6

仏様にも位があるようで、お地蔵さん。正式名称、「地蔵菩薩」。人間の地獄道・餓鬼道・

畜生道・修羅道・人道・天道を輪廻し衆生を救う菩薩様で、如来の次に位置する仏様です。

子供の守り神としても信じられ、私たちに一番、親しみのある菩薩様です。

身近にあるので、気楽に考えているようですが、とても偉い仏様です。

Img_20140825_0001_4

         (「仏像の基本~枻(えい)出版社刊」より」)


さて、去年、ここもやっていたなと思ったら、何もなく、雨のために変更したのかと思ったら、

こちらは、弘法様で、「弘法まつり」は4月でした。本当に、お馬鹿な私。

Photo_8 Photo_9

でも、お地蔵さんは、いつも綺麗に飾ってありますね。日よけと、雨よけなのか、笠までかぶ

っていました。

じっくり見ていくと、イケメン風もあり、それなりもあり、唇を赤く塗って、お化粧しているのも

あり、見ていると面白いですよ。日本人の心を感じます。

Photo_11 Photo_12





« 2014年8月17日 - 2014年8月23日 | トップページ | 2014年8月31日 - 2014年9月6日 »

フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ