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2014年7月13日 - 2014年7月19日

2014年7月19日 (土)

「亜米利加ニモ負ケズ」~アーサー・ビナード★賢治とポストマンとヘロドトス

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題が題だけに、又、日米の比較評論かと思いながらも「亜米利加」の字が、何となくひっか

かって、目次を見たら「アメリカにないアメリカン」の字が目に入って、次に、「ヘロドトスにも

負けぬ」という所で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩が取り上げられてお

り、ヘロドトスと宮沢賢治、何の事だろうと買って読んで見ると・・・


著者は、1967年生、アメリカミシガン生まれ、来日後、20001年に詩集「釣り上げては」で中

原中也賞、2005年に「日本語ぼこりぼこり」で講談社エッセイスト賞、2007年に「ここが家だ

ーベン・シャーンの第五福竜丸」で日本絵本賞を受賞。その他、絵本、エッセイ等を書いて

います。さて、「ヘロドトスにも負けぬ」は、次のような事です。


雨ニモマケズ」に初めて遭遇したとき、そのタイトルがどことなく、くすぐったいように懐かし

かった。

 読み出して三行目あたりで、懐かしさのもとがぱっとよみがえってきた。

「アメリカの郵便局の、あのモットーというかスローガンじゃないか!」


ニューヨーク中央郵便局の正面の柱の上に、次のように刻まれているそうです


Nither snow

nor rain

nor heat.

nor gloom of night

stays these couriers

from the swift completion

of their appointed rounds.


宮沢賢治の詩は、もっと長いものですが、このモットーは、宮沢賢治の詩の最初の部分と

似ています。


「雪にも負けず、雨にもまけず、暑さにも、夜の真っ暗闇にも負けず・・・・」と訳して、初めて

原文に匹敵する底力が感じられる。と著者は述べています。


さて、作者は、アメリカ郵政省の誰かがアンソロジーを読んで、本家取りした可能性がなき

にしもあらず、と考えますが調べて見ると、この郵政局のことば、賢治より2,350年ほど、さ

かのぼり、ヘロドトスの「歴史」の八巻目にペルシャの飛脚(メッセンジャー)たちの記述があ

り、「雪も、雨も、暑さも、夜の真っ暗闇でさえも、そのメッセンジャーたちが、任された区間

を全力疾走することの妨げにはならない」と書いてあるそうです。


作者は、想像をふくらませ、「歴史」の和訳は当時、英訳とドイツ訳に基づいた縮約版が出

ていたらしく、ひょっとしたら、賢治が出会った可能性が、まったくないとはいえない、また、

郵政局の言葉が、アメリカの名言集の類いに載っていて、それに触発された可能性もある

かもしれず、というようなことを書いていますが、最後に


「しかし、そうだったとすれば『雨ニモマケズ』は、原作者のヘロドトスも顔負けの、まったくの

名訳だ。」と褒めています。


賢治とヘロドトス、関係はないと思いますが・・・この著者、面白いことを考えますね。


著者は「中原中也賞」を受賞している詩人でもあり、詩もいろいろと、紹介してあります。

山村暮鳥の「病床の詩」


ああ、もったいなし

もったいなし

深閑として

こぼれる松の葉

くもの巣にひつかかつた

その一つ二つよ


「もったいなし」について、「役に立つはずのものが使われなかったり、無駄になってしまっ

たりして、惜しく感じられる」と「身に余って、かたじけなく、自分にはよすぎる」の二つの意

味があり、作者は、後者の立場を取り、


「蜘蛛の巣の糸に吊されて震えながら光る松葉・・・・その美しさが、結核で床についていた

詩人の目には、よすぎるものに映った。・・・・・・独り占めにするのが惜しく、他者と分かち合

おうと、詩が生まれたのだ。」


詩人の見る目は、私如き凡人とは違いますね、同じ題「病床の詩」として、もう一つ


ああ、もったいなし

もったいなし

妻よ

びんぼうだからこそ

こんないい月もみられる


「びんぼうだからこそ」という一行を、「物欲に邪魔されないからと解釈していいかも知れ

ない。」と書いていますが、最後に一行。


「ただ、呼びかけられた『妻』が、そのあたりをどう思ったのか、少し気になる。」


まだ、全部は呼んでいませんが、短い随筆集ですから、暑い夏、気軽に読んでみるのも良

いかもしれませんヨ。


2014年7月18日 (金)

ぶらり、夏の花

1 2

朝起きて、「今日は、2014年の7月、第三週の17日の金曜日。この日は、私の一生にとっ

て、ただ一日の日。だから、有意義に生きていこう。」だったかな?毎朝、声に出して起きて

いる方がいるとか、誰かから聞きました。


今日は、23,916日目。何がかって?私か生まれてから、今日までの日数です。関係ありま

せんが、朝から墓掃除。


ここ数日、雨が降ったり止んだりで、朝から、晴れそうだったので、掃除をしたら、暑い暑

い。墓の横の草を抜きましたが、これが、なかなか抜けない。


ぬいてもぬいても草の執着をぬく   山頭火


帰りがけ、ぶらりと花の写真を撮りながら・・・という事で、今日は花の写真でも・・・・・・


さて、上の写真はなんという花でしょう。似ているのはありますが・・・・答えは「造花」です。

夏になると、墓の花が枯れるのが早く、墓地のあちらこちらを見て歩くと、綺麗な花がたくさ

ん飾られていて、これがほとんど造花。私も、夏の間は造花にしました。


以下の写真、花の名前は自分で調べて下さい。


猫じゃらし 小石ひとつの 猫の墓    田中風雲子

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5 6

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9_5 10

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ここからは、私の庭ですが、トマト。結構食卓に出て来ます。キュウリの花。何となく、ショボ

イという感じですが、実はしっかりとなっています。

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茄子の花。なんで、いつも申し訳なさそうに、下向いて咲くんでしょう?ほおずきは、すっか

り色づきました。

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ミントの花。柿は、今年は裏作で、あまりならないのですが、どんなわけか沢山なってまし

た。ただ、今からボタボタ落ちていくので、秋までどれくらい残るのか・・・・

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長崎は梅雨明けが、もうすぐみたいですが、今年初めて、朝から蝉が鳴いていました。


■山頭火句集より

この旅、果てもない旅のつくつくぼうし 

ひっそりと咲いて散ります

やっと咲いて白い花だった

草のたくましさは炎天さらにきびしく

日ざかりの赤い花のいよいよ赤く

ともかくもけふまでは生きて夏草のなか

ほととぎすあすはあの山こえて行かう (どこかのTVのPRでやってたな)


夏の花、季寄せを見たら沢山ありますね。暑い中ですが、たまには、夏の野山の花を楽し

みましょう。


雑草の中の花見る一人のわたし sugikan      駄作で、いつも m(_ _)m お粗末さまでした。




2014年7月17日 (木)

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」三巻でました~作・前川洋一/ノベライズ・青木邦子

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お~、出ましたね。「軍師官兵衛」第三巻。出版が7月10日、本屋さんには3,4冊しか置い

てありませんでした。ここらあたり、あまり読書の習慣がないようで・・・・


さて、この前の週のTVは、クライマックスの本能寺の変。信長の死を知って、泣きじゃくる秀

吉に、官兵衛が「わかりますか?殿のご運が開けたのですぞ!」


さて、この本能寺の変、歴史上の大きな謎となって、ウィキペディにも、「野望説」「怨恨説」

「ノイローゼ説」「黒幕説」等々いろいろ書いてあります→こちらをクリック



先日、新聞、TVで報道がありましたが、「林原美術館(岡山市)と岡山県博物館(同市)は

23日、明智光秀の謀反で織田信長が自害した『本能寺の変』の動機について、土佐(高

知)の武将だった長宗我部元親が関わっていた可能性を示す手紙が見つかったと発表し

た。四国支配を巡り、信長と元親が対立、譲歩するなどした内容を伝える書状。光秀とは

重臣が長宗我部と婚姻関係にあったこともあり、専門家からは『信長の四国征伐から元親

を守る狙いがあったのでは』という見方が出ている。・・・・・・」(毎日新聞・7月17日付け記

事より)とあり、後、詳しくは→こちらをクリック


ウィキペディアに早くも、「四国『征伐』回避説」のなかに

「2014年、元親から利三に宛てた書状が発見された。文中、元親は土佐国・阿波2郡のみ

の領有と上洛に応じる旨を記しており、ここから四国攻めが実施されると政治的に秀吉―

三好ラインの完全勝利となり、光秀は織田政権下はもちろん長宗我部氏に対しても面目を

失い、いずれにせよ失脚してしまうことから、本能寺の変を起こしたとも読み取れると論評

されている」と付け加えられていました。


歴史は結果は分かっているので、あと、小説は、資料を基に、どう解釈して、物語にしていく

かですが、NHKTVドラマは違った解釈でした。後で、こんな新資料が出てくると困りますね。


さて、第三巻、後ご存じのように、家康の「伊賀越え」、「中国大返し」、「村重との再会」、「

九州遠征」、「伴天連追放」、「茶々の登場」等々続くのですが、はやり出ていましたね。


秀吉が、「よし、では聞くぞ・・・・。わしが死んだら、次は誰が天下人になると思う?」と聞く

と、面々、徳川、前田利家、毛利、上杉とか意見をいうが、「秀吉はにやにやして見てい

た」。


後日、家康が官兵衛と会った時、その時のことを話し、「家康はいったん言葉を切り、官兵

衛の表情をうかがいながら、秀吉の声色を真似た。

官兵衛じゃ。次に天下を取るのは官兵衛に違いない」・・・・


秀吉が、天下人になるにつれ、黒田官兵衛と豊臣秀吉の心は離れていきます。石田三成

がウロチョロしています。TVで見るのを待ち遠しい人は、本の方をどうぞ。


【おまけ】

某チェーンのレストランに置いてありました「百歳カード」。60歳以上の人は5%引いてくれ

るそうですが、「有効期限は、60歳から100歳」まで。カード作りましたが、100歳以上に

なったら、使えないのかな?

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(参考・文引用「軍師黒田官兵衛 三」・「毎日新聞」「ウィキペディア」より」)

2014年7月16日 (水)

イベリコ豚を買いに~野地秩嘉著

Photo

イベリコ豚、2006年頃、ドングリを食べる豚ということで、ブームになったようですが・・・・

私も、どんなものか、お取り寄せしてみました。きっかけは、コンビニで買った、お好み焼。

ラベルを見たら、「イベリコ豚のおこのみ焼」の文字。

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どこかで、聞いた名前だと思っていたら、本が出ていて、それで何となく覚えていたのです

が・・・・・

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豚というと、残飯を食べている豚舎を思い出し、あまり清潔な印象はなく、「豚に真珠」「豚

野郎」「豚もおだてりゃ木に登る」「豚小屋のような部屋」とか、あまり良い言葉には使われ

ていません。


ステーキを食べに行くと言えば、喜びますが、トンカツを食べに行くと言っても、あまり喜ぶ

者はいないのですが、この「イベリコ豚」、こんな所で飼われて、東京ディズニーランドが20

個ばかり入る森の中に、数百頭を放牧しているそうです。


なお、ドングリを食べているそうですが、日本のドングリとは違い、本によれば「渋みもあっ

たけれど、中身の味は生のカシューナッツと言える。」という感じだそうです。

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本を読んで、どんな、お肉か近くの店を捜しましたが、ありません(田舎だから)。諫早の大

型スーパーに行ったらようやく置いてありました。

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ところが、イベリコ豚にもいろいろあって、最高級が、純イベリカ種のベジョータ。あと、イベ

リカ種のセボ。ドングリの収穫量が少ないため選出されず、ドングリでなく、大麦、小麦を与

えたもの。もう一つは、イベリコ豚とデュロックの交雑種(純イベリカ種メス×と純デュロック

種オス)。


という事で、最高級のイベリコ豚のベジョータとは、如何なるものかとお取り寄せしました。

なお、イベリコ豚といえば、生ハムが有名らしく、これも一緒にお取り寄せ。一番上の写真

です。高かったです。ただ、生ハムの塊(原木といいます)は十万程度します。


少し、「イベリコ豚を買いに」に移りますが、作者はイベリコ豚に興味を持ち、スペインに行く

事になりますが、丁度、出発直前、宮崎県で口蹄疫が発生し、見学は断られますが、どうし

てもスペインにいって、取材したく


「その時だった、ふいに、直感した。

『そうか、そうだったのか』

『買えば良いんだ』と思った。


という事で、買いに行くなら、見学(取材)もできるだろうと、一頭買うなら、ミエミエですから、

二頭の買う事にし、今度はOKと言うことで、スペインへ行き、見学(取材)しますが、買った

二匹の豚をどうするか。もちろん輸入するときは、解体されてきますが。


ここで、考えたのが、精肉はいろいろ問題があるので、加工して売ることに。ただ、著者は

業者ではなく、著述業が本職。


という事で、あちらこちら、熱意を持って、販売促進の担当、製造担当、販売と管理担当と

お願いをし、「イベリコ豚ベジョータのウデ肉を使ったスモークハムを作り、売る。」ことに。


「イベリコ豚にあうために行動を起こしてから4年過ぎた。」という事ですが、後半は起業す

ることの如何に難しいことかが書かれています。結局は、熱意と人の繋がりですね。


さて、左がイベリコ豚ベジョータの生ハム、右が某コンビニの生ハムです。部位が違うの

で一概に言えませんが、まあ、食べて見て、「肉食系男子」と「草食系男子」の違いですが、

やはり、イベリコ豚は旨かった。これでビールが飲めたら・・・・・

Photo_8 Photo_10

イベリコ豚の生ハムの方は、酸化を防ぐためでしょう、一枚一枚、フイルム状のもので、区

切られていました。


お取り寄せについては、カミサンには内緒で、生ハムの方は、十分ばかり室温に戻せば良

いのですが、ロースは冷凍してあり、戻すのに少し手順があり、まだ、冷凍庫の奥に隠して

あります。近頃、カミサンのお出かけが少なく困っています。


今日、息子の嫁さんのお父さんからお中元が届いて、開けてみると、「沖縄あぐー」でした。

14世紀に中国から琉球王国に渡来した豚。戦後の混乱で数が激減したものを、「アグー」を

愛する皆さんが、よみがえらせたそうです。冷蔵庫は豚さんだらけです。


雲仙には「雲仙豚」、諫早にも、米で育てた「諫美豚」があるそうです。黒豚も有名ですが、

どれが旨いのか?ただ、肉食についていえば、西洋の方が歴史が長いので・・・・

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いろんなペットを飼うのが流行っているようですが、豚さんは如何。NHK「あさイチ」のマスコ

ットも、豚さんですよ。

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グルメを自称される方、「イベリコ豚を買いに」。お読みください。豚に対する考え方が変わ

ってきます。





 

2014年7月15日 (火)

ぶらり「長崎卸センター」~長崎市

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卸センターと言っても、魚とか、野菜とかでなく、商業卸団地で、文具、事務機、医療関係、

住宅設備、等々を扱っている会社が67社ばかり集まって、いろいろなザービスもおこなっ

ている所のようです。


さて、今日も長崎の漢方専門の病院へ行って、(まあ、毎回書くように、なぜ、比較的若い

女性の方が多いのでしょう?)帰りがけ、丁度、卸センターあたりでお昼。何年かまえに、こ

こで、バイキング料理みたいなのを食したな、という事で、卸センターへ。


え~、あまり縁起の悪い話は、したくないのですが、これは、数名の方から聞いたことがあ

り、バスガイドさんも紹介していましたので、多分本当の話でしょうが・・・・


卸センターに入るには、日見峠の途中からトンネルを越えて入るのですが、以前、そのトン

ネルの所に、鉄筋二階建ての家があり、ここに、出るらしいのです。引っ越ししてくる人、引

っ越ししてくる人、短時間で引っ越ししていくそうで、土地付きで、400万までにしたそうで

す。現在では家はありませんが・・・・


卸センターに入って、確か、ここら辺かなと思って、ウロウロしていると、

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道路の壁にずらっと絵が貼ってあり、真ん中あたりに、ペンギンさんの絵が描いてあって

(すぐ近くにペンギン水族館があります)、「長崎卸センター絵画ロード」とありました。


なお、絵は幼稚園生から大学生まで。「2012 長崎卸センター絵画ロードコンテスト」と書

いてありますから、多分2012年の単年度事業でしょうが、何かもったいないですね。

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やっと、レストランを見つけましたが、前に来た店とは、イメージが違うな。ぐるっと卸センタ

ーを廻って、食事ができるところはここしかなく、あとは隣のコンビニがあるばかり。


入った時は、12時前でお客さんは少なかったのですが、昼と同時に満員。写真をとった、

後の方には座敷席があります。

Photo_2 Photo_3

多分、小嶺元国見高校サッカー監督のサインかな?

Photo_4 Photo_5

家に帰って調べると「卸センター」のホームページがあって、「サービス案内」の所。「長崎も

のしり手帖・長崎の民話」で「越中哲也の長崎一人歩き」、全十話ですが、「年中行事こと」

「長崎・浜町のこと」「長崎・外町のこと」などあり、まだ、チェックしていませんが、面白そうな

話が並んでいます。


「長崎ものしりシリーズ」もあって、これは、故長島正一氏の「長崎ものしり手帖」をテキスト

にしてあるもので、これも、興味ある話が並んでいます。あと、ゆっくりと聞くつもりです。


民話も、「全県編」「県北編」「五島編」「諫早 島原編」とあり、島原の民話では、知らないも

のもありました。これも、あとで要チェック。


また、スマホでも、「長崎ものしり」でアプリがとれます。

長崎の事を知るのに便利です。是非ご利用を。頑張ってますね、「卸センター」さんというと

ころでした。なお、ここは、隠れた桜の名所でもあるらしく、来年が楽しみです。




2014年7月14日 (月)

「島原城大手門枡形北側の発掘調査現地説明会」~島原市

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先日、島原城の石垣が崩れ、その際「島原城(森岳城)跡石垣復旧工事に伴う発掘調査

と、「島原城跡公園災害復旧工事竣工式」という事で、2回ほど、ブログに書きましたが、今

回はまた、新しいもの出土したとか。場所は島原図書館のすぐ横。島原拘置支所職員宿舎

の新築工事中見つかったもので、長崎新聞によれば、


①幕末期の石組みの暗渠

②築城当時のものとみられる大手門北端の根石

③二の丸石垣補習工事に伴い、堀の水を排水するために築かれた溝

④暗渠の維持・管理のため出入りに使ったと見られる石組み縦坑

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近頃、あちらこちら行くと、史跡の説明会。参加者が多いですね。歴爺(私もですが)に歴

婆。失礼。若い方も混じっていましたが、関心の高さが分かります。

2_2

説明途中から、雨が降り、図書館へ入って、映像での説明。一番前に座って、スクリーンを

写したのですが、写真が斜めに写っています。補正するのも面倒くさいので、そのまま貼

ります。


昔の、珍しい写真

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黄色の○印が、現在文化会館が建っているところ。その上の部分に、島原城が復興されて

います。青の矢印が島原商業高校、赤の矢印が、現在、観光バス等の入り口(多分)。こ

の、入り口は、新たに作ったもので、昔の大手門(入り口)ではありません。


普通、水堀がある城では、川から水を引きますが、島原は湧水が多く、堀の中からの湧水

で堀を満たし、水位の調整のために、暗渠が作られたのでは、という事でした。


青の点線が、暗渠の方向ではないかと、見られています。川の方向に、向かっています

が、一直線ではなく、曲がっているのではないかとの事です。この、ごく一部分が出土され

たという事です。

現在の航空写真と昔の絵図。

左の写真、緑の○印。上の方が、長崎地方裁判所、下の青○印が島原図書館。図書館の

左側が発掘現場になりますが、赤の矢印の所、小さなカギ括弧がありますが、これが、築

城当時のものとみられる大手門北端の根石と思われる所。


右が昔の絵図で、石垣の絵が描いてありますが、この矢印の所のカギ括弧、これが今回出

土した所と一致していると思われています。


なお、赤い線は石垣が築かれたところで、黄色の○印の所に「追手門」と書いてあります

が、「大手門」の事で、城に入るには、ここから、出入りした事になります。

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この矢印部分が、「築城当時のものとみられる大手門北端の根石」になります。この上に、

石垣が積まれていたのでしょうが、ここは、官舎が建ったりで、その時壊されたもので、根

石だけが残されたものでしょう。

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石組溝と暗渠。暗渠の所は、安全のため、ロープが張られ撮影できませんでした。

Photo_10 Photo_11

なお、暗渠には、土砂の除去などの、維持・管理。暗渠からの排水を溜めるための、溜枡と

して使ったと見られる石組み縦坑があり、暗渠と接続しているそうです。


底の方に手を入れるだけの、すき間があったので、手を入れて、スマホで写真を撮ったそう

ですが、90㎝×90㎝程度の大きさであったそうです。右が内部です。

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なお、お堀の方にも、暗渠らしきものがあり、ここも手が入るので、矢印の石の左あたりから

手を入れて、写真を撮ったところ右のようになっていたそうです。

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ただ、この附近は、明治29年頃から、水田やら宅地に使用されたようで、近くにコンクリー

の土管が設置され、使用され始めた頃は、暗渠の存在が知られていたのでは、という事で

した。矢印の所。

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なお、暗渠は、堀水の恒久的な排水を意図し、溝を埋め戻す際に築かれたものと考えられ

るそうです。


今年が、島原城天守閣復元50周年で、今後、広域に、本格的に調査をしていくそうです。

まだまだ、なにか出そうな気がするのですが・・・なお、調査の現場は、埋め戻しをし、拘置

所の職員宿舎が建てられるそうです。そのままにしていて欲しいのですが・・・・・



 

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