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2014年7月6日 - 2014年7月12日

2014年7月12日 (土)

「からゆきさん」と天如塔」★「コレジヨ市民文化講座」~南島原市有家町

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今日は昼から、有家町の「コレジヨ市民文化講座」に参加。内容は、「『からゆきさん』と天如

塔」。講師は、島原文化連盟委員長、天如塔改復委員会の委員長をされていた、宮崎金助

先生。参加者が少ないかと思ったら、満員でした。


私のブログでも、三回ほど取り上げたのですが→こちらをクリック、「」。「」。「」。


宮崎先生の話は以前にも聞いていたのですが、新しい資料も交えながら、分かりやすく説

明。


世界情勢から、なぜ、シンガポールという狭い地区に、からゆきさんが多かったのか。ま

た、からゆきさんが「賤業婦」「醜業婦」「密航婦」「娘子軍」などと呼ばれ、現代になっても、

卑しまれた存在であったこと。福澤諭吉でさえ、その存在を認め、薦めていること等を話さ

れました。

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なお、からゆきさんは

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       (当日の資料より)

多分、大きい子で、中学生くらいでしょう。この少ない荷物を持って、海外に売られていきま

す。


からゆきさんを、外国に売るのを「女衒」と言います。かなり前、緒形拳主演で、実際の「女

衒」、村岡井平治を取り扱った映画もありましたが、村岡井平治は島原半島の某町の出身

で、その町の郷土誌にも載っており、その記事の中で、次のような事が書いてあります。


「昭和十年代には、故郷に家を建てて老後を過ごしていた『からゆきさん』(故人)が、多くは

語らなかったが話はしてくれた。

働き口がなく、海外にあるというので、十九歳の時に口之津港を出た。船に乗ると船員服に

着せ替えられて少々水の溜まっている船底に入れられた。食事はにぎりめしやカビくさいビ

スケットであり、船底から一歩も出ることができなかった。船中で病死した娘がいた。・・・・・

出発の時は想像もしなかった仕事をし、密航者で市民権はなく、帰国する事など絶望に近

かった。・・・・・やけになった者は、次々と転売されたり、借金が多くなったりして、行方不明

になった人もいた。・・・・」


外国から送られたお金が、当時30万、現在のお金にすると、12億9千万になるそうで、外

貨獲得ににもなったのでしょう。こうして外国に送られた、からゆきさんの平均寿命は、21,

6歳であったそうです。


島原の子守歌に「山ん家はかん火事げなばい」と言う一節がありますが、「かん」は「火が

かんかんにおこる」という「かん」です。口之津町史に次のように書いてあります。


なお、「『からゆきさん』の出る時は、かならず山手に火事があった。それは警備の目を火事

に注視させ、そのすきを見て船に乗せ込んだ。町では『今日も日光行きがあったとばい』

と、うわさしあった。『日光』は密航の掛言葉であった。~『故野中武夫氏談』」とあります。


なお、村岡伊平治は「村岡伊平治自伝」を出版していますが、宮崎先生が内容を検証した

ところ、父親の出生等、でたらめが多かったそうです。


前にも書きましたが、明治二六年二月三日付島原村先魁五番戸で発行した「有明海」第二

号の巻頭言に


「密航婦おおく島原地方に出で 重犯の徒多く島原に出ず 島原には一の産物として名を

えたるものなし しからずんばすなわち 島原の産物は密航婦と重罪犯の徒の二つあるか

ああ恐るべきかな 島原の空気 腐敗せるかな島原の空気 いな空気は腐敗せるにあらず

人心の腐敗せるなり ああ島原の人いつまでもかくのごとくならんか 島原人はこの明媚な

る山水に対してなにをもってつぐなわん」とあるそうです。いかに、密航(からゆきさん)が多

かったのか伺えます。


現代の島原の方は、城下町でおっとりした人が多く、薪能を始め文化が豊かで、良い所で

す。


【お知らせ】

「コレジヨ市民文化講座」は毎月開催されていて、次回は、元龍谷大学教授 根井浄先生

の「有馬氏時代の食文化と茶室」です。


キリシタン大名有馬晴信の時代、伊勢信仰を説いて廻国する宮後三頭太夫(みやしりさん

とうだゆう)という伊勢御師がいたそうですが、新発見史料「伊勢御師食膳日記」から、有馬

氏当時の食文化の話になるようです。


日時 8月18日(月) 14:00~16:00

場所 ありえコレジョホール 

主催 有家史談会

共催 南島原市教育委員会

問合わせ ☎ 050-3381ー5047(南島原市教育委員会有家事務局)

資料準備の関係上、できれば事前申し込みを、という事でした。

(参考・文引用:「みなみくしやま~南串山町郷土誌」「口之津町史 郷土の歩み」。なお、宮

 崎先生の講演を元に書きました。)







2014年7月11日 (金)

長崎の石橋・追記~阿弥陀橋・桃溪橋・高麗橋~長崎市

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昨日、長崎の石橋を紹介しましたが、宮崎安氏の「中島川遠眼鏡」に、気になる記述が二

つほどあり、これを調べるのと、この間、時間の関係で見に行けなかった、西川ダム下に移

転をした高麗橋を見に。


気になる記述の一つ目は、阿弥陀橋について

「寛政七年七月十九日(1795)の大洪水で大いに破損と港草は書いている。このとき落ち

たものであろうか、元禄三 山善爾 と彫り込みがある石が今もなお橋の下に放置されてい

る。」と書かれてあり、本当にあるのか、確認したかったのですが、まあ、これは無理。


少し、上流から橋の下流まで見たのですが、全く分かりません。最も、この本が書かれた

後、長崎大水害がおこっていますから、ひょっとしたら、もっと下流に流されたものでは?

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さて、二つ目は、桃溪橋

宮本安氏「中島川遠眼鏡」では、、橋の左手の撞巻石の中に


長崎僧卜意募

十万之諸檀越

建造石橋済津

功徳無量矣

   旹         (旹は時)

延宝柒歳次己未   (柒は七)

  仲冬吉旦書    (仲冬は十一月)


と書いてあるそうで、書いてあるところは、

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と場所まではっきりしていて、「下流からみて橋の左手の撞巻石(とうけんせき)の中に左の

ような橋銘が組み込まれている。」と書かれていますが、行って見れば、ここの場所、かくの

如きで状態で、確認も何もかもあったものでは・・・・・一日作業すれば、綺麗になるのです

が・・・・長崎市さん。この橋、確か、長崎市指定有形文化財なのですがネ。

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この橋の近くに、伊勢宮があり、諏訪神社、松森神社と並ぶ長崎三社と呼ばれています。

左にビルが建っていますが、以前は確か、伊勢宮会館といって、結婚式をしたり、泊まった

覚えもあるのですが、現在は、「ヒューマン・コミュニティ 伊勢の杜」になっており、ディサー

ビスとか、老人ホームになっているみたいでした。


少子化で、結婚式は少なくなるし、高齢者は増えていくし。商売替えなのかな?一番奥が

お宮です。お参りの仕方が他の所より、少し複雑で、単に一礼二拍手二礼ではありません。

Photo_7 Photo_8

神社の由来は読んでください。

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さて、今度は、高麗橋を見に西山ダムへ。一番上の写真が、移設された「高麗橋」。

昭和60年に解体し、平成5年に移築復元したそうですが、主要部分は旧材を使用。ただ、

川幅が広かったために端部は石材を補足し、失われていた高欄も復活しているそうです。

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左が現在の川にかかっている橋名。右が古い橋に彫ってある橋名。

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この場所は、前に書いたように西山ダムの下の、西山ダム下流公園にありますが、場所が

分かりにくい、分かりにくい。途中で、おばさんに聞いて、めんどくさいので途中の道に違法

駐車して、歩いて行きましたが、行ってみれば、駐車場、あるんですね。せめて、指示板ぐ

らい欲しいですね。長崎市さん。


公園はグラウンドゴルフ場になっており、高齢者の方が、仲良くグランドゴルフをしていまし

た。でも、ダムって凄いですね。どうやって作ったのか。この、広場の川向こうにも、少しば

かり、広場があり、美人の方が、小犬を連れて散歩していました。声はかけませんでした

が・・・・・


公園の入り口には、立派なモニュメントが。矢印の所には「寒漿濟我人」と書いてあります

が、これは、「どんなに寒いときでも、市民のために水を汲んであげましょう」という意味だそ

うで、明治37年に、旧西山ダムの堤体の銘板に刻まれていたものを、モニュメントととして

復元したものだそうです。近くの説明版に書いてありました。

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なお、「寒漿濟我人」の横には、「男爵 伊東巳代治」と書かれていましたが、説明版には

「伯爵」となっており、明治10年に「子爵」、大正11年には「伯爵」となった、と書いてありま

した。


長崎市水道第一回拡張工事(明治33年~34年)に、国庫補助獲得に奔走したそうです。

伊藤博文に抜擢され、明治憲法の草案作成にも尽力したそうです。

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イケメンですね。家柄が良く、頭が良く、地位があり、おまけにイケメン。私の嫌いなタイプで

すネ。

2014年7月10日 (木)

珈琲つれづれ

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数日前から、台風の進路を見ると、なんと、こちらを直撃の様子。昨日から、カミサンにおご

られつつ、あちらこちらと、家の補強。台風が来てみれば、鹿児島方面へ。こちらは、スカシ

ッ屁みたいな風ばかり。朝から後始末で、疲れました。という事で、ホッとして、珈琲を飲ん

で、今日は疲れたのでダラダラと書きます。


台風というと、昔は長崎直撃が多かったのですが、最近は、直撃かと見せながら、鹿児島、

熊本、宮崎方面へ曲がって行くことが多く、はやり、これも気象の変化に伴うものでしょう

か。


さて、珈琲というと、通の方が多く、昔から、焙煎がどうだ、豆のひき方がどうだ、入れ方が

なんだ、とうるさく、私は、何でも良い方なので、以下の事は、思い出話で、気楽に読んで

も、読まなくても・・・・・どちらでも。


私の母方の実家は、お店屋さんをやっていて、従業員を連れて、夏は網場の別荘で海水

浴、冬は唐八景で雪見酒と意外と、爺様(残念ながら原爆で亡くなり、顔は知りません

が・・・)が風流でハイカラな所があったらしく、その家風があって、昭和30年代(私のカミサ

ンが、ワラジを履いて小学校へ通っていた頃)、遊びに行くと、朝食はパンと珈琲。一般の

家庭ではまだまだ珍しい頃でしたが、珈琲は、それからのお付き合いです。昭和30年は、

石原慎太郎が「太陽の季節」で芥川賞を取っています。


一時、自分で豆をひいて、入れていたのですが、どうも、日本酒とコーヒーの味は良く分か

りません。○の味ならよく分かるのですが・・・・・・


数十年前、彼女と喫茶店で珈琲を飲んでいると、なんか味が変。店の人を呼んで、「味が変

だよ」というと、一口飲んでみて、「また、やったな!」「どうしたの?」「高校生がね、いたず

らで砂糖ポットに、塩を入れていくんですよ!」。今は、塩キャンディーとか、塩チョコレートも

ありますから、時代を先取りしたものでしょう。塩コーヒー。


数ヶ月前から、コンビニに行くと、おや?コーヒーの香りが、それも入れたての香りが。みる

と、なんと、カウンターの所に、コーヒーを入れる機械。これ本当、と思って見ていたら、機

械が一杯ずつ豆をひいて、入れていくんですね。驚きました。

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皆さん当然の如く、買っていましたが、店によって、味と値段は違いがありました。

考えると、缶コーヒーにもいろいろあります、

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特に目立つのが、ブラックコーヒー。


昔、千々石の高齢者の方の家に遊びに行くと、砂糖を匙に山盛りに5,6杯入れて、ドロド

ロ。あれじゃ砂糖を飲むのか、コーヒーを飲んでいるのか。甘いものに飢えていた、戦中の

世代の方です。


缶コーヒーの前に、インスタントコーヒーがありました。受験勉強の時は、よく飲みました

が・・・・


Jazzにも「ブラックコーヒー」という唄があって、「ひどい孤独に襲われて、一睡もできゃしな

い、部屋を歩き回っては、ドアを見て、そしてその間に飲むのは、ブラックコーヒー、愛なん

て、安い飲みものさ・・・・・・」。こういうときは、缶コーヒーではなく、ちゃんとした器で、ホット

のコーヒーでしょう。


「コーヒー」の歌と「恋」とは、よく結びつきます。

「一杯の コーヒーから 夢の花咲く こともある 町のテラスの 夕暮れに 二人の胸の と

もしびが ちらりほらりと つきました・・・・・」。「一杯のコーヒーから」。作詞、藤浦洸、作曲、

服部良一、歌、霧島昇とミス・コロンビアです。昭和14年の歌で、当時のコーヒーは15銭だ

ったそうです。ほとんどの方、知りませんね。私も良く知りませんが・・・


「昔アラブの偉い お坊さんが 恋を忘れた あわれな男に しびれるような 香りいっぱい

の こはく色した 飲みものを教えてあげました・・・・・・・それは素敵な飲み物 コーヒーモカ

マタリ みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒー・ルンバ」。「コーヒールンバ」。西田佐知

子さんの歌。これなら多分ご存じですね。


一時、アメリカンコーヒーが流行って、前に紹介した、「考証要集」には、「米軍制度に詳しい

ミリタリー・ライターの菊月俊之氏によると、これは第二次大戦中、米国内でもさすがに物資

が不足したために、コーヒー豆の節約方として考案された飲み物という(『月間コンバットマ

ガジン』2011年)。戦前ドラマの喫茶店でハイカラ紳士に『僕、アメリカン!』等と注文させ

ない方が無難。・・・・・・」とありますが、他にもいろいろ説があるようで、トルコライスの語源

と一緒で、よく分かりません。


そういえば、「ただの珈琲、お湯で薄めればアメリカン!」とか、頭の毛が薄い方を「アメリカ

ン」というのが流行りましたが、エスプレッソ・コーヒーにお湯を注いで作るのを、「アメリカー

ノ」と言うそうです。


さて、コンビニでコーヒーを飲んだ感じ。やはりコーヒーは、雰囲気で飲むもんですね。喫茶

店でゆったりと・・・雰囲気が大事です。特に、かわゆいウェイトレスさんがいれば最高。


我が師、伊奈かっぺいさんも、次のような、詩を書いています


■鰺ケ沢の喫茶店


見た目も、作りも、椅子の並びも

テーブルも、壁のランプも

店の名前も、確かに喫茶店だんだ。

とにかぐ珈琲が飲みたくて

その喫茶店サ入った。

・・・珈琲、のんでらきゃ

  隣のボックスでラーメン啜る音(おど)

  そして、魚ダシのカマリ

ラーメンは嫌いでねぇ

嫌いでねぇばて、今は珈琲をばー


ラーメン屋で珈琲、出すのは許す。

したばて、

珈琲屋でラーメン、出すのは許さねッ

こりゃ、同じようで違るッ

絶体、違るど思るッ


全くその通りで、カレーとか、ピラフとか、チャンポンとか出す所がありますが、これは、本当

に、「違るッ」。







2014年7月 9日 (水)

「日野江城跡階段遺構再調査」~南島原市北有馬町

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日野江城の階段遺構については、以前紹介をしました。→こちらをクリック

平成10年に、一回調査をしていますが、保護のため、埋め戻していましたが、15年ぶり

に、保存状態、経年変化等の調査の実施のために、再度、掘り返しての調査です。


前回の、調査の様子です。

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再調査をやっていると聞いたので、見学に行ってみました。

柵がしてありますが、これは、イノシシが入らないようにしてあるだけで、簡単に入れます。

戻る時はチャント鍵をかけて。


4,5名で草刈りをおこなっており、こうして見ると、城の様子が、よく分かるようになっていま

す。島原城を造る時、原城、日野江城の石垣も持っていっていますから、残っていたら、ど

んな風景だったのか?

Photo_5 2

柵を開けて入っていくと、覆屋が作ってありました。雨水、直射日光の影響を防ぐためだそ

うです。前回の調査では、なかったのですが・・・・・


誰か調査をしているかと思ったら、誰もいなく、ただ、見学者用に入れるようにしてあったの

で、入って見たら、一番上の写真。一応、撮影禁止の札が出ていないか、確認をして。

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見学者通路は、階段を囲むようにして作ってありますが、全貌が見やすいですね。

上からみたもの。

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真上から見たもの。

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この階段で、特徴的なのは、階段石垣が、野面積みではなく、切石を使った、外来系の技

法で造った物。赤の四角で囲んだ部分です。海外貿易を行い、海外の影響が伺えます。

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もう一つの特徴は、前にも書きましたが、城主有馬晴信がキリシタン大名で、この階段に五

輪の塔碑、宝篋印塔等の仏教関係の石造物を使っていること。仏教に対する考えが分かり

ます。


前回の紹介では、写真で紹介をしましたが、これは、前回の調査の時の実測図です。赤の

所が、五輪の塔碑等の石造物。これを、踏んでこないと城には入れません。

黄色の部分が、外来系技法石垣。上の写真の部分です。

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階段遺構の中には調査のために入られませんが、仏石は見学者コースからも充分に見る

ことができます。上は梵字だと言うことが分かると思います。

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以前の写真を見ると、流失している部分などあったのですが、今回行って見ると、随分、形

がはっきりして、多分、崩れた部分の石を、組んでいった気がしているのですが、誰もい

なかったので、聞くことはできませんでした。


なお、この階段遺構を、保存のため再び埋め直すのか、保護のための施設を作って、いつ

でも見られるようにするのか、関係者の方に聞いてみたら、調査をしながら、検討中だそう

です。覆屋の設置が、27年3月31日までになっていますから、それまでは見学ができると

思います。









2014年7月 8日 (火)

「シルバー川柳 一期一会」~みやぎシルバーネット★お昼ご飯は「Linden」さんで

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先日、図書館に行ったら置いてありました。

「シルバー」関係の本が、あちらこちらから、出版されているので、本屋で、見そこなったの

かな?


以前、「社団法人全国有料老人ホーム+ポプラ社編集部」出版の「シルバー川柳」

「UFJ信託銀行」出版の「遺言川柳」

そして、「みやぎシルバーネット」出版の「シルバー川柳 満員御礼」、を紹介しました。


今回は、この「みやぎシルバーネット」の発行で、3冊目になるそうです。「シルバー川柳 

一期一会」、昨年の12月に出版されたもの。前回の「満員御礼」が、昨年7月発行ですか

ら、随分早いペースになります。



一期一会
(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。『あなたとこうして出会っているこ

の時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思

い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得で

ある。平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会え

ないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである。(ウィキペデイアより)

ということは、行きずりの恋も、「一期一会」とも、言えますネ。頑張ろう!「一期一会」。


冗談はさておき、「みやぎシルバーネット」は1996年に創刊された高齢者向けのフリーペ

ーパーだそうです。毎月、36,000部を無料配布をしているそうですから、凄いもんです。

さて、今回も、少し面白いのを。


段々暑くなって、蝉がそろそろ鳴き始めますが、まあ、歳取ったら、こんなに聞こえるんでし

ょうね。

■蝉が呼ぶ 朝っぱらから 爺(じい)、爺と


これは、よく判りますね。「渋滞を・・・・・・」。ウチの近くでは、名前は書きませんが、制限速

度60㎞を、30㎞で、悠々と走っています。

■つまづけば 5歳のヒ孫 手を広げ

■「今でしょ」に すぐに動かぬ 足と腰

■電話鳴る ハイハイ言うけど すぐ立てぬ

■古希古希と 首腰膝が さわがしく

■渋滞を 見れば先頭 高齢者

■「や」「どうも」 言って言われて 誰だっけ


有名な話で、大岡越前が、事件を裁く時、参考に、母親に、女の○欲は、いくつまであるの

か聞いた時、火鉢の灰を火箸でかき回したそうですが・・・・

■絵手紙を 書く手震える 老いの恋

■ありますよ 秘密の一つは お墓まで

■初恋の 人と出会った 墓地ツアー

■墓いらぬ 最後の恋を して見たい


これも、本当ですね。私の父が亡くなった時、年賀状が来ていて、慌てて喪中を出しまし

た。訃報面も、良く見るようになりました。

■年賀状 出した途端に 喪中来る

■朝刊は 社会面より 訃報面 


本当に、今日のクソ暑さ。ウチは、クソカミサン。

■クソ付けて 呼ばれる婆と この暑さ

■今月も 葬儀場にて 同窓会


まあ、これくらいの気持ちを持って、頑張りましょう。「アルチュウハイマー」。まだ、そんなに

飲んでいるんでしょうか?

■還暦から 数えてみたら 十八歳

■惚けじゃない 老にもあるの 反抗期

■主治医から アルチュウハイマーと 告知され


なんと言っても世界中で、強いのは女性。人類が滅びても、女性は生き残る。

■指一本 出すと千円 くれる妻

■爺がやせ 婆が太って 平和です

■時効など 認めぬ妻の 記憶力

■女子会で 別墓宣言 盛り上がり

■若イワヨ ホメ合戦の 婆さん会


この、川柳は少し違いますね。下に添削の句を書いておきます。

■四十年 私は貴方(あなた)に ボランティア

■(添削句)三十年 私はカミサンに ボランティア


暑い夏が来ますが、我が家は、実に涼しいですよ。

■温暖化 私も協力 冷えた仲


まだまだ面白い川柳が載っていますから、是非お読み下さい。



さて、今日もカミサンが留守で、ナンパでもしようかと、国道251号線を走っていたら、新し

い店ができていて「Linden(リンデン)」さん。珍しく、ワッフルと和紅茶の店です。


場所は、有喜中学校と以前紹介した、「イルマーレ」の間にあります。

こんな感じのお店で、紹介には、築100年の納屋をリユースして和と洋が調和した、大正

ロマンを髣髴させる店内で・・・・と書いてありますが、全くその通り。

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主菜の「サラミ風ソーセージ、ひよこ豆と牛挽肉のサルサソース」のワッフル。ワッフルもこ

んな食べ方もあるんですね。月替わりです。

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「季節野菜のサラダ自家製ドレッシング」。スープは「諫早産のかぼちゃ冷製スープ」。

デザートは別料金で、300円。「カスタードレモンムース、メープルナッツシフォンケーキ」と

コーヒーか紅茶。

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なお、和紅茶は、ストレートティーとして「鹿児島紅茶」。南熊本の「天の紅茶」。「嬉野紅

茶」。「静岡まりこ紅茶」。静岡県、山間部で作られた「瀬戸谷もみじ」。

フレーバーティーとして、「嬉野アールグレイ」。「高原ブルーベリー」。「姫りんご紅茶」。とあ

りますので、紅茶が好きな方はどうぞ。


なお、「日常から隔離された隠れ家のような空間。」と書いてありますが、この看板を見逃し

たらもう、分かりません。

右の写真。駐車場が少し離れていて、50m~100mほど歩きますが、橘湾が見え、ダイエ

ットと思えば、丁度良い距離。

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矢印の所がお店です。車の運転に自信がある方は、どうぞ。それより、海を見ながら、ブラ

ブラ歩いて行った方が良いですね。ホントに「隠れ家」って感じです。

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食事してたら、橘湾の波音がかすかに聞こえ、かかっている音楽が、バッハの「平均律」、

なんとも言えませんね。良い感じでした。おまけに、私好みの美人の女性でした・・・


(文引用:「シルバー川柳 一期一会~みやぎシルバーネット」より)






2014年7月 7日 (月)

「2014 唐比蓮祭り」~諫早市森山町唐比(からこ)

Photo

昨日6日は、朝から、本降りになったり、小雨になったり、「唐比蓮祭り」、あるのかなと思っ

て、電話をしたら、「雨でもやります。」という事で、出かけていったら、意外と皆さん、沢山

のご来場。

雨の中、お花さんも、乱れておりました。ついでに、恋に乱れたい、この私・・・・・

3 2

こちらは、主催者の「唐比すいれんの会」の皆さんの、地場産のテント。最近は、メロン作り

に力を入れているのか、メロンを盛んに売っていました。

唐比は「レンコン」にも、力を入れているのですが、収穫の時期が違っているので、残念な

がら、並んでいません。ここの「幻の唐比レンコン」は美味しいので、機会があったら、皆さ

んもどうぞ。

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3_3 4

ステージイベントも、7つばかり準備してあったのですが、雨のため、演し物は3つばかり

で、残念でした。


地元の皆さんの「創作のんのこ」。下の写真が「祭りのんのこ」で、両手に皿を2枚づつ持っ

て、カチャカチャ鳴らしながら、踊ります。結婚式、宴会などで、諫早地方の方は皆で良く踊

ります。「一緒に踊りませんか?」と放送があったら、ウズウズしていたのか、数名の方が、

すぐに参加。

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こちらは、「上大渡野芸能保存会」の皆さんの浮流。やはり、浮流は鄙びた感じで良いです

ね。女性の方が太鼓を叩いていましたが、しっかりした良い音でした。

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浮流の太鼓用のバチですが、普通の太鼓のバチとは、形が少し違っていますね。

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「大道芸師 春ちゃん」、中国の服を着て、中国の雑伎団でやる「変面」。くるっと回ったり、

扇で顔を隠した瞬間、顔のお面が変わるというもの。大拍手でした。

「春ちゃん」は、もと消防士で現在6?歳だそうです。

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マジックバルーンで、子供たちに配っているところ。右は、さすが元消防士、6?歳とは思え

ない筋力。ただ、この頃、又本降りになって、他に準備しているようでしたが、残念ながら途

中で中断。

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川の所では、多分フナ釣りかな、皆さん雨に濡れて、夢中で釣っていましたが、私が釣りた

いのは・・・・・という事で、参加しませんでした。

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多分、主催者の方は雨のため、最後まで、決行するかどうか迷ったと思いますし、雨の中、

準備も大変だったと思いますが、来年も期待して、また、行って見たいと思います。

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