« 2014年3月16日 - 2014年3月22日 | トップページ | 2014年3月30日 - 2014年4月5日 »

2014年3月23日 - 2014年3月29日

2014年3月28日 (金)

「軍師 黒田官兵衛 第二巻」~ただいま読書中

Img_20140328_0001_2

本屋さんに行ったら、昨日並んでました。NHK大河ドラマの「軍師 黒田官兵衛 第二

巻」。


一日で読めるかと思ったら、目はかすんで、読んだところは忘れてしまい、また、読み直

し。やっと半分まで読んだところです。


私の愛読書、漫画ですが、「センゴク一統記」が戦いの物語なら、こちらは、裏の調略の物

語。


官兵衛の調略で、播磨は信長についたはずなのですが、毛利の調略、信長の臣下村重

が裏切り、毛利につくものが続出。


なんと、官兵衛の主君政職も毛利につき、村重を説き伏せに行った官兵衛は捕らえられ

牢獄へ。


主君政職が信長に出すはずの人質を、代わりに、自分の息子松寿丸を差し出したが、そ

の運命やいかに・・・・・


と言うところまで読んで、結果は他の本を読んで、分かっているんですが、落語、劇、歌

舞伎と一緒で、内容は分かっていても、面白いものは、面白い。


でも、この黒田勘兵衛さんTVで見ると、いい男過ぎますネ。私ぐらいで丁度よかったんじゃ

ナイデスカ。


さて、話変わって、ニュースを見ても、新聞を見ても、桜の事ばかり。ウチ、橘神社のすぐ

近くですから、毎日見ているのも飽きました。おまけに、人は多いし、車も多く、渋滞で、こ

こ1、2週間はうんざりですね。たまには、桜の名所でないところも、良いですよ。


桜の本数は少ないですが、千々石少年自然の家の上にある、猿場公園。芝生があって、

静かで、人はほとんど来ないし、彼女と来るなら、こんな所ですねheart04


この、上の方に、パラグライダーの基地があり、運が良ければ、パラグライダーが飛ぶとこ

ろが見られます。誰もいないので、心静かに鑑賞していると、自然と詩が出来ました。


   吉野のお山に咲く桜  千々石のお山に咲く桜

   桜に変わりがあるじゃなし 散ってしまえば皆同じ

Dsc_0300

さて、桜ばかりではなく、他の花も綺麗に咲いています。道端に咲いていました。誰も、見

て行く人はいませんでした。

Dsc_0293

さあ、これから、「黒田官兵衛」の続きを読みますよ。


2014年3月27日 (木)

茂木あちらこちら~長崎市茂木 附録・橘公園(神社)ナウ

1

先日から、気になることがあり、2日ばかり茂木通い。この事は、まだ、まとまらないので、

後日。


茂木については、小学生時代に来たばかりで、詳しくないので、調べものついでに、ぶらっ

と、由緒あるところを、あちらこちらと。


「裳着神社」です。「わが町の歴史散歩~熊弘人著」によれば、「町名の由来は、昔、神功

皇后がこの地に立ち寄られた際(三韓からの帰途)、モニの浦と名付けられたのが転訛し

た説、或いはこの地で裳(衣の下ばかま)をお着けになった事から、裳着の地名がおこっ

たとの説があります。」と書いてあります。


また、「現在の地形から素直に考えると『草木が繁茂し、魚が群れる浦』から茂木の地名

が起こったのではないかと考えられる。」とも書いてあり、他の資料を読むとまだ諸説ある

ようで・・・・

2 3

最近出来た、「茂木水辺のきずな公園」の説明版。茂木は化石が出るところで有名で、小

学校の時、先生に連れられて時々来ましたが、木の葉っぱの化石なんかが結構採れまし

た。最近、恐竜の化石が見つかったとかで、その説明と採れた場所です。

4dsc_0208 52

長崎は内町(旧町)と外町(新しく発展した町)があり、その外町の代官、アントン(又は、ア

ントニオ。記念碑には、アントニオと記載)村山等安の別邸跡。


近くのスーパーで「村山等安の跡地は?」と聞くと、「さあ?」。他に聞いても「?」。この近く

だと聞いたので、見つけると、スーパーのすぐ横の、郵便局でした。皆さん、興味ないのか

な?


村山等安は、佐賀の名護屋城で豊臣秀吉と会い、洗礼名アントンを元に「等安」という名

前を貰い、長崎代官を願い出、許されます。


なお、この事に関しては小説ですが、典厩五郎著、「NAGASAKI 長崎 夢の王国」をお読

みください。当時の長崎の様子がわかり、面白い本でした。

6

長崎市指定記念物「太田尾の大クス」。周囲5,80メートル、樹高20メートル。近くではカ

メラに入らないので、遠くから写しましたが、下の家と比べると、大きさが分かると思いま

す。

7 8_2

玉台寺にある、石碑。左は、寛政4年、島原大変(雲仙の地震・噴火・眉山の崩壊)の時、

死者が漂着したそうですが、その死者を埋葬し、供養した塔だそうです。


右は、島原の乱後復興のため、島原藩主として移封された高力摂津守の命で、茂木地方

のキリシタン取締に功績をあげた、長尾安右衛門の墓。

この、玉台寺については、また、述べます。

9 10

長崎、茂木間の鉄道設置の計画があったそうで、大正10年、茂木鐵道株式会社を設

立。大正12年堀切の工事が始まり、大正15年に完成したそうですが、鉄道敷設は出来

なかったそうです。

11

立石。江戸中期から後期にかけ、各地の名所図絵等が刊行され、長崎でも長崎奉行が

命じ文政年間、編纂されますが、刊行されることなく終わり、眠っていたものを長崎史談会

が出版した、長崎町人誌「長崎名勝図絵」にも載っていいいます。


石の上。昔は右図の様に、五葉の松の大木だったそうですが、枯れて今では普通の松だ

そうです。

12_3 Img_20140327_0002_2

                          (「長崎町人誌~長崎名勝図絵」より)

茂木と言えば、「茂木ビワ」。ハウスものは出荷しているようですが、1個で何百円。我々、

下々の者の口に入るものではありません。


露地ものは5月からの出荷。茶色に見えるのは、ビワに袋をかぶせたもの、これ、大変で

人夫さんを雇ってするそうです。とにかく、手がかかるもの。

Photo

再び、長崎町人誌「長崎名勝図」より。

茂木のあゆみによれば、「古老の口伝によれば、昔の茂木村は、入江に漁師の家が数軒

あるのみの名もない浦だった。」とも書いてあります。

読んでみると、「茂樹村」とも書いてあるようです。

Photo_2

       (「長崎町人誌~長崎名勝図絵」より)

忘れていましたが、雲仙の小浜に行くには、長崎からひと山越え、ここ茂木港から小浜温

泉に行っていました。

まだ他にも、いろいろあるようですが、時間切れで残念でした。


橘公園、すっかり咲いていました。開花基準木もあっという間に、八分咲き。ドンチャン騒

ぎするところも、すっかり咲いていますから、いつでもどうぞ。

Photo_5 Photo_3

Photo_4 Photo_6

(参考・引用:「郷土誌 1958」、「長崎町人誌~長崎名勝図絵」、「わが町の歴史散歩~

熊弘人著」、「茂木 ミニガイド」、他ネットより「茂木のあゆみ」、「茂木の散歩道」、より)


2014年3月26日 (水)

長崎御犬カステラ~長崎市

1

え~冗談だろうと、見に行ったら本当にありました。「長崎御犬カステラ」。ちゃんと下に「ペ

ット用」と書いてあります。大きさは、普通のカステラを二つに縦割りした程度。


もっとも、旦那様より、ペットと一緒に、墓に入りたいという、奥様方が増えている時代です

から・・・・・・このようなものが発売されても、当たり前か?


発売されているのが、「芋味」、「チーズ味」、「イチゴ入り」、そのほか、犬専用の「長崎ワ

ンちゃんぽん」、「わんにゃん玄米野菜ぞうすい」。


試しに、チーズ味、イチゴ入りカステラ、ワンちゃんぽんを買ってみました。

2

中を開けてみると、小さいながらも、見かけは普通のカステラ。

材料は、チーズ味は、卵、砂糖、糖蜜、水飴、小麦粉、チーズ。イチゴ入りは、卵、砂糖、

小麦粉、水飴、オーチャードストリベリー。なんと、人間が食べる、カステラの材料と同じで

はありませか。生意気な。

3 4

裏を見たら、「これはペット用の食物です。食べても害はありません」と書いてあるので、適

当に切って、皿に載せて、ラップをかけて、冷蔵庫に入れておいたら、誰が食べたか、無く

なっておりました。


現在、カミサンと2人住まいで、私は食べていませんから・・・・しばらくカミサンを観察して

いると、なんともなさそうなので、私も食べてみると、普通のカステラ。犬用と人間用と同じ

味とは、イヤになりますね。


こちらは、「長崎ワンちゃんぽん」。左にあるのは、人間用の「カステラキャラメル」

5_2

中を開けてみるとキャラメルは、人間用ですから、ごく普通。


ワンちゃんぽんは、葛麺、おから、小松菜、キャベツ、カボチャ、鶏肉。なんと、「合成保存

料、合成着色材は使用しておりません」。ヘルシーで、安全食ですね。


ただし、ご注意として、「これは犬専用の食べ物です」と書いてありましたが、何とか、カミ

サンに食べさせられないものか、思案中です。

6

昔は、犬、猫の食べ物は、人間の残飯だと決まっていたのですが、この商品には賞味期

限まで書いてありました、犬、猫の食べ物にも。消費期限があるんですか?


このようなものを見ていると、私が時代遅れの人間なのかな、と感じる今日この頃でした。


ところで、このカステラ、あなたの家にも置いておいて、気に入らない方が来たら、お茶う

けに出してはいかがでしょう。「あら、おいしいわ!」なんて言われて、気が晴れますよ。


売ってある所は、新地中華街入口のWホテル。通信販売もしています。

ちなみに、ウチでは犬も猫も飼っておりません。私はカミサンに飼われていますが・・・weep



2014年3月25日 (火)

天如塔の改修(理性院太子堂内) その2(最終回)~島原市

Photo

前回書いたように、貴重な建物が崩壊寸前ということで、何んとかしようという話は、何年

も前からあるにはあったのですが、今回は話だけではなく、皆さんの寄付金をお願いし改

修することに。


昨年9月21日、島原文化市民講座の中で、元教育長宮崎金助先生が講師で「『からゆき

さん』と天如塔」ということで、講演があり、その中で天如塔の改修の話があり、本格的に

火がつき、寄付が集まり、やっと改修にこぎつけ、今月の3月中に完成の予定。もうすぐで

す。


工事がすでに始まっていることを聞き、寄付を届けにお寺に伺ったところ、ご長男の方が

出てこられ、「ご住職は」と尋ねると、「先月、心筋梗塞にて亡くなりました」との事。


9月の講演会が終わり、住職さん(故廣田信証氏)が出口に立って、一人ひとりにご挨拶

をしている姿を覚えておりまして、あと一月半、生きておられれば、完成の姿をご覧になれ

たのにと残念の気持ちで一杯でした。


さて、この天如塔を囲む石垣には、名前、居住地、寄進額が赤の文字で彫られています。

9_60 10

11 Photo_2

倉橋正直氏の「島原のからゆきさん」によると、玉垣に書いてある寄進者はベトナム、タ

イ、マレーシア、インドネシア、ビルマ、インド、中国、韓国、ロシア、内地、合わせて192

名になるそうです。


名前を読むと、本土(島原半島を中心)の地名も見えますが、内地の方が35%、外地の

方が60%。外地はほとんど「からゆき」さんからのものでしょう。倉橋氏は「『からゆきさん

の塔』という名が、天如塔にまさにふさわしかった。」と書かれています。


なお、外国からの男性の名前もありますが、「からゆきさん」の関係者の名前だということ

です。高額者の名前も見受けられますが、「楼主自身か、ないしは、それに連なるもので

あろう・・・」と考えられるそうです。


「五円以下の文字通り『貧者の一灯』ともいうべき小額の寄進が、実際には無数にあった

はずである。しかし、天如塔の玉垣の本数には限りがあるので、やむなく五円以下の少額

の寄進者の名前は全部、割愛してしまったのであろう。」とも書かれてあります。


内部の写真ですが、今は入れないため、本堂に飾ってある写真を写したものです。

Photo_3

13 14

         (本堂の写真より。お寺より許可済みです)

改修中の入り口の所です。

Dsc_0420

内部については、教育委員会の説明板にこう書いてあります。


「この塔の特徴は、内部に螺旋階段を二つ(登りと下り)持っている点である。塔の最上階

に如来像を安置してあり、その途中には明かり取もない闇の中で、仏の体内めぐりを意識

した作りとも考えられる、二重螺旋階段を持つ類例の少ない珍しい建造物である。」


付け加えると、少し下って、登り階段になるそうで、随所に仏像等が置いてあるそうです。

登り階段と、下り階段は別々になっているそうで、普通のように、同じ階段を上り下りする

階段とは違っているそうです。


多分、説明板に書いているように、「体内めぐり」(胎内巡り?)を意識し、なおかつ、違っ

た階段を使って戻ってくるのは、からゆきさんに対し、今度生まれ変わるときは、別の人生

を歩みなさいと言う、広田言証氏の思いだという気がするのですが・・・・


階段の作りには、「栄螺堂」というのがあり、言証氏は全国を巡礼していますから、目にし

ているはずで、それを意識したものではないでしょうか?


この、からゆきさんの資料等については、県内では、口之津町の「口之津歴史民俗資料

館」そして、この「天如塔」しかありません。


口之津民俗資料館にある「娘一名預証」。「預」とは書いてありますが、実態は、からゆき

さんとして、異国に売られていく娘さんの事でしょう。

16

昨日、「からゆき」さんを一般の方がどう見ているか書きましたが、この塔は島原市指定文

化財ですが、説明版に「・・・近代の邦人の海外進出を物語るとともに、知られざる出稼ぎ

労働者の実態を示すものとして貴重である。」と、ぼかした言い回ししか使われていませ

ん。今回の改修を機会にどう書くか、考えるべきでしょう。


島原半島は、ジオパーク認定、世界遺産への登録運動をおこなっていますが、あれが正

の遺産なら、からゆきさんは負の遺産だと言えます。

両方を正確に伝えないと、正当な歴史は考えられないと思うのですが・・・・・

(参考・文引用:「島原のからゆきさん~倉橋正直著」・説明板から)


2014年3月24日 (月)

天如塔の改修(理性院太子堂内) その1 ~島原市

1_3 2_2

島原に「理性院 太子堂」というお寺があり、この敷地内に「天如塔」が建てられています。


建てられたのが、明治42年(1909)年。建てられてから、104年。高さが、11メートルとい

いますから、台風等の風雨にも耐えて、良く残ったのもだと思いますが、ご覧のとおり、屋

根などはボロボロになっています。


以前は、少し有名な所で、内部まで入られたそうですが、今では、知っている方は、市内

の方ぐらいのみで、島原を訪れる人は知らない所です。もちろん、現在は中には入れませ

ん。この塔を建てたのが、広田言広(ごんしょう)師。

35 4

   (「太子堂」内の写真より)

広田言証師については、倉田正直氏の「島原のからゆきざん」に詳しく書いてある所です

が、岡山県で米屋、材木商を営むも商売に失敗、その上、難病にかかり、病院も匙を投

げだす始末。


死ぬならばと、四国巡礼を四度も繰り返し、第25番札所、本山寺にて、出家。正式の修

行、勉強をしたわけではなく、倉橋氏によれば「必ずしも適切な表現ではないかもしれない

が、彼はいわばインスタントお坊さんになった人であった。」


さて、言証師は、その後、本土への巡業。苦行。そのうち、雲仙の普賢岳に登って苦行

し、天草に渡ろうとしたところ、運命の定めか、島原市に定住することに。その後、1903

年5月~12月までシベリアへ巡礼。


事情により、檀家を持たない寺ですが、島原に住みついて、この地方の人の信頼を獲得

し、信者を増やします。


1906年、55歳のとき、にインドへ巡礼。倉元氏によれば、「『お告げを』聞きたいという彼

の念願。」もうひとつが、当時の島原地方、天草が「からゆきさん」を多く送り出しており、

活動をしている時「いやでもおうでも、言証師は、『からゆきさん』のことを身近に感じざる

を得なかったであろう。」


このインド旅行は2年半に及び、現地の言葉は言うに及ばす、英語さえ喋れずといった旅

行。この旅行において、「ほとんど必ず日本人墓地をおとすれ、施餓鬼(無縁の死者のた

めに供養すること)を営み、その地でなくなったものを仏僧として、ねんごろに供養してい

る。」、もちろんその中に、多くの、からゆきさんも関係してます。


各地における施餓鬼の様子です。

5 6

7 8

       (「島原のからゆきさん」倉田正直著より)

からゆきさんからの寄進を受け、また、太子堂の発行したリーフレットによれば、「ラングー

ンのポイキャナン寺のウセッタ僧正より、御丈二尺一寸(63センチ)の釈迦如来を賜り」と

述べられて、この仏像を安置するため、天如塔が作られたそうですが、現在は、本殿の祭

壇に安置されています。


住職さんと長男の方で、下まで下ろされたそうですが、重くて、クレーンで下ろしたそうです

が、倉橋氏の本によれば、「それが比較的小さなものであったことから、別便では送るとい

うことはせず、言証師自身が、一緒に持ち帰ったのである。・・・・」とあります。

15

帰国すると、寄進(寄進されたお金は、からゆきさんのみでなく、信者の方からも寄進され

ています)されたお金で境内に「天如塔」を作りますが、倉橋氏の計算では、全体で4,87

0円、現在額で換算すると5000万円~7000万円になるそうですが、「これらの寄進額

のうち、かなりな部分は東南アジアの各地に散在していた島原娘(注:からゆきさん)、及

び、その関係者が負担していた。」と述べてあります。この金額を見ると、言証師が、から

ゆきさんたちに、どんなふうに優しい心で接したか、想像できると思います。


さて、この塔をめぐる玉垣に、寄進者の名前、住んでいる所、金額が書いてあります。この

事は次回に述べたいと思いますが、この時分、からゆきさんが、人々からどう思われて

いたのか、「口之津町史 郷土の歩み」に次のような記事があります。


明治二六年二月三日付島原先魁で発行した「有明海」第二号。

「密航者多く島原地方に出で、重罪犯の徒多く島原にいづ、島原には一つの産物として名

をえたるものなし、しからばすなはち 島原の産物は密航婦(注:からゆきさん)と重罪犯

の徒の二つあるか、ああ恐るべき島原の空気・・・・」


また、「東洋日の出新聞」に、島原女についての投書があったそうですが、島原、口之津、

加津佐に密航・醜業婦が多いのは従来から、有名である。ことに島原の女たちは恥とも思

わず、盛んに出稼ぎをするのでほかの者が迷惑をし、一般の島原女の信用が下がってき

たとの趣旨だそうです。


なお、からゆきさんを密航させるときには、火事を起こし、そちらに皆の目を向けさせ、そ

の隙に、出帆させたとの話もあります。


次回は、天如塔について。


(本堂内の写真については許可を受け、ブログ掲載の許可をいただいております。)

(参考・文引用:「島原のからゆきさん」~倉橋正直著」)




« 2014年3月16日 - 2014年3月22日 | トップページ | 2014年3月30日 - 2014年4月5日 »

フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ