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2014年3月16日 - 2014年3月22日

2014年3月22日 (土)

2014/3/22  島原市★芝桜公園&雲仙市★橘公園(神社) 

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島原の芝桜公園です。残念ながら、芝桜公園は、まだまだでした。全面に芝桜が咲くと、

きれいですが・・・・・白い鯉と、ピンクの鯉が泳ぐようなデザインにしてあります。


受付の準備はできて、少しばかり、咲きかかっている所もありました。

気短な方は行ってみてください。いまなら、只で入れます。

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橘公園(神社)の軍神橋の横にある、開花基準木です。

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TVで見ていると、5,6輪の花が咲くと、開花宣言をしているようで、良く見ると、頼りげなさ

そうですが、5,6輪咲いていました。

役所の方からは、開花宣言もないので、僭越ながら、私の方で、「橘公園の桜は、開花い

たしました。」

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とは言っても、十分に咲いている木もあれば、どんちゃん騒ぎする所はまだという所で、こ

の暖かさが少し続くと満開でしょう。

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露天が随分減りました。これも、少子化のせいか?入口の準備もできましたが、、駐車料

がもったいない方は、多分、千々石支所(歩いて3分)の駐車場を解放するはずですから、

そちらへどうぞ。

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軍神橋の下。ここが一番見所があるのですが・・・・・アベックがいたので、カメラの望遠で

追っていたのですが、何事もなく、帰ってしまいました・・・・・coldsweats01

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2014年3月21日 (金)

2014 春うらら茶会★日米親善人形交流と島原’展~島原市島原城

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この話を書くのは、3回目になるのかな。きな臭い世界情勢だから、このような話を何回

も、続けていく必要もあるでしょう。


リトルメリーさん。昭和2年、日米関係が悪化した時、日米の子どもの友好を願い、親日家

のシドニー・ギューリックさんが12,739体の人形を、日本の幼稚園、小学校等に贈りま

す。


今見れば、何でもない人形ですが、昭和2年。多分高価でもあったでしょうし、日本でも珍

しい洋人形、しかも、洋装でもあり、子どもたちは喜んだことでしょう。島原市でも、人形の

歓迎会が開かれています。


これに対し、日本からも答礼人形として47体、長崎からは「長崎瓊子(たまこ)」がアメリカ

に送られれました。


時は戦争になり、人形といえど敵国製。焼かれたり、こわされたりで、現在残っているの

が、全国で約300体、長崎県では2体しか残っていません。その一体が、リトルメリーさん

です。


どういうわけか、島原第一小学校の箱の中に、雛人形と共に眠っていたそうで、数十年を

経て、見つかって、それから、このイベントがおこなわれ、今年で10回目。


場所は、「御馬見所(おんうまみしょ)」。藩主松平公が藩士の訓練状況を見るのに使われ

た所。

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日米親善人形のことを、後世に残すために、紙芝居が作られ、利用してもらえるよう、各

公民館等に配布をしてあります。紙芝居の読み手は第一小学校の生徒さん。

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展示の様子。各地の人形の写真。

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紙芝居の後は、「島原城 春うらら茶会」ということで、お茶のお接待。接待役は、「森岳婦

人会茶道教室&もりもり広場茶道教室の子ども達」。はやり、子どもとはいえ、お茶をやっ

ている子は、立ち振る舞いが良いですね。学習塾よりも、こちらを習わせた方が良いので

は?

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さて、あとは、国際交流ということで、「しまばら半島国際交流クラブ」を中心に、みんなで

大合唱。メリーちゃんも一緒に。

昨年は、中国のハッスル女性の方が、中国語で「幸せなら手をたたこう」を指導したのです

が、今年は、お国の方に帰っているとのこと。ちょっと残念。愉快な女性だったのですが・・


なお、人形、資料関係の展示は、4月6日まで、島原城内の「島原城観光復興記念館」で

おこなっていますので、ご来場下さい。

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天気も良く、紙芝居も良くでき、歌も楽しく、お茶も旨く、帰りがけに崩壊した城壁の修復具

合をを見に行くと、修復したところ、色で分かると思います。3月までに出来るかと思ってい

たら、ざすが現代技術。

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天気も良いので、この後「芝桜公園」に寄って見ましたが、これは明日のお楽しみ・・・・に

なるかどうか。


2014年3月20日 (木)

雲仙市の歴史を学ぶ会~雲仙市

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この2.3日、雲仙とは縁があるのか、今日も雲仙へ。


雲仙市は7町が合併した市ですが、各町に史談会があり、それを中心に、「雲仙市の歴史

を学ぶ会」ができたということを、少し前から聞いていたのですが、知っている方から、参

加しないかとの連絡。出かけたら、やはり、会場の、雲仙のお山の上は、寒い寒い。


参加者がどれくらいかと思っていたら、意外と多く、各町の歴々たる郷土史家の方ばか

り。


講師は、加津佐町史談会代表 福田八先生。内容は、「松倉豊後守重政素描」。


島原半島は元来、有馬家が支配をしていましたが、「岡本大八事件」に巻き込まれ、領主

有馬晴信は死罪。本来、息子の直純も一門同罪のところ、嫁が、家康の孫であったため

か、日向国の県(あがた)へ転封。(貰うなら良い嫁を!)


そののち2年ばかり、幕府の預かり地となり、その後、元和2年、奈良五条二見城松倉豊

後守に五千石の増加があり、有馬家居城・日野江城に転封。


元和4年島原に「浜の城」を築き、これを仮寓として、「島原城」を築城。これには、日野城

を中心とする有馬地方が、キリシタンの巣窟であったとか、地の利の関係とか、諸説あり。


最初、キリシタンに対しては、「きわめて寛大であった。」(島原半島史)が、寛永2年、徳川

家光から、キリシタン禁制の手ぬるさを指摘され、その後、水責め、斬首、磔、烙印、焚

殺、穴つるし、硫黄責め、木馬責め、竹鋸引き、祈りの時手が組めないように、指切り等

を行うも信者は減らず。


このころ、イエズス会が主だったのが、フランシスコ会、ドミニコ会等の宣教師も日本に入

り込み、その拠点がルソン島にあり、ここを攻略すること計画。吉岡九郎左衛門、木村権

之丞は二十名の足軽とともに、長崎の貿易商人糸屋随衛門の船に便乗し、偵察。


松倉氏が当時の、長崎奉行、竹中采女正重義に報告。その帰路、小浜温泉に寄るも急

死。この急死に関しては、竹中采女の暗殺説があり、ルソン島攻略が成功すると、島原藩

の力が大きくなるとか、竹中采女正重義が、、島原藩の城主になりたかったとかの説があ

るようです。なお暗殺については、家臣山本権兵衛の「松倉重政軍場日記」に記されてい

るとのことです。


重政の後継ぎ、重次(勝家)の弾圧はひどくなり、天草・島原の乱が起こります。


竹中采女正重義は、堺の商人平野屋三郎右衛門の愛妾を奪い、平野屋は追放されたた

め、江戸へ行き、目安箱で同時に不正等も訴え、竹中采女正重義は切腹を命じられたそ

うです。(女には要注意!)


というような、気軽に聞けるお話でした。他にも、いろいろ面白い話もあったのですが、話

をお聞きになりたい方、興味のある方は、下記までご連絡を。


事務局:広報連絡担当 西 久 幸

     FAX:0957-73-2542

     電話:0957-73-3636

     e-mail:west24@mac..dom


来月も予定しているみたいですから、ご連絡は早めに。なお、上の文章は、本日の話を中

心に、私の方で、少しばかり附け加えをしておりますので、ご了解を。

(参考:引用:本日の講話・「小浜町史談」・「島原半島史」より)


2014年3月19日 (水)

空照上人壹百日修行頭髪塚~雲仙市田代原

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以前、空照上人については、少し触れたと思います。多分ダブル所があると思います

が・・・→以前記事はこちらをクリック


雲仙の高岩山の登り道の鳥居から、けもの道に入り、500m。天照上人(他に、天照法

師、天照さんの記述あり)の立像があり、いつか行くつもりが体調が悪く、ついに行ききれ

ませんでした、特に、これからの時期は蛇さんがでてくるので・・・・・

B

天照上人は、佐賀県東多久市の出身だそうで、当時、有馬村に住み、病気を治す霊験

を現していたそうですが、大正11年の島原大地震、12年の関東大震災などの天災があ

り、西有家では天照上人にお願いし、西有家八十八か所霊場の基礎を築きます。


像の大きさは、台回り1.2m四方、高さ1.5m、像は60~70 ㎝だそうです。さらに、ここか

ら、登ると、「びわの口」と呼ばれる巨石群があり、その石窟の中に、太子像があり、「西有

家四国奥の院一夜太子」像があり、この両方の像は、有家町見岳名の信者さんが作った

そうです。


特に太子像は、セメント、砂などを険しい山道を担ぎあげ、一夜にして作りあげたそうで

す。

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この、空照上人は、雲仙最後の修験道者と言われ、百日修行をされたそうですが、この場

所が、上人が回峰修行をされた所だろうということです。修行は昭和6年に行われたそう

です。


以前にも書いた、雲仙別所ダム(鴛鴦の池)のパワースポット、大黒天の横にも空照法師

(こちらには法師の文字)の像。年代は、昭和6年1月29日。多分修行に関係して作られ

たものと思うのですが・・・・・

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さて、話変わって、いま、島原から千々石にいたる街道、千々石道といいますが、島原の

お殿様が長崎まで通い、伊能忠敬が測量をしていった道であり、勝海舟、坂本龍馬一行

も通った道(これには異説あり)を少しうろうろして、田代原(藩政時代からの放牧場)の集

落を歩いていると、一番上の写真。


近頃、こんなものを見るとすぐに、調べる癖がつき、字を読んでみると、

E

「空照上人壹百日修行頭髪塚」。空照上人の百日修行の願を、讃えたたものでしょうが、

「え!こんな所に」、と思って建立者を見れば、

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「三會村(三会、現在の島原市三会)信者一同謹建」。三会といえば、島原市の有明町と

の境で、一番端の所。


ということは、空照上人の名は、昔で言うと、西有家、有家、布津、深江、安中、島原市、

三会と、かなり広範囲に知れ渡っていたことが分かります。


田代原の管理人の方に聞くと、別の所に建てる予定が、都合があり、こちらに頼まれたと

のこと。


さて、空照上人の事も、この碑の意味も、すぐに忘れられ、私達の先人の歴史が段々薄

れていくことでしょう。


世界遺産の指定、ジオパークの指定と、それも結構なのですが、もっと、足元にも忘れて

はいけない歴史もたくさんあるのですが・・・・まあ、文化後進発展途上市としては・・・・・・

N市、I市、S市などと比べれば、遅れていますね・・・・

(参考・引用:「西有家町郷土史」「雲仙歴史散策資料~西久海著」より)

2014年3月18日 (火)

小浜の鬼石・雲仙の鬼石~雲仙市

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小浜町北野の鬼石です。説明板には、次のように書いてあります。


「この石は、島原半島随一の巨石と言われ、長さ12m巾11m、厚さ6m、表面は平坦で、

その面積は61㎡、そこには四体の地蔵が安置してある。その石にまつわる伝説は、例え

ば、鬼が罰を受けて大きな石をもたされ、雲仙登山をしていたが、あまりの重たさに耐え

かね捨てたものであるとか、この石のまわりを三回まわれば鬼がでるなど、いろいろある

が、事実は雲仙火山大爆発の際、転げ落ちた石ということである。里人は、この石には霊

魂がやどっているとのいい伝えから、この石を石材にしようとするものはなかった。

観音菩薩像は、昭和52年11月篤志者により建立されました。」


穴が穿たれ、4体の地蔵が安置され、そのほかにも、新しく奉納されたものが、たくさんあ

りました。


横に、かなり古ぼけた説明板(町合併前、小浜町時代からのもの)と、小浜小学校の生徒

が作った説明板。


「北村の名の由来! 昔は「来村」と書いて、神様が来た村で、来村って書くんだよ。今は

北村という字だよ!」「1663年、大雨が降って、その時に土砂が流れて、この鬼石が地

上に現れた!!」。良く調べていますね。

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下が、雲仙の鬼石。こちらの説明板は少し難しく、環境庁・長崎県の名前が入っていま

す。「鬼石」のタイトルで・・・・


「東西南北を十二支の卯(ウ・東)、酉(トリ・西)、午(ウマ・南)、子(ネ・北)、で現している

古い雲仙の絵図面に、鬼石の場所が記されています。

温泉山縁起にも『此の山の難林王は四面の大鬼なり、行基菩薩に逢いに奉り種々の問

答あり、又悪鬼あり、男鬼の名は空仙鬼、女鬼の名は難林王なり、此の鬼々を加持すれ

ば即ち鬼石となる』」と記されてあります。

石の形から、山領の鬼石(注:小浜の鬼石)は男神の『空仙鬼』。雲仙の鬼石は女の『難林

王』と思われます」と記されていますが、小浜の鬼石と、雲仙の鬼石との関係は、検証がい

ると思いますが・・・・、

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この場所、旧八万地獄の周囲の散策道にありますが、観光客も訪れる人もなく、鬼石は、

ひっそりと鎮座しています。


左が今の旧八万地獄で、右がいつのものか分かりませんが、煙が上がっていたころの、

八幡地獄の絵葉書です。

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なお、この地獄の場所は、西から東へと場所を移動をしているということです。

下図の赤丸が、左から右(西から東)へと移っていく様子です。

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 (「島原半島ジオパークをひと筆書きで一周する~寺井邦久編著」より)


さて、帰りがけ、「六兵衛茶屋」で昼飯と思っていたら、なんと・・・・・・閉店でした。多分、以

前は茅葺の立派な屋根だったのですが、今はボロボロで、最近、茅葺ができる職人さん

が少なく、費用もかかるとか。そのせいかな?なお、千々石店はちゃんと営業をしておりま

すので、こちらへ御来店を。

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2014年3月17日 (月)

雲仙ビードロ美術館★2014 第13回南島原市セミナリヨ現代版画展、その他~雲仙市

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雲仙にあるビードロ美術館です。ここ、写真撮影禁止なので、撮影できませんが、すごい

ガラス工芸品が蒐集してあります。ガラス工芸が好きな方は、是非お越しください。皆さん

は、パンフレットで我慢を。

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ショップには、高級品から、子どもの喜ぶものまで。ガラス細工の可愛い、金魚さんに、タ

コさんなど。ガラス体験工房まであり、トンボ玉、ネックレス、ブレスレット、万華鏡等などが

作れるそうです。

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さて、ここへ来たのは「第13回 南島原市セミナリヨ現代版画展 巡回展」があり、私の知

人が入賞しており、本当は、有家町であった、展覧会を見に行きたかったのですが、うっ

かり忘れて、ということで、巡回展の方に。


巡回展は、3月26日まで。こちらの会場では、第1部~3部の大賞、準大賞、入賞が展

示、、4月1日~6日まで、長崎県美術館で、第1部~第4部の大賞、準大賞、入賞と3部

の入選作品が展示されるそうです。(1部は小学生、2部は中学生、3部は一般、4部はグ

ループ作成)


南島原市には、セミナリヨ、コレジジョ(神学校)が置かれ、天正欧遣使節に選ばれた、4

人の少年が学んだ所であり、銅版画の「セビリアの聖母」「「聖家族」は、有家セミナリオで

日本人の手によって作成された、最初の銅版画だと言われています。


明治2年にマニラで発見され、ローマ法王によって、大浦天主堂に下賜されているそうで

すが、故渡辺千尋氏が400年の時を経て「セビリアの聖母」を復刻され、ローマ法王へ献

上されているそうです。


それを期に、版画教室なども開催され、合併前の有家町で、始めて開催された公募展だ

と記憶しているのですが、町合併後、現在は、南島原市セミナリヨ版画祭実行委員会が主

催になっています。


本年は、第1部、第2部、第3部、第4部、合わせて、8,381点の応募があったそうです。

ほんの一部を紹介。

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以前は、入賞者の方は地元の方が多かったのですが、入賞者の住所を見ると、ほとんど

が県外ばかり、県内の方は1名だけでした。少しさみしいところです。


さて、帰りがけは、千々石へ直通の道を。この道、段々広げており、将来的には、小浜で

はなく、こちらから車で登るほうが多くなるのでは、・・・・・


途中、稚児落としの滝があるので、写真でも撮って行こうかと思ったら、危険なため、立ち

入り禁止になっていました、右の写真の下の方にあるのですが・・・・・音だけは聞こえま

す。

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雲仙は昔、僧侶の修行の場所であり、瀬戸石原に300坊、別所に700坊あったといい、

島原藩に残る深溝世紀(ふこうずせいき。島原藩の正史。島原藩の松平氏は三河深溝に

由来する深溝松平家。)によれば、「小院有瀬戸石原三百房別所七百房」とありますか

ら、数は多くても、あまり大きな僧房ではなかったのでしょう。


この、二か所の坊さん、あまり仲が良くなかったみたいで、片方の稚児が白い雀を飼って

いたところ、もう片方の稚児が貸せといい、貸せ、貸さぬの喧嘩になり、白雀が死んでしま

い、その喧嘩が、いわゆる、子どもの喧嘩に親が出てということになり、「瀬戸石原僧放

火、別所坊舎儘焼亡」で、結局、島原の殿様が兵300を派遣して鎮圧。


原因が稚児と分かると、全坊の稚児を集め、この滝に突き落としたそうです。(この話、前

にも書いたかな?まあいいか~catface。)昔、稚児争いの話だと、地元の方に聞いたこともあ

ります(要するに男色に関係あることです)。他の説もあるのですが、またいつか・・・・

白雀の乱として知られ、宝永四年(1701)に、このことを題材とした謡曲があり、一般に

は普及していないそうですが、某市の謡曲関係者が、復活させようという話。本来は雲仙

市に属する話なのですが、少し残念な気持ち。

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ビードロ美術館にあった、おフランス製の期間限定生チョコ。試食すると、なんとなくフラン

ス美女の香りがして、またもや衝動買い。

カミサンに見つかると、また、お小言かな?隠し所に困りますね。生チョコだから、冷蔵庫

に入れておかないといけないし、冷蔵庫は小さいし、缶は大きいし・・・・・・

(参考・文引用:「島原半島史~林銑吉著」「小浜町史談」など)


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