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2014年12月 1日 (月)

小豆島からの移住~雲仙市南串山町

Photo

昨日、「島原藩南串山村馬場庄屋・古記録抜書帳」の紹介をしましたが、ここの敷地が庄屋

跡で、写真では分かりにくいのですが、まだ、広がりをもった敷地です。


この、庄屋屋敷は解体してありませんが、その敷地の一角に、「雲仙市歴史資料館 南串

山展示館」があり、ここで、古文書の解読をしており、また、展示もおこなっています(毎日

開館していないので、行かれる方は、雲仙市教育委員会へお問い合わせを。また、展示は

入れ替えがありますから、内容も問合わせてください)。


先に、小豆島からの移住者の事を紹介しましたが、ちょうど展示をしてあったので・・・

左は、過去帳ですが、赤い線が引いてあります。この方々が小豆島からの移住者の方で

す。右は「くわんす」で小豆島から、持ってきた物だといわれています。

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なお、島原・天草一揆で、島原半島の南目は人口が少なくなったため、幕府は移住政策を

とり、一万石につき一戸の割で移民を出すように命令をし、幕府直轄地の小豆島にも命令

を出します。


それでも、思うように集まらなかったために、島原藩主高力忠房は「作り取り」の令をだし、

十年間無税の特権を与えたということで、今度は、一揆で無人になった半島各地に、国

を脱出してくる者もあったそうです。


なお、幕府の令で移住した者を「公儀百姓」、藩の許しを得ず、移住した者を「走り百姓」と

言ったそうです。(南串山町郷土誌より)


各地区の墓所によっては、小豆島からの移住者と分かるものがあります。

楕円で囲んだ所ですが、この一番上の段に、移住者の墓があり

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一番上の段ですが、飾っている花もなく、ほぼ無縁仏状態です。

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小豆島からの「庄三郎」の墓、赤の四角の所に「小豆島産」、線の所に庄三郎と刻んであり

ます。


なお、石仏像の首が壊されていますが、この地方は、キリシタン大名の有馬晴信が、半島

全部の寺社を破壊したことがあり、また、石仏が壊されたのは、明治時代の廃仏毀釈の時

もあり(これは全国的なもの)、この墓地は、江戸時代の年号が見られますから、明治時代

に壊されたものでしょう。

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こちらは、「又左衛門」の墓。同じく「小豆島産」「又左衛門」と書いてあります。

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昨年7月の長崎新聞ですが、小豆島から移住してきた、子孫の方が、小豆島を訪問するに

あたり(これ以前にも交流はあります)、町に伝わる望郷の念を歌った「よ伊勢」を披露する

ために練習をしたそうです。

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「よ伊勢」

伊勢に参るなら小豆島通れ

小豆島恋しや土地までも


地区によっては、小豆島からの移住者が多く、ほとんど真言宗だそうですが、伊勢参りと高

野山詣は、生涯の夢で、途中は必ず、小豆島に立ち寄った、と言われているそうです。


(参考・文引用:「みなみくしやま~南串山町郷土誌」「長崎新聞」より)


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