小豆島からの移住~雲仙市南串山町
昨日、「島原藩南串山村馬場庄屋・古記録抜書帳」の紹介をしましたが、ここの敷地が庄屋
跡で、写真では分かりにくいのですが、まだ、広がりをもった敷地です。
この、庄屋屋敷は解体してありませんが、その敷地の一角に、「雲仙市歴史資料館 南串
山展示館」があり、ここで、古文書の解読をしており、また、展示もおこなっています(毎日
開館していないので、行かれる方は、雲仙市教育委員会へお問い合わせを。また、展示は
入れ替えがありますから、内容も問合わせてください)。
先に、小豆島からの移住者の事を紹介しましたが、ちょうど展示をしてあったので・・・
左は、過去帳ですが、赤い線が引いてあります。この方々が小豆島からの移住者の方で
す。右は「くわんす」で小豆島から、持ってきた物だといわれています。
なお、島原・天草一揆で、島原半島の南目は人口が少なくなったため、幕府は移住政策を
とり、一万石につき一戸の割で移民を出すように命令をし、幕府直轄地の小豆島にも命令
を出します。
それでも、思うように集まらなかったために、島原藩主高力忠房は「作り取り」の令をだし、
十年間無税の特権を与えたということで、今度は、一揆で無人になった半島各地に、国
を脱出してくる者もあったそうです。
なお、幕府の令で移住した者を「公儀百姓」、藩の許しを得ず、移住した者を「走り百姓」と
言ったそうです。(南串山町郷土誌より)
各地区の墓所によっては、小豆島からの移住者と分かるものがあります。
楕円で囲んだ所ですが、この一番上の段に、移住者の墓があり
一番上の段ですが、飾っている花もなく、ほぼ無縁仏状態です。
小豆島からの「庄三郎」の墓、赤の四角の所に「小豆島産」、線の所に庄三郎と刻んであり
ます。
なお、石仏像の首が壊されていますが、この地方は、キリシタン大名の有馬晴信が、半島
全部の寺社を破壊したことがあり、また、石仏が壊されたのは、明治時代の廃仏毀釈の時
もあり(これは全国的なもの)、この墓地は、江戸時代の年号が見られますから、明治時代
に壊されたものでしょう。
こちらは、「又左衛門」の墓。同じく「小豆島産」「又左衛門」と書いてあります。
昨年7月の長崎新聞ですが、小豆島から移住してきた、子孫の方が、小豆島を訪問するに
あたり(これ以前にも交流はあります)、町に伝わる望郷の念を歌った「よ伊勢」を披露する
ために練習をしたそうです。
「よ伊勢」
伊勢に参るなら小豆島通れ
小豆島恋しや土地までも
地区によっては、小豆島からの移住者が多く、ほとんど真言宗だそうですが、伊勢参りと高
野山詣は、生涯の夢で、途中は必ず、小豆島に立ち寄った、と言われているそうです。
(参考・文引用:「みなみくしやま~南串山町郷土誌」「長崎新聞」より)
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