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2014年12月16日 (火)

写真アルバム「諫早・大村・東彼杵の昭和」発刊

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今日はまた病院へ。最近は、家にいるより、病院にいる方が長いようで(待ち時間が長いか

ら)、出がけに、カミサンから、いつもの店で「卵買って来て」の下知を受けて、「ハイ、ハイ」

「ハイは一回で良いの」。


ついでに、子ども会の、ミニ門松作りの飾りを買いに諫早経由で帰っていたら、ちょうど昼。

久しぶりに、久山キッチンへ寄りました。ここ、おかずが作ってあり、それをチョイスして前払

いになるので、待つ時間がいらなくて、時々利用しています。

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そのあと、本屋さんに寄ると、どういうわけか、鳥居があって、神社とか祭りの本が並んで

いて、来年あたりは「神女」か「祭女」が流行のかな?

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と、本屋さんを回っていたら、一番上の写真、左は昭和56年、諫早史談会編著ですが、右

の本「諫早・大村・東彼杵の昭和」が出版されていました。収録地域は、諫早市、大村市、

東彼杵町、川棚町、波佐見町。


この手の本は、一回限りの出版が多く、再版はほとんどありません。手に入れるのに、苦労

します。という事で、お高くはありましたが、入手してきました。


昔の田植え風景、川棚町、昭和19年頃だそうですが、昔は、地区で協力して、田植えをや

ってました。いまは、トラックターと田植機で2,3人いれば充分です。

右は、諫早市、昭和20年代。昔は、牛とか馬とか家で飼っていて、農作業、荷物運びに使

っていました。ウチのカミサンの所も昔飼っていましたが・・・・・

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現在、眼鏡橋は諫早公園にありますが、この写真は、実際に本明川に橋が架かっていた

昭和20年頃だそうです。


昭和32年、諫早大水害が起こり、この橋は壊れず、かえって材木が溜まり、両脇の市街地

に損害を与え、市民から「撤去しろ」との声が上がったそうですが、当時の野村市長が国に

交渉し、国の初の重要文化財指定にしたそうですが、普及工事で川幅が1.3倍に拡張さ

れたため、今の諫早公園に移転し保存される事になったそうです。

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昭和5年の諫早市永昌町。「長諫(鶴長長諫乗合自動車)」バスだそうです。前の、ボンネッ

トが懐かしい。確か、前の方にクランクを入れて、それを回し、エンジンをかけていた覚えが

あります。


今年は、長崎で国体が開催されましたが、昭和44年、第24回国体も長崎で開催されまし

た。その折の写真。東彼杵町大音琴郷だそうです。

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こちらは、以前出ていた、「図説 島原半島の歴史」。右は、千々石の老人クラブ連合会が

平成4年に作ったものですが、これは、全く手に入りません。

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とにかく、このような本は、手に入れることが困難なので、目に付いたら購入しておきましょ

う。自分の経験からです。(参考・文引用:「諫早・大村・東彼杵の昭和」より)





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