« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月

2014年11月29日 (土)

「島原藩南串山村馬場庄屋・古記録抜書帳」~雲仙市南串山町古文書研究会

Img_20141129_0001_2

雲仙市の南串山村(現雲仙市南串山町)は、島原の乱後、万治元年、馬場庄左衛門が庄

屋に就任し、それ以降、馬場家が庄屋を継いでいきます。南串山と言っても、ご存じない方

がおられるので、左図は江戸時代の島原の村の様子ですが、矢印の所が、南串山村にな

ります。

Img_20141129_0006_2 Img_20141129_0005

        (「島原半島の歴史~松尾卓次監修より」)

この馬場庄屋のご子孫の方が、町外に移るにあたり、屋敷を解く時、古文書が出てきたそ

うで、それを、教育委員会に寄贈され、現在、これを、古文書研究会で解読中であり、その

一部が、一番上の写真のように、発行をされました。


今回の発行は、「古記録抜書帳」と、隣町、小浜町の本多宣章(小浜湯太夫~島原藩から

派遣され、小浜温泉の管理を任せられたご子孫)氏所蔵の「元御巡見之部」「追鳥猟之部」

を解読したもので、現在「定書等控帳」「免許の品覚書」を解読中だそうです。


この、古記録集は、馬場庄屋が入手、あるいは色々な文献等から、島原、南串山に関する

事を、抜き書きしたもので、「有馬左衛門家日記抜書」「鍋島家譜」「長崎根元記」「日記、覚

書」「長崎実記」「旧記・日記類聚集」「隈部杢左衛門覚書略書」「享保明細書」「大変記」

「起立帳・金蔵庵覚書・歓喜庵日記」「落穂集」からの抜き書きの記録です。


島原・天草一揆の折、南串山も参加をしますが、串山村人口1962名に対し、1962名、

100%が参加したことになっていますが、他町では、年寄り、小さい子供等、山奥の穴に逃

れていたという、言い伝えもあり、参加人数も研究者によって、まちまちの所がありますが、

ほとんど参加と言って良いでしょう。上の地図右側、色の濃い所が全村参加、少し薄いとこ

ろが一部参加、薄いところが不参加です。


一揆後、人口が少なくなり、幕府は移住政策をとり、特に小豆島からの移住が多く

Img_20141129_0002_3

この冊子は、上段が原文の印刷、下段が読み下し文、後の方に、現代語に直してあり、少

し見にくいので、書き写してみると

Img_20141129_0004_2

多喜弥覚書①

一  小豆島より、三十軒引越し候内、当村京泊名田の平十七軒住居。

   歓喜院と申す真言宗の僧同道、浦分に仮庵を取り補理(しつらえ)、之を入れ置き、岡

   分に志自岐(しじき)権現を勧請仕り候。


多(太)喜弥は、乙名か筆者(びしゃ)の役の人であろうという事だそうです。小豆島からの

移住の方の墓も残っており、これは次回という事で・・・


島原・天草一揆の事、寛政四年の雲仙噴火、又、島原城主二代目の松倉勝家について

も、「松倉長門守は、父に似合ず、武を忘れ諸士を愛(いつくし)まず、女色を好み、酒に

酖(ふけり)て領内の仕置正(たださ)ず。・・・・・」とあり、この後、四十八人が脱藩されたこと

も書いてあり(鍋島家譜③)、なかなか面白いものでした。


なお、古文書研究会の方は、ボランティアで平成22年から解読をされているそうですが、

まだまだ古文書があり、次回の出版が待たれます。










2014年11月28日 (金)

「持ってて重宝この二冊」

Img_20141128_0001 Img_20141128_0002

いつも、この時期、本屋さんに並ぶ二冊。これが並ぶと、もうすぐ新年かと思います。

この二冊、持っていると重宝する事があります。


長崎県民手帳。ただの手帳ではなく、他の情報も満載しています。


長崎の山で、昔一番高かったのが、普賢岳。現在は、平成新山で1,486m。その差、124

m。


国民休日。良く見ると、面白いですね。「こどもの日」に対して、「成人の日」と「敬老の日」

「熟年の日」がありませんが?「春分の日」に対し「秋分の日」。「体育の日」に対して「文化

の日」。「海の日」に対して「山の日」もありませんネ。「勤労感謝の日」。誰にも感謝されたこ

とがありませんが、「・・・国民たがいに感謝しあう。」とあり、誰かから感謝されるものではな

く「国民たがいに」でした。「年齢早見表」、便利だけど、自分の歳をみたら、ガックリ。


各月の初めに、その月の暦、郷土の主な行事も書いてあります。

■一月

一月~「睦月」、花暦~石榴石(ガーネット)。暦で、一日が元旦、年賀、初詣。二日が初

荷、初夢。よく、一月一日に見るのが「初夢」だ、と誤解している方がおられますが、二日に

見るのが初夢です。書初め。・・ミスプリがあります。二日の大事な行事、そう、「姫初め」が

抜けています。もう一つ、二十四日。私の誕生日が抜けています。


各地の行事、「上旬(諫早市)深海地区どんど焼き」「11日(松浦市)福島町一周駅伝大会」

「18日(五島市)へトマト」。楽しい行事で、全国のTVニュースにでるでしょう。「下旬~3月

上旬(島原市)島原城下ひなめぐり」等々。各地の行事が一目で分かります。


この手帳に、県の資料が別冊で付いています。長崎県は島が多いところですが、全部で

594島、そのうち、人のいる島が72島、人のいない島が522島。無人島が多いですね。


平成25年の統計、婚姻が6,559件。離婚が2,358件。意外と離婚が大いようで、多分

熟年離婚も増えているのかな?


「県内観光施設案内」。電話、所在地、料金、休日も書いてあって、便利です。「三菱重工業

(株)長崎造船所資料館」「陸上自衛隊佐世保資料館」「たびら昆虫館」「「”電力の鬼”松永

安左ェ門記念館」等、知らないところもたくさん書いてあって、どこかに行こうかなと思った

時、便利です。もちろん「軍艦島上陸観光」ものっています。


「衣類の染み抜き」「応急手当」「食品中の塩分・糖分」「県民相談コーナー」も、どういうわけ

か載せてあります。


「暦」の方は、各種出版されています。よく、TVで今日は「立春です」など放送しています

が、これは、「二十四節季(にじゅうしせっき)」の一つですが、その他、「九星」「干支」「六

曜」「二十八宿」「旧暦」「中段」等ものせてあります。意味ですか?買ってお読みください。


よく、結納は大安が良いといわれていますが、友引の日も良いそうです。弔事は友引を避

けていますが、この日は火葬場が休みの所もあり、要注意。この本、このような事を調べる

のに便利です。


なお、「結婚式」「葬儀」等のマナーも書いてありますので、特に若くて、経験の少ない方に

は便利です。


結婚式の挨拶で、「別れる」「離れる」など使ってはいけない、と言われていましたが、「かさ

ねる」「なおまた」「ではまた」「ふたたび」「かさねがさね」も、再婚を連想させるそうで、使う

なという事だそうです。


葬儀では、「重ね重ね」「いよいよ」「再び」は不幸が重なる事に通じるためNG、また、「生き

ている頃」は「ご生前」を使うと言うことで、皆さんも注意しましょう


この二冊重宝しますので、是非お手元に。なお、長崎県手帳は、東京では売っておりませ

んので、東京の方は、東京都民手帳があったらそちらを、お求め下さい。





2014年11月27日 (木)

「これでおしまい」~加来耕三著

Img_20141127_0001

私のブログが、「これでおしまい」という事ではないのですが、昨日受診した特定健診・がん

健診の結果が来て、まあ、これが、目を覆いたくなるような、ひどい結果。


封筒の中に、もう一つ封筒が入っていて、「主治医様紹介状」と書いてあって、ホッチキスで

止めてあるものの、ざっとした止め方で、知らずに開けましが、心筋梗塞の恐れあり、要精

密検査の結果と、心電図が入っており、あとで、「紹介状の送付」に「開封せずに医療機関

へお持ちいただき・・・・」と、見ちゃったものは、しかたがなく・・・・


と言うことで、半日ばかりドットきて、もうぼつぼつなら、せめてカッコイイ言葉でも残そうか

と、上の本を借りていました。


加来耕三氏は、歴史家でもあり、作家でもありますが、二週間ほど前こちらへ来られ、講演

会をされましたが、これは、面白くもあり、ためにもなる話で、ブログに、まとめて書こうと思

っているのですが、なかなか時間が取れず、と言うところで、いつかご紹介したいと思いま

す。


辞世、最後の言葉いろいろありますネ。少しばかりご紹介を・・・・・


■余ハ岩見人森林太郎トシテ死セント欲ス

森鴎外のあまりにも有名な言葉ですが、小説家として、また軍医として、最高の陸軍軍医

総監になっています。

墓の文字は「森林太郎墓」の文字のみですが、ネットで見ると、案内の標柱には「森鴎外墓

所」となっており、「森林太郎」がみたらどう思うでしょう。

本の方では、「大正十一年七月九日の、死去の寸前には、『馬鹿馬鹿しいと』つぶやいたと

も伝えられる。」とも書いてあります。享年六十一歳。


■よ し

これまた、誰が言ったのかと思ったら、夏目漱石。

漱石は状態が深刻になった時、胸を開いて「水をかけてくれ死ぬと困るから」と訴えたそう

ですが、「掲出は、漱石の訴えに看護婦が応じた後に、つぶやいたとされる言葉である」。

鴎外と比べると、あっけない言葉ですが・・・享年五十歳。若いですね。


■僕本月本日を以て目出度死去致し候間此段謹告仕り候也

(ぼく ほんげつほんにちをもって めでたく しきょいたしそうろうあいだこのだん きんこく

つかまつりそうろうなり)

明治の評論家、作家。斎籐緑雨。

「掲出は、自ら考えた死亡広告」。死亡広告は、翌日付の「万朝報」と「朝日」に掲載された

そうです。これも、良いな。


■きょうはいよいよゆくぜ午後まではもつめぇ

河竹黙阿弥の言葉。いかにも、歌舞伎狂言作家にピッタリ。カッコ良いな。


■この世をばどりゃお暇(いとま)に線香とともについには灰左様(はいさよう)なら

「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九の言葉。「灰左様なら」。焼いた後の「灰」と「はい

さようなら」をかけているところは、如何にも戯作者の代表とされる、十返舎一九。


■葬るに分を越ゆるなかれ

このあと「墓や碑を建ててはならない。ただ土を盛り、わきに松か杉を一本植えれば足る」。

と続くそうですが、いかにも、二宮尊徳の言葉。


■これでおしまい

勝海舟。「明治三十二年一月十九日、風呂上がりに突然脳溢血に襲われ、二十一日に他

界した。

掲出は死の直前妹に洩らしたとされる言葉である。脳溢血という病いの性格上、はたして

意識があっての言葉だったのかどうかはわからない。」


きりが無いのでここらで止めますが、あと、上杉謙信、豊臣秀吉、石田三成、細川ガルシ

ャ、坂本龍馬、沖田総司等々の言葉と、その人物の知られざる面も書いてありますので、

興味ある方は是非ご一読を。読みやすく、面白い本でした。


さて、私はどんな言葉を残そうかな・・・・・「もっと女を」では露骨過ぎるか、これは却下。


(文引用:「これでおしまい」~加来耕三著」)








2014年11月26日 (水)

「心田庵(しんでんあん)」~長崎市

Photo

昨日は、長崎の漢方薬のお医者さんの所へ行って、どうして、こんなに若い女性の患者さ

んが多いんでしょう!


待ち時間、ふと、思い出したのが、「心田庵」の事。ここは、春と秋の年に二回、20日間ほ

どしか一般公開をしていません。今年は、11月14日~12月4日までという事で、まもな

く、公開終了になるので、病院通いの帰りがけ寄って見ました。観光客の多いこと。


この建物は、所有者が何度か変わり、平成24年に、増田水産株式会社から長崎市に寄贈

されたものだそうです。


入り口と、受付。入場料と希望によっては、お抹茶とおしるこがいただけます。(有料)

Photo_2 Photo_5

紅葉の本数は少ないながらも、ちょうどの見ごろ。

Photo_6 2

ここの、見どころは、広間のガラス張りの机に写った紅葉。これは見ごたえがありました。

Photo_7

下の写真は、飾ってあったのを写して来ましたが、青モミジの頃。

2_3

入り口の神棚の、金の玉はなに?略せば「金玉」。石垣の所のカッパ。長崎が大村領(昔は

長崎市は大村藩の領地でした)の頃からあったらしく、水神様だということですが、来歴はよ

く分からないそうです。

Photo_8 Photo_9

庭には、灯籠があちらこちらに置いてありましたが、灯籠収集が趣味なのか?なんと、織部

灯籠まで、一時はキリシタン灯籠と言われましたが、多分、関係無いでしょう。

Photo_11 2_2

さて、ここは荷兆晋(がちょうしん)が建てた別荘ですが、これについては、長崎市のホーム

ページをご覧下さい、詳しくかいてあります。→こちらをクリック


荷兆晋は唐小通事。「新長崎市史」には「唐通事」と「阿蘭陀通詞」とあり、「事」と「詞」が異

なっておりますが、これついては、説明がめんどくさいのでカット。ネットで調べてください。

※通詞、通事は「通訳」ですが、単なる「通訳」ではなく、その他にも役割があったそうで

す。


下の絵は、昔の「心田庵」の図。会場に飾ってあり、写真撮影禁止ではなかったので、写し

て来ました。説明は下に書いてあります。

Photo_14

下の図は、「長崎古今集覧名勝圖繪 長崎文献叢書第二集第一巻~越中哲也注解」より

この説明には・・・


別墅(注:べっしょ・別荘。別宅。)

この別荘がどこであるかは不明であるが、長崎にある別墅としては泉水あり築山あり代表

すべき所であったに違いない。故林源吉老は小島にあった薩摩の別邸ですといわれてい

たし、また一説には片渕にあった何(が)氏の別邸心田庵であるという人もいた。心田庵と

すれば当時の大茶人神代松陰がこの家に住んでいた。

Photo_13

さて、この二つの絵、いやに風通しが良く、寒いだろうと思って見ていたら、思い出しまし

た。吉田兼好。


第五十五段

家の作様(つくりよう)は、夏を主(むね)とすべし。冬はいかなるところも住まる。

暑きころ悪(わろ)き住居(すまい)堪へがたきことなり、深き水は涼しげなし。浅くて流れた

る、はるかに涼し。・・・・・


第十段

家居(いへゐ)のつきづきしくあらまほしきこそ、かりの宿りとはおもへど、興あるあるものな

れ。よき人ののどやかに住みなしたるところは、さし入りたる月の色も、ひときわしみじみと

みゆるぞかし。・・・・・・


琴を弾いているのが、何兆晋だとしたら、「よき人ののどやかに住みなしたるところ」だった

のではないでしょうか。


私も「よき人」なので、上の図を参考に、家を建て変えようと思うのですが・・・・先立つもの

が・・・・あとは、養老院に入るばかりでしょうが・・・・

(参考・文引用:「長崎古今集覧名勝圖繪~越中哲也注解」、会場パンフレットより)










2014年11月25日 (火)

橘神社★日本一の「門松作り」始まる~雲仙市橘神社

Photo

いよいよ、橘神社の「日本一の門松」作りが始まりました。といっても、完成は十二月の月

末です。

作るといっても、「日本一の門松」ですから、手仕事だけでは出来るはずもなく、重機を使っ

ての作業。

2_3 3

一番大変なのが、竹を揃えることだそうで、まあ、よく、こんなに集めたなという感じ。竹の

大小を、分け行きますが、これが意外と重たく、3~5人での運搬。

Photo_2 2_2

土台の部分は、人間の背丈弱、上の3本の細い管に、竹をぐるりと巻いていって、クレーン

車に乗って、チェーンソウで斜めに切っていきます。土台の中には砂を詰め、固定していま

す。

作っている皆さん、それぞれに仕事を持っていますから、作業が出来るのが、土、日曜日

のみで、これからが一仕事です。

Photo_3 2_4

さて、昨日「長崎古今集覧名勝圖繪」を見ていたら、正月風景が出ていました。説明は「チ

ャーンメーラ」で「・・・本図は街中を歩くチャンメラ吹を画き屋外の注連飾(しめかざり)の様

子もよく書かれている」。

昔の長崎の門松、こんなんだったのですね。松だけで、竹、梅が無いみたいですが・・・

Photo_4

こちらは、「近世風俗志(守貞謾稿)」。


左の説明には、

「京坂、門松・注連縄のこと、武邸等は多く図のごとく製し、坊間(注:町の中。市中)にても

三井・大丸・岩城・小橋屋等、呉服現銀店は、必ず図のごとくす。しかも呉服店も右等の大

店(おおだな)にあらざれば、かくのごとくに飾らず。その他は、豪富・巨戸といへども、左図

のごとく、戸口、両端の上にあるひは下に門松を釘(てい)し、戸上に麁(そ)(注:おおざっ

ぱなこと、粗末・粗悪なこと)なる注連縄を張るのみ」


右の説明は、

「江戸、武邸は勿論、市中にても呉服大店のみにあらず、諸買(しよこ)とも大店にて、専ら

この制を持ふ。図の如く飾らざる門松には、竹を添へず松のみを専らとす。」

「松の根、専ら薪をもって囲む。あるひは松を中心に、その三方に薪を地に打ちて、ここに

縄をもって引き張るもあり、けだし家ごとに恒例ありて、一定ならず。」

「図の如く、太きそぎ竹に小松を添ふるもあり」「そぎ竹をたてたるには、注連縄は戸上に打

つなり。医師などこの制多し」

という事で、昔の門松と今の門松、違っていますね。

Photo_5 Img_20141125_0003

辞書を引くと、「正月に、家の門口に建てる松の飾り。本体は年神の来臨する依り代で、中

世以降、竹を一緒に飾ることが多い。」(大辞林)とあり、昔は、松だけだったのですね。


ところで、もうすぐ十二月、年賀状書きましたか?急いで書きましょう。

私?「歳のため、年賀状を書く気力も、体力もなくなりましたので、来年からは、失礼させて

いただきます」と、書きたいナ。




2014年11月24日 (月)

「神迎え」~千々石町天満神社

Dsc01526_2

先日、9月23日に、神送りの神事を行いましたが、今日は、神様が帰ってこられる、神迎え

の神事。町内の、他地区にも神社があり、来週から他の神社も、神迎えの神事をするとか

で、少し早めにという事で、23日に実施。


以前は、泊まり込みでやっていたそうですが、現在、天満宮では、夜10時~12時程度まで

で終わります。


8時頃神主さんが来られ、いつもの通りの神事。奥の方に本殿がありますが、この階段の

上り下りにも作法があるとか。


この間も書きましたが、ステージでの太鼓も良いですが、祭りの太鼓、夜のひっそりした、

林に囲まれた神社の太鼓の音、良いですね。

Dsc01537_2 Dsc01539_2

玉串奉奠。以前書きましたが、玉串の根元を右手の方に受け取りますますから、右(時計

方向に回して)方向に回し、根元を神様の方に向けるように置きます。あと、二礼二拍手一

礼で終わり。いきなり、神様の方に尻を向けないように、少し後に下がって、自分の席に。

Dsc01542 Dsc01547

あとは、いろりを囲んで、「直来(なおらい)」(神様にお供えしたお神酒等をいただくこと)。

話が、はずみますね。昔は、お参りする人が多く、振る舞いに、カシワ飯(ニワトリの炊き込

みご飯)をお握りにして、接待していたそうですが、子どもたちも、それを目当てに、たくさん

来て、それが楽しみだったそうです。


現在は、大人だけで、少人数になりました。今、自治会長さんが頑張っていますが、地域の

コミュニティーなど言っていますが、少し希薄になっているのを感じます。役所の人間が、自

治会に入っていない馬と鹿もいるし・・・・


さて、「神送り」「神迎え」、私、少し考え違いをしておりまして、神様も、いつも同じ所におら

れるので、たまには息抜きで、出雲に集まって、どんちゃん騒ぎかと思ったら、山本健吉編

の「最新俳句歳時記 冬 」(最新といっても昭和47年 第一刷)を読んでいると、次の様に

書いてあります。


「・・・もともと神送りは、稲の収穫終了とともに山へ帰還する田の神を送る行事が根底にあ

り、翌年の春ふたたび来臨するまで留守になるのだから、不在期間も一ヵ月以上に及ぶ地

方もある。例えば新潟県米山の薬師は、十二月八日に立って四月八日にお帰りと言い、宮

城県の村々では、同じ十二月八日に立って二月八日にお帰りと言う。ただし、もっとも多い

のは九月三十日に立って十月三十日に帰る例で・・・」とあり、稲作と関係あるとは思いませ

んでした。


皆さん、十二時前にお開きになりましたが、神主さんに聞くと、神様が帰られるのが、夜の

十二時くらいだとかで、誰もいない、ガランとした神社にお帰りになるかと思えば、少し、心

痛むものでありました。


【おまけ】

神主さんの祝詞、良く聴くと大体分かるのですが、長崎の諏訪神社で「諏訪神社拝詞」とい

うのをいただき、4、5つ祓詞(はらえのことば)等が書いてあるので、あまり、お読みになっ

た事がないと思いますので、一番短い「祓詞」を写してみます。これ、神棚がある方は、神

棚を掃除して、大きな声で読んで見ると、気持ち良いでしょう。(私、やったことないので分

かりませんが・・・・)


■祓 詞(はらへのことば)(神社及神棚の前で奉唱)

掛(かけ)まくも畏(かしこ)き 伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ) 筑紫(つくし)の日向

(ひむか)の橘小戸阿波岐原(たちばなのをどのあはぎはら)に禊祓給(みそぎはらへたま)

ひし時に 生坐(なりま)せる祓戸大神等(はらへどのおほかみたち) 諸々の禍事罪穢有

(まがごとつみけがれあ)らむをば 祓給(はらへたま)ひ清給(きよめたま)へと申(まを)す

事を聞食(きこしめ)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す


※天満宮については、以前書いているので→こちらをクリック






2014年11月22日 (土)

「日本ではなぜキリスト教信徒数は増えないのか」★宮﨑賢太郎~雲仙お山の情報館

Dsc01519

今日は、「雲仙市の歴史を学ぶ会」の11月例会で、講師は長崎純心大学教授の宮崎賢太

郎氏。宮崎氏は最近、次の様な本を出されています。なお、氏自身も、カクレキリシタンの

子孫でもあります。

Img_20141122_0002

宮崎氏の講演会は2度目で、多分前の分にも載せたと思いますが、日本における、キリシ

タン史の概略です。これ説明すると時間がかかるので・・・・略

Img_20141122_0003_2

この中で、キリシタン時代。16世紀初頭から、禁教の1614年まで、最大40万~45万人

がキリシタンだと言われています。当時の人口比からすると約3%。


最も、長崎県大村の例をとると、キリシタン大名になった理由として、ほとんどが南蛮貿易

での利益を求めて、キリシタンになっておりますが、大村の場合もそうであり、領主がキリシ

タンになったので、臣下もなり、領民もなりと、いわば強制的な意味合いもあったのでしょ

う。本当に、キリシタンの教義を知って、改教した者がどれくらいいたのかは、不明です。


現在、カトリック信徒数約44万人、内4万人が居住不定、年間幼児洗礼約3032名、成人

洗礼約3271名、死亡約4089名、年間カトリック信徒増加者数2214名(「カトリック中央

協議会教会現勢2010」)、

日本におけるキリスト教信徒数、カトリックとプロテスタント(諸派総計約65万人)。合わせ

てわせても、今の人口比で1%未満だそうです。


韓国では1400万人弱、韓国の宗教人口の30%(プロテスタント約20%、カトリック約

10% 2005年韓国統計庁発表)です。


2010年の日本におけるミッション(キリスト教を布教するための学校)校。

■カトリック系

幼稚園534、小学校53、中学校102校、高校113校、短大17,大学21、その他含めて

854校。

■プロテスタント系

小学校17、中学校63、高校82、短大20、大学56校


だそうで、ちなみに、仏教系大学44校、新宗教大学6校、神道系大学2校、という事で、い

かに、キリスト教関係の学校が多いか、分かると思います。にも関わらす、キリスト教信徒

が増えない。


この原因として、「舶来高級信仰」、いわゆるブランド志向ですが、宗教も同じで、日本人の

キリスト教徒へのイメージとして


「酒も煙草も飲まず、毎週日曜日には必ず教会に行き、敬虔で、禁欲的な生活を送り、カト

リックの子だくさんという言葉があるように、避妊も堕胎も許されない、到底自分には近づけ

そうもない、生真面目すぎる堅苦しい宗教。」


結論として、

「多神教徒である日本人自身が、正しいキリスト教であるためには、一神教でなければなら

ないと生真面目に考えすぎ、伝統的な日本の諸宗教と融合することをかたくなに拒み続け

てきたから」と言うことだそうです。


ということで、「フィリッピン、韓国、中南米各国独自の歴史的宗教的伝統・習慣と結びつき

ながら土着化。」ということが、必要ではなかろうか、というような話でした。


なお、阪神大震災、東日本大震災に触れ、「平和、平等、人権尊重、弱者救済、人間愛と

いったヒューマニズム精神に基づく社会が着実に築き上げられつつある。それは、間違

いなく伝統的な大和魂や仏教の慈悲心、仁義礼智信を学ぶ儒教精神とは異なる、キリスト

教隣人愛の思想に育まれたものではないだろうか。」と書いていますが、これ、?????

「キリスト教隣人愛の思想」とは関係無いんじゃないんですか。もっとも、宮崎氏は、キリシ

タンで、ミッション系の学校の先生だから・・・・・


著書で、「先祖より家の宗教として受け継がれた仏教や神道は日本の一般民衆の心の支

えとはなり得ていません、古色蒼然としてそこに問題解決の力を感じることは出来ません。

何よりも多くの一般の日本人は仏教とは名ばかりで、実際には仏教徒としての教育ほとん

ど受けてこなかったのであり、墓参りや法事のとき意外は接点はありません。」と書いてあ

りますが、法事等の時、お坊さんのお話、また、彼岸の時など、講師を呼び、話を聞くことが

あります。


この話の面白いこと。触発され、「親鸞」「蓮如」「歎異抄」等の入門書を読んでいますが、「

人間いかに生きるか」。役に立ちますね。五木寛之さんも、仏教に関する事を、書いておら

れますが、何万人もの人が読んでいて、仏教の事を、知らない間に学んでいるのでは?


なお、宮崎氏は、一神教(キリスト教、イスラム教)みたいに、お互いが、いがいがみ合うの

ではなく、多神教的に認め合うことが必要であり、この点で、キリスト教も変わらないといけ

ないのではないかということでした。


【おまけ】

今日の雲仙風景です。

Dsc01523_2

別所ダム(鴛鴦の池)。風もほとんど無く、鏡のような水の風景でした。

Dsc_0879_3

Dsc_0874 Dsc_0899








2014年11月21日 (金)

蛇踊?龍踊?竜踊? その2

Img_20141106_0003

さて、「蛇踊」が「龍踊」になった経過ですが、「長崎伝統文化振興会」の方によると、県外の

方が「蛇踊」を「じゃおどり」ではなく、「へびおどり」と読む人があるという事で、関係する人

が集まって「蛇踊」を「龍踊」にしたと聞いている、とのことで、昭和32年からは「蛇踊り」から

「龍踊」に変更されています。


なお、調べてみると、ネットのホームページ、「龍招宝」→「龍踊の基礎知識」の中にも、同

様のことが書かれてあります。→こちらをクリック


土肥原弘久氏の本にも、「なお、昭和32年(1957)が『龍踊』に改められた。」と書いてあり

ます。こちらには、理由は書かれてありません。


下の二冊の本に、「くんち」の踊町と奉納踊りが書いてあったので、調べて見ると

Img_20141106_0004 Img_20141106_0006

■「長崎くんち考」。昭和20年以降の奉納踊の記録しか載っていませんが・・・

・昭和23年 本籠町  蛇踊

・昭和24年 本籠町  蛇踊

・昭和25年 諏訪町  蛇踊

・昭和26年 本紙屋町  龍踊   (現在、本紙屋町は麹屋町に含まれる。)

・昭和27年 諏訪町  蛇踊

・昭和29年 本籠町  蛇踊

・昭和30年 諏訪町  蛇踊

・昭和32年 諏訪町  龍踊

・昭和33年 諏訪町  龍踊

・昭和37年 本籠町  龍踊

これ以後はすべて「龍踊」です。昭和26年、本紙屋町が「龍踊」になっていますが、これは?

■「資料呈上」

これには「初めに一言」が書いてあり。


「龍船は、蛇船が多いのですがあえて龍船にしました。しかし、龍踊りは昭和32年以前は蛇

踊としました。文化史的にとらえると夫々の時代の標記に従うべきだったかも知れません。

単純明快にしないと全体像が掴みにくいだろうと配慮したつもりです。」との言葉がありま

す。


こちらは、「長崎年表」という事で、元和9年(1623)から、古い分は、分かる部分、部分だ

けですが、書かれています。関係ある所だけ書くと

・昭和23年 本籠町  蛇踊

・昭和24年 本籠町  蛇踊

・昭和25年 諏訪町  蛇踊

・昭和26年 本紙屋町 龍踊り (ただし「本紙屋町、蛇踊を田結村に依頼」の記あり。)

・昭和27年 諏訪町  蛇踊

・昭和29年 本籠町  蛇踊

・昭和30年 諏訪町  蛇踊

・昭和32年 諏訪町  龍踊

・昭和33年 諏訪町  龍踊

・昭和37年 本籠町  龍踊

これ以降、すべて「龍踊」です。


越中哲也氏は、下の本で次の様に述べています。


「諏訪町の町名は諏訪神社が長崎に創立された、寛永初年(1624ー)頃に、町名がつけ

られたと考える。

諏訪神社の神意をお使いする物は白蛇であるとしていることにより、この町の奉納踊りは

蛇踊(じゃおどり)を出している。それは、町名の諏訪町と白蛇とを、うまく、関係づけている

からである。

戦後、本来は蛇踊と書くべき文字を、龍踊と書くように改めたので、諏訪町と蛇踊との関係

がわかりにくくなっている。

又、この町の龍踊は籠町と共に、県の無形民俗文化財(注:現在は、国の重要無形民俗文

化財)として、『長崎くんちの奉納踊』)に指定されている。」


又、土肥原弘久「長崎くんち」にも、「奉納踊は、もとは本踊であったが、町名が諏訪神社に

ゆかりがあり、また諏訪神社の「おつかい」が白蛇という伝説があることから、明治19年

(1886)に、本籠町「蛇踊」の伝をうけて、白蛇の「蛇踊(じゃおどり)」を初めて奉納してい

る。」との記事があり、また、


「籠町」の所で、「龍踊」として、「籠町(本籠町)」は、長崎くんちで龍踊(じゃおどり)を奉納す

る4つの踊町の中で最も古く、龍踊の同本家とされる踊町である。」と書かれています。

Dsc01365

なお、永島正一氏の「続・長崎ものしり手帳」には、「龍(じゃ)踊り」として書いてありました

が、内容の名称は「ジャ踊」にしてあり、少し逃げたのかな?


「本籠町(現在の籠(かご)町」から明治時代に、諏訪町に伝わり、諏訪町もまたジャ踊りを

奉納踊りとした。

その後、滑石(なめし)町に伝わり滑石ジャ踊りも有名である。」と書いてあり、滑石は「郷く

んち」を実施しているところです。

Img_20141106_0014_2

さて、「龍踊」の標記が、特に国の方では「竜」になっているのか?考えられるのは「龍」は

人名漢字のみにあり、「竜」が常用漢字のためか?


しかし、「龍踊」は、長崎くんちの固有名詞であり、人名と同じ考えで、地元で使っている「龍

踊」を尊重して、「龍踊(じゃおどり)」を使っても良いのではないかと、思うのですが・・・


問題です「龍」「竜」を何と読みますか?「じゃ」ではありません。漢字事典をあれこれ調べた

のですが、「じゃ」では載っていません。「りゅう」です。


漢字の読み取りで、「竜」「龍」を「じゃ」と読んだのでは、地元の長崎大学に合格しても、東

京大学には入れません。


これ、想像するに、「蛇踊」を「龍踊」に変えた時、「ありゃ、どっから見ても『龍』じゃろう、

『龍踊』にしたら、どげん?」

「したら、何と読ますごとすうか?」「今まで『じゃおどり』と言うとったけん、そんままで、良か

ったい」と、長崎人の、おおらかさと言うか、心の広さで決まったのではないか、と思うので

すが、・・・・あくまで、私見ですが・・・・


ただ、この話し合いが、誰が、どこで、どんな経過で決まったのかは、どこにも載っていませ

んでした。


しかし、しつこいようですが、「国」が、「じゃ」とは読みのない「竜」を「竜踊(たつおどり)」で

なく、「じゃおどり」とするのは、なにか変な感じがするのですが・・・・


祭りの演し物は、各当番町で演し物が違いますから、「龍踊」が見られるのは、予定表を見

ると、平成27年の諏訪町、平成28年の筑後町、平成31年の籠町になっています。


なお、下のような本もありますので、来年来られる方は、何か本を読んで、下知識を持って

見られたほうが、一層興味が湧くとおもいます。


【追記】

今日、「郷(さと)くんち」について、ブログ、「正しい休日の過ごし方」の「心づくし」さんから情

報をいただき、「長崎ブラブラ・・・・観光客が行かない長崎」の「郷くんち」の所に書いており

ます、という事で、読んで見たら、詳しく書いてありましたので、そちらをご覧下さい。


いつも、情報をいただき、ありがとうございます。この場をおかりして  o(_ _)oペコッ 。


「郷くんち」の詳しくは→①こちらと ②こちらをクリックしてください。


さて、いろいろ書きましたが、①「蛇踊」を「龍踊」としたのは、誰か、また、その経過 ②「龍

踊」を、なぜ「じゃおどり」と読むようにしたのか、以上2点ににつき、詳細をご存じの方は、

コメント欄に書いていただければ、幸いなのですが・・・・これにて「龍踊」終了。

Img_20141106_0013 Img_20141106_0008








2014年11月20日 (木)

蛇踊?龍踊?竜踊? その1

Img_20141106_0001

「蛇踊・龍踊・竜踊」。


疑問に思った発端が、この記事でありまして、長崎では「龍踊(じゃおどり)」といいますが、

調べて見ると、下は、昭和49年1月1日、長崎文献社から発行された、長崎文献叢書第

一集・第三巻、丹羽漢吉氏訳著「長崎名勝圖繪」。


「長崎名勝圖繪」は、「長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者で

あった、西疇、饒田喩義強明が、野口龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打

橋喜篤惟敬が精緻な押絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間であったと思わ

れる」と書いてあります。


なお、説明には、「正月上元の日15日である、唐土では・・・・」と説明が書いあります。

Img_20141106_0011_3

こちらは、昭和50年8月15日、同社から発行された、越中哲也氏注解の、長崎文献叢書

第二集第一巻「長崎古今集覧名勝図絵」に載っているもので、「はじめに」で、「長崎古今集

覧名勝図絵は、松浦東渓が編集した長崎古今集覧の文章に應ずるものとして長崎の名勝

風俗を描いたものである。」と書いてあります。

Img_20141106_0012

他にも、この図を描いたものがありますが、どれも「蛇踊」の表記のようです。

なお、この説明として、


蛇踊 正月十五日上元の日には、唐人屋舗では蛇踊(じゃおどり)がおこなわれた。この

蛇踊を唐人屋敷の隣町、船大工町の人達は真似て諏訪神社の大祭である「くんち」に奉

納踊りとして奉納した。」とあります。これ「船大工」ではなく「本籠(もとかご)町」でしょう。


なお、単に「蛇」といっても、南方熊楠の「十二支考 蛇に関する民俗と伝説」の中に


本居宣長いわく、「・・・・・『日本紀私記』にいふ乎呂知(おろち)とあり、今俗には小さく尋常

なるを久知奈波(くちなわ)といひ、やや大なるを幣毘(へび)といふ、なお大なるを宇波姿

美(うわばみ)といひ、極めて大なるを蛇(じゃ)といふなり・・・」という事で、上の絵「極めて

大なる」ですから「へびおどり」ではなく、「じゃおどり」と読むいう事になります。


なぜ、「蛇踊」が「龍踊」になったのか、これはもう少し後に説明します。


長崎には、長崎市の諏訪神社で行われる祭りほか、各地で行われる秋祭りの「郷くんち」

があり、これは、福岡、佐賀にもみられるものだそうです。


長崎では「飽の浦くんち」「畝刈くんち」「稲佐くんち」等々あり、内容は全部調べきれません

が、長崎市のホームページ「長崎市の民俗芸能」で「竜踊」をしているのは、長崎市三重町

の「角竜踊」「角上竜踊」.。そして、長崎市無形民俗文化財指定の、長崎市滑石町の「滑石

竜踊」があります。

と、ここで気づくのが、長崎の諏訪神社は「龍踊」、他の地区は「竜踊」。


調べて見ると、下の本、左が昭和59年長崎県教育委員会発行の「長崎県の文化財」、右

が平成13年発行の同書。


「龍踊」は昭和39年、県指定無形民俗文化財に指定されますが、昭和59年版では「龍

踊」。平成13年版では「竜踊」となっています。


なお、昭和54年に、一括して「長崎くんちの奉納踊」という事で、国の重要無形民俗文化財

に指定されますが、これには「出しものには竜踊・竜船・川船・鯨の汐吹き・御座船・唐人

船・コッコデショなどがある。」との説明があり、「竜踊」の表記です。


なお、現在、ネットの「長崎県の文化財」では「・・・奉納踊も龍踊(じゃおどり),龍船(じゃぶ

ね),唐人船,鯨引,太鼓山(コッコデショ)など極めて多彩な内容を含み,・・・」です。


国指定文化財データーベースでは、保護団体として「長崎伝統芸能振興会」としてあり、こ

れは「長崎市商工会議所」の中にあり、こちらのホームページでは「龍踊」。


県と国と市、里踊りでは表記が違い、疑問に思い、県教育委員会、長崎伝統芸能振興会に

「龍」と「竜」の名称が混在しいるが、なにか理由は?と問合わせましたが、残念ながら、両

方とも分かりません。


長崎市役所の担当、経済文化観光部文化財課も問合わせましたが、県の「長崎文化歴史

博物館」の方へ聞いてくれとの事でしたが、こちらに問合わせるも、まったく話も通じず。

長崎県は観光県なのですが、こんな事で良いのかナ?


ただ、県の方では、名称については、国にも文化財保護審議委員会があり、その中で決め

られたものであるから、国の方で検討したのだろうが、記録は県にはないので、分からない

とのこと。


ただ、後で考えると、国に登録申告した時の書類があり、名称も書いてあるはずで、これ、

もう少し、しつっこく聞けば良かったのですが・・・


さて、「蛇踊」が「龍踊」なった経過は、「長崎伝統芸能振興会」の方が知っておりました。

この事については、又次回。

Img_20141106_0005 Img_20141106_0009




2014年11月19日 (水)

「継婚式」~アナタも挙げて見ませんか?

Img_20141119_0002

「亭主関白協会」については、以前書いた所ですが、今日メールが来ていて、NHKの「あさ

イチ」からの依頼で、アンケートに答えて欲しいと。


内容は、帰省シーズンを迎えて、今まで、夫の実家に帰省する、妻の悩みが取りざたされ

る事が多かったが、逆に、帰省される側の姑と舅側の悩み、体験等を答えて欲しいというも

の。


私は、以前から会に入っていたのですが、最初頃は会員が少なく、福岡のテレビ局から「全

亭協(全国亭主関白協会)」から紹介があったので、出演して貰えないかとのこと。


もちろんOKしようと思ったら、「奥様もご一緒に」と言われたので、断りましたが・・・・以下、

前回書いたものと重複する所もありますが。


全国亭主関白協会と言っても、その実態は、会長の「亭主関白の歴史的認識」に、こう書い

てあります。


■「全国亭主関白協会」としているから、かなり誤解を受けている(笑)

そもそも、関白の語源をひも解けば、時の権力者の2番目の位。 つまり、亭主関白も家庭

ではカミさん(神)に頭のあがらない2番目の位置。 考えれば、すぐわかる。

もし、愛妻が神でなければ、毎日毎日、次から次へと亭主にこれほどの 試練を与えるはず

がない(笑)

古い亭主関白達は、歴史的認識が甘かった。

亭主関白が一番エライと勘違いして「風呂、メシ、寝る」で事を済ませていたのだ。

時代は変わった。亭主も変わった。

全国亭主関白協会の会員達の言う「私はかなり強いし、亭主関白ですヨ、ワッハッハ」 は、

「いかに上手に尻に敷かれるかを研究している男です」と同義語なのだ。

そう、ネーミングは九州男児の最後のミエでした(笑) こんなに情けない団体は、どこを探し

てもないだろう。

が、何はともあれ「妻害対策」はばっちり。どんな試練も乗り越えられるノウハウを 蓄積して

いる。

亭主関白とは「いかに妻を愛するか」なの・・・だ。

                        全国亭主関白協会 会長 天野周一


久しぶりに、ホームページを読んでみると「日本初の継婚式が執り行われた」の記事。「結

婚式」でも「離婚式でもありません。「継婚式」です。何かと思ったら


■日本で初めての継婚式が佐賀県のホテルマリターレ創世佐賀で行われた。

祭司の言葉も結婚式とは違い、これまでの夫婦生活のお互いを認め合い、許し合うことの

大切さを話した。

チャペルでは継婚式ならではの感動の涙を誘った。

退場時に娘さん二人と今年産まれた長男と共に歩く姿に万来の拍手が起こった。

披露宴の出席者は夫婦の知人・友人ばかりで和気あいあい。それでいて、楽しい時間が流

れた。

妻は終始堂々と、夫は少し照れながらという感じが継婚式の雰囲気か(笑)。

全国亭主関白協会会長の天野が夫婦円満免許皆伝書を渡すと、会場は笑いの渦に。

最後に夫の勝馬さんから妻の里美さんへの感謝の手紙が朗読され、静かな感動に包まれ

た。

継婚式は全国へ広がるという予感がした。


というもので、概要は・・・


■独身男女が式を挙げる“結婚式”ではなく、結婚している夫婦が挙式する、お互いを見つ

め合いそして、許し合う儀式。

夫婦間で色々あった出来事を全て水に流し、よりよい夫婦円満、家庭円満をリ・スタートす

るもの。

継婚式”は、22000人の全亭協会員が血と脂汗を流しながら、発案した究極の夫婦円満

の方程式である。

ありがとうをためらわずに言い、ごめんなさいを恐れずに言い、愛してるを照れずに言える

夫婦を目指す、ことを誓う挙式。

結婚式では味わえなかった心の余裕を持った夫婦が家族や友人知人を招いての楽しい披

露宴も実施。

とりわけ、子供達は、父と母の仲の良い姿を見て、大喜び。

やはり子供は母親の笑顔が一番好きなのだ。継婚式のブーケトスは亭主の役目。

「いろいろごめん、僕は君のおかげです」と、感謝の思いを込めてリレーする。

ブーケを受け取った亭主は愛妻に、もう一度、美しい夢を見せることが出来るのか!

小さなハイライトは秘伝夫婦円満三宝授与式(巻物は免許皆伝の書であり口外無用)


という事で、アナタも「継婚式」を挙げてみられたら如何でしょう?素敵ですね。


さて、アナタも「全亭協」入って見ませんか?世界17国、会員は2万名を超えたそうです。


亭主が変われば妻が変わる、妻が変われば家庭が変わる、家庭が変われば日本が変わ

る。


■愛の三原則

・「ありがとうを」をためらわずに言おう

・「こめんなさい」を恐れずに言おう

・「愛してる」を照れずに言おう


良いですね。私?会員証を見られれば分かるとおり、「二級」ですから、まだまだです。努力

はしているのですが・・・・自分ではそう思っていますが、カミサンが・・・・


なお、今日の記事は「全国亭主関白協会」のホームページの記事を、そのまま書いていま

すので、「全国亭主関白協会」のホームページをご覧下さい。「全国亭主関白協会」で検索

すると、「継婚式」の写真入りの楽しい記事が読めます。


(文引用:「全国亭主関白協会」ホームページより)




アメリカ性革命報告~立花隆著 【おまけ】~三十路苑(2014/11/18現在)&穴弘法

Img_20141117_0002

寒くもあり、体調もすぐれず、読んでない本も溜まる一方という事で、これから、少し本の事

が多くなりと思いますが・・・・・


昨日、少し、下ネタの話を載せましたが、思い出して読み直したのが、あの「立花隆さん」の

「アメリカ性革命報告」。


アメリカと言えば、昔から、あちら方面は、なんでも有り、というイメージが強いのですが、実

は、ポルノが現代のようにあふれ出て来たのは、1970年中期以降。


アメリカは、性に対し、昔は厳しいところがあり、ちなみに、1920年、キャサリン・B・ディビ

スによる「二千百人の女性の性生活の調査」


■肉体的精神的健康に性行は必要と思うか

  ハイ  39%    イイエ  61%

■男が婚前に性体験を持ってもよいか

  ハイ  21%    イイエ  79%

■女が婚前に性体験を持ってよいか

  ハイ  19%    イイエ  81%

■夫は婚外交渉を持ってもよいか

  ハイ  24%    イイエ  76%

■妻は婚外交渉を持ってもよいか

  ハイ  21%    イイエ79%

■夫婦は子供を作る意外の目的で性行為をしてもよいか

  ハイ  85%    イイエ15%


いかに、昔は、アメリカ人のセックスに対する考えが、保守的だったか分かります(良い、悪

いの価値観は、さておいてですが)。


また、「・・・安息日を重んずるあまり、日曜日の性行為を法律によって禁止している州もあ

る。」という状態だったそうです。


1957年ロス・アルパート事件。海外で、アメリカ人が、丸裸で海に向かったという事件だっ

たらしいのですが、


「・・・・これまでは、誰に対してワイセツ感を抱かしめるかの基準は『平均的成人』にではな

く、『純真な少女』に置かれており、『現代的地域の基準』ではなく、『伝統的なピューリタン

性道徳』が中心に置いて考えられ、かつ『全体としての評価』とか、『支配的テーマ』とか、

『埋め合わせとなる様な社会的価値の有無』とかは全く考慮されず、どんな局部的なもので

あっても、ワイセツな部分があれば、全体としてワイセツとしてのけられていたのである。」

だったそうですが・・・


これに対し、連邦最高裁判事は、「子供を保護するために大人の読み物を制限したり、局

部の判断で全体を否定することは、『豚の丸焼きを作るために、家一軒を火事にするよう

なものだ』と語った。」そうです。


これで、即ポルノ解禁だというわけではなく、ヘンリー・ミラーの「北回帰線」の無罪判決。毒

舌漫談師のレニ・ーブルース(ダスティン・ホフマンが主演で「レニー・ブルース」の映画あ

り)の登場、舞台でワイセツな話をし、逮捕。「ファニー・ヒル」の無罪判決とあり、そのため、

1968年、時のジョンソン大統領が「ワイセツとポルノに関する諮問委員会」を設置。


2年間の時間をかけ、検討し、その結果「成人についてはポルノをほぼ全面的に解禁すべ

しとの七百ページに及ぶ大分の報告書を提出」。


もちろん、次のニクソン大統領は拒否するも、同諮問委員会のレポートの影響が大きく、ポ

ルノに対する、社会的容認が高まっていきます。


あと、ミュージカルの「ヘア」、「オー・カルッカタ」の舞台公演。「プレーボーイ」(今見ると、た

いしたことはないが・・・)のヘアモデル。「愛の狩人」(禿げて無い頃の、ジャック・ニコルソ

ン、アート・ガーファンクル、アン・マーグレット、キャンディスバーゲン等出演。)のワイセツ

ではないとの連邦最高裁の判断等。


その後は、ご覧の通りのポルノの氾濫。特に、インターネットの発達に伴う現状。

本の方は、この後、アメリカの性の実態など書いてありますが、あまり「ワイセツ」なのでカッ

トします。読みたい方は、Amazonで文庫本なら、1円から手に入ります。


この本が出版されたのが、昭和54年(1979)ですから、日本におけるインターネットはま

だまだの時代。時代は、立花隆氏の「アメリカ性革命報告」を超えたといえます。

ただ、高齢者のセックス等にも触れてあり、これは、先見の明があります。


一番心に残った事。

「ハイ・ソサィエティ」誌が「これまでにしたことがないセックスで、どんなセックスをしてみた

いですか」の問に、40歳のポルノ映画俳優が次のように答えています。


「私は職業柄ほとんどあらゆることを体験してきた。想像しうるあらゆる(この部分は、書け

ません)したことがある。私がいまやりたいことといえば、私がほんとうに心から好きな女性

とセックスをすることだ、やり方はごく平凡な性上位でいい。やっぱり、ほんとうにほれた女

とやるセックスが何といっても最高だろうと思う。」


この本、一つの時代の変化をとらえた、優れた「報告書」だと思います。


【おまけ】

■三十路苑

三十路苑、受付で、「どうですか?」「今が一番でしょう」「あと、一週間ほどもつ?」「色づくと

散るのも早いので・・・・・・」

紅葉は、桜と違い、いっせのせ、で咲くこともなく、いつが一番いいのか難しいですね。

Dsc_0784 Dsc_0741

Dsc_0812 Dsc_0740

■穴弘法

三十路苑の入り口の写真でも撮ろうかと、国道を渡ったら、大きな石があり、良く見たら、

「穴弘法入口」と彫ってあり、これを見たら、行かないわけにも行かず・・・・こんな所をいきま

したが、フェンスの横に、道らしきものがあり、ここらあたりは、国道を作るため、道が随分

変わったといいますから、多分、フェンス横の道が、昔の道では?


途中、猪除けの金網がありますが、これは乗り越えて・・・

Dsc_0821_2 Dsc_0837

フェンスを越えたところに、すぐありました。まさに「穴弘法」。

Dsc_0834_3

多分、真ん中が、観音様、左が弘法様、右の石造物が、「庚申様」か「猿田彦」の様でした。

Dsc_0825_3 Dsc_0830_2

穴の中の回りに、崩れないように石積みがあり、上の方(天井)には大きな石が被ってお

り、多分、最初に穴があり、後で、崩れないように、横の石積みをしたのかな?


赤の所に、文字が彫ってあり、暗くて良く読めませんが、「昭和・・・」「雲仙」「四国」「五(?)

九番」。多分、島原半島の八十八ヵ所の一つだと思うのですが、気づく人は無いでしょうが、

不思議な所でした。


(文引用:「アメリカ性革命報告~立花隆著」より)







2014年11月17日 (月)

「バカリズムのエロリズム論」~バカリズムのオールナイトニッポンGOLDより

Img_20141117_0001

今日、ブログで、写真を入れようと思ったら、「利用可能なディスクがいっぱいです」の文

字。なんのこっちゃ、と思って、調べたら、niftyのブログ、2,000MBまでが無料で、昨日ま

での記事が、1106件。2011年7月からですから、3年半弱。デスクが100%になってい

ました。


他の、無料のブログに変えようとは思ったのですが、多少有料になるものの、面倒臭いの

で、延長しました。


さて、今日は18禁です。よい子も、悪い子もこれから下は、読まないように。また、この手

の話を、セクハラ、と思う方がおられますので、これも同様。


「バカリズム」とは何だろうと思ったら、「本名 升野英知。ピン芸人、ナレーター、俳優、脚

本家、作詞家」で、かなり広範囲で活動をしているようですが、私、あまりTVを見ないので、

ファン方には申し訳ありませんが、知りませんでした・・・・・・・ ヾ(_ _*)ハンセイ 


この本、「バカリズムのオールナイトニッポンGOLD」でリスナーからのネタを、放送したもの

から、選んだものだそうです。


「オールナイトニッポン」懐かしいですね。深夜放送として始まったのが1967年、深夜放送

時代でした。TBSが「バックインミュージック」。


あの時、パーソナリティーをしていた「カメちゃん」こと「亀渕昭信」さんが「ニッポン放送」の

社長さんやってたんですね(1999年~2005年)。ほんと、ビックリ。


この、「オールナイトニッポン」の字に引かれ、パラパラとめくったら、面白かったので買って

来ました。


さて、この本の最初に、「エロティシズム」の定義が書いてあり、「・・・・・性的行為自体はエ

ロティクではない。これを頭の中で妄想したり、イメージによって表現するからこそエロティッ

クなのである。・・・・・・・」とあり、「本書の刊行にあたって」には、「『エロリズム論』とは、『エ

ロの中にも品のある名言』のことです。『笑えること』『格言っぽくなっていること』『どこか品

があること』」と規定してあります。


少しばかり、ご紹介を、といってもあまり過激なのは避けて・・・・・


■男は経験人数を二倍で申告し、女は経験人数を半分で申告する生き物だ。

皆さんも、経験ありますネ。

■前戯に「戯(たわむ)れ」という言葉を使うな。こちらは遊びじゃない。

伊奈かっぺいさんも言ってました。「『遊びじゃいやよ』、といわれたが、あれは、仕事だっ

のか?

■巨乳の谷間に住民票を移したい。

■美人でもエロい女でもなく、ちょうどな女がいちばんである。

ウチのカミサンもそうですが・・・・

■四十九手とは何もしないこと。

最近は、「何もしない」男性が増えたとか。

■ヤラセでもいいので、ヤラせてください。

■資格も才能もないのでコネで挿入したい

分かります、その心。

■スカートをはいた女のパンツは、直接空気に触れている。我々はその空気を吸っている

のだ。

美女ばかりだと、良いのですが・・・・・

■おい、見ろよ!全裸の女が服を着て歩いているぞ。

「刺身食べたい」「あれ、死んだ魚だよ」というのもありました。

■人間が一生のうちにするなんて セックスかそれ以外にすぎない。

「それ以外」しか出来ない歳になりました・・・・ (´・ω・`)ショボーン

■今まで、何度となく見ているはずなのに、「前戯」という漢字がいつまでたっても書けな

い。


ほんの上品なのだけ紹介しました、もっと過激なのを読みたい方は、本をお買いください。





2014年11月15日 (土)

「センゴク一統記 第十巻」~宮下英樹著

Img_20141115_0001

「センゴク一統記」、十巻目が出てました。もう良い加減止めようと思うのですが、小説等の

楽しみは、最後がどう書いてあるか。


ここで止めては、推理小説の犯人を知らないまま、途中で読むのを止めるのと一緒、という

事で、又、買ってしまいました。


「信長の死は 東西にかくも大規模な 紛争を誘引した」。ご存じの通り、信長の遺子、「三

法師」が跡継ぎと決まったものの、徳川幕府ができるまで、まだまだ紆余曲折があります。


「前田利家ら 柴田ー羽柴の 調停役として 京に上るも」、秀吉に会うが、うまくいかず・・


柴田勝家は「我自ら船頭に立ち 織田家を率いるほかない 是ぞ上様が御下知と存ず こ

の権六 明智を打ち損じたは このためであったと存ず 真の謀反人を討つためであった 

逆賊木下藤吉郎 成敗すべし」と決心。


「戦てぇのは 片っぽが悪かろうが 結局 ”勝った側が正義”になっちまうんじゃなーと・・・

あとはそれに勝ちゃあ ワシが織田家をもろうたとて 誰も文句を言わんちゅうこっちゃ!!

・・・・・・織田家は誰のモンか 上様のご一族が継ぐのが正しいかっ ホンマにそうかっ お

天道(てんと)さんから見りゃ ワシとどう違うってんだっ 是非もねえっ 貴賤も上下もある

かいや つまるところは 所詮 人ごときが作って決めたことじゃ つまるところは 織田家

は誰のモンでもねぇ 織田信長の跡継ぎゃあ お天道さんが 決めるんじゃ これがこのワ

シ 羽柴秀吉じゃあーっ!!」とこれまた決心します。


このときの地の状況は

Img_20141115_0002_4

柴田勢と羽柴勢が、クロスして、これを分断すれば、有利になります。


主人公の仙石権兵衛は、黒田官兵衛と阿波国にいますが、黒田官兵衛は呼び戻され、次

いで権兵衛も呼び戻されます。


賤ヶ岳の合戦といっても、馴染みが無いと思いますが、陣立ては

Img_20141115_0003_3

城塞がズラリと並んだ、戦いです。このため膠着状態になりますが、羽柴側は他大名から

の揺さぶりを考えます。


すなわち、羽柴側がどこかの大名から攻められると、膠着状態が解け、柴田側が動き、雌

雄を決することができます。


動いたのが、四国の長宗我部。仙石権兵衛は再び四国へ・・・・このときの関係は下の図の

ようになります。

Img_20141115_0004

ちなみに賤ヶ岳合戦と、仙石権兵衛の四国の引田合戦は、同じ日に先端が開かれていま

す。


マンガといえど勉強になります。こうして図示してあると、よく分かります。「賤ヶ岳合戦」と

か、「引田合戦」なんて、学校の教科書には載ってません(ですね)。世界史を選択していた

ので、日本史は分かりませんが・・・・


さて、この二つの合戦。どんな、展開を見せるのか楽しみです。


以前紹介しましたが、このマンガ書くために、作者は多くの資料を参考にしており


「改選 仙石家譜」「信長公記」「川角太閤記」「雑兵物語」「「天正記」(惟任退治記、柴田合

戦記)」「日本史(ルイス・フロイス)」「見自鏡」「晴豊記」「日々記」「籾井家日記」「牧田茂兵

衛氏所蔵文書」「惟任謀反記」「備中兵乱記」「溝江文書」「立入左京亮入道流佐記」「「明智

氏一族相伝系図書」「多聞院日記」「本城惣右衛門覚書」「本能寺文書」「熊谷家文書」「言

経卿記」「蓮城院記録」「兼見卿記」「黒田家譜」「中国兵乱記」「三河物語」「日本耶蘇会年

報」「離宮八幡宮文書」「長元物語」「元新物語」「「元親記」「秋田家文書」「南海通記」「毛利

家文書」と、参考文献の所に並んでおり、スゴイですね、このマンガ侮れませんよ。


(文・絵引用:「センゴク一統記 第十巻~宮本英樹著」より)





2014年11月14日 (金)

日本の特別地域 63 「これでいいのか 長崎県」~岡島慎二・土屋幸仁編

Img_20141114_0002

人間は、他人から自分がどう見られているか、気になるもの。ウチのカミサンも、服を買った

時とか、美容院に行った時は、気にしているようですか・・・・・


同じように、自分の住んでいる県を、他県の人がどう見ているのか、少しは気になって、今

日、出ていた本を、買ってみました。この本、埼玉県とか、香川県とか、千葉市とか、世田谷

区とかシリーズ物で、63冊ばかり出版されているみたいでした。


「長崎、佐世保は同類にして永遠のライバル!!」「佐賀の属領!?ビミョウー過ぎる松浦

のポジション」「毎度熱心な県庁の移転案 長崎の中心と大村は叫ぶ!」・・・・おふざけ本

か、と思って立ち読みすると意外に、詳しく、微妙な所まで書いてあって真面目な本です。


作者は、長崎県出身ではないようですが、それだけに、長崎県人とは違った見方もあり、長

崎県の歴史についても、よく纏まっています。


「秀吉による九州仕分けで、龍造寺(鍋島)氏、松浦氏、大村氏、有馬氏、五島氏、宗氏

(注:対馬)が領土を安堵された。諫早の西郷氏は秀吉への服属が遅れたので領地は龍造

寺氏の支配となり、長崎は公領となった。この肥前の領地仕分けは江戸期にも踏襲されつ

つ、さらに細分化され、佐賀鍋島藩、平戸藩、大村藩、島原藩、五島藩、対馬藩の6藩と、

天領の長崎、平戸藩と五島藩内に2つの旗本領(富江領、今福領)、諫早周辺に3つの鍋

島家臣領(諫早領、深江領、神代領)が独立勢力として分立。長崎県域はバラバラ状態に

なった」。こんな事、知っている人、長崎にも滅多にいません。学校でも教えません。


中味をすこしばかり

Img_20141114_0001_3

最初、「長崎県のイメージの良さは九州7県の中でもトップクラスだろう。・・・・」と良いこと書

いてあるな、と思ったら、「しかし、このイメージは長崎市を中心としたもの。実際の長崎はも

ともと小藩が割拠していたため、旧藩エリアごとに分立してまとまりが悪いのだ・・・平成の

大合併では地域ごとによくまとまり、日本一の市町村減少率を記録した。だがその過程が

ヒッチャカメッチャカだったせいか、今も不平不満があちらこちらで噴出。・・・・」耳の痛い話

ですが、本当の事です。


■市町村減少率は最大でもまとまりが感じられない!

  ・将来の財政不安が市町村合併を誘発 

  ・まとまったはいいが合併経過はかなり複雑

まさに、その通りでした。大きな市に吸収された町は、哀れなものです。実際に話を聞きま

したが・・・・


■方言の地域差がデカ過ぎ!でも長崎弁は好イメージ

  ・長崎県の認知度は意外に高い!? 

  ・同じ県民なのに言葉が理解不能

「女の子がしゃべるとかわいい方言はどれですか?」のアンケートで

一位が京都弁、二位が大阪弁、三位が福岡弁、なんと四位が長崎弁、五位が宮﨑弁。

私、長崎市内の育ちですが、千々石に来て「アンマリウースギテ イッダン コマルバナイ」

(あまり多すぎますので、かえって、困ります)など言われて、??????

最も、今の若い人は、少し訛りながらも、標準語を喋ります。


■大造船都市の県都 三菱笑えば長崎も笑う!

昔は、三菱造船所勤めの方は、裕福で、長崎市では「三菱の方、県庁の人、市役所のやつ

(もん)」という言葉があり、飲み屋で、県庁の人が、「三菱の人にはツケますが、県庁の人

にはツケません」と言われたとか。


■行き当たりバッタリの観光政策で長崎は大丈夫か

  ・異国情緒がウリだがそんな感じがしない?

他県の人から見ると、そんなに見えるんですか?


■西彼杵郡と長崎地域のハチャメチャ合併問題の顛末

これ、複雑なので、興味ある人は読んでください。


■影が薄い!存在感がない!!評価されない諫早の真の実力

近くのせいか、そんな気があまりしないのですが・・・・


■バラバラシマバラで勃発するか!?南島原の乱

南島原市の合併の時は大変でした。原城、日野江城、キリシタン遺産を抱え、現在「世界

遺産登録」に頑張っているところです。

ちょっと、気になった記事が・・・島原鉄道。この方面は廃線になりましたが、「廃線区間の線

路を中国に売り払ったとウワサの島原鉄道も・・・・」。本当ですか?


■ついに船の街が前近代化産業に見切りをつけた!?

  ・潜水艦の如く業績が浮き沈むするSSK(佐世保重工業)

これ、本当の事かどうか分かりませんが、世界最大のタンカー・日章丸をSSKが作った頃、

左団扇の経営で、自衛隊が、艦艇の修理を頼んだところ、SSKは「割に合わん!」と断った

そうで、それ以降、造船業が不況になっても、自衛隊はSSKだけには仕事を発注しなかった

そうです。10年前くらいから、自衛隊からの仕事を受けられるようになったそうですが。


■合併御免!孤高を貫く佐々&小値賀(おじか)は現代の傾数者(カブキモノ)?

  ・なぜに高飛車でいる!?佐々に向けられた非難轟々 

  ・先行き厳しい小値賀に送られる拍手喝采

作者はこう書いています。「滅多やたらな合併は結局地元民にとってデメリットしか生まな

い、というのが筆者が導き出した答えだが、時には反骨心を持つことも保身のためには必

要、ということを長崎県民は知るべきだ。」

佐々町、小値賀町は合併しませんでしたが、佐々町はいろいろあって、「佐々の独立は

散々にこき下ろす人が多いのにたいして、小値賀の姿勢は評価する人ばかりだった」。

小値賀は若いリーダーがおり、いろんな活動をやって、その人が町を引っ張っていて、それ

が評価されているそうです。

合併については、ある商店主が合併に賛成で、合併後、しばらくしたら仕事が思うようにい

かず、店を閉めました。今や、千々石の商店街は、いろんな事情で、シャッターを下ろす店

が多くなりました。


あと、石木ダムの問題、壱岐(離島です)はなぜ福岡を選ばなかったのか!?(対馬も同じ

です)等、多くのことが書いてあり、チョット違うなとか、耳の痛い話とかありますが、これは

「良薬に苦し」で・・・・読んでみて、長崎にエールを送っているような感じの本でした。


(文引用:「これでいいのか長崎県~岡島慎二・土屋幸仁編」より」)







2014年11月13日 (木)

続、飛び出す絵本&ステレオカメラ

Photo_7

以前「飛び出す絵本」を紹介しましたが、公民館に行ってみたら、別の種類の「飛び出す絵

本」が置いてあったので、ご紹介を。


下の絵本は、この間紹介した絵本と同じ種類のものですが、「実物大」が良いですね。「と

びだす!実物大★美女図鑑」、誰か作ってくれませんか。

2_7

Photo_8 3_3

こちらの本は懐かしい。中を開けると、何を描いてあるのか、よく分かりませんが、片方が

赤、片方が青の眼鏡を掛けると、立体的に見えます。

昔の、子供用の雑誌の附録に、良く付いていました。最も、こんな立派な本ではなく、カラー

写真でもなく、2色のみで描いてあって、当時の雑誌用のザラ紙に、描いてあったものです

が・・・楽しみでした。

4_9 2_8

6_3 Photo_10

10_4

これは、珍しく、二つのほぼ同じ写真が印刷してあって、下のような装置を使って、覗き込

みます。もちろん、立体に見えます。

5 Photo_12

2_10

7_5 4_10

これを作るのに、多分下のようなカメラを使ったのでしょうが、人間の目は物を見る時、左右

の視差が生じ、物が立体的に見えます。

このカメラも、同じように、左右のレンズの視差が出てきますから、それを利用したものでし

ょう。レンズの中央に水平器まで付いています。


数十年前、カメラ屋さんで、二足三文で買って、結局は使う機会が無かったのですが、リバ

ーサルフィルムで撮って、専用のマウントで見たら綺麗ですよ。カメラ屋さんに、見本に見せ

てもらいましたが・・・・


使わないので、捨離断で、捨てようと思って、ネットで見たら4万円程度。捨てるのは止めま

した。

Photo_16

2_14 3_5

映画も3Dで、飛び出す映画もでて来ましたが、絵本は絵本で面白いものです。







2014年11月12日 (水)

「iPhone6」の冬支度

Dsc_0720_2

お~、黒できめるのも、意外と良いですね。前回はシルバーだったので、今回はブラック

のバンパーを購入。


寒くなって、私も冬支度になるので、「iPhone6」も冬支度。「iPhone5」より大きくなったので、

ケースも全部買い換え。「iPhone6」を買った時、一番安いケースと、保護フィルムを買った

ものの、はやり買い換えるとなると、少し良い物を、と。


私、良く落とす癖があり、トイレットの大の方で、よいしょと立ち上がったら、胸のポケットに

入れた携帯が、落ちて、悲しくも糞まみれ。これ、3回ほどやって、ストラップが付ける事が

出来るものしか、買わないことにしています。


普通のケースでも良いのですが、バンパーを使ったら、やはりこちらの方が良く、iPhoneが

発売されて期日が短いせいか、ストラップがつけられるバンパーが意外と少なく、やっと、こ

の間「Deff」の、ストラップがつけられるバンパーが発売。これ、以前にも使って、良かった

ので、即購入。


ストラップは気にいったのがなく、デジカメ用を購入。前面の保護フイルムはもちろん「ガラ

ス」で、これツルツルして、使いやすく、私のは指紋もほとんどつかなく、9Hですから、汚れ

が付いても、ズボンでゴシゴシやれば、汚れはすぐ取れます。


バンパーは後が空いてますから、これも、保護フイルムを用意。あと、前回使って便利だっ

た、ポケットリング。便利だという、バンカーリング。結局、バンカーリングは、少し不安にな

るところがあって、現在保留中。

Photo

一応、ケースから出した状態。右が、iPhoneを買った時に、一緒に買ったケース。何となく

味気ない。

Photo_2 Photo_3

という事で、取り付け。まず、寒いなか裸になって・・・前面の保護ガラスを張る時、ゴミが入

る事があります。風呂場が、湿気が多く、ゴミが少ないという事で、風呂場で作業する方も

おられますが・・・どうしても、空気中のゴミ、衣服から落ちるゴミもあり、私は裸で・・・見る人

が見れば、なんとも、おかしな格好。


ケースを見ると、大きく違ったのが、ネジをとめるところ。左の写真、左側が、iPhone6用、右

が、以前のiPhone5用。


ストラップホールが、ストラップフックに変更。何となく、大丈夫かな?今度は、左が、

Phone5用、右がiPhone6用。

Photo_4 Photo_5

バンパーと、本体が直接接触しないように、特殊シリコンが張ってあり、前回のiPhone5用

より、少し広いかな、という感じ。

2 Photo_6

保護ガラスを張って見たら、はやり、今度のiPhoneは端がカーブしているので、保護フィル

ムは、端まで全面はピッタリ覆えません。これは、後面の保護フィルムも同じ。

赤の矢印の所ぐらいまでです。

Photo_9

保護ガラス面が、iPhoneのスクリーン全面を、覆うことが出来てないことが、分かると思いま

す。あと、後のマークが印刷のせいか、少し浮き上がりがあり、保護フイルムを貼ると、少し

空気が入ります。これ、Amazonで買いましたが、説明はちゃんとしてありました。

Photo_11 Photo_12

なお、バンパーはDeffの一番安いやつで、ネジを使わなくとも良いのも出ています。本当は

赤が欲しかったのですが、少しお高くて・・・・あと、サイレントスイッチの部分に少しガタがあ

って・・・まあ、許容範囲。


iPhone6につけると、少し大きめになりますが、このバンパー上下が少し膨らみ気味になっ

ていて、ツルッと落とすことはなく、私のように手が可愛い方には便利かも。

という事で、半日がかりでしたが、私の冬支度は忘れてしまいました。










2014年11月11日 (火)

2014 「リアルかかし」~長崎県島原市

Photo

「リアルかかし」。昨年見て面白く、今年はまだかなと、10日ほど前来ても、何にも無し。今

年は無いのか思って、昨年主催の建設会社に電話をしてみると、「設置しました」との事

で、さっそく出かけて見ると、まあ、昨年のように良く出来ていること。

昨年の記事は→こちらをクリック


家族三人で、何を見てるのかと思ったら、向こうに御輿が置いてありました。お祭りかな?

サーカーです。以前は島原商業高校が強かったのですが・・・・・

Photo_2 Photo_3

こんな所で、釣りをしたら危ない!と思ったら、車が来た途端、ひっくり返ってしまいました。

Photo_4

リヤカーで子供を乗せて、引っ張ている、懐かしい風景。今は見られません。リヤカーはテ

ーラーで引っ張って行きます。孫守のお祖母さん。子供は眠っているみたいでした。

Photo_5 3

2_3

近頃の高校生は、人目もはばからずですよ!こんな所で。しかも、女の子は茶髪ですよ。

私らの頃、こんな事したら、即退学ですよ。

Photo_9

腰に回した、微妙な手の位置。前から写そうとしたら、「顔だけは、カンベンして下さい」と言

われたので、顔は勘弁します。

2_5 3_2

焼き芋が美味しそうで、私も一ついただきました。

Photo_12

カカシは、各地でいろんなイベントがあるようですが、ここの「リアルかかし」、とにかく面白

いですよ。天気が良い日にでもお出かけを。


場所が少し分かりにくいのですが、島原城の近く、島原第一小学校の所に信号機がありま

すから、島原高校の方へ(この付近は、昔の島原城三の丸になります)進んで、数百メート

ルの右側です。道端の田んぼの中にあります。


残念ながら、今年は、フォトコンテストはないようでした・・・・・・





2014年11月10日 (月)

2014 「第44回千々石町文化祭(演芸の部)」~雲仙市千々石町

Photo

11月1~3日が、「千々石町文化祭展示の部」、8日の午前中が「千々石町少年の主張大

会」、同日の夜が「千々石町文化祭演芸の部」と、引き続きで、「少年の主張大会」「文化祭

展示の部」は以前書いたので、「文化祭演芸の部」を書かないのは、片手落ちになるの

で・・・


演芸の部は今年で44回。昼に開催したり、夜に開催したり、紆余曲折がありましたが、現

在は夜に開催。順不同になりますが、ご紹介を。


上の写真は、温泉神社の秋の大祭の当番町、下峰名下塩浜の「ひょこりひょうたん島」。お

尻を出していますが、本物ではありません。念のため。


最初は恒例の、中学校吹奏楽部による「御神楽」。九州中学生の文化祭にも、県代表で出

演するそうですが、最近、市内外のイベントにも呼ばれ、大忙しだそうです。

Photo_5

舞が終わった後、4番目にブラスバンドの演奏で、生徒は、御神楽のあと、すぐに着替えて

出演ですから、大変。部員のお母さんかな?昔は、カメラでしたが、最近はビデオかスマホ

で撮影、しかも、この小型化。

Photo_6 Photo_7

舞踊が少なくなりました、昔は、まだ沢山でていたのですが・・・・だんだん亡くなる方、高齢

になって、踊りを止められた方も増えてきました。若い人で、日舞を習う人も減ってきている

ようです。

7

Photo_2 2

3 4

5 6_2

フラダンスが、あちらこちらで流行っているようですが、皆さんよく練習して、息がピッタリ。

お若くて、美人で・・・ただ、「夜目(よめ)遠目(とおめ)笠(かさ)の内」という言葉があったな

と、思い出しましたが。(意味が分からない方は、辞書を引いてください)

3_2

カラオケ、皆さん気持ち良く歌っていますね。左の方は、昔、元気が良かったのですが、舞

台にでてくる時、杖をついていました。月日の流れを感じます。右の方は、洒落た服で、観

客の方から、お~と言う声が聞こえました。

Photo_9 2_2

3_4 4_2

カラオケ会の会長さんだったかな。たしか、カラオケが好きで、カラオケ屋さんを作ったよう

な話を聞きましたが。

5_3

千々石ファミリーコーラス。もう、30年ほど続いています。メンバーの入れ替わりは、若干あ

りますが、ずっと続けている方もいます。

男性が入って、混声合唱団にすれば、もっと幅が出て面白いのですが・・・・男性が4,5名

いたら私も入って良いのですが・・・私?何回か合唱に加わって、出たことはあるのですが、

音程は狂っていましたが・・・・

Photo_10

これも、秋の大祭当番町の、下峰名上塩浜の「妖怪ウォッチ」。

Photo_14

秋の文化関係の大きな事業は、終わりました。全部ボランティアの手作りでしたが、皆さ

ん、それぞれに、仕事を持ちながら、良く頑張られたと思います。小さな町の、小さなイベン

トですが、皆さんの力で楽しいイベントばかりでした。


さて、あと、橘神社の日本一の門松作りが、今月の24日から始まるそうです。午前8時か

ら、神事。その後、現場で作業が始まります。完成までに、一月ばかりかかりますので、念

のため。






2014年11月 8日 (土)

第24回千々石少年の主張大会~雲仙市千々石町

Dsc01407

子供が学校へ通っているころは、学校の様子、子どもたちの行動も分かっていたのです

が、家を出てしまうと、全く関係がなくなり、分からない状態。


近所の高齢者の人も、「子供ん顔ば見ても、どこん(どこの)子か、いっちょん(まったく)分

からん」という話。


という事で、千々石の小中学生(残念ながら千々石高校・大学はありません)による、「少年

の主張大会」があったので、出かけて見ました。


小中学生10名。島原半島、各町大体開催していますが、発表者は女子が多いのですが、

今日は、男子6名、女子4名という珍しさ。小学生6名、中学生4名です。


天気も少し悪くなりそうなので、お客さんが少ないかと思っていたら、大盛況。後の方まで

満員でした。


最初は、小学生の部。

「ソフトボールから学んだこと」「みんな仲良し」

左の子は今、キャップテンをしているそうですが、将来は、メジャーまで行きたいとのこと。

夢は大きい方が良いですね。


女の子は、千々石第二小学校の子ですが、全校で18名。現在、島原半島でも小規模校の

廃統合が行われていますが、小規模校の良さが伺えました。


学校に来ると、職員室に入って、先生に挨拶をしてハイタッチをしているそうですが、私の

頃は、一学級で50名(一学年ではありません!)。とても、職員室に入るなんて。羨ましい

ですね。


なお、千々石二小は、日本の棚田百選の岳地区がある、木場名という所にありますが、木

場地区の運動会と、学校の運動会は合同で行っているそうです。地域の融和と、子供との

触れあいがあって良いですね。

Photo_2 Photo_3

「家族の一員として」「ソフトボールを通して」

左の子は6年生で、体格が良く、長男だそうですが、お父さんの仕事の手伝いもやっている

そうです。今の子供は、昔と違い、お父さんの仕事を手伝う子供も少なくなりました。

学校でも進んで仕事を引き受け、感謝されるのが嬉しく、人のためになりたいとのこと。


右の子は、お父さんがソフトボールの監督さんだそうで、学んだことが、「元気」「集中」「チ

ームワーク」だそうです。

人と人との結びつきが大事、何よりも人に感謝。そのためには、元気でいることが大切だ、

という事で、元気を無くしているオジサンには、耳の痛い話でした。

Photo_4 Photo_5

「みんなちがって みないい」「仲間に支えられて」

詩人、金子みすずさんの「わたしと小鳥とすずと」を学校の教科書で習った事を、話してい

ましたが、この子も、千々石二小で、同級生が5人。男女、最初、仲があまり良くなかったそ

ですが、一緒に5年間(現在は6年生)過ごし、協同作業をとおし、それぞれの良さを見つけ

合い、違いを認たそうです。


蛇足ですが、「チーリップの唄」。「あか しろ きいろ どのはなみても きれいだな」。この

歌詞も、それぞれの違いを、それぞれに良さがある事を歌っています。


右の子は、サッカーをしているそうですが、県大会直前に足を骨折。クラブ仲間から、全国

大会に連れていってやると言われ、ボール拾いとか、裏方の仕事をガンバって、やったそう

ですが、県大会の時、試合前、スクラムの中心に置かれ、「頑張るぞ」と言われ、感激した

そうです。

Photo_9 Photo_10

「いじめとは・・・」「命の重み」

さすが、中学生ともなると、話が重厚になってきます。

「いじめ」。なかなか止みませんね。昔は、表だっていじめていましたが、今では、蔭でのい

じめ、おまけに、ライン、ホームページでのいじめ。

この子は、いじめの中にあるものとして、「嫉妬」「個人的なストレスを他人に発散する」事を

上げていましたが、なかなかの分析でした。


右の子も、いじめを取り上げていましたが、「自分がいつ被害者になるか分からない」事。

「ウザイ」「ダサイ」など、今や普通に使っていますが、人の心を傷つけることもあり、軽いノ

リで言わない自制心が大切だ、と言っていました。

2 2_2

「本当の思いやり」「家族の愛」

女の子の方は、バレーボールをしているそうですが、監督から、「バレーボールとは思いや

りのスポーツだ」と言われたそうです。

思いやりとは、「信頼」の事で、相手を信頼し、個性を理解し、全体のことを広く考える事だ

と発表していました。


右の男の子は、大人に対し、「ほめて欲しい」「叱って欲しい」と言っていました。

確かに、現在、親は子供に嫌われたくなく、「叱る」事が少なくなりました。叱らないと「悪い

ことが、悪いと思わないようになる」と、確かにそうですね。


昨日のブログで「ウドロク」の事を書きましたが、NHKTVの有働アナウンサー、こう書いてい

ます。


「父は怒ると、この世のものとは思えないほど怖い存在だった

私がまだ一歳の頃、何かのことで怒られた私が泣こうとした瞬間、父が『おほん』と咳払い

をしただけで、ひぃひぃと息を引きつらせるように、泣くのを我慢したという。」

昔の親はそれほど、厳しいものでした。

Photo_11 2_3

まだ、書き足りないほどの発表でしたが、又、用事があるので・・・・・・


「今どきの、若い者は」と言いますが、皆ちゃんと、考えていることは考えています。

子供の悪いところは、大人の責任が大きいようです。そんなことを考えさせられる、「少年の

主張」でした。


主催の「雲仙市青少年健全育成協議会千々石支部」の皆さんは大変だったと思いますが、

子供の意見は滅多に聞けるものではなく、来年も、是非、開催をしてください。


2014年11月 7日 (金)

「絵馬」それぞれ

Dsc01390

「絵馬(えま)」。辞書で引くと「願い事をする時や、また、それがかなった時に、、神社や寺

に奉納する額。(参考)多く、馬の絵の額を納めたことからいう。」と書いてあります。


一年分の絵馬です。かなり、沢山の絵馬が溜まりました。お正月に、神主さんが、願いがか

なうようにお祓いをして、お焚きあげをします。


足を痛め、しばらくゴロゴロしてばかりで、体に悪いので、神社まで。絵馬については、以前

にも取り上げたことがありますが、お正月は、受験期とあって、入学のお願い、就職のお願

いが多かったのですが、今日行って見たら、少し違ったところがあって・・・・名前は、個人情

報で、消しました。


タレントさんのライブに行きたいと。特に「嵐」が多くですね。右の「-20㎏を目標に頑張り

ます。」というと、かなり、お太りの若い方ですね。

Photo_3 2

3 4_2

間違いなく、小学生でしょう。お母さんが困らないように、好き嫌いをしないように、頑張りま

しょう。

「字」は、持って生まれたものだと言います。オジサン、いまだもって、自分で書いて、自分

で読めない字があります。でも、こんなに立派な大人になりました

でもネ、「字」は他人が読めるように、ヘタでも良いから、ていねいに書くようにしましょう。

Photo_7 Photo_8

防大(防衛大学)、難しいですよ。(しますように)が謙虚で良いですね。橘神社は「軍神 橘

中佐」が祀ってある所だから、願いをかなえてくれるでしょう。

小学生5年の漢字検定って、どんなのでしょう?パソコンで文章を打っていると、漢字を忘

れてしまいます。できるだけ、手で書くように努力はしているのですが・・・・オジサン、五年

生の漢字検定、確実に落ちるな・・・

Photo_9 Photo_10

今年は、長崎で国体が開催されましたが、「サッカーで・・・・・」というところを見ると、出場選

手かな?

高橋大輔選手は、フィギアースケートの選手で、ソチオリンピックでは残念でした。この間

引退をしましたが。ただ、ここ、入学とか、就職試験の願いが多いので、あまり「滑る」事に

関する事は書かないように  。

Photo_11 Photo_12

ゆるキャラ対決。「くまもん」はもちろん、熊本。「あいのん」は昨年生まれの、雲仙市のゆる

キャラ、残念ながらグランプリは取れませんでした。来年は、私が、雲仙を代表して、ゆるキ

ャラグランプリにでるつもりです。そのままでも、私、ゆるキャラです。

ところで、「しっかり、いいキョりを たもてますように」。これ、ナンデショウ。微妙な表現だ

な。

Photo_13 Photo_14

なんとかが上達とか、カッコイイなんとかになるぞ、と言われても、オジサンよく分かりませ

ん。まして、私より早く生まれた神様には、なんの事やら分からないので、説明も一緒に書

いてくださ~い。

右は間違いなく、おじさま族の書き方ですね。

Photo_15 Photo_16

吾妻からどこかに行くんでしょうか?雲仙市は人口減なので、必ず戻って来てきてくださ

い。右は、多分韓国の方か?

Photo_21 Photo_20

昇給は神様より、社長さんの方へ。「○○○○のあたまがツルツルになりますように!!

」って、ナンノコトじゃ。

Photo_24 Photo_25

こんなの見ると、涙がウルっと来ますね。左は、旦那さんから、奥様への激励みたいでし

た。どちらも、お元気な事をお祈りします。

Photo_26 2_4

さて、オジサンも、何か書こうかと思ったのですが、この歳で、もう願い事も無し。そのまま

ふら下げて来ました。

Photo_28




2014年11月 6日 (木)

「ウドウロク」一気読み~有働由美子著

Img_20141106_0015

数年前、二人の有名な某女性作家が、男性の、これも有名作家のS氏の事を、ラジオ対談

で、こう批評していました。


「Sさんて、女性を見る目が甘いのよね。女性なんて、あんなもんじゃないよのネ」

「そう、そう、Sさん女性をよく分かってないのよネ」

「女性の裏側は、もっとドロドロして、汚くて、怖いのよね!」

「そうよ!」


さて、この本、45歳の独身女性の中身がどうなのか・・・・


私の知人がブログを書いて、この「ウドロク」。NHKの「あさイチ」で、NHKらしからぬ司会をし

ている有働さんが書いた「ウドロク」の事を書いていたので、読んでみたいな、と思っていた

ら、何と、田舎の本屋さんにも並んでいました。しかも、2冊もですよ。奇跡!


有働さんは、もちろんNHKのアナウンサーで、以前、「NHKニュースおはよう日本」「サタデ

ースポーツ」「サンデースポーツ」「NHKニュース10」等の番組を担当していたみたいです

が、どうも、私の記憶にはなかったのですが・・・・・


2010年3月より「あさイチ」を担当し、私、第一回目から見て、すぐにファンになりました。

毎日見ています。「わき汗」については、本当に面白く見ましたが、番組がない日は、一日

寂しい思いをしています。国会がある時は、9時で終わってしまいますが、国会の議長と

か、運営委員会の委員長、有働さんにしてくれればスムーズに議論が進むと思うのです

が・・・


題名が「ウドウロク」。脇に小さく「有働録」と書いてありますが、題名の「ウドウロク」の後

に、黒く塗りつぶしたように「ロウドウ」と書いてあります。ナンデショウ。「ウドウロクロウド

ウ」回文かな?他に意味があるのかな?


有働さん、本の表紙を見ると、本当にシックでモデルみたいですね。でも、有働さんはモデ

ルにはなれません。野球の長島茂雄氏が監督時代、有働さん、次のように言われたそう

です。


「さっきからずっと思っていたんですがね、あなたの足、ピッチャー向きですね。太くて安定

感がある。どっしりしている。いいですよ!」


有働さんは45歳(女性の歳は書くものではないのですが、自分で書いているから)で独身

女性ですが、やはり、大変な苦労をしてきているようです。もっとも、ウチのカミサンと暮らし

た、三十数年と比べれば・・・・・


ところで、有働さんは美人でしょうか?

毎日TVを見て、カワユイ~、と思ったり、並だな、と思ったりしますが、五十代の視聴者から

「さりげないほどほどの美貌である」との、メールを貰ったそうです。「さりげないほどほどの

美貌」。良い表現ですね。私も、そう思います。


さて、この本、アラフォー独身女性に共感を呼ぶと思います。お薦めします。笑いあり、涙あ

り、シンミリするところあり、納得できるところあり、とにかく、読んで見てください。


「あさイチ」。タモリさんの「笑っていいとも!」の31年6ヶ月を抜いて欲しいと思います。有

働さんは76歳になっていますが・・・・


こっそりですが、有働さん同棲したことがあるんですって。ちゃんと書いています。「・・・NY

赴任中、たった一週間の同棲生活をしていた時のことだ。」後はお読みください。


なお、私の知人のブログ、「十人十色、そのひとつ」に簡潔にまとめてありますので、そちら

を続いて、お読みください。→こちらをクリック。


明日も、有働さんの笑顔を夢見ながら・・・・・・お休みなさい。


【おまけ】

千々石の海岸です。海岸のそばをを通っていたら、小学生が砂の造形をしていました。

Dsc_0233





2014年11月 5日 (水)

「171年ぶりの月」

Dsc_0231

今日は、旧暦の9月13日。


八月の十五夜の名月に対して、旧暦9月13日の月を「十三夜」、「後の月」と言います。十

五夜の芋名月に対して、栗名月、豆名月とも言います。


今日、車を走らせながら、ラジオを聴いていると、月が、171年ぶりで、なんとか、かんと

か、と放送をしていたので、先ほど調べて見たら・・・・


旧暦では太陰暦になるので、1年は大体354日。現在の365日とは、およそ11日の差が

でてきます。


そのため、何年かたつと夏が、冬になったりしてしまいます。そのため、新暦が4年に一度

閏日(2月29日)を一日入れるのと違い、旧暦では3年に一度、閏月を入れて調整するそう

です。今年は、9月が挿入されるそうで、旧暦のうえでは9月13日が2回来る事になりま

す。


という事で、今年は、十三夜が2回来る事になり、前回、十三夜が2回来たのが、1843年

(天保14年)という事で、今日の十三夜は、171年ぶりの十三夜という事になるそうです。


補足ですが、今年、旧暦の9月1日は、新暦の9月24日と10月24日にあたり、旧暦でいう

と、9月が2回ある事になります。


さきほど、慌てて写真を撮ってきましたが、皆さんも171年ぶりの十三夜を、ご覧になって

はいかがでしょう、少し寒いので、お二人で・・・・・


墨磨れば墨の声して十三夜      成田千空

沈黙は人恋うる距離十三夜      中村克子

静かなる自在の揺れや十三夜     松本たかし

十三夜完全看護と云ふ孤独      鳥羽靑珠

逢へばまた逢ひたくなりて十三夜   sugikan




2014年11月 4日 (火)

「週刊誌」ひろい読み

Img_20141104_0001 Img_20141104_0003

「長崎がんばらんば国体」、「長崎がんばらんば大会(第14回障害者スポーツ大会)」。あっ

という間に終わってしまいました。


「国体」では長崎が天皇杯で一位、皇后杯が二位。一位は東京です。


「大会」では金が39個、銀が35個、銅が61個。合計135個のメダルを取ったそうです。地

元開催は団体が全競技出場、個人枠の出場枠も多いため比較は単純にできませんが、昨

年が45個で、これが最多だったそうです。


国体は開催地が強く、来年はどうなるか分かりませんが、とにかく、選手、ボランティアの皆

さん、役員の皆さんご苦労様でした。


さて、人間はどうして順番をつけたがるのでしょう。

Img_20141104_0004

B級グルメのグランプリばかりだと思えば、今度は「ゆるキャラ」のグランプリまで。B級にし

ても、ゆるキャラにしても、その土地々々に行った時、楽しめば良いと思うのですが・・・


とは言ってもですよ・・・・「週刊ポスト」を買うつもりでは無かったのですが、表紙に「47都道

府県『おっぱいランキング』なんて書いてあると、気になるじゃありませんか。長崎県が何位

に入っているのか。


という事で買って来てみると、なんと、長崎県は16位。東京が41位。皇后杯では負けまし

たが、「おっぱい」では勝ちました。


BMIの値、要するに太っているなら、バストが大きいかと思うと、「”肥満県”とバストサイズ

には何かしらの相関関係がありそうだが、あてはまらない県もあるため・・・・これも決め手

に欠ける」と言うことだそうで、バストの大きさの関係としては、「大豆」と「睡眠」と「セックス」

だそうです。


これは、「豆腐」の一世帯あたりの消費金額、睡眠は乳腺科専門の医師が睡眠時間との関

係を医学的に説明していますが、長くなるのでカット。最後のは、コンドームメーカーが1万

4100名を対象にした、「セックス経験人数」から検証したものです。


なお、BMI指数女性県別平均ランキングは。、長崎県は2位だそうです。要するに、太り過

ぎです  。


でも、良いじゃありませんか、伊奈かっぺい先生は某村の講演会で、次のように語っていま

す。


「(この村の)過去十年の記録で、この村の脳卒中の死亡率が県下一なんですね。

これは素晴らしいことです。

物の善し悪しじゃありません。なんでも一番と言うのは素晴らしい事です。

心臓病が二位と三位を行ったりきたりしていますけど、これも早く頑張って県下一位の立場

まで持って行かなきゃいけません。

 昨今、村おこし町おこしが全国各地で盛んですけど、何も誇るモノがない場合、脳卒中県

下一━━━これで充分、キャッチフレーズになります。

 この場合"村つぶし町つぶし”と言われるかも知れませんが━━━

村長サンッ笑ってる場合じゃないんですってば・・・・明るい村長サンだなぁ・・・・」

これだけ言われれば、健康に注意するようになるでしょうが。


長崎の女性の皆さん、BMI一位になるよう頑張りましょう。


他の記事で、「週刊ポスト」さん、相変わらず、しつこく年金問題をやってます。私もしつこく

載せます。ひょっとしたら、現在、65歳受給開始の年金が、70歳受給開始になる可能性

が高いという事。

Img_20141104_0002

現在、35歳で60歳で定年を迎えるまでの、平均給与が45万の場合、最初の65~70歳

までは(現在は65歳から支給)貰えません。70歳から受給開始で、80歳までの受給額

が、現在は2572万円になりますが、これが、1642万円、約1000万円の減額という事に

なります。若い方は、今のうちに準備を。


このような事は、新聞には載りませんが、載らないはずで、「『政治とカネ』最大の闇は大メ

ディア記者の『接待漬け』だ」、という記事があり、国民に都合に悪いことは、記事にはしな

いのでしょう。「秘密保護法案」ができたら、もっと情報が流れ無くなるでしょうが・・・


他に、「コーヒーは体に良いのか?悪いのか?」。昔は、あまり良くない、と教えられたので

すが・・・最近、カミサンがコーヒーを飲み始めたので、聞いたら、「毎日、二杯までは、良い」

と、多分、「コーヒーを毎日2杯以上飲んでいる人にはシミが少ないという結果が得られたと

いう。」という話を、どこかで聞いたのでしょうが、もう手遅れなんですけど。


「新美女医カルテットが教える『オンナのカラダの愛し方』。これ、内容は書けません。「意

外?○○すると○○○は良くなり、いずれ○○は○○○に」なんて、恥ずかしくて・・ 


安達祐実さんの映画「花宵道中」のグラビヤも、載っていますので、ファンの方は見てくださ

い。「同情するなら金をくれ」と、ドラマの中で言ったのが、12歳の時。あの子が、こんな大

胆な映画に。


やしきたかじんの「ゆめいらんかな やしきたかじん伝」の本のPRが出ていましたが、はや

り凄い人生ですね。ファンだったので、さっそくAmazonに注文したら(こちらの本屋さんには

並んでいません)、「一時的に在庫切れ:入荷時期は未定です」の文字。やはり、死んでも

人気があるんですね。


「週刊文春」は、立花隆の「死は怖くない」の記事があったため、買ったもの。まだ第一回で

連載ものになるようですが・・・


同級生も次々に死に、自分より若い人も亡くなり「自分もいずれ、それほど遠くない時期に

死を迎えるにちがいないということが実感として理解できるようになりました。その結果とし

て、生に対する執着が弱くなりつつあります。」と書いてあります。


私は、浄土真宗ですが、蓮如上人が書かれた「御文書(ごぶんしょう)」(浄土真宗の教え

を、各門徒に手紙にして示したもの)を時々読むようになり、有名な「白骨の文書」


「・・・・・・われや先(さき)人や先・今日ともしらず明日ともしらず、・・・・・されば、明日には紅

顔ありて・夕べには白骨となれる身なり・・・・野外におくりて、夜半(やわ)の煙となしはてぬ

れば・ただ白骨のみぞのこれり・・・・」


若い時は、何となく聞いていただけですが、段々身にしみて、実感として感じるようになりま

した。





2014年11月 3日 (月)

2014 千々石町文化祭(展示の部)~雲仙市千々石町

Photo_2

どこの公民館、地区館でも、文化祭をやっていると思いますが、年ごと、地区ごとに内容が

違っていて、時代の変化、地区の違いが分かります。


一時、菊が流行って、玄関先を飾っていたのですが、今や、菊が少なくなりました。菊作り

は手間がかかり、ご隠居さんの趣味だったのですが、超高齢化社会で、作る人が少なくな

りました。


生け花も、昔は、嫁入り前の作法として誰でも習い、生け花のコーナーが、一番多かったの

ですが、今、生け花を習う若い人も少なくなりました。

Photo_3 Photo_4

多くなったのが、ディサービス関係の作品。千々石には高齢者関係の施設が4つあります

が、こちらは、年々賑やかになりました。まさに、高齢社会を感じます。

Photo_5 3

会場にも、ぼつぼつ見学者がきて、自分の知った方の作品を眺めていました。

Photo_6 2

昨年、市民ミュージカル「千々石ミゲル」が実施されましたが、その時の衣裳、楽器の展

示。

衣裳、楽器は手作りで、手前の上着は、中学校の制服を利用した物。ボタンを見たら、真ん

中に「中」と書いてありました。楽器は、弾いても押しても鳴りません。

Photo_7

エコクラフトのカゴ。昔のお母さん方は、これをぶら下げて、買い物に行っていたのですが、

昔の方がエコですね。人気者、クマモンもありました。

Photo_8 Photo_9

パッチワークに手芸品。相変わらず、人気のある絵手紙。

Photo_10 Photo_11

押し花の「ヒマワリ会」ですが、

Photo_12

昔の押し花と違って、洒落ています。

2_2 3_2

絵画クラブの作品。右は、今、長崎で人気の軍艦島(正式には端島)。昔は炭鉱でした。

Photo_13 Dsc_0126_2

書道ですが、右の方は、ほぼプロの作品もあります。

Photo_17 2_3

良いですね。中身で勝負。中身なら、私、福島雅治には負けません。外観は負けますが・・

Photo_19

保育園に、小学生の作品。

Photo_20 Photo_21

今の中学生、絵がうまくなりました。絵画クラブより、上手かな?

Photo_23

アマチュアの作品ばかりですが、楽しんでいる様子が良く分かります。是非、ご覧下さい。

結構楽しめました。


さて、ボケ防止として、趣味を持つことが大切だそうです。あまり、のめり込むと、かえって、

ストレスになりますから、ヘタの横好き程度に。



2014年11月 1日 (土)

2014 「秋桜まつり」~「しまばら 芝桜公園」

2

この連休は、天気が悪そうで、あちらこちら、予定をしていた方は残念ですが、昨日「しまば

ら 芝桜公園」に、秋桜を見に行ってきたので、行かれない方のために、写真だけで、お楽

しみください。


ここの公園は、春は芝桜、秋は、芝桜公園の横の広場で「秋桜まつり」を行っています。「芝

桜公園」は、普賢岳災害で被害を受けた砂防指定地区ですが、地元の方が、何かできない

かと作った公園です。


入場口に、チェーンソーで作った、ふくろうのお出迎え。「ふくろう」は「不苦労(ふくろう)」で

縁起物です。


秋桜は、先月の終わりに行った時は、まだ蕾でしたが、この日は、満開状態。

Dsc_0074_2 Dsc01245

平日で、天気が悪く、途中で雨がパラパラと来ましたが、お客さんは意外に多く、といっても

観光客と、アベックばかりで、おじさん一人でウロウロしているのは、私だけ。


日本人は記念写真を撮るのが好きですね。写真に魂を吸い取られるんですが・・・・

Photo 2_2

「オススメスポット」写真を撮るスポット。

秋桜の間を歩けるように、遊歩道が作ってあります。両側を秋桜に囲まれ、思わず「後に柱

 前に酒 左右に女 懐に金」という言葉を思い出しました。「後に柱は」、座敷での一番上

座のことです。秋桜に囲まれると、まさに「左右に女」という感じ。

Photo_2 Photo_3

「オススメスポット」での写真、右の山が「平成新山」。左の山が、確か「眉山」だったと思い

ます。これで、青空だったら、良い写真なんですが。

Photo_7

遊歩道を歩いて行くと、真ん中あたりに、ブランコが4つばかりあって、左は一人用。右は二

人用。もちろんアベック用。私、まだ見ぬ恋人を夢見ながら、二人用にのってきました。

Photo_5 2_4

展望台ですが、二人の女性がいたので、お話しでもできないかと行ったら、下りてくるところ

でした。顔を見たら、おばちゃまでした。残念。


展望台から撮った写真ですが、少し露出不足。本当はもう少し濃い色です。広角レンズを

持って行きませんでしたが、もっと左右に広がっています。

Photo_8 3

今日、少し強く雨が降ったので、花びらが心配ですが、散っても、蕾が出ていたので、まだ

まだ、大丈夫だと思います。行く時は、一人では行かないように。わびしいですよ。

2_5

この広い所に、種を蒔いたり、雑草を取ったりで、「芝桜公園をつくる会」の方は大変だった

と思いますが、また、来年を楽しみにしています。




« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ