又、又、又、又「滝の観音」へ~長崎市
「滝の観音」です。確か以前にも、3回くらい書いた覚えがあるのですが、皆さんも忘れてし
まっているだろうし、私も、なにを書いたのか忘れているので、以前のブログと重複してい
ると思います。
歳取ると、昔と違って、キャバレーより、このような所が好きになり、長崎の帰りがけ、又寄
って見ました。
いつもの門を通り過ぎると、静かなたたずまい。
ここ本堂に続く道ですが、いつも、右を通るか、左を通るか、迷います。右の方は、どちら
が根か分からない「伏樹門」又は「不思議門」。門には、「元禄十丁丑歳□月吉祥(?)日」
の文字。
「伏樹門」横に、寄進されたのか、石物が。良く見ると、右側は墓石を持ってきたのでしょう
か、弘法さんが彫ってあり、その上に「浅夢」。下の方に、「文化八年(1811)未辛 童女
七月七日」と彫ってあります。子供の墓だったのでしょうか?
竹林。仁王門の近くにの石仏に、栗がいっぱいのせてありました。何でしょう?
仁王門です。
もちろん、仁王様もいます。足元を見たら、泥棒さんはいませんでした。(意味が分からな
い方は、落語を調べてください)
奥に、本堂がありますが、写真は撮り忘れました。本堂の裏に滝があります。
近頃、雨が降らないせいか、水量が少し少なめ。霊瀑中央の水苔深いところに、弘法太子
が「水観音の梵字を滝の懸崖に記した」と古書には伝えられ、今もなお跡をとどめている
と、「『滝の観音』小縁起」には書いてあるのですが、近眼、老眼、普段の行いの悪い私に
は、何回いっても、見えません。
滝近くの、御手洗の後ろの石のところには、優雅な絵が描いてあります。滝近くの崖の上
には、水神様、竜王様の石仏が置いてありましたが、祠の下に「竜王」の文字があり、左側
に「良縁成就」と書いてありましたが、娘の良縁を願ったものか?
「羅漢橋」ここを渡ると
まあ、いろんな石仏がありますが、
元禄12年、京都北野神社より分祠した、天満宮祠があります。忠臣蔵の討ち入りが元禄
15年ですから、それより3年前です。
2代目、3代目に至り、間の瀬、現川(うつつがわ)、矢上に末庵を配し発展し、門前に酒
屋、境内に参籠の湯屋ができるなど、西海屈指の祈願霊場として有名になったそうです。
下の絵は、江戸時代に描かれた「長崎古今集覧名称図絵」に描かれた、「滝の観音」で
す。
なお、ここは「長崎県指定名勝」の第一号地です。ということは、この標柱も第1号、です
ね。是非一度お越しください。パワースポットです。
« 「如来祭り」~長崎市 | トップページ | 2014 紅葉だより~雲仙★仁田峠・三十路苑(10月30日) »
「史跡」カテゴリの記事
- 雲仙大黒天~「発見」について異議あり(2022.07.14)
- 雲仙「温泉神社二ノ鳥居」について②(2022.07.01)
- 雲仙「温泉神社二の鳥居」について①(2022.06.24)
- 2022/06/03「大村公園花菖蒲」(2022.06.03)
- 今日の「諌早の眼鏡橋」と「島原城の古絵はがき」(2022.04.11)
コメント