「地名」を考える
2014年8月27日付け、第一面、赤の四角で囲んだところ。産経新聞の「産経抄」です。さ
すが、大新聞、目のつけ所が違いますね。
町村合併、新興団地の建設、道の整備、区画整理のたび、地域の名前が変わりました。
「平和町」「幸町」「~丘」「~台」等々、ありふれた名前ばかり。町ではなく、市の名前も変わ
りました。
島原半島は、以前は1市16ヶ町、16ヶ町は「南高来郡」という由緒ある名前でした。奈良
時代初期、現存する貴重な5つの風土記、「肥前風土記」にでてくる名前です。
簡単に言えば、景行天皇が巡幸された時、島原半島をみて、「あれは、島か、陸続きか、知
りたい」と。
神大野宿祢(みわおほののすくね)に見せに行ったところ、人が迎えに来て、「僕者此山神
名高來津座 聞天皇使之來 奉迎而巳 因曰高来郡」(私は此の山の神、名は高來津座
(たかつくら)といいます。天皇のお使いが来られると聞いて、お迎えに来ました。)と申し、
「因りて高来(たかく)の郡(こほり)と曰ふ。」(昔は、南高来郡、北高来郡は一緒で「高来
郡」でした)
と言った歴史のある名前だったのですが、「南島原市」「雲仙市」。小学生でも名付けられる
ような安直な名前になり、歴史的「高来郡」の名は、歴史の中に消えてしまいました・・・・・
佐賀の方も、大和武尊の巡幸のおり、樟が茂っているのを見て、「栄郡(さかえのこおり)」と
名付け、後に「佐嘉郡」となったそうです。
さて、このように地名には、それぞれ、意味があるのですが・・・・産経新聞に戻ります。
「地名は『地名の精霊』だとする民俗学者の谷川健一さんは、『ほしいままの命名が横行
している』と嘆いたものだ。・・・・・▼「東日本大震災の後地名があらためて脚光を浴びてい
る。大震災を経験した先人たちが、『ここは危ないぞ』とのメッセージを後世に残したという
のだ。たとえば、地図コンサルタントの遠藤宏之さんは、岩手県の釜石や宮崎県の塩竃に
みられる『カマ』に注目する。「古語の『嚙マ』に通じ、津波により湾曲型に浸食された地形を
意味する」(『地名は災害を警告する』技術評論社)・・・・▼「広島市北部の土砂災害で、とり
わけ被害が大きかったのが、阿佐南八木地区だった。フジテレビの「とくダネ!」はきのう、
この地区がかって「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」と呼ばれていた事実を伝え
ていた。蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷の名前がついたと、古くからの住民は
説明する。やがて、「八木上楽地芦谷」と改名され、現在は地名に八木だけが残った。▼遠
藤さんによると、確かに蛇をあてることが多い『ジャ』は土砂の流失を表す『崩壊地名』のひ
とつである。八木の「ヤギ」だけでも岩石が流されて転がっている場所をを示している▼『土
地の精霊』たちは、ちゃんとヒントを残し、警告してくれていた。・・・・」
と言うことで、はやり、自分が住んでいるところ、特に小字名などは、チックをした方が、良
いですね。
私が住んでいるところの、小字名の地図です。役所か、図書館で見られます。
四角の所が「城山」で、「釜蓋城」があったところ、近くに「北城平」「東城平」「本城平」「牧の
内」、多分、馬を放牧していたのでしょう「馬場」もあります。「古屋敷」、普通の家には「屋
敷」なんて使いません。「下狩場」、「上狩場」、多分、お殿様が、狩りをやったところでしょ
う。こうして見ると、城があったことがよく分かります。海岸付近「瀬々尾(ぜぜお)」とありま
すから、この辺まで、瀬が来ていたのでしょう。「交合平」ってのもありますが、デート場所だ
ったのか?多分「弘法平」の間違いでしょうが、えらく、あからさまな。
こんな本もあって、参考になりますヨ。
さて、自分が住んでいる所の昔の地名、言い伝え、調べると面白いですよ。夏休みの自由
研究にどうぞ。来年の夏休みになりますが・・・・
ところで、前にも書きましたが、ウチの近くの「大操子」、なんで、「ウグルス」ナンデショウ?
カクレキリシタンの地蔵があるので「クルス」が付いていると言いますが、「クルス」だった
ら、「来栖」もあるし、大体この漢字「ウグルス」と読めますか?
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