地蔵像(大野村庄屋元地蔵)~島原市有明町
見れば可愛いお地蔵様です。場所が分からず、この辺の人を捕まえて、島原の文化財の
写真を見せて、「こげんと、どこにあっか知らんね。」「ああ、中学校の入り口の○○さんのと
こたい」と、行ってみたらありました。高さ50センチ程度です。
島原地方には、潜伏(カクレ)キリシタンを研究する方が多く、これも、その一つです。「島原
の文化財」の冊子にしたがって説明すると。
まず、肩、肘、手先の流れが「ω」の字を形取ってあり、いわゆる、前にも書いた「ω地蔵」
になります。
聖書ヨハネ黙示録に「われ(キリスト)はアルパ(α)なり、オメガ(ω)なり」という言葉があ
り、神と神の絶体の・無限性を示しているそうです。
足の部分が、四本あり、胴部に横線があり、棺、石棺を表しているとの解釈もあります。
右の字は、「原イソ(事典等にも出ていません。異体字か?十(くるす)が組み合わさってい
ます。すなわち「ハライソ」と読む方もおり、「ハライソ【(ポルトガル)paraiso キリシタン用語
で、天国、楽園、パラダイス」です。
さて、
帯である。整然とした城郭であったが、島原城築城時に、破却されて石垣等は取り壊され
たが、空濠や土塁は現存している。」そうです。
この城主はキリシタンでもあり、中学校の入り口に説明版があったので参考に。
「有明町史(上)」によれば、「切支丹宣教師ペルショール・デ・モーラ師が神代城を布教し
て、大野村の大野城に立ち寄ったのは、天正16年のことであった。
モーラ師が、神代氏、大野氏の訪問は、有馬城主有馬晴信の要請にもとづくものか、ある
いはイエズス教会独自の布教によるものか、そのあたりは分からない。
大野山城は、モーラ師を温かく迎え、そして、山城は己自身と妻子共々、切支丹に入信し
た。」(注:フロイス「日本史」より)、とあります。
なお、「ありあけの歴史と風土第8号」の宮本次人氏「島原地方のキリシタン研究Ⅳ」によれ
ば「・・・・・・この地蔵の作者であるキリシタン城主、大野氏、もしくはその家臣(同じく受洗し
ている)で庄屋となった出田家は、禁教令以後もキリシタン信仰を持ち続けたかくれキリシ
タンであり、・・・・」と推定しておられます。
島原半島の、北目、西目には潜伏(カクレ)切支丹は存在しなかった、という元来の定説が
ありますが、近年、そのその存在が少しづつ明らかになってきているようです。
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