「一石五輪塔」~島原市
説明版の下の方、2つの石塔が並んでいます。場所は、有明町(現島原市有明町)の郷土
資料館の外側に展示してあります。「一石五輪塔」です。
島原半島でも、杉谷、三会、三之沢、湯江地区のみに見られるということで、ほとんど、島
原市の端の方か、隣の旧有明町にあり、かなり限定された地域で、私の住んでいる所で
も、今のところ見た事がありません。
上の方は方は、キリシタン石造等と一緒に展示してあったので、他所から移転してきたみた
いです。どこからかは、町史なども調べたのですが、分かりませんでした。
下の写真は、島原市役所三会支所の横に祀ってあります。右は、担当者に場所を聞いたと
ころ、畑の中で、「何度行っても迷うんですよね。」と言われたので、「島原の文化財」のリー
フレットから写真を借用しました。
多分これは、温泉山修験道の麓寺院(島原半島の寺院は、キリシタン大名・有馬晴信か
ら、全部破壊されています)のではないかと思うのですが・・・・・
さて、石塔といってもいろいろあって
という本があり、いろいろな、石造物が載っていますが、左の本に石塔の図があったので。
(板碑と石塔の祈り~千々和至著)
「層塔」「無縫塔」「多宝塔」「五輪塔」「板碑」がありますが、実物を見ると、どれがどれなの
か分かりませんね。
赤い括弧が、「五輪塔」です。下から「地輪」「水輪」「火輪(笠のような所)」「風輪」「空輪」に
なります。
五つの部分を別々に作って、積み上げるのですが(風輪と空輪は一石で作られる事が多い
そうですが)、「一石五輪塔」は一つの石を刻んで作ったものです。
なお、各部には梵字(種子)が刻んでありますが、島原のはごく素朴な形で、梵字も刻んで
ありませんが、「風輪」と「空輪」の部分は綺麗に別れていることが分かると思います。
「板碑と石塔の祈り」には、「石塔とは、石でつくられた仏塔」の事だと書いてあり、「塔や卒
塔婆の略であり、本来、釈迦の骨とされる仏舎利を安置する施設であるとされる。そして仏
舎利を安置する場所には、それを塔の心柱の直下に心礎に穴をうがって納めることが多い
が、その上部の構造は、仏教がインドから中国・朝鮮をへて日本にはいってくるあいだにさ
まざまな形に変化し、さらに日本にはいってからも多様な形を生み出すことになる。」という
事で、確かに、本を見るといろいろありました。
ただ、この「五輪塔」は日本にしかないそうで、まだ、「『五輪塔』の発生についての議論は
決着がついていない」そうです。
しかし、なぜ島原半島で、この「一石五輪塔」は、この地方にしか見られないんでしょう?島
原各市、寺院跡はたくさんあり、「五輪塔」は多く出土しますが、全部別れたものばかりで
す。町史、史談会が刊行されたものを調べても、分かりませんでした。
なお、ここの「一石五輪塔」は、造形から、鎌倉から南北朝のものだと思われるそうです。
【ふろく】
石塔などに梵字が彫ってあると思います。皆さん方の近くでも、見ることができると思いま
す。参考のために、といっても、解りませんね。
(「日本石造美術事典~川勝政太郎」より)
(参考・文引用:「島原市の文化財」「板碑と石塔の祈り~千々和至著」「日本石造美術事典
~川勝政太郎著」「ふるさとの神々なんでも事典~とよた時著」「石の宗教~五来重」「あり
あけの歴史と風土~有明の歴史を語る会刊」より)
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