益田四郎屋舗!?
天草四郎、元和7年(1621年)とか、1623年生まれとか、説がありますが、まあ出生届も
ない時代。大体ここらあたりが生まれた年でしょう。(天草四郎の本名は益田四郎です)
父が小西行長の家来、益田甚兵衛。天草の大矢野島(現在の上天草市)とか、宇土郡江
部村(現在の宇土市)とか、長崎で生まれたとか諸説あるようですが、長崎とは関係がある
ような事は、種々の本に書いてあります。(天草は行長の領地でした)
さて、以前、長崎文献社から、長崎文献叢書と云うことで、長崎について書かれたものを集
め、出版されたものがあり、「長崎土産」「長崎不二賛」「長崎萬歳」「長崎名勝図絵」とか、
集めてあり、「長崎土産に」には、遊女の感想まで書いてあって、
「一 渡邊新左衛門内」
「一角 年十八 心あくまでつよし りはつよきほと也 初心のおとこにハ ちとあふま
じか」、なんとことも書いてあり、読んでいたら?
「長崎古今集覧 上巻」。この本は、松浦東渓が書いたものです。唐人番であったそうです
が、長崎に関する資料を集め、寛永元年(1789)、38才で仕事をやめ、この著述に没頭
したそうです。
内容は、故森永種夫氏が「序にかえて」に書いてあるように、「彼は私意を以て長崎の歴史
を書くという方法をとらなかった、時代を追ってある項目を立て、それについては甲書には
かく述べ、乙書にはかく記してあるという風に並列に記した。」と云うものですが、ザッと見て
いると、あれ?
「長崎古今集覧巻之五」の「旧蹟」の所。「城屋墳墓等、今若シ可徴アラバ、裨益ノ一助タラ
ン為ニ記シ置ク」と書いてありますから、ハッキリした場所等、分からないところがあるので
しょう。読みにくいと思いますが。赤の線の所。
「益田四郎屋舗 日記伝、今ノ西浜町(にしはまのまち)」と、書いてあり、この「益田四郎」
といえば、「天草・島原一揆」の指導者と同じ名前です。
「天草・島原一揆」の勃発は1637年で、この本が書かれ、松浦陶が「長崎古今集覧序」を
書いたのが、文化8年(1811)、松浦東渓が本格的に書き始めたのが、寛永元年(1789)
で、随分時間がたっていますから、店舗があった場所、時期、商売の内容は不明なのでし
ょうが、四郎は長崎と関係があったそうで、全く同じ名前ですから、ひょっとしたら・・・・・
商売はナンデショウ?あれだけの人間を指導したカリスマ、人望もあったのでしょう。おまけ
にイケメンだったという話ですから、ひょっとしたら、ホストクラブだったりして。「四郎さん~
五番テーブルお呼びよ」、なんて話はないですよね。
長崎の古地図を調べましたが、時代が新しいもので、残念でした。どなたか、ご存じの方は
お教え下さい。天草四郎が、長崎で商売をやっていたら、面白いんですけれどネ。
(「長崎文献叢書第二集第二巻~長崎古今集覧・校訂 森永種夫」「長崎文献叢書~第二
集第四巻~長崎土産・長崎不二賛・長崎萬歳 丹羽漢吉 校注」より)
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