有馬氏時代の食文化と茶室ー「伊勢御師食膳日記」ー~「コレジヨ文化講座」より・南島原市有家町
有家町で開催された「コレジオ市民文化講座」です。皆さん、興味が深いのか、満員で机、
椅子を追加する状態。熱心さが分かります。
講師は、元龍谷大学教授の根井浄(ねいきよし)先生。「修験道とキリシタン」等の名著があ
ります。この講座をブログにまとめていたら、長崎新聞に先をこされ、今日、新聞に載ってい
ました。
紙面の関係上、多くは書けないようで、当日、参加していた者として、少し物足りないので、
少し補足を。
(長崎新聞より)
当日の主要な話は3点。
①有馬氏時代の食文化
②中世有馬領内にあったと思われる茶室と、室主「ひヽや宗清」のこと。
③「ひヽや宗清」と、西有家須川の国指定の吉利支丹墓碑の関係。
まず、①です。「伊勢御師」とは、伊勢神宮の大麻(御札)を全国に配り伊勢信仰を説いて
廻国する宗教者だそうで、肥前を活躍した伊勢御師に「宮後三頭(みやしりさんとう)太夫」
がいたそうで、その記録が、三重神宮文庫に「宮後三頭太夫文書」としてあり、今回は、そ
の中から「伊勢御師食膳日記」を取り上げ話をされました。
塗りつぶされたところが、「宮後三頭太夫」が永禄四年~永禄十一年に活動した範囲で、当
時の有馬家、大村家の広い範囲で活躍をしています。
「桃(?)仙院」「西(?)光寺」「さいかう殿」(諫早西郷純尭?)「大村殿」(大村純忠か)等々
のところで出された、食膳の事が書かれていますが、有馬家で出された食膳。
「義貞」は「肥前国領主・有馬義貞」のことです。
「けいらん」は「鶏卵」、「そうめん」は粉をひいて、練って、延ばしてと、以外と手がかかるの
で、ご馳走だったとか。
「なつとうまめ」は、いわゆる「ねば納豆」ではなく、「納豆味噌」。普通こちらでは、「なっとう」
といえば、味噌納豆。私も「ねば納豆」は、東京へ出て初めて食べました。
あと「くわし」は「菓子」。むかしの発音です。「ミつかん」は「ミカン」。後は何となく分かると思
います。「ひきしお」は、日光で乾かした海草。あとは、自学自習してください。
さて、②の茶室の方です。これも、「伊勢御師食膳日記」にも書いてあった図だそうですが、
「有馬義貞」は詩歌に優れ、書道家でもあり、いわゆる文化人でもあったのでしょう。有馬に
あった茶室だと思われるそうです。図面からみて、かなり立派な茶室のようだそうです。下
に図面を載せておきますので、古文書のお勉強だと思って・・・・
赤丸のところ「ひヽや宗清座敷(茶室?)」と書いてあります。
さて、この「ひヽや宗清」とは何者か?また、明日。
(参考・図、文引用「嶽南風土記 21号」「当日の資料」「長崎新聞」より」)
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