草積夫人 その後~藤原隆信か龍造寺隆信か
さて、また「草積御前」のことです。お久しぶり~ね、といったところですが、これについては
2回ほど書いてます。
「草積夫人 その一」、「草積夫人 その二」。
角川書店「日本の伝説28 長崎の伝説~福田清人・深江福吉著」ですが、千々石に関係
する話が出ており、漁師の娘が、千々(茂木の近くです、千々石ではありません。)に辿り着
いて、犬に噛まれ死んでしまいますが、この娘の父親が、龍造寺隆信。
現地に出かけて見ると、上の説明版。娘の父親が、藤原隆信、隆信の父が、藤原俊成、定
家(小倉百人一首の撰者)の兄にあたります。これにはビックリ。
さて、藤原隆信が正解か、龍造寺隆信が正解か。悩んでいたら、知人が、ふと、一言、「竜
造寺の本姓は何だっけ。」
その手があったかと調べたら、ウィキペデアに「藤原北家中納言関白流高木支流?」と載っ
ているではありませんか。
ウィキペデアによれば「本姓」とは、「本姓(ほんせい)は、明治以前の日本において、『氏
(うじ)』のこと。名字(苗字)や家名とは異なる『本来の姓』という意味である。単純に姓(せ
い)とも言うが、『姓(かばね)』のことではない。」「名字の出現は、古代から引き継がれた氏
という氏族名称に取って代わったわけではない。公的な文書においては官位とともに氏と
諱が記載され、何より出身氏族を重んずる当時の名誉意識からして、氏は家柄の由緒を示
す誇りであり続けた。」という事だそうです。
昨日、「諫早市美術歴史館」に行ったおり、諫早家の系譜が展示されており、「諫早家系圖
藤原姓」と書いてあります。
(「諫早家ゆかりの品々展」より)
右の方には、「龍造寺姓ハ李家ノ時源朝臣範賴豊後国府御□際龍造寺之地頭職ヺ給ワル
依テ龍造寺ト号ス」と書いてあります。
諫早家は、龍造寺(後諫早藩)に属しますが、諫早家の文書等に、藤原の文字が散見され
ます。
さて、私が参考にしたのは、「長崎町人誌 第五巻 新編 長崎名勝図絵」だったのです
が、この本は、現代的に分かりやすく書かれていますが、長崎文献社から発刊の「長崎今
昔集覧 上巻」には、「草積祠」として、「志稿伝、草積婦人の祠○在茂木村、地名草積(長
いので途中カット)草積名トスル者多シ或説、夫人ハ本肥州吏志藤原隆信之女、隆信嘗運
高来会遘漁家・・・・・」。最後に「○長崎日記云ククサズミ御前○茂木村ニ在リ、立(ママ)造
寺ノ女」。とあります。「肥州は肥前、肥後の総称です」。(太字は私)。
さて、茂木町の「茂木町郷土史 昭和33年刊」には、藤原隆信(藤原俊成の子)と書いてあ
りますが、長崎古今集等を読み、京都の「藤原隆信」と勘違いし、説明版もそれに沿って書
いた気がするのですが、読んだ人が勘違いしますので、訂正が欲しいところです。
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