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2014年8月 1日 (金)

両子岩【兩子岩石】(ふたごいわ)~南島原市加津佐町

Dsc_0265

島原半島がジオパークに指定をされましたが、ここ両子岩ももちろん、ジオサイトとして指

定されています。


この左側の岩、もと総理大臣の岸信介氏に似ているため、千々石では「あら、この間、信介

岩の近くを通ったら、痩せとらすばい」などと、話をしています。


岩の大きさは、釣り人が写っていますから、推測できると思います。左右に岩があります

がこれが、両子岩というわけではありません。


この、近くの道端に説明版が設置されています。

Dsc_0260_2

この中に、昔の図面が描いてあります。

即ち、現在の二つの岩の近くに、もっと大きな岩があり、これが「両子石」の名の由来だそう

ですが、一番大きな岩は大正11年(1922)の大正地震や、波の力で崩れてしまったそう

です。

Dsc_0266

図の右上には、「長㟢縣第六区三小区肥前国髙来(來?)郡加津佐村雜社字津波見(つば

み)名二鎮座」。石祠の名前が「二岩神社」となっています。


どうも「国」という字が「國」でなく、気にかかるのですが・・・・昔は、南高来郡、北高来郡が

一緒で、高来郡という由緒ある名前だったんですが、合併市になって、「高来郡」という名前

がなくなってしまいました。中央官庁、県庁の、学校の成績だけが良い、お馬鹿さんが、歴

史を知らないんでしょうね。


さて、第六区という文字がありますが、廃藩置県により、明治時代目まぐるしく、地区の入

れ替わりがおこなわれます。


明治4年7月、島原藩を廃止、島原県になります。同11月島原県を廃し、長崎県となり、島

原に出張所を置きますが、長崎県は肥前国(松浦郡ノ内・彼杵郡・高来郡)壱岐国(壱岐

郡・石田郡)であり、この時、対馬は伊万里県に属していたそうです。


明治6年に、第六区として、高来郡加津佐村(南串山・北串山・加津佐町・口ノ津)としたそう

です。この後、島原半島内では、村の合併がおこなわれています。(有家町郷土史より)


さて、上の絵ですが、明治の内務省が寺社、寺院の明細帳を作成したそうで、有家町の郷

土史にも、その絵が載っています。

Img_20140801_0001 Img_20140801_0002

神社には、社格があり、「長崎県神社庁」のホームページから、皆さんの神社の社格がわ

かります。


明治政府は社格制を分けます。一番下が、無格社で、「雑社」とも呼ばれたそうで、明治政

府は、神社合祀(神社の合併整理)をおこないますが、多分上の絵は、それを目的としたも

のではないかと思います。「有家町郷土史」では「明治8年神社報告令 第七区神社明細

帳より 熊野神社 絵図」となっています。


さて、上の図の「二岩神社」、今も残っており、「双子岩」も説明版によれば、「下半分に補強

工事を実施」となっています。

Dsc_0267_2 Dsc_0270_2

まあ、長崎の時津で有名な、「鯖くさらかしの岩」も補強しているそうで、これは、近くまで登

って確認した人がいて、ブログに書いていますから、この岩も、このままだと危ないので、補

強しても良いんじゃナイデスか。


「鯖くさらかし岩」の秘密は→こちらをクリック







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