地蔵まつり~雲仙市千々石町柳原水源
「地蔵まつり」です。祭りといっても、大きな祭りではなく、町の中に祀ってある、お地蔵様を
お祭りする事です。
明治十二年の「千々石村村誌」、「水利」のところには、「・・・所々ニ湧水有リテ飲料水乏シ
カラズ・・・」とあり、数十年前だったか、長崎市が水不足になった時、タンカーで千々石の水
を取水して、運んだことがありました。雲仙半島には、千々石以外にも、有名な湧水があっ
て、ポリタンクで、何缶と軽トラックに積んで、運んでいく所もあります。
「千々石町郷土誌」には
○地蔵まつり
毎年八月二十四日に、各地でおこなわれている水神さんに感謝するまつりである。本町に
は、各地にきれいな湧き水がある。いわゆる洗河(あれご)という出水の場所である。そこ
の水を飲料水にし、そこで野菜を洗い,洗濯などをする。そこから配管をして水を供給する
。・・・」。なお、当日は、地域で洗河の掃除をし、神事をおこないます。最近は、24日とは限
らないようです。お互い、仕事がありますから。
ちょうど、通りかかっていたら、おや!何かやってるな、と。私が歩けば、棒に当たるで、ちょ
ど神主さんが祝詞をあげていたところでした。
お客さんが少ないので、聞いて見たら、昔は子供が多く、たくさんお参りもあったとか。多
分、子供にはお菓子をあげたり、大人は酒盛りをやったり、お接待などもあったのでしょう
が、若い方も関心が無いのか、いませんでした。「これからどうなるんでしょう」という話で
す。
水はご覧の通り、こんこんと湧いてます。冷たくて、やはり水道水とは全然違いますね。
水がわき出るところにも、石造物がありましたが、こちらが一番大きくて立派なもの。左右を
見たら、字が彫ってありました。
向かって左側には、「願主 永田喜三治長近」「石工 南有馬村 九郎治」と彫ってありま
す。向かって右は、「文化十(1813年)癸酉七月吉祥日」と彫ってあります。
諫早の金比羅山にも、灯籠が寄贈してあり、「永田喜摠治」とあるそうです(千々石史談創
刊号・徳永修氏著)から、ひょっとしたら、身内の方では?
さて、上の写真の道路、もちろん昔はもっと狭く、今は拡張してあります。この道を、伊能忠
敬一隊が通っています。
伊能忠敬の日記には、「右二薬師堂」など、細かいことも書いてありますが、千々石には、
文化九年十一月十八日(旧暦・新暦では十二月二十一日)から、2,3日、宮崎庄屋のとこ
ろに宿泊をしています(到着翌日は風雨のため、逗留)。
ですから、多分ここの湧き水、祠も見たと思うのですが、日記には、記述はありませんでし
た、最も時期が冬ですから、急いで過ぎたのでしょう。夏だったら、ここの水、飲んで、記述
したと思うのですが。「ここの湧き水は甘露であった」と。
間違いました、石祠が建ったのは、測量隊一行が通った、一年後でした。失礼 m(_ _)m 。
この柳原水源、考えると、何百年の歴史を持ったものです。庶民の歴史がある所ですか
ら、大事にして貰いたいものです。
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