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2014年8月21日 (木)

地蔵まつり~雲仙市千々石町柳原水源

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「地蔵まつり」です。祭りといっても、大きな祭りではなく、町の中に祀ってある、お地蔵様を

お祭りする事です。


明治十二年の「千々石村村誌」、「水利」のところには、「・・・所々ニ湧水有リテ飲料水乏シ

カラズ・・・」とあり、数十年前だったか、長崎市が水不足になった時、タンカーで千々石の水

を取水して、運んだことがありました。雲仙半島には、千々石以外にも、有名な湧水があっ

て、ポリタンクで、何缶と軽トラックに積んで、運んでいく所もあります。


「千々石町郷土誌」には

○地蔵まつり

毎年八月二十四日に、各地でおこなわれている水神さんに感謝するまつりである。本町に

は、各地にきれいな湧き水がある。いわゆる洗河(あれご)という出水の場所である。そこ

の水を飲料水にし、そこで野菜を洗い,洗濯などをする。そこから配管をして水を供給する

。・・・」。なお、当日は、地域で洗河の掃除をし、神事をおこないます。最近は、24日とは限

らないようです。お互い、仕事がありますから。

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ちょうど、通りかかっていたら、おや!何かやってるな、と。私が歩けば、棒に当たるで、ちょ

ど神主さんが祝詞をあげていたところでした。


お客さんが少ないので、聞いて見たら、昔は子供が多く、たくさんお参りもあったとか。多

分、子供にはお菓子をあげたり、大人は酒盛りをやったり、お接待などもあったのでしょう

が、若い方も関心が無いのか、いませんでした。「これからどうなるんでしょう」という話で

す。


水はご覧の通り、こんこんと湧いてます。冷たくて、やはり水道水とは全然違いますね。

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水がわき出るところにも、石造物がありましたが、こちらが一番大きくて立派なもの。左右を

見たら、字が彫ってありました。

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向かって左側には、「願主 永田喜三治長近」「石工 南有馬村 九郎治」と彫ってありま

す。向かって右は、「文化十(1813年)癸酉七月吉祥日」と彫ってあります。


諫早の金比羅山にも、灯籠が寄贈してあり、「永田喜摠治」とあるそうです(千々石史談創

刊号・徳永修氏著)から、ひょっとしたら、身内の方では?


さて、上の写真の道路、もちろん昔はもっと狭く、今は拡張してあります。この道を、伊能忠

敬一隊が通っています。


伊能忠敬の日記には、「右二薬師堂」など、細かいことも書いてありますが、千々石には、

文化九年十一月十八日(旧暦・新暦では十二月二十一日)から、2,3日、宮崎庄屋のとこ

ろに宿泊をしています(到着翌日は風雨のため、逗留)。


ですから、多分ここの湧き水、祠も見たと思うのですが、日記には、記述はありませんでし

た、最も時期が冬ですから、急いで過ぎたのでしょう。夏だったら、ここの水、飲んで、記述

したと思うのですが。「ここの湧き水は甘露であった」と。


間違いました、石祠が建ったのは、測量隊一行が通った、一年後でした。失礼 m(_ _)m 。


この柳原水源、考えると、何百年の歴史を持ったものです。庶民の歴史がある所ですか

ら、大事にして貰いたいものです。






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