「まよい子志らせ石(迷い子知らせ石)~長崎市諏訪神社・その他
実は、私、諏訪神社横の「諏訪幼稚園」中退で、ここらあたり、いつもウロついていたのです
が、これ、全然気づきませんでした。それ以後も、何回もお参りに行っていたのですが・・・・
「まよい子志らせ石」です。
まあ、こんな所じゃ、気づきませんね。石段を上がるだけで、フウフウ言いますから。
説明版が写真に撮りにくいので、そのまま書いてみます。
「まよい子志らせ石」
(迷い子知らせ石)
この石柱は、明治十二年、当時の長崎の県警察課、警察書に在勤する警部一同の手によ
って建立された。
当時ここら一体は氏神を詣でる庶民の往来で賑わったが、時には人ごみにもまれて親を見
失う子等も少なくなく、不安に泣き叫ぶその姿が道行く人々の憐れみを誘った。
この実情を見かねた数名の警部は互いに資金を寄せ合ってこの石柱を建て、親と子の安
心を念願したのである。
雑踏で子とはぐれた親は、北面の「たづぬる方」石面に住所と子の名前を書き記し、迷い子
を見かけた人はその子の手を引いて、子の名、年齢、特徴等と共に、わが名、住所を、南
面の「おしゆる方」石面にしたため、親の姿を待った。
やがて子は再び親の懐に抱かれ、人びとの暖かい思いやりに涙を流して手を合わせてしっ
かりと手を握り合って去るその姿は数知れなかったといわれる。
昭和六十二年七月
長崎警察署
前面の「まよひ子志らせ石」、最後の「石」の部分が剥落しているのか、分かりません。
両端の「たづぬる方」「おしゆる方」は、ハッキリ読めます。この石柱一の鳥居のところにあ
ったと言う話も、聞いた事があるのですが・・・・・?
特に、「くんち」の祭りなどの時は、ここは人出で一杯になりますから、大変です。
考えれば、現在は少子化で、子供が一人か、二人。両親で一人づつ、受け持てばそれで
済みますが、当時は、子供が5,6人はザラでしたから、雑踏の中、一人二人は迷子にな
って当たり前。当時の警察の思いやりと、知恵が思われます。さすが、長崎の警察。
と思ったら、東京の中央区八重洲一町目十一番地先に「一石橋迷子しらせ標」があるそう
で、これは、安政四年に建立したもので、使い方は、東京都教育委員会の説明版によると
柱の正面には「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、右側には、「志(し)らする方」、左側には「たづ
ぬる方」と彫り、上部に窪みがある。利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書い
た紙をはり、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪み
に貼って迷子や尋ね人を知らせたという
という事で、東京まで、写真を取りに行こうかと思ったら、飛行機に乗り遅れて、残念でし
た。
なお、湯島天神境内、浅草寺境内、両国橋橋詰等、往来の多い場所に同様なものがあっ
たそうですが、戦災等で破壊されたそうです。ですから、現在、長崎の諏訪神社と、東京に
確認できるだけのもので、庶民の告知板として、貴重なものです。
東京、「一石橋迷い子知らせ石標」。詳しくは→こちらをクリック ① ②
【おまけ】
最近は「POLICE」と書いてあるところが増えています。数年前、「町民体育大会」の説明会
で、「アベック・リレー」と言ったら、お年寄りの方から、「英語は分からん、日本語で言え!」
と怒られましたが・・・・
さて、「駐在所」「派出所」「交番」と言いますが、「新明解国語辞典 第七版」によると
「駐在所」は「巡査が家族とともに住み、受け持ち区域の警備に当たるところ」
「交番」は「要所に設けられた『巡査派出所』。〔広義では、駐在所をさす〕
「派出所」は「『巡査派出所』の略。「交番」の旧称。
「巡査」は「警察官の階級の一つ。巡査部長の下。
「巡査長」は「巡査のうち、勤務成績が優秀で、実務経験の豊富な者に与えられる称。〔正
式な階級ではない〕となっています。
最近、交番、派出所、駐在所が経費のせいか、随分減りました。「まよい子志らせ石」を作
ったような、暖かい心を持った、警察官が増えれば良いのですが・・・・・
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