有馬氏時代の食文化と茶室ー「伊勢御師食膳日記」ー~「コレジヨ文化講座」より・南島原市有家町 その2
(根井先生 当日の資料より)
昨日の宿題の答えです。少し分かりにくいので、渡部幸子氏による作図です。
(根井先生 当日の資料より・作図 渡部幸子氏による)
室主は「ひヽや宗清」になっていますが、この人物は、明らかにはなってないようですが、
「ひヽや」を「日比屋」にすれば、安土桃山時代、堺の豪商でキリシタン、茶道でも有名な、
「日比屋了慶(日比屋了珪)」がいるそうで、NHKドラマ「黄金の日日」にも出ているそうで
す。
有馬義貞も文化人、「ひヽや宗清」も、「宗」の字が付きこれは、「宗匠」と言うくらいですか
ら、文化人。
根井先生は「『ひヽや宗清』はこのような、日比屋了慶=了桂の一族であろうか。これ以上
は私には踏み込めないが、茶人・茶商として『宗清』は有馬領内に茶室を構え、三頭太夫
と面識を得たことになる。」と書いておられます。
なお、ルイスフロイス「日本史」に、「しかし了珪は商人であって、シナの船が来る下(九州)
に行かねばならなかったから・・・」という記述があり、何となく、了珪と宗清の関係が感じら
れる文です。
いよいよ③になりますが、根井年生も、少し笑いながら話されましたが、・・・西有家町須川
の国指定のキリシタン墓地。
(「島原半島史 上巻 林銑吉著 昭和29年刊」より)
(「日本キリシタン墓碑総覧 平成24年刊」より」
この文字が風化して、読み方がハッキリしないところがあり、研究者により、いろいろあるよ
うで
■林銑吉著「島原半島史」
FIPISCYEMO DIEDGO (日比作右衛門 ディエオゴ)
■竹村覚「著「キリシタン遺物の研究」
FIP(またはB)ISACYEMO DIEGO(□□作右衛門 ディエゴ)
■松田毅一著「近世初期日本関係 南蛮資料の研究」
FIBISACVEMO DIEGO(日比作右衛門)
■片岡弥吉著「長崎の殉教者」
FIRISACYEMO DIEGO(ピリ作右衛門)
■南島原市教育委員会企画「日本キリシタン墓碑総覧」
FIPISACYEMO DIEGO
まだまだあるのですが。この「日比作衛門」が「ひヽや宗清」ではないかと。「作右衛門」と
「宗清」は違いますが、「宗匠」になると、「号」を用いますから・・・
という事で、これが本当なら、大発見なのですが・・・・と思うのですが、先生も少し冗談めい
て話しておられました。
なお、①②の詳細については、「嶽南風土記 21号」に書いてありますので、南島原市の
ありえコレジオホールまでお問い合わせを。
なお、来月は、「千々石ミゲルの墓発見」の大石先生の、講座と現地研修です。キリシタン
墓碑はいつでも見られますが、専門家の話を聞きながら、という機会は少ないので、興味
のある方は是非ご参加を。お問い合わせは上記まで。 (この項終了)
(参考・文・写真引用:「日本キリシタン墓碑総覧」「嶽南風土記 21号」「島原半島史 中
巻」、当日の資料より)
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