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2014年8月23日 (土)

有馬氏時代の食文化と茶室ー「伊勢御師食膳日記」ー~「コレジヨ文化講座」より・南島原市有家町 その2

Photo

          (根井先生 当日の資料より)

昨日の宿題の答えです。少し分かりにくいので、渡部幸子氏による作図です。

Photo_2

     (根井先生 当日の資料より・作図 渡部幸子氏による)


室主は「ひヽや宗清」になっていますが、この人物は、明らかにはなってないようですが、

「ひヽや」を「日比屋」にすれば、安土桃山時代、堺の豪商でキリシタン、茶道でも有名な、

「日比屋了慶(日比屋了珪)」がいるそうで、NHKドラマ「黄金の日日」にも出ているそうで

す。


有馬義貞も文化人、「ひヽや宗清」も、「宗」の字が付きこれは、「宗匠」と言うくらいですか

ら、文化人。


根井先生は「『ひヽや宗清』はこのような、日比屋了慶=了桂の一族であろうか。これ以上

は私には踏み込めないが、茶人・茶商として『宗清』は有馬領内に茶室を構え、三頭太夫

と面識を得たことになる。」と書いておられます。


なお、ルイスフロイス「日本史」に、「しかし了珪は商人であって、シナの船が来る下(九州)

に行かねばならなかったから・・・」という記述があり、何となく、了珪と宗清の関係が感じら

れる文です。


いよいよ③になりますが、根井年生も、少し笑いながら話されましたが、・・・西有家町須川

の国指定のキリシタン墓地。

Photo_3

      (「島原半島史 上巻 林銑吉著 昭和29年刊」より)

Img_20140820_0014_2

     (「日本キリシタン墓碑総覧 平成24年刊」より」

この文字が風化して、読み方がハッキリしないところがあり、研究者により、いろいろあるよ

うで



■林銑吉著「島原半島史」

  FIPISCYEMO DIEDGO (日比作右衛門 ディエオゴ)

■竹村覚「著「キリシタン遺物の研究」

  FIP(またはB)ISACYEMO DIEGO(□□作右衛門 ディエゴ)

■松田毅一著「近世初期日本関係 南蛮資料の研究」

  FIBISACVEMO DIEGO(日比作右衛門)

■片岡弥吉著「長崎の殉教者」

  FIRISACYEMO DIEGO(ピリ作右衛門)

■南島原市教育委員会企画「日本キリシタン墓碑総覧」

  FIPISACYEMO DIEGO 


まだまだあるのですが。この「日比作衛門」が「ひヽや宗清」ではないかと。「作右衛門」と

「宗清」は違いますが、「宗匠」になると、「号」を用いますから・・・


という事で、これが本当なら、大発見なのですが・・・・と思うのですが、先生も少し冗談めい

て話しておられました。


なお、①②の詳細については、「嶽南風土記 21号」に書いてありますので、南島原市の

ありえコレジオホールまでお問い合わせを。


なお、来月は、「千々石ミゲルの墓発見」の大石先生の、講座と現地研修です。キリシタン

墓碑はいつでも見られますが、専門家の話を聞きながら、という機会は少ないので、興味

のある方は是非ご参加を。お問い合わせは上記まで。     (この項終了)

Img_20140822_0003 Img_20140822_0004



(参考・文・写真引用:「日本キリシタン墓碑総覧」「嶽南風土記 21号」「島原半島史 中 

 巻」、当日の資料より)






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