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2014年8月 9日 (土)

「辞書になった男~佐々木健一著」「明解物語~柴田武監修・武藤康史編」 その3

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さて、問題の一月九日です。


■じてん【時点】・・・・・・・一月九日のーでは、その事実は判明していなかった


(明)に柴田武氏(東京大学名誉教授・「明解」「三国」の編集)の「見坊豪紀と山田忠雄」と

題したインタビューが載せてあり、


ー「新明解国語辞典」の初版は昭和四十七年一月二十四日付けで出ていますが、このとき

の事は・・・・・・・。


柴田 これは覚えていますよ。一月九日かなんだったか。打ち上げがあったんですよ。『新

明解』が出来たとは聞いていても、実物はまだ見ていなかった。・・・・・・・・で、一月九日に

初めて本を手にしました。まず序文をみて、ビックリ仰天しました。見坊さんもそこにおられt

けど、何にもおしゃらなかった。・・・・・


この序文については、(辞)に載っていますが、



新たなものを目指して


人も知るごとく、本書の前身は「小辞林」の語釈を口語文に書き替える事から出発した。(中

略)このたびの脱皮は、執筆陣に新たに柴田氏を迎えると共に、見坊氏に事故有り、山田

が主幹を代行したことにすべて起因する。言わば、内閣の更迭に伴う諸政の一新である

が、真にこれを変革せしめたのは時運であるといわねばならぬ。(「新明解」初版 「新たな

るものを目指して」)


すなわち「一月九日までは、その本の内容は、誰も知らなかった」という事です。


この「事故」は、普通に使う「事故」の事ではなく、柴田氏はインタビューに答えて

「『山田さんはそういう意味ではない、ほかの意味があるよ』と。たしか、明治時代の用法に

はあるんですね。『できない」』『さしつかえがある』という意味で、それで自分がやったんだ、

ということなんですよ。」


「ただね、『明解』の改訂(「新明解」になる)とほぼ同時に『三省堂国語辞典』の改訂の話が

出たということは見坊さんに聞きました。それで、見坊さんとしては同時に二冊はできない

から、『明解』の方は山田君やってくれ、とおしゃたんじゃないかな。それを山田さんは《見坊

に事故あり》と書いたわけですね。・・・・・・・」


「・・・・・どうも、私の見るところでは、見坊さんは山田さんに『手伝ってくれ』とだけおしゃった

んじゃないだろうか。主幹は、はやり見坊というおつもりじゃなかったかなと。それがいつの

間にか山田主幹になった。『主幹』とかいてあるでしょう。」


さて、序文については(明)では長男行雄がインタビューに答えて


「・・・・あの前書きを読んで『これはウソだ』ということは言った。それはうちの母親と二人で

言っていましたよ。『この書き方は、いくらなんでも失礼である』と。」

「《事故あり》については、たしか『ショックだ』という感じでおやじはしゃべっていたと思いま

す」


(辞)は少し違っており


「食卓で『新明解』を広げて見せて『おい!行雄。これを見ろ、この序文を見ろ』といわれまし

た。『そこに、見坊に事故有りと書いてあるだろう!これは嘘だ。まったくけしからん。この書

き方はいくらなんでもおかしい。事故有りとはなんだ!俺は事故なんかにまったくあってな

いぞ。大病でもしたのか?俺はピンピンしているぞ。こういう書き方はない』と・・・・・」


さて、問題がもう一つ。見坊さんの原稿を山田氏が「新明解」に使った事。これには、当時

編集に関わった、三上幸子さんが(明)で次にように語っています。


三上 私も何時までも生きていられるかわからないからお話ししておいた方がいいかもし

れませんが、当時『三省堂国語辞典』の第二版のゲラと、それから『新明解国語辞典』の初

版ゲラというか原稿は、両方わたしがいちおう担当していたんです。見坊先生は用例をたく

さん集めてらっしゃた。山田先生は当時そういう事を一切してらっしゃらなかった。だから、

用例がないんですよ。はっきりいって。それで、あるとき「『三省堂国語辞典』の見坊の作っ

た用例のはいったものをちょっと見せてくれないか」と私におっしゃたんです。わたくしも本

当は困るけど上の人に相談したら、『まあ、いいんじゃないか』と、お互い、仲のいい先生同

士だから、と。で、少しお見せしたんですよ。そうしたら、それをそのまま用例として入れちゃ

ったんです。山田先生が。それがケンカの原因になった。見坊先生、あとで知りましてね。

・・・・・・・・・・」と語っています。


「事故」で決別した二人ですが、「三国」「新明解」の二つの辞書に関わった、柴田武司先生

は、山田氏の言葉をこう書いています。


「山田さんは見坊さんの仕事について、辞書史の上で大変な功績だということは、書いても

いらっしゃるし、『近頃、見坊はよくやっているよ』というのを私も聞いた事があります。


元、三省堂の倉橋氏は、「・・・・山田はどうしていますか?」と聞かれ、当たり障りのない返

事をしたそうですが、見坊先生は突然「私は、山田を許します」といいつづいて、「どちらも”

米びつ”を持ったのだから、それで良いんだと思います。」と言ったそうです。「米びつ」は、

「収入源(辞書の印税)」という意味で言ったと思われるという事だそうです。


いずれにしても、素晴らしい日本の小型国語辞典を、作った二人です。


「新解さんの謎」はベストセラーにもなりましたが、登場するSM女史は、女性に対する解説

に不満を持っているようですが、先ほどの三上氏によれば、語釈等、こう直したがいいので

は、という事に対し、


「・・・・いわゆる差別語などはすんなりと直してくださるのですが、女性差別に通じると指摘

された語釈や例文などは、あまり認めて下さいませんでしたね。私の主観としてはこれでい

いんだと・・・・・私は女性を差別なんかしていないのだと、そういう発想ですね。」


さて、赤瀬川源平さんが「明解物語」」と「辞書になった男」を読んでいたら、どう書いていた

のでしょうか?なかなか、いい線行っているのですが。


これもベストセラーになった「舟を編む」。これに出てくる、松本先生、何となく見坊先生を思

わせます。


馬締君と香具矢さん、結ばれますが、後の方で、「カウンターの中から声をかけてきたの

は、女性の板前だった。四十になるかならないかぐらいに見える。」とありますが、本を読ん

でも、子供が出来たことは書いてありません。ひょっとしたら、馬締君は辞書づくり、香具矢

さんは料理作りに没頭するため、子供が出来なかったのではなく、作らなかったのではない

かという感じもします。


なかなか面白い本です。「辞書になった男」と「明解物語」と合わせて読めば、見坊氏、佐藤

氏の辞書作りと、現代の辞書作りの違いが分かると思います。


さて、「三省堂国語辞典 第七版」。見坊氏は亡くなられていますが、名前はちゃんと書か

れています。なお、前書きに、見坊氏の「第三版序文」が掲げられています。


第三反序文

辞書は”かがみ”であるーこれは、著書の変わらぬ信条であります。

辞書は、ことばを写す”鏡”であります。同時に

辞書は、言葉を正す”鑑”であります。


辞書の最後の言葉はなんでしょう?「ん」ではありません。調べて見てください。「明解国語

辞典」。最後から2つめには「んとす」ですが、こう書いてあります。


【んとす】

・・・・・・・・/われら一同、現代語辞典の規範たらんとす抱負を持(モツ)て、本書を編した

り。乞(コ)ふ読者、微衷を汲(ク)み取られんことを」


長くなりましたが、辞書にも作る方の思いがあり、読み比べると、面白いものです。「明解物

語」は高いので、「辞書になった男」はお読みください。辞書が好きになります。(終了)


(参考・文引用:「辞書になった男~佐々木健一」「明解物語~柴田武監修・武藤史編」よ 

 り)






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