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2014年8月30日 (土)

日見の「腹切坂」~長崎市 その3

Img_20140829_0001

昔の長崎街道、七間曲がりの所です。一番きついところだったのでしょう。今では、歩い

て3分の所のコンビニに行くまで、車を使う時代。雨の日は、中学生でさえ、車のお出迎え。


さて、今日は腹切り坂の所の3基の供養塔のことです。

Dsc_0007

3基並んでいますから、便宜上、「左の碑」「中央の碑」「右の墓(これは多分墓でしょう)」

と呼びます。


「左の碑」六角柱になっています。昨日の「日見の史蹟」に、この3つの塔の事が書いてあ

り、いわれ、その上、ありがたいことに、碑の文字まで書いてありましたが、少し?の所があ

るので、自分で、調べた事を、比較しながら書いて見ます。

Dsc00554 Dsc00555

「日見の史蹟」によれば「腹切り坂に天禄9年(1696)正月3日地域住民が慰霊のため墓

を建てた。正徳4年(1714)5月3日野田重右衛門が慰霊碑を建立した。・・・

昭和50年(1975)に土地開発のため、場所が私有地であったので、無縁仏として骨と墓

及び慰霊碑は坂本町(注:長崎市内)にある県の墓地に移転されていた」とあり、


この話を、東長崎史談会の方が残念に思い、元の場所に戻すべく、手立てをするも、日見

バイパスにかかるという話があり、日見に場所を見つけるも、受け入れ先が見つからず、昭

和54年11月25日、東長崎史談会会長の尽力により教宗寺の住職様に供養をお願いし、

お寺の境内に移転をしたそうです。これで、教宗寺にあった理由が分かったわけです。


平成14年3月29日、日見バイパスの工事完了に伴い、日見腹切坂史跡保存会の尽力に

より、元あった場所の下の、現在位置に移転をしたそうです。


なお、骨も出て来たそうです。骨格がしっかりした方だったそうですが、火葬をし西本願寺に

納骨されたそうです。


さて、供養塔です。

まず左の塔だけが六角柱になっています。あとの二つは普通の四角柱です。


■まず、「左の碑」。「日見の史蹟」には・・・・・

右面  為常修院玄理日是逆修菩薩

       願以此功徳普及及一切

正面  奉納大乗妙典一字一石書写正

       我等興衆比共成仏道

左面  為福剣香信女仏菓菩薩

裏面  正徳4年甲牛(1714)夏4月朔日 俗名野田重右衛門敬白  

■「中央の碑」

奉納 大乗妙典六十六部日本廻国供養

      南無観世音菩薩

     南無阿弥陀仏

裏面 宝永6年(1709)8月吉日


■「右の碑」

正面  白禅道由居士

裏面  元禄9年丙子年(1696)正月3日

俗名  吉村忠衛門尉藤原重道


となっていますが、さて、私が写真で確認したところ・・・・・


■「左の碑」正面から向かって、時計方向に①②③④⑤⑥と便宜上つけます。次のように

 彫ってあります。

① 奉納大乗(乘?)玅典一字一石書寫

② 我等與衆生皆共成□仏□道

③ 為劔香俚□薫信女佛果菩提

④ 正德四甲牛歳 夏四月朔日(この部分2行に分かち書き) 下部に、俗名 野田重右 

  衛門 敬白(敬白は一番下に横書き)

⑤ 為常修院玄理日是逆(旧字にて標記)修菩提

⑥ 願以此功德普及一切


■「真ん中の碑」同じように正面から時計方向に①②③④

① 真ん中に大きな字で「南無阿彌陀佛」。右に中くらい大きさの字で、「南無観世音菩

   薩」。左に「南無体勢至菩薩」 

② 肥前州高来郡日見村庵主 □□院叔明誠□比丘□建立

③ 宝永六年己牛八月吉日

④ 奉納(これは上部に大きく横書き) 大乗妙典六十六部日本洄國供□


まず、一番「左の碑」は「一字一石塔」で、小石一つ一つに、経典の一字づつの文字を書

き、経塚に埋納したもの。供養にも使われますが・・・


②と⑤は逆につなぎ合わせて、「願以此功德 普及一切 我等與衆生 皆共成仏道」で、真

言宗の廻向文です。


なお、「正徳4年(1714)5月3日野田重右衛門が慰霊碑を建立した」と書いてありますが、

気になるのが「③ 為劔香俚□薫信女佛果菩提」と「⑤ 為常修院玄理日是逆修菩提」。

③について言えば、「信女」は普通、女性の仏様につけるもの。⑥に「逆修」と書いてありま

すが、「逆修」と言えば、生前に死後の冥福を祈って、仏事をしたり、生前に戒名を授けても

らうもの。


なお、今は、「○○院○○○○居士」などと書きますが、調べて見ると、昔は、「為~菩提」

とも書いた事もあるそうです。


この、一字一石等、左右の戒名を見たら、男女の感じがし、ひょっとしたら、夫婦で妻が先

に亡くなり、夫の方が「逆修」をしたものでは・・・


というところで、夜遅くなって、眠くて目がボケて見えません。又明日続きを。皆さん、ごきげ

んよう、お休みなさい。





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